第四章 駆け抜けた虹色
第18話 懐かしい喜び
―― 二〇二二年 七月十七日 日曜日 ――
朝起きると、昨晩大泣きした美輝の両目は盛大に腫れあがっていた。
「どうしたんだよ、お前。すげえ顔してるけど」
怜が心配しているのか驚いているのかわからない淡々とした口調で、美輝に声をかける。
「なんでもないわよ。疲れが溜まって顔がむくんでるの。あんま見ないで」
「そっか、無理はすんなよ」
ぶっきらぼうに放つ言葉が優しく響く。これが怜から美輝への優しさの表現方法だ。
美輝のことだと、どうも素直になれないらしい。
「ん……、ありがと」
美輝も無愛想に返すが内心嬉しいのだろう。
まったくこのふたりは素直じゃないんだから。と、本当は素直になることが一番下手くそなわたしは、自分を棚に上げている。
朝食は一階の食堂に用意されていた。
朝早いにも関わらずそれほど広くない食堂はほぼ満席で、笑顔で朝食を摂る宿泊客達で賑わいを見せている。
入口の仲居さんに案内してもらい中庭がよく見える席につくと、男子ふたりはさりげなく窓側を譲ってくれた。
「おはようみなさん、よく眠れた?」
千佳さんが、お茶とおしぼりを持ってきてくれた。昨日とは柄が違い、薄青色の生地にきれいな装飾が施された着物に身を包んでいる。
「おかげさまで朝までぐっすりでした。温泉で疲れもよく取れたので」
美輝が嬉しそうに答える。昨日は二度も入っていたし、ここの温泉を心底気にいったようだ。
「ありがとう千佳さん。夕食もすごく豪勢でおいしかったし、みんな大満足だよ」
結弦が爽やかな朝の笑顔を携え、みんなの気持ちを代弁してくれた。
「ふふ、ありがとう。その代わり今日は草刈り頼むわね。みんなもごめんなさいね。うち若い人も男手も、どっちも足りてなくて」
「任せてください。体力だけは自信あるので」
自信満々に返事をする怜に、美輝が横から凝いの視線を送っている。
「ありがとう、期待してるわ。それじゃ、なにかあったら遠慮なく言ってね。ごゆっくりどうぞ」
そう言って千佳さんは踵を返すと、奥ゆかしさと気品が滲み出る足取りで食堂から出て行った。
「うっし、朝メシ食ったら頑張らねえとな」
「期待してるよ、怜。思ってる以上にきついからさ」
結弦が不敵な笑みを浮かべて言う。
男子達が草を刈っている間、わたしと美輝は旅館のお手伝い。
三連休真ん中の今日はチェックアウトとチェックインが多く混在する忙しい日らしく、ちゃんとお手伝いができるかどうか不安だ。
しかしそんな不安は、運ばれてきた朝食を見ると一瞬で吹き飛んでいった。
具がたくさん入ったお味噌汁にお漬物、たまご焼きに焼き魚、冷ややっこと梅干しと明太子、煮物は小鉢に分けられていて、デザートまで付いていた。
味はもちろん文句なしのおいしさで、昨晩お腹いっぱい食べたはずなのに、お釜で運ばれてきたごはんを、またもやみんなで平らげた。
◇
部屋に戻って浴衣から私服に着替えたわたしと美輝は、結弦に案内されて旅館のバックヤードへと来ていた。
怜は一足先に裏庭で結弦のお祖父さんから草刈り機のレクチャーを受けている。
「おはようございます」
挨拶をしながら結弦の後ろをついて事務所のような場所へ入ると、ひとりの女性がわたし達を待っていた。
「おはよう。あなた達がお手伝いしてくれるのね。ありがとう、助かるわ」
「「よろしくお願いします」」
美輝と声を揃えると、結弦がわたし達を紹介してくれた。
「神谷琴音さんと巡里美輝さんだよ」
結弦の紹介に続けてぺこりと頭を下げる。
「
透き通るように高く澄んだ声。すらりと背も高く、アップにした黒髪がとても印象的だ。この旅館は美人しかいないのだろうか。
「早速これに着替えましょうか」
長谷川さんに渡されたのは、仲居さん達が着ている着物だった。
「じゃあ俺は草刈りがあるからこれで。ふたりとも頑張ってね」
結弦の背中を見送ると、更衣室へと案内してもらった。
「仲居さんの制服とか、わくわくしちゃうね」
美輝はどこか嬉しそう。わたしは不安と緊張で自分の鼓動がうるさいくらいなんだけど。
「ちゃんとできるかなあ。わたし接客とか全然わかんないんだけど」
着替えを終えて事務所に戻り、長谷川さんから業務内容の説明を受ける。
「ふたりともよく似合ってるわよ。それじゃ今日してもらいたいことを説明するわね」
そう言われて、わたしはメモを取る準備をする。
「まずは食堂で食器の洗い物と、掃除機とモップがけ。それから客室のお布団や浴衣を集めてまわって洗濯業者さんに渡して、逆に洗濯業者さんから戻ってきたお布団をまた部屋へ持っていってほしいの。おそらくそれで午前中いっぱいかかると思うわ」
なるほど。やはり素人にいきなり接客なんてさせるはずがない。ちょっと拍子抜けだ。
「これが各階の見取り図よ。洗い物の回収はフロントでチェックアウト状況を確認してから行くようにしてね。今日帰られるお客様はこの塗り潰されている部屋ね。十時にはチェックアウトされるわ。なにか聞きたいこととかある?」
メモに目を落として、よしと頷く。
「大丈夫です。まずは食堂で洗い物ですね」
さすが美輝だ。メモを取らなくても頭の中で段取りが仕上がっているのだろう。
「雑用ばっかりでごめんね。厨房には
「「わかりました」」
声を揃えて踵を返すと、わたし達は事務所をあとにした。
◇
食堂につくと遠慮気味な挨拶をしながら厨房へ入った。
真ん中の大きなまな板には魚が山盛りになっている。
包丁を握った男性が、そこから一匹ずつ手に取り丁寧に捌いていた。きっとこの人が井関さんだ。
「おう! 結弦のお友達かい。えっちゃんが実家の用事でしばらく来れなくてなあ。遊びに来てるとこ悪いねえ」
えっちゃん? バイトかなにかの人だろうか?
「いえ、全然大丈夫です。あっ、昨日の夕食も今日の朝ごはんもとってもおいしかったです。ありがとうございました」
緊張で固まってしまっているわたしの代わりに、美輝が会話を進めてくれる。
「いやあ、昨日は危うく仕込んだ魚が無駄になっちまうとこだったし、君らたくさん食べてくれてよかったよ。こっちこそありがとねえ」
そう言われて昨日の食事風景を思い返すと、なんだかわたし達が大食漢のようで恥ずかしい。
「洗い物はそこに溜まってるやつだから、よろしく頼むね」
井関さんが指差したほうを見ると、業務用シンクの中に食器が乱雑に積み上がっている。
靴裏の消毒を済ませて、下がってくる袖をクリップで留めると、洗い物を開始した。
「で、どっちが結弦の彼女だい?」
井関さんの急なひと言に、美輝がぷっと吹き出して返答する。
「この子でーす」
「へえ、結弦もこんなべっぴんさんに好いてもらって羨ましいねえ」
「ど、どうも」
恥ずかしくて顔を上げることができないわたしを、美輝が横目で面白がって眺めているのがわかる。
「結弦は小さい頃から泣き虫でなあ。ま、頼りねえが大目に見てやってくれよ」
違う。結弦は頼りなくなんてない。昨日もわたしの話を聞いてくれた。それに、いつもみんなをまとめてくれて、水泳部でもキャプテンを任されるくらい人望も厚いんだから。
「あの、頼りなくなんて……、ないです」
気づくとわたしは震える声でそれを伝えていた。美輝が嬉しさと驚きをごちゃ混ぜにしたような顔でわたしを見ているけれど、わたしはかまわずに続ける。
「結弦は優しくて、水泳部でもキャプテンでみんなに信頼されていて、男らしくてカッコイイです!」
おぉーと小さく拍手をする美輝を見て、とても恥ずかしいことを口走っていたと自覚する。板前さんは、「へえっ」とどこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「いやあ青春だねえ! ごめんごめん。こんなに好いてもらってるなんて、あの幸せ者め! はっはっはっ!」
美輝が「やるじゃん」と小声で言い、片肘でわたしを突っついた。
結弦が頼りないと言われて、つい言い返してしまった。あぁ、もう、こんなのわたしらしくない……。
「なら、そっちの嬢ちゃんがもう片割れの彼女かい? あっちは結弦と違ってやんちゃそうだなあ」
「そうなんですよー。でも、バカだけど優しくて運動もできて、自慢の彼氏です!」
す、すごい……。さすが美輝だ。
「そうかいそうかい、ふたりとも幸せそうでなによりだね」
そう言いながら丁寧に魚を捌いている井関さんも、男らしくてとても魅力的な板前さんだなと思ったけれど、さすがにそれは口にはしなかった。
談笑しながらも、皿洗いは順調に進んでいた。
最初はふたりで洗っていたが、途中からわたしは拭き上げに徹して、一時間ほどで山のような洗い物は見違えるようにぴかぴかになった。
時計を見ると時刻はまだ九時だ。
「ご苦労様。助かったよ、ありがとう」
板前さんが捌いていた魚の山も、残り半分ほどまで減っていた。
挨拶を済ませて、次は食堂の清掃へと向かう。
フロントで掃除機とモップの在処を教えてもらって、わたしが掃除機、美輝がモップがけを担当することになった。
比較的掃除が好きなわたしは業務用の掃除機の吸引力に感動してしまい、椅子の隙間やテーブルの脚の間のゴミも丁寧に吸い取っていった。
そのあとを、美輝がモップで追いかける。
わたし達のコンビは息がぴったりだ。十時前には清掃作業も終わり、報告のために事務所へと戻った。
「ありがとう。ふたりとも働き者で大助かりだわ」
長谷川さんが胸の前でぱちぱちと両手を鳴らすと、美輝が確認を取った。
「あとは客室の布団とか、洗い物運びですよね」
「そうね。でもその前にそろそろチェックアウトのお客様がお見えになると思うから、一緒にお見送りしましょうか」
これは嬉しい提案だった。バスで怜に楽しめと言われてから、女将気分を楽しんでやろうと密かに企んでいたわたしには、ぴったりの仕事だ。
あれ――?
怜とそんな話、いつしたんだっけ……?
あれは確かにバスの中での会話だ。昨日はバスに乗るまでは曖昧だけれど、バスで目が覚めてからの記憶ははっきりしている。
しかし、怜とそんな話はしていない。わたしはずっと取り乱していただけだ。
それならバスに乗って眠るまでの間にしたのだろうか? でも、怜に楽しめと言われたとき、バスは確かに山道を走っていた。わたしが山道に入ったことに気づいたのは、起きたあとのことだ。
……頭がこんがらがってきた。
なぜ現実に会話していないのに、その内容が頭に浮かぶんだろう。
記憶が二重になっている。なにがなんだかわからない。
「琴音、どうしたの? 気分悪い? 大丈夫?」
美輝が異変を察知したのか、不穏な表情でわたしの顔を覗きこむ。
「ううん、なんでもない。ちょっと変なこと思い出しちゃっただけ」
咄嗟にごまかしてみるが、美輝の目は懐疑的だ。
昨日から、どこか歯車が噛み合わない。というかなにか違和感がある。
温泉で美輝の様子がおかしかったのも気になるし、寝る前にあんなに泣いていたのも、今考えると美輝らしくない。
わたしもバスで夢を見て以来感情のコントロールが鈍い。あの夢の内容が妙にリアルだったせいもあるけれど、なぜだろう……?
すぐに感極まるというか感情が高ぶるというか、旅行ってこういうものなのだろうか。
「じゃあロビーにいきましょうか」
長谷川さんに促され、わたし達は玄関の横に並んだ。ここからチェックアウトして帰られるお客様に御挨拶をするらしい。
フロントには結弦のお祖母さんと千佳さんが立っていた。
「泊まっていただいたお礼だから、最後はなるべくみんなでお見送りするようにしてるのよ」
と、長谷川さんが教えてくれる。
しばらくすると、一組の家族が階段を下りてきた。
小学生くらいの男の子と女の子は、おそらく兄妹だろう。ふたりとも笑顔で愉しそうにはしゃいでいる。
お父さんが「お世話になりました」と軽く頭を下げてお会計をしてる間も、ふたりは笑顔で手に持ったおもちゃとお人形を振り回していた。
それをとても優しい表情で見守っているお母さん。自分の子に向けるまなざしというのは、こんなにも優しいものなんだ、と胸がぽっと温かくなる。
会計を終えたお父さんが振り返り、「じゃあ、行こうか」と一家へ告げると、結弦のお祖母さんが丁寧にお辞儀した。
「ありがとうございました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
それに倣ってわたしたちも一礼すると、お父さんがにこっと微笑んで、「また来ます」と言ってくれた。
「お世話になりました。ほら、あなた達も」
お母さんが、子ども達の背中をぽんっと押す。
「「ありがとうございました!」」
旅館のロビーに子ども達の大きな声が響く。それがなんだか嬉しい。
結弦のお祖父さんの旅館に泊まってくれた家族がこんなにも幸せそうにしていて、少しでも旅館のお手伝いができて、お客様と顔を合わせてありがとうまで言ってもらえるなんて、嬉しくないわけがない。
見知らぬ人から貰えるありがとうという言葉が、こんなにも嬉しいものだなんて、今まで知らなかった。接客業って案外わたしに向いているのかもしれないなと、単純にそう思う。
「ね、いいものでしょう。お客様達が帰る瞬間のあの笑顔を見ると、今日も仕事頑張ろうって思えるのよ」
「はい、なんだかわかります」
「この気持ちをあなた達にもわかってもらえたなら、私も嬉しいわ」
長谷川さんはきっとこの仕事に誇りを持っている。まだまだ子どものわたしにも、その気持ちが伝わってくる。
わたしもいつか、そんな大人になりたいな。
◇
お見送りを終えて、チェックアウト後の布団運びが始まると、これが思った以上に重労働だった。
三階建ての館内にはエレベーターがないので、各部屋の布団を抱えて一階の裏口近くにある置き場まで、何度も往復しなければならない。
普段からあまり運動をしないわたしは、二階と一階の往復で汗だくになっていた。
「琴音、大丈夫? 無理しないでよ」
わたしを気遣ってくれる美輝は、進んで三階の往復を引き受けてくれている。
「うん、大丈夫。二階終わったら手伝いに行くから、美輝も無理しないでね」
美輝を守れるくらい強くなるって決めたんだから、へばってなんかいられない。
そう自分を奮い立たせ、なんとか二階のノルマを終えると、三階で待つ美輝のもとへ急いだ。
「美輝、二階終わったよ。そっち大丈夫?」
美輝は額に汗をいっぱい溜めていたが、疲れは感じられなかった。むしろその表情からは充実感が窺える。陸上部だから体を動かすことが楽しいのかもしれない。
「二階全部ひとりでやり遂げたんだね。今日のチェックアウト、二階のほうが多かったんだよ。すごいじゃん琴音!」
そんなの考えてもいなかった。わたしはてっきり三階のほうが階段が多くて大変だとばかり思っていたから。
「そ、そうなの? 知らなかった。あ、そんなことより手伝うよ。あとどの部屋が残ってるの?」
「三階もこの部屋で終わりだよ、ありがとう」
美輝も三階から一階の往復をひとりでやり遂げ、わたし達はお手伝いを終えた達成感をふたりでわかち合うと、再び事務所へと戻った。
「ふたりともご苦労様。お布団重かったでしょ。お手伝いはこれで終わりよ。本当にありがとう」
「こちらこそありがとうございました。とっても楽しかったです!」
素直な感想を大きな声で口にすると、長谷川さんはくすくすと笑った。
「もう少ししたらお昼だから、裏庭のふたりも呼んであげてくれる? わたしはこれから出かけるから、あのふたりの面倒よろしくね」
長谷川さんを見送ってから、着替えて裏庭へ周ると、木陰で寝転がっている結弦と怜の姿が見えた。
「あっ、さぼってる」
よほど疲れているのか、美輝の言葉には耳を貸さずどちらも大の字のままだ。
どう見ても大丈夫ではなさそうな様子のふたりに、わたしも声をかけてみる。
「ふたりともお疲れ様。大丈夫?」
「あぁ、琴音。大丈夫だよ。ちょっと暑さでへばっちゃって」
水泳部で大活躍しているふたりが、肩で息をしながらへばっている姿はなかなか貴重だ。
「で、進捗はどうなの? もう全部終わった?」
美輝が腰に手を当てて、男子ふたりを見下ろして問いかける。
「いや、あと半分ってとこかな。怜がなかなか草刈り機に慣れてくれなくてさ」
「だってこれどう見ても危ねえじゃん。なんでこんなの扱うのに資格とかいらねえんだよ」
怜ってもしかして慎重派なのかな。運動できる人って機械の扱いなんかも得意そうなのに、ちょっと意外だ。
むうっと膨れっ面を見せた怜に、美輝は容赦なく追撃を加える。
「あんたがどんくさいだけじゃないの?」
「もう慣れたっつうの」
「ま、昼からはわたしらも手伝うからさ。長谷川さんがそろそろごはんにしなさいって」
「おぉ、そうしようぜ」
怜が勢いよく起き上がった。まだまだ元気そうだ。結弦が笑みをこぼして言った。
「じゃあ俺達はシャワーで汗を流してくるから、先に食堂に行っといてくれる? この姿じゃさすがに中に入れないからね」
汗が光る男子ふたりを見送って、わたしは美輝とふたりで食堂へ向かった。
◇
食堂では数人の仲居さんが休憩を取っていた。
美輝と適当な席に腰かけると、ほどなくして真新しいシャツに着替えた結弦と怜が姿を見せた。
「お昼ごはんまで用意してもらっちゃって、なんか悪いね」
こういうことがやっぱり気になってしまう。
「従業員への賄いってやつさ。それに夕食は外で食べるからね。遠慮しなくて大丈夫だよ」
結弦がグラスの水を再びぐいっと飲み干して言うが、そう言われても気になってしまうものは仕方ない。
でも今の言葉には、もうひとつ気になることが含まれていた。
「じゃあ夜は外食ってこと? どこかにお店があるの?」
「いや、夏祭りだよ。屋台が出るだろ」
そういえばすっかり忘れていた。今日は夏祭りで夜には花火も上がる。わたしはそれを楽しみにしていたんだ。
「琴音、一緒にりんご飴食べようよ」
美輝が大袈裟なほど嬉しそうな笑顔を携えて言った。
「俺は串焼きだな」
怜も夏祭りと聞いて、幾分元気になってきたらしい。
そうだった。今日は夏祭りで夜には花火も上がる。わたしはそれを楽しみにしていた。
夜のことを考えると、午後からの草刈り作業も頑張れる気がする。夏祭りが原動力になるのは間違いなさそうだ。
四人で今夜のことについて話していると、井関さんの声が響いた。
「結弦ー、賄いできたぞ! 取りに来てくれー!」
「井関さんありがとう! じゃあ、みんなで取りにいこうか」
賄いを取りに行くついでに厨房を覗くと、井関さんはすぐに気づいて声をかけてくれた。
「おぉ、嬢ちゃん達! 今日のお昼は海鮮丼だよ。さっき手伝ってくれたお礼に、うにといくらも乗っけといたからな」
「えっ、いいんですか? なんかすみません」
わたしが軽く頭を下げてそう言うと、美輝が用意されている海鮮丼を覗き込んで喜びの悲鳴を上げた。
「わたし、うに大好きなの! 井関さんも大好き! ありがとう!」
あ、やっぱりわたし無愛想だったかも……。
今日初めて顔を合わせた相手に、惜しみなく大好きと伝えられる美輝はやっぱりすごいな。
井関さんは豪快に笑いながら言った。
「さあ早く食べな。味噌汁冷めちまうぞ」
四つのお盆にはそれぞれに豪華な海鮮丼と、あおさのりがたくさん入ったお味噌汁とお漬物が乗っていた。
「「いただきまーす」」
席に戻って、四人で手を合わせてから海鮮丼を食べる。
この辺で獲れたという新鮮な魚が所狭しと乗っているそれは、おいしくないわけがない。
寧ろこんなにおいしい海鮮丼を初めて食べたわたしは、会話することも忘れて夢中で口に詰め込んだ。
「なあ結弦、あのペースなら昼からはそんなにかかんねえだろ?」
怜がお箸を動かしながら訊ねる。
「うん、そうだな。琴音と美輝も手伝ってくれるなら、あと一時間もかからないと思うけど」
「じゃあさ、終わったらこの辺散策しねえか? 俺、駄菓子屋に行ってみたいんだよなあ」
駄菓子屋ってなんの話だろう? と、一瞬耳が反応するが、視線は手元にある海の幸に向いたままだ。
わたしが魚に夢中になっていると、美輝が結弦達の話に乗っかった。
「この辺に駄菓子屋があるの?」
「うん、俺が小学生の頃に遊んでた駄菓子屋が近くにあってさ。まだあるかなあなんて、さっき怜と話してたんだよ」
「本物の駄菓子屋なんて見たことねえから、なんか興味沸いてこねえ? 百円のお菓子買おうとしたら百万円とか言われるんだぜ、きっと」
「そんなわけないでしょ。でもわたしも興味あるなあ。アイスも食べたいし。琴音は?」
残しておいたうにといくらを一緒に口へ放り込もうとした至福の瞬間、急に話を振られて一瞬なんだっけと戸惑いながらお箸を戻して考える。
ああ、そうだ。駄菓子屋の話だ。
「あ、うん。わたしも駄菓子屋行ったことないから、ちょっと行ってみたいかも」
「琴音、今よく話聞いてたね。ごはんに夢中で絶対聞いてないと思ったから、わざと振ったのに」
美輝がにやりと目を細めて言ったので、なるべく低い声で「いじわる」と返した。
よくあるわたしと美輝のやり取りだ。それを見ていた結弦が、笑いながら言った。
「よし、じゃあ早いとこ草を刈り終えて、駄菓子屋に行こう」
全員が賛成して海鮮丼を食べ終えると、わたし達はジャージに着替えて裏庭へ戻った。
結弦と怜が電動草刈り機で草を刈り取り、わたしと美輝は刈り終えた草を一ヵ所に集めていく。
夏の日差しを浴びながら作業を続けて一時間が経った頃、ついに草刈りに終わりが見えた。
「やっと終わったあ! あっちい!」
ゴーグルを上げた怜の顔は真っ赤だ。こんなカンカン照りの日に外で作業していたのだから無理もない。
「みんなありがとう。じゃあとっとと片付けて出かけようか。俺はじいさんに終わったって言ってくるよ」
結弦は手際よく片付けを済ませると、お祖父さんのもとへと向かった。
それを見送ったわたし達も部屋へ戻ってシャワーでさっと汗を流して、普段着に着替えた。
――駄菓子屋か、どんなお店だろう?
かわいいおばあちゃんが座布団に座って店番をしている。
そんなイメージと共に、わたしは期待に胸を膨らませていた。
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