第17話 太陽の笑顔、月の涙
部屋に戻ると、美輝が雑誌を広げて布団の上に寝転がっていた。
「おかえり。デート楽しかった?」
「うん、おかげさまで。美輝はデートじゃなかったの?」
てっきり美輝も怜と出かけていると思っていたから、部屋にいるとは思わなかった。
「お風呂あがってからあっちで喋ってたんだけどね。怜が寝ちゃったから帰ってきちゃった」
「そっか、怜も疲れてたんだね」
「あいつ今日結構はしゃいでたからね。さっ、わたし達もそろそろ寝よう」
時計の針は二十三時を指している。わたしたちは歯磨きと洗顔を済ませると、電気を消して布団に入った。
美輝とふたりで寝るのも久しぶりだな。そう考えるとやっぱり眠れそうにない。
………………。
「ねえ、琴音」
「なに? 美輝」
「眠れないんでしょ」
「うん、目が冴えちゃって。それにふたりで寝るのも久しぶりだし、なんか嬉しい」
「わたしもだよ。じゃあ男子もいないし、久しぶりにガールズトークでもしよっか」
美輝はそう言って起き上がると、カバンの中からポテチを一袋と冷蔵庫からコーラを二缶取ってきてくれた。
きっとこうなることを予測して、用意してくれていたんだろう。
こんな時間にお菓子とジュースなんて女の子にあるまじき行為だと思うけれど、こういうときは特別だ。この背徳感が話に華を添えるのかもしれない。
「結弦とはいっぱい話せた?」
美輝ががさがさとポテチの袋を開けながら言った。
「うん、でもふたりで話すのが随分懐かしい気がして緊張しちゃった。変だよね、毎日学校で会ってるのに」
「そんなことないよ。学校じゃないし、好きな人と知らない場所でふたりきりになれたらドキドキもするよ」
「美輝はどうだった? 怜とふたりきりになれて、ドキドキした?」
「そ、そりゃ……、多少は」
赤くなってどもる美輝。いつもはお姉ちゃんみたいなのに、なんだかかわいい。
「美輝もそんな顔するんだね、ちょっと意外かも」
高校三年間ずっと一緒なのに、まだまだ知らない美輝がいる。
「もう、やめてよ」
照れ隠しなのか、美輝はポテチをがさっと手に取りもごもごと頬ばる。
「で、結弦とはどんなこと話したの?」
美輝の問いでへにゃりと緩む口角をなんとか持ち上げた。
「田舎の星空とか、小学校の頃の話とか、あと、わたしの未来の話かな」
「……未来の話って?」
「ほら昼間の事故の件あったじゃない? 予言したわたしがエスパーだって話になって、そしたら結弦がね、琴音の未来を見て教えてって言うから、わたしピアノの先生になってるって言ったの」
「それって、将来の夢だよね」
「そうそう、つい自分の夢を話しちゃった。でね、わたし調子に乗っちゃって、結弦と結婚して家庭を築いてるって続けて言っちゃったの」
美輝が「おぉっ」と感心したような声をあげる。
「そしたら結弦、急に様子がおかしくなっちゃって……。あぁ、やっぱりわたし重いこと言っちゃったかなあ、言っちゃったよねえ! ねえ、美輝!」
美輝の浴衣に手を伸ばして、がくがくとその体を揺さぶる。
思い出すと恥ずかしい。海辺の解放感というか、いい雰囲気が背中を押したとはいえ、あんなことよく言えたもんだ。
「ちょっと琴音、落ち着きなって」
美輝はわたしの手を払って、肩がはだけて乱れていた浴衣を直しながら続けて言った。
「驚いただろうけど、きっと重いとは思ってないよ。……でも、結弦の様子がおかしくなったって、どんなふうに?」
浴衣をきちんと直した美輝は、少し真剣な目をしてわたしに訊ねた。
「うーん、怒ってたとかじゃないんだけど、なんか泣いてたように見えたんだよね。泣くほど重いのかなあ、わたしって」
「だからそうじゃないって。ほら、嬉しかったんじゃない? 琴音にそう言ってもらえてさ」
そうなのかな? でも、こうして即答してもらえると少し安心する。
「結弦って誰にでも優しいけど、あんまり感情見せるタイプじゃないじゃん。きっと照れてるんだよ」
美輝の言葉が嬉しい。わたしが落ち込まないように励ましてくれているのが伝わってくる。
「ありがとう、美輝。そうだね、そう思うことにする。それで、美輝は怜とどんなこと話したの?」
切り返しの問いかけに、美輝は人差し指を顎に当てて天井に目をやりながら言った。
「わたしらは大した話はしてないよ。漫画の話とか、それくらいかなあ」
「なんて漫画? 最近のやつ?」
「えっと、【もう一度、君に片思い】だよ」
それならわたしも知っている。確か主人公の男の子が、病気ですべての記憶をなくしてしまった彼女と、もう一度最初の出会いからやり直す物語だ。
「あの漫画って、アニメの続きなんでしょ? わたしも読んでみたい」
「うん。実は怜が好きでさ。それでわたしも読んでるうちにハマっちゃったんだ」
懐かしいタイトルで、頭の片隅で忘れられていた記憶が甦る。
「怜にしては意外だね。そういえば漫画で思い出したんだけど、今度映画観に行こうよ」
「映画って、今なにやってたっけ?」
「わたし、観たい映画あったんだ。【失われた未来を求めて】ってやつ」
「……っ!」
途端に美輝の表情に影が落ち、暗闇でもはっきりわかるくらい、その表情はみるみるうちにこわばっていく。
「ど、どうしたの? 美輝」
なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか?
「あの、もしいやだったら結弦と行くから、無理しなくていいよ」
「違うの。いやとかじゃなくて……、ただ、どんな映画だったかなって思い返してただけ」
「ああ、えっとね、事故に遭った幼馴染みを助けるために、ひとりの女の子が何度も過去をやり直して……」
「――やめてっ!」
美輝が大声でわたしの話を遮った。初めて見るその剣幕にわたしも言葉を失ってしまい、一瞬の静寂が訪れる。
「ご……ごめん、急に大きな声出しちゃって」
美輝の呼吸は、はあはあとおかしいくらいに乱れている。
「大丈夫? ごめんね。ホラーじゃないんだけど、美輝こういうの苦手だったっけ?」
「あ、うん。いや、事故に遭ったってとこにちょっと怖くなっちゃって……。ほら、一応昼間のあれも事故でしょ? だから……」
迂闊だった。なんて馬鹿なんだわたしは。自分で自分を殴りとばしたい。
バスの中で事故に遭うだのなんだのと散々恐怖を煽っていたくせに、大事に至らなかったことに安心してしまって、美輝がどう思っていたかを考えていなかった。
「ごめんね、美輝! わたしが事故に遭うとか言ってたくせに、無神経なこと言っちゃって」
「ううん、大丈夫。あれはほんとに琴音が言ってくれなかったら、どうなってたかわかんないよ。きっと琴音のおかげ。だから気にしないで。琴音はわたしらを守ってくれたんだよ」
「美輝……」
いつもこうだ。美輝は決してわたしに弱いところを見せない。
「お菓子もなくなっちゃったし、そろそろ寝よ。その前に、もっかい歯磨きしなくちゃね」
そう言うと美輝は素早く布団から起き上がり、洗面台へと向かっていった。
すぐにそのあとを追いかけると、わたしは後ろから美輝をしっかりと掴まえる。
美輝の体は小さく震えていた。
「急に……なに? 琴音。歯磨き……できないよ」
その声も、なにかに怯えるように震えている。
それにわたしは美輝の涙を見逃さなかった。明るく振る舞って起き上がったその瞬間、確かに一粒の雫が美輝の頬で光った。
美輝はいつでも、こうしてわたしを守ってくれていた。臆病なわたしに、決して弱いところを見せないようにして。
それはきっと、自分がつらい顔をすると、わたしが不安になるからだ。その優しさにずっと甘えてしまっていた。
もうこのままじゃいけない。夢の中で、たくさん後悔したんだから。
「ごめんね、わたし強くなるから。美輝に守ってもらってばかりじゃなくて、美輝を守ってあげられるくらいに。美輝がわたしの前でも弱音を吐けるように、つらい時につらい顔を隠さなくてもいいように」
涙を流そうとするわたしの涙腺を、今度はしっかりと支配する。ここで泣いちゃいけない。今泣くと美輝が泣けなくなってしまう。
美輝が安心して涙を流せるように、わたしは強くならなくちゃ。
「琴音……、ありがとう」
すすり泣くように呟く声に、わたしはぐっと涙を堪える。
「琴音は、わたしのために強くなろうとしてくれてるんだね。それだけでもう、充分だよ」
美輝がゆっくりと振り返る。その瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれている。
いつも気丈に明るく振る舞っている美輝が泣いているところを見たのは初めてだった。
太陽のように笑う美輝が、月のように美しい顔で泣いている。
その涙は、長い間溜め込まれていた泉のように、とめどなく溢れ出していく。
親友がわたしの前でこんなに泣いてくれたことが、ちょっぴり誇らしい。
美輝がもっと安心できるようにと、わたしはもういちど美輝を強く抱きしめた。
「わたしはもう大丈夫だよ」、「強くなったよ」と、今度こそ美輝に伝わるくらいに……。
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