第19話 約束のトンボ玉


 部屋を出ると、美輝が男子部屋へと声をかけた。



「準備できたよー」


「先に下りて待ってて。すぐに行くから」



 ドアから少し顔を覗かせた結弦に、「はーい」と返事をしてからふたりで階段を下りると、フロントに立つ結弦のお祖母さんに声をかけられた。



「ふたりとも、今日はお手伝いありがとうね。とても助かったわ。これからお出かけ?」


「はい、近所の駄菓子屋さんに行ってきます」



 さらっと言葉を返したわたしに、美輝が驚いた顔を見せる。


 そういえばこういうときって全部美輝が返してくれてたんだっけ。それに気づくと自分でも意外だなと思った。



「あぁ、駄菓子屋って、あおいちゃんのところね。結弦、覚えてるのかしら」



 あおいちゃん? 苗字だろうか、名前だろうか、男の子だろうか、いや、ちゃん付けなんだから、きっと女の子の名前だ。


 心の中にもやっとした影が現れると、代わりに美輝が結弦のお祖母さんに訊ねた。



「あの、葵ちゃんって?」


「あら、そこまでは聞いていないのね。葵ちゃんは結弦の幼馴染みよ。小さい頃はよく一緒に遊んでいたの」


「へえ、じゃあ結弦と仲いいんですね。琴音、心配だねえ」


「べ、別にそんなこと……」



 幼馴染みって誰? そんなの聞いたことないんだけど。



「葵ちゃんは本当に明るくていい子でねえ、お休みの日はよく店番してるから、今日もいると思うわ。仲よくなれるといいわねえ」



 幼馴染みという言葉を聞いて、わたしのもやもやはさらに大きくなっていた。

 なにもないのはわかっているけれど、どこか不安になってしまう。



 頭を抱えて悶えていると、結弦と怜が階段を下りてきた。



「あれ? 琴音なにしてんの?」



 変なポーズで固まったわたしを見て、結弦がいつもの笑顔で言う。その爽やかさがなんだか憎たらしい。



「……なんでもない」



 こんなところで、葵って誰よ! どこの女よ! なんて言うほど馬鹿じゃない。

 そもそも、別に結弦が浮気してるわけでもないし、ただわたしが得られなかった幼馴染みってポジションを妬んでいるだけだ。


 みんなに背を向けて、一足早く玄関で靴を履くと、結弦は少し慌てたようにお祖母さんに声をかけた。



「じゃあ、ばあちゃん。行ってきます。一旦帰ってくるかもしれないけど、夕食はお祭りで食べるからね」


「はいはい、行ってらっしゃい。葵ちゃんによろしくねえ」



 玄関を出て田舎道を歩き始めると、結弦がわたしに機嫌を伺うような態度で問いかけてきた。



「ええと、琴音、ばあちゃんからなにか聞いた?」


「うん、聞いたよ。結弦が昔好きだった女の子の話」



 嘘だけど。でもきっと間違いない。さぁ、結弦はどう答えるの?



「えぇっ!? ばあちゃん、そんなこと言ったの?」


「なに焦ってるの? やっぱり好きだったの? その葵ちゃんって子のこと」



 精一杯目を細めて結弦に視線を送る。小学校時代の幼馴染みに嫉妬するなんて、わたしってやっぱり子どもなのかもしれない。



「で、でも、小学生のときの話だからさ。それにあの頃は携帯も持ってなかったから、引っ越し以来会ってないよ」



 今から会えるかもしれないじゃない。嬉しいくせに、なんで隠そうとするのよ。



 ふーんとつっけんどんに返すと、美輝が間を取り持つように話し始めた。



「まあまあ琴音、子どもの頃の話だし、機嫌直しなって。ねぇ、結弦。今はなんにもないもんね」


「もちろんだよ、今はなんとも思ってないよ」



 こんなに必死に弁解してくれるのだから、きっと嘘なんてついていない。そもそも結弦はわたしに嘘なんてつかない。でも、ちょっと意地悪を言いたくなって、その感情を美輝へと当て擦る。



「なら美輝は、怜にそんな相手がいたらどうするの?」



 頭に両手をまわして高見の見物を決め込んでいた怜が、「えぇ!? 俺?」と叫んだ。



「いるの? あんた」



 途端に美輝の鋭い視線が怜に向けられる。当て擦りの被害者が増えた。



「い、いねえよ! そんな相手いるわけねえだろ!」


「動揺するとこが怪しいのよ!」



 そのひと言にふたりともびくっと肩を上げて生唾を呑んだ。その様子がおかしくて、わたしは堪らずふはっと吹き出して言った。



「あはははは。冗談だよふたりとも。わたし達、ほんとは疑ってなんてないんだから」


「なんだよ、だったらあんな言いかたすんじゃねえよ」



 怜がぶつぶつと文句を言うが、美輝はそれを「日頃の行いよ」と笑い飛ばしていた。




 ◇


 のどかな田舎道を笑いながら歩いていると、ひとひらの風が吹き、鳥が羽ばたいていく音が聞こえた。



「なんだか今日は賑やかね」



 声がするほうに視線を向けると、電柱の陰から見知らぬ女の子が顔を覗かせている。


 淡い色の長い髪を留めているのは、蝶をモチーフにした髪飾り。そこから伸びた紐の先には、水晶のような綺麗なガラス玉が付いている。


 動きやすそうな服装にピンクのスニーカーがよく似合っていて、猫のようで狐のような、くりっとしたかわいい瞳が印象的な女の子だ。



「ひさしぶりね、結弦」



 この子が葵ちゃん、なのかな……?



 胸のざわつきは、本人を目の当たりにすると、嘘のように引っ込んでいった。



「もしかして……」



 言葉を詰まらせる結弦の瞳に、喜びの色が浮かびあがる。



「わからない? あたしよ」


「やっぱり……葵! うわぁ、ひさしぶり! 変わらないね」



 結弦が手を挙げて応える。その表情からは懐かしい旧友との再会を心から喜ぶ気持ちが伝わってくる。



「結弦のお友達かしら? はじめまして、あたしは天門あまかど葵。結弦とは幼馴染みなの、よろしくね」



 とても愛嬌がある爽やかな葵ちゃんを見て、ヤキモチを妬いた自分が恥ずかしくなる。



「わたし、巡里美輝。よろしくね葵ちゃん」


「俺は時永怜、葵ちゃんって結弦のこと好きだったの?」



 すかさず美輝の肘が怜の脇腹に突き刺さると、怜はその場にうずくまってしまった。



「えと、神谷琴音です。よろしく」



 幼馴染みってことはおそらく同年代だろうけれど、わたしはどこか緊張して、思わず敬語になってしまった。


 なんとなく恥ずかしくなって俯くと、すかさず葵ちゃんが覗き込んできた。



「ふーん、琴音ちゃんか。あなたが結弦の彼女ね」



 葵ちゃんは一瞬鋭い眼光を見せると、わたしと結弦との関係をさらりと言い当ててしまった。



 まだ自己紹介しかしてないのに、なんで?



 戸惑っていると、結弦がその質問を葵ちゃんに投げた。



「葵、どうしてわかったんだ?」


「なんとなくよ。天門の第六感ってやつね」



 第六感って、そんな不確かな理由で見抜いたの?



「さすがだね。葵は天門っていう、近くの神社の巫女なんだ。小さい頃から巫女になるために色々仕込まれてたもんな」



 神社の巫女。そういうのって本当にいたんだ。

 初詣のアルバイトしか見たことがないから、いざ本物を見ると、いささか新鮮だ。



「へえ、巫女ってほんとにいるんだな。どんなことするんだ?」



 いつの間にか美輝に沈められた怜が復活して、会話に加わっている。



「神職の補助が主だけど、夏に山の祭事があって、祭事の時期は釣り提灯を持って迷える死者の魂を導いて弔うの。それが一番の大仕事ね」



 お盆が近いのに迷ってる死者がいるの? 帰ってきてるんじゃなくて?


 不思議に思っていると今度は美輝が訊ねた。



「迷える死者の魂って、お盆に帰ってくる御先祖様なんかとはまた別なの?」



 葵ちゃんが話の内容とは裏腹な、明るい笑みを浮かべて答える。



「それとは違うわね。あたしが弔うのは、事故とかで突発的な死に遭遇して、この世に強い未練や後悔を残して亡くなった人の魂のことよ」



 事故……。突発的な死……。それを聞いて、なぜだかぶるっと身震いがする。



「ごく稀なんだけど、そういう人の魂が、未練のきっかけになった日から人生をやり直していることがあるの」



 ――人生をやり直せる、それって誰もが望む、とても羨ましいことなんじゃ……。



「ただやり直せるだけならいいんだけど、それはある意味呪いと同じ、とこしえの地獄なのよ。なにせ、未練を解消しない限り、ずっと同じ時間を繰り返すんだからね」



 一瞬冷えた空気が辺りを包み込んだ。


 ということは、未練のきっかけになった日から、自分が死ぬその日までを何度も繰り返すの?


 そんなの、死ぬよりもっと怖い。



「大抵の人は未練を解消するよりも、自分が死なないようになんとかしようとしてしまうんだけど、死の運命は変えることができない。それを変えるということは、世界を書き換えるということ。因果が未来へ繋がっている以上、人の生死に関わるような大きな歴史の改変はできないの。俗に言うタイムパラドックスね」


「ちょっと待ってくれよ!」



 淡々と説明を続ける葵ちゃんの言葉を、怜が遮った。



「仮にその未練が、『誰かが死んだ』とかだったらどうすんだよ? 未練解消できるわけねえじゃん」


「だから死者は未練を解消できなくて、何度も何度も時を越える。自分の運命でも他人の運命でも、死の運命は変えることができないことを知らずに死を繰り返して、永遠に同じ時間を生きるの」



 同じ時間を永遠に生きるってことは、未練を解消できないまま自分が死ぬ日を迎えて、また過去に戻るってこと?


 それって……、まさか……ね。



「未練を解消できればそれでいいんだけど、それは簡単なことじゃない。今こうしてる間にも、逃れられない運命に抗って苦しみ続ける魂がいる。それを導くのが天門のお役目ってわけ」



 いつの間にか葵ちゃんの顔から、さっきまでの笑顔が消えていた。結弦も静かに耳を傾けている。



 もし、わたしの夢が夢じゃなくて、現実に起こったことだったとしたら。


 もし、わたしが本当に時を越えてきたのだとしたら。



 背中からぞくりといやな感覚が襲う。



 不思議な感覚の答えを見つけだす糸口な気がしたけれど、やっぱりすべてがちぐはぐで、解けない知恵の輪みたいに絡まっている。


 わたしが時を越えたはずはない。


 人の生死に関わる大きな歴史の改変はできないのだとしたら、今ここに皆がいることが、わたしが繰り返していない証拠なのだから。


 やっぱりあれは夢だったのだろう。



「あははは、なんか暗くなっちゃってごめんね!」



 静まり返る空気の中、葵ちゃんがぱんっと両手を鳴らして元気よく口を開いた。それを合図にみんなから緊張の糸が切れる。



 まるで狐が化かすときのような屈託のない笑顔で手招きをされて、わたし達は無言で葵ちゃんのあとを歩き始めた。






 葵ちゃんに連れられて少し歩くと、すぐに駄菓子屋が見えてきた。

 


 ジュースの冷蔵庫とアイスがたくさん入った冷凍庫。なんだかよくわからないガチャガチャやゲームの台まで外に出ている。



「ウチに来てくれたんでしょ、なににする? かき氷もあるわよ」


「あ、わたしかき氷食べたい。ブルーハワイある?」


「ええ、もちろんあるわよ。美輝ちゃんはブルーハワイね。他のみんなはどうする?」



 とりあえずみんなかき氷を食べてひと休みすることにして、結弦は抹茶、怜はレモン、わたしはイチゴを注文すると、葵ちゃんが衝撃の事実を告げる。



「ま、みんな同じ味だけどね」


 え? かき氷のシロップってみんな同じなの?

 怜が「そんなことねえだろ」と言い返すが、その顔には動揺の色が浮かんでいる。



「香料と着色料で匂いと色を変えてるだけで味は同じよ。じゃ、ちょっと待ってね」



 葵ちゃんはそう言い残して、奥の奥へと姿を消した。



「結弦、同じ味なの?」



 気になったので、結弦に訊いてみる。



「そういえば葵、子どもの頃からよく言ってたよ」



 結弦は懐かしそうに微笑んでいる。


 その返答を聞いた美輝が、なぜか小声で結弦に問いかけた。



「結弦、あの子と最後に連絡取ったの、いつ?」


「小学校以来だから、もう遠い昔だよ」


「そっか。じゃあ、もう随分会ってないんだね」



  どうしたんだろう? 美輝の表情がちょっと険しい気がするけれど……。


  不思議に思って考えていると、青いシロップがたっぷりかかったかき氷を持って戻ってきた。



「はい、美輝ちゃんのできたよ」


「ありがとう、いくら?」


「百万円よ」



 怜が隣でガッツポーズを決める。



「どうしたの? 彼」



 葵ちゃんが不思議そうに怜を見て言った。



「ううん、なんでもないの。こいつ病気だから。えーと、はい百円……かな」


「九十九万九千九百円足りないけど、今回はまけといてあげるわ」



 怜は今にも泣き出しそうだ。自分の想像通りだった駄菓子屋によほど感動しているらしい。ていうかほんとに百円って安すぎない?


 しかし、そのあとも葵ちゃんは次々とかき氷を持ってきて百万円を請求しては、百円をみんなから回収していた。



 出来立てのかき氷を受け取ると、わたしと美輝はそのままベンチに腰かけた。


 冷たい氷を口に含むと、火照った体が内側から冷えていくのを感じる。


 怜も結弦から距離を取り、わたし達の前で立ったままかき氷を食べている。


 わたし達は三人で会話をして、さりげなく結弦と葵ちゃんがふたりで話せるようにしておいた。


 けれど三人で話していても、わたしはどこかうわの空だ。つい結弦と葵ちゃんの声に聞き耳を立ててしまう自分が情けない。



「ここのかき氷の値段、今も変わってないんだな」



 ――結弦が子どもの頃から、どうやら百円だったらしい。



「おばあちゃんがね、子どもが買えなくなるから値上げは絶対しないって言ってた。それを聞いた氷屋さんも、氷を安く売ってくれてるのよ」



 ――そのおばあちゃんは、きっと子どもが好きなんだろうな。



「そのくせ子どもが買いに来たらぶすっとしてるんだけどね」



 ――え? 子ども好きなんじゃないの?



「あれは駄菓子屋のおばちゃんってキャラを演じなきゃならないからだよ。葵もわかってるんだろ」



 ――あぁ、そういえば駄菓子屋のおばちゃんは怖くないと務まらないって聞いたことがあるな。万引き対策だっけ。



「まあ、あたしも子どもには甘くないけどさ」



 ――うん、なんとなくそんな気がする。



 遠い入道雲をぼーっと見ながら、冷たいかき氷を喉に流し込む。


 そうしながらふたりのやり取りに耳を傾けていると、このふたりはほんとに仲がよかったんだろうなって思う。


 小学生以来の再会だというのに一切溝がない。まるで昨日まで一緒にいたんじゃないかってくらい自然だ。



「ずっと連絡できなくてごめんな」


「ううん、仕方ないでしょ。お盆になったら、今度はあたしから会いに行ってあげるわよ」



 結弦はかき氷を手に持ったまま、みるみる表情を強張らせた。



「葵……、もしかして、気づいてたのか?」



 どうしたんだろう? 葵ちゃんに隠しごとでもしてたんだろうか?



「なんとなくね。確証はないし、なんでこんなことしてるのかも知んないけど。ま、こっちの結弦が無事なら、あたしはなにも言うことはないわ」



 葵ちゃんも、いったいなにを言っているんだろう? 『こっちの結弦』だなんて、まるで結弦が何人もいるみたいな言い方だ。


 手に持ったかき氷に口をつけようともしないまま、結弦が口を開いた。



「話したいことはまだあるんだけど、あまり時間もなくてさ。せめてこれあげるよ。餞別」



 葵ちゃんはふふっと笑って、結弦が差し出したかき氷を受け取る。



「逆でしょ、普通。……わかってるわよ。あたしにはあたしのやることがあるみたいだしね」



 そう言うと葵ちゃんはわたしの前へ来て、結弦から受け取ったかき氷をわたしに差し出した。



「琴音ちゃん、いちごと替えて! あたし抹茶苦手なの」



 これはわたしに気を遣ってくれてるんだな。結弦からもらったものをそのまま食べないようにって。



「うん。ごめんね、たくさん食べちゃったけど」


「全然いいよ。こんなに食べたら、あたしすぐ頭きーんってなっちゃうから」



 そう言ってわたしと葵ちゃんは、かき氷を交換した。



 葵ちゃんと結弦。さっきのやりとりはなんだったんだろう? わたしにはわからないなにかを話してるみたいだった。


 ふたりの頭の中では会話が成り立っていたみたいだけれど、小学校の頃の出来事とかが関係してるんだろうか……。



 考えたってわからない。わからないなら気にしないほうがいい。



 わたしはこの気持ちに蓋をすることにした。


 考えてもあまりいい気分にはならないし、気持ちに蓋をするのは得意だったはずだから。






 かき氷を食べ終えて店内に入ると、初めて目にするお菓子がたくさん並んでいた。



 五円のチョコ、十円のガムに三十円くらいのスナック菓子、小さなカップラーメンみたいなものもあって、どうやらここでお湯を入れて食べることができるらしい。


 五円で買い物ができたり店内で小さなラーメンが食べられたりするなんて、初めて駄菓子屋に来るわたしには珍しいものばかりだ。


 他にも大小さまざまな鈴や、スーパーボールのクジにビー玉なんかも売っていたが、とりあえずわたしと美輝は夜食べるかもしれないお菓子を買うことに決めて、初めて見るスナック菓子をいくつか見繕って買うことにした。


 結弦と怜は容器に入った大きなたこせんと、串に刺さったイカなのかなんなのかわからないお菓子を買って食べていた。子どものようなチョイスに顔が綻ぶ。



「じゃあ、俺達そろそろ行くよ」



 お菓子を食べ終えた結弦が、笑顔で葵ちゃんに告げる。



「いつまでこっちにいるの?」


「明日の昼に帰るよ」


「そっか、来てくれてありがとう。会えて嬉しかった」



 結弦に笑顔を返す葵ちゃんが「あ、そうだ」とわたしのほうへと駆け寄ってきて、自分の髪飾りを外した。



「琴音ちゃん、これあなたが持ってて。あたしからのプレゼントよ」



 そう言って差し出されたのは蝶の髪飾りの先に付けている、紐が通ったガラス玉だった。



「これって……?」


「トンボ玉って言うのよ。綺麗でしょ、あたしが作った御守りよ」


「そんな大切なもの、もらえないよ」


「いいの、あなたが持っていて。きっとこれが琴音ちゃんを導いてくれる。そして、そのときが来たら、あたしはあなたに会いに行くわ」



 そう言うと、手に持ったトンボ玉をぐいっと押し付けて、むりやりわたしに掴ませた。



「ちょっと待って、葵ちゃん」



 やっぱり返そうと声をかける。けれど、今度は結弦にとめられる。



「琴音。せっかくだから受け取っておきなよ」



 でも、初対面なのにどうして? それにそのときっていつ?


 だけど、ふたりの表情からなんだか返せる雰囲気でもなかったので、わたしはそれを不本意ながらも受け取ることにした。



「あ、ありがとう……、葵ちゃん」


「ふふっ、いいのよ。みんなにはこれあげる、餞別ね」



 満足そうな笑みを見せた葵ちゃんは、そう言って駄菓子を四つと、外の冷蔵庫からラムネを四本持ってくると、ひとりずつに手渡してくれた。



「あの、わたしこれももらっちゃっていいの?」


「もちろんよ、なにかあったらあたしのことを思い出してね。あたし達、これからもずっと友達よ」



 そう言いながら、葵ちゃんはわたしの頭を優しく撫でる。




 ――ずっと友達。


 その言葉が、なぜかとてもうれしかった。


 美輝も怜もこれからもずっと友達なのに、どうしてだろう。


 葵ちゃんの言葉は、わたしになにか違う安心をくれる。




 遠い目をしてわたし達のやりとりを見ていた結弦が口を開いた。



「よかったら、葵も一緒に夏祭り行かないか?」



 それはうれしい提案だ。なぜか葵ちゃんとは、これからもずっと一緒にいる予感がしていたから。


 だけど葵ちゃんは、少し視線を落とすと、さっきとは打って変わって小さな声で、そして少し言いづらそうに言った。。



「ありがとう……、でも遠慮しとくわ。これ以上あたしがあなた達と関わっちゃうのは、あまりよくない気がするから」



 さっき、わたしにはずっと友達って言ってくれたのに、なんでそんなこと言うんだろう。

 もしかしてカップルばかりの中に自分が割り込むのはよくないと思っているのだろうか。だとしたら淋しい。



「葵ちゃん、遠慮しなくていいよ! 一緒にお祭り行こう!」



 思わず声を張り上げた。


 美輝と怜も驚いた目でわたしを見ている。葵ちゃんも同じように驚いた顔でわたしを見て言った。



「あはは、ありがとう琴音ちゃん。でもそんなんじゃないよ。ほら、あたしかわいいじゃん。もう他に誘ってくれてる男の子がいるのよ」



 いやだ、葵ちゃんともっと一緒にいたいのに。せっかく友達になれたのに。次はいつ会えるかわからないのに。



「だから、またこっちに来たときに誘ってよ。そのときは一緒に、花火観ようね」



 他の男の子とデートって言ってるのに、これ以上無理に誘うわけにもいかないし、じゃあその男の子も一緒に、なんて誘ったら、その男の子に迷惑だ。



「わかった……、約束だよ」



 肩を落とすわたしに葵ちゃんが近づいてきて、胸の前に小指を差し出す。



「うん、約束」



 わたしも小指を出して、葵ちゃんと指切りを交わした。



 きっとまた会いに来ると、自分自身に誓いを立てて。






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