第13話 既視感


 結弦が電話を終えてバスに戻ってくると、それぞれが思い思いに自分の時間を過ごした。


 結弦は文庫本を読んでいて、その隣では怜が寝息を立てている。


 わたしと美輝は、最近の流行りについて盛り上がっていた。


 人気のお店のパンケーキや、タピオカの話をしていて気づいたことは、やはりわたしの記憶は鮮明に『今』を覚えている。

 大学に行き、就職してパワハラ上司に毎日怒られていたのは、全部夢だったのだろうか? その記憶さえも徐々に虚ろになっている。



 あっという間に一時間が過ぎると、代わりのバスが到着した。



 荷物を持ち、バスを乗り換える準備をする。運転手さんはバスを会社へ戻すらしく、ここでお別れとなった。


 ここまで運んでくれたお礼を運転手さんに告げると、「ご迷惑をおかけしてすみません」と謝られてしまった。


 運転手さんのせいじゃないのに、わたしが言ったひとことでまた申しわけない気持ちにさせてしまったかもしれない。そう思うと、なんだか切なかった。



 乗り換えたバスに一時間ほど揺られると、目的地である市街地に着いた。



 バスを降りたわたしは、また「あっ」と驚いた声をあげる。


 駅前にはバスが数台止まっているロータリー。その先には小さく賑わっている商店街。



「琴音、どうしたの?」



 美輝の問いかけに、生唾をひとつ飲み込んでから答える。



「わたし、ここ知ってる」


「田舎町だからか、この辺は全然変わらないな。琴音も来たことあるの?」



 結弦が辺りを見渡して言った。



 記憶の片隅にこの景色が刻まれているが、なぜ知っているのかが思い出せない。


 一体わたしはどうしたんだろう? なにか大切なことを忘れている気がする。


 けれど、思い出そうとすると、頭にモヤがかかったような感覚に襲われてしまう。



「子どもの頃かな? 景色には見覚えがあるんだけど、なんか、思い出せない」


「旅行とかじゃねえの? そんなことより腹へらねえ? この辺ファミレスとかねえのか?」



 怜の言葉に懐かしい記憶が手招きをして、つい口をついた。



「おいしいお店ひとつ知ってるよ。多分だけど」



 発言しておいて、なんで知ってるんだろうと自分のことながら思う。



「じゃあ、琴音案内してよ。わたしもお腹空いちゃったし」


「でも記憶が曖昧だから、なかったらごめんね」


「いいよ、とりあえず行ってみよう。俺もう飢え死にしそうだ」



 怜に急かされて、商店街へと足を向けた。


 少し閑散としているが、まばらに人の姿があり、どこか懐かしいお店が立ち並んでいる。


 しばらく進むと、十字路の角に【オムライス】と大きく書かれたのぼりを見つけた。


 結弦が「さすがだね」と言って、わたしの頭をぽんぽんしてくる。結弦の手の重さが伝わってきて、嬉しいけれど恥ずかしい。

 美輝も怜もいるのだから、予想だにしない行動は慎んでもらいたい。



「おぉ、オムライスじゃん。やったな、美輝」


「うん、嬉しい!」



 美輝がオムライス好きなのは知っていたけれど、怜も好きなのか、ふたりはお互いの手を出して、宙でパンッと鳴らしている。


 怜が光沢のある木目の扉をゆっくりと開けると、カランカランと鐘の音が響いた。



「いらっしゃいませ」



 店内に入ると、わたし達と同年代くらいのアルバイトらしき女の子が出迎えてくれた。

 艶やかな黒髪に鼻筋がすらっととおっていて、どこか大人っぽい印象の、とてもきれいな店員さんだ。



「四名様ですか? お好きな席へどうぞ」



 中央にある四人がけのテーブル席へ座り店内を見渡していると、店員さんがすぐにお水を持ってきてくれた。


 店員さんにも店の内装にも、やっぱりどこか見覚えがある。



 でも変だな。昔の記憶だとしたら、店員さんに見覚えなんて、あるはずないんだけれど。



 どう見てもわたしと同年代くらいの女の子だし、子どもの頃の記憶に彼女がいるはずがない。


 高校生になってからの記憶を疑ってみたが、ここ数年の家族旅行くらい、さすがにちゃんと覚えている。だとすると……、



「ねえ、あの店員さんどこかで見たことない? ほら、芸能人とか」



 みんなの顔を見渡すように問いかける。



「誰だろ? わたしはわかんないや」


「俺も知らねえ。てかなんで芸能人が地方でバイトしてんだよ。結弦は知ってるか?」


「いや、俺もわからないな。テレビに出てる人?」



 やっぱり誰も知らないみたい。雑誌かなにかで見たモデルさんにでも似ていたのだろうか。



「ううん、どこかで見たことある気がしたから、誰だったかなあと思って。気のせいだね、きっと」



 きれいな人の顔は、みんなどこかしらの共通点を持っているものだ。


 昼食時を大幅に過ぎてお腹も空いていたので、それ以上は気に留めず、隣で美輝が開いたメニューを横から覗き込んだ。



「琴音、なににする? オムライスもいいけど、カレーも捨て難いよね。あぁ、なやむぅ……」


「それなら、おすすめにオムカレーっていうのがあるから、それにしない?」


「オムカレー? どこにそんな……」



 美輝がメニューをぱらぱらとめくって表紙に戻すと、カレーがかかったオムライスの写真が載せられていて、そこには小さくおすすめと書かれていた。



「琴音、いつの間に見つけたの?」



 そういえば、店員さんに気を取られていて、メニューは一度も見ていない。けれど、まるでメニューを覚えているような、それくらいの自信を持って発言していた。



「メニューまで覚えているんなら、よっぽどおいしいんじゃないか?」



 結弦がメニューを目で追いながら「ふふっ」と笑みをこぼす。これじゃ、わたしが食いしん坊みたいで、なんだか恥ずかしい。



「わたしオムカレーにしようっと」


「俺はカツカレーにするかな」



 美輝に続いて怜も決まったようだけれど、オムライスじゃないのか、と心の中でツッコミを入れる。



「じゃあ、俺はオムライスのカツ乗せ。琴音はどうする?」


「あ、わたしも美輝と同じ、オムカレーにする」



 全員決まったところで結弦が「すみません」と店員さんに声をかけた。



「はい、お決まりですか?」



 結弦がすらすらと全員分のメニューを注文してくれる。いつもこういう場面になるとさりげなく結弦がまとめてくれて、それが当たり前になっていた。みんな結弦を信頼しているのだ。


 こんなすてきな恋人や友達と一緒にいることができる、それだけでわたしは幸せだ。






 ――カランカラン。




 注文を済ませておしゃべりに花を咲かせていると、入口の扉が開いて、ひとりの男性が店内に入ってきた。



「いらっしゃ……あっ、おかえりなさい。大変だったね」


「ただいま、遙。うん、大事には至らなくて、なによりだったよ」



 店員さんのお父さんだろうか?



「やあ、君たちはさっきのバスに乗っていたね。うちで食べてってくれるなんて嬉しいね」


「一緒に乗り合わせていたかたのお店だなんて、なんだか偶然ですね」



 怜が笑顔で返答した。



「うん。脱サラして、最近始めたばかりなんだけどね」


「最近……ですか?」



 わたしはすかさず訊ねる。



「あぁ、今年の三月に始めたばかりだよ。きみたちは旅行かい?」


「僕らはここから電車に乗って、那智勝浦あたりまで向かいます。僕のおじいさんが旅館を営んでいるので、そこで世話になる予定です」



 訊ねたくせに反応できないわたしに代わって、結弦が丁寧に応対してくれた。


 腑に落ちない。三月から今日まで、ここに来た記憶はない。



「ここは観光地でもなんでもない只の田舎だから、よそから来て食べていってくれるなんて、とても嬉しいよ。ありがとう。まあ、ゆっくりしていってね」



 戸惑うわたしなどおかまいなしにそう言い残すと、おじさんは店の奥へと入っていった。



「脱サラして店持つとか、すげえよな」



 怜がグラスの水をくいっとのどの奥へ流し込んで言った。



「琴音、さっき言ってたのってさ、あれじゃない? へじゃぶってやつ」


「それを言うなら、デジャヴだろ? 既視感な」



 美輝の恥ずかしい間違いを怜が淡々と正した。若干頬を膨らませた美輝は、目を細めて怜を睨みつけている。



「そう……かも。だってわたし、実際にはここに来たことなんてないし」


「へえ、本当にそんなことあるんだな、すげえわ」



 興味があるのかないのか、怜は終始あっけらかんとしていた。



 しばらくして、いい匂いが徐々に店内を満たしていき、美輝の頬が期待の色を帯びていく。



「先にオムカレーふたつ、お待たせしました」


「うわぁ! おいしそう!」


 目の前に置かれたオムカレーを見て、美輝が歓声をあげる。

 美輝の笑顔は太陽みたいだ。きらきらと眩しいほどの笑顔は、わたしを明るい気持ちにさせてくれる。



「あとのふたつも、すぐにお持ちしますね」



 店員さんはそう言って奥に戻ると、またすぐに、カツが乗ったオムライスとカレーライスをお盆に載せて持ってきてくれた。



「ごゆっくりどうぞ」



 そのままガラス扉からテラスへと移動した店員さんは、どこからか集まった鳥達に餌を与えている。


 みんなの分が揃ったことを確認して、各々が運ばれてきた料理に口をつけていく。



「うわ、おいしっ! なにこれどうやって作ってんの!」



 美輝がオムカレーを絶賛しているのを見て、なぜかわたしまで嬉しくなった。大喜びの美輝を横目に、わたしもオムカレーを口に運ぶ。


 ふわふわの半熟たまごとカレールー、それらをチキンライスに絡めて食べると、とろけるようなたまごの甘みと、少し酸味のあるほどよいカレーの辛さが、口いっぱいに広がる。


 幸せの味、そんな敬称が似合う優しい味わいだった。





 ……この味、知ってる。





 最近食べたよね。でも、どこで? いくらデジャヴとはいえ、味まで覚えがあるものだろうか。


 もしかして前世の記憶ってやつなの? いずれにせよ、一度体験した人生をトレースしてるみたいで気味が悪い。


 でも、今そんなことを口にして、みんなの楽しい時間を台無しにしたくない。



 そう考えたわたしは、口をつぐんで食事を続けた。




 ◇


 食事を終えると、時刻は十六時を過ぎていた。



「そろそろ行こうか。まだあと一時間くらい、電車に乗らなきゃならないからな」



 結弦が、腕時計を確認して立ち上がる。



「早く温泉入りたーい」



 美輝がすらりと伸びた腕を宙に上げて、大きく伸びをして言った。



 お会計を終えて店を出ると、どこから現れたのか茶色くてふわふわの毛並みの猫が、ちょこんと座ってわたし達を見ていた。



「かわいい!」



 美輝が駆け出して猫の前にしゃがみ込んだが、ガラス玉のようなゴールドの瞳は、美輝をすり抜けてわたしをじっと捉えている。



「琴音のことすごい見てるよ。好かれてんじゃない?」



 美輝がけたけたと笑うと、猫は美輝をひょいと避けて、しなやかな体をゆっくりと揺らせながらわたしのほうへ近づいてきた。


 どこかで見たことがあるようなその猫は、のどをごろごろ鳴らしてわたしの足にすり寄ってくる。



「琴音は猫に好かれるんだな」



 結弦がわたしになついた猫を見て言うが、おそらくそうじゃない。わたしを見つめるこの視線、以前どこかで会っている。



「ナーオ」



 猫はわたしにそのまなざしを向けたまま、独特な鳴き声を響かせた。



「猫ってみゃあみゃあ鳴くんじゃねえの?」



 怜の言うとおりだ。この猫は少し変わった鳴きかたをする。


 撫でてくれないわたしに飽きたのか、猫はみんなの顔をひとりずつ確認するように視線を送り、最後にひと鳴きすると路地裏へその姿を消した。


 その様子をじっと見つめる結弦は、なにかを呟くように口を動かしている。



「どうしたの結弦?」


「いや、元気でなって言っただけ。じゃあ、今度こそ行こうか」



 猫を見送ったわたし達は、再び駅に向かって歩き始めた。



 駅に着いて時刻表を確認すると、次の電車までは十分もない。運賃表を見て切符を買いホームへ向かうと、電車の到着時刻は目前に迫っていた。



「ここから一時間か、俺メシ食って眠くなってきた」



 いつも元気な怜が、今は本気で眠そうだ。



「着いたらすぐに温泉に入って夕食にしよう。みんな今日は疲れただろう」


「ありがと結弦。乗り換えばっかで結構疲れちゃったんだよね」



 美輝の言うとおり、移動ってそれだけで疲れるものなんだって身に染みてわかった。


 程なくして到着した電車に乗り込むと、運よく向かい合わせのボックス席が空いていた。


 わたし達はそこに腰を下ろしたが、みんな疲れが溜まってきたのか、あまり会話は弾まない。



 陸橋を越えてトンネルをくぐると、田園風景が続いた。


 その景色をゆっくりと後ろに流して、電車は長く伸びた線路の上を悠々と走っていく。


 電車の旅はなぜか懐かしい。さっきのホームはなんとなく見覚えがあった気がしたけれど、車窓から見えている景色にはまったく見覚えがなかった。わたしの既視感はどうやら終わりを迎えたようだ。



 あれは、なんだったんだろうか……?



 考えているうちに眠くなってしまい、そのまま美輝にもたれかかるようにしてまぶたを閉じた。




 高校生のわたしは、まだまだ無垢で柔軟だ。


 ひと眠りを終え、最終目的地である駅に着いた頃には、奇妙な感覚のこともすっかり気にならなくなっていた。





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