第8話 夢にさようなら


 ――夢を見た。



『お疲れ様、琴音』


『長旅で大変だな』



 懐かしい制服に身を包んだふたりが、わたしに笑いかけた。

 間違えようがない、美輝と怜だ。

 わたしは慰霊碑に手を合わせに行くこともできなかったのに、ふたりがわたしに会いに来てくれた。



『美輝、怜、ごめんね、わたしっ……!』



 そこまで口にしたところで、美輝がぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。



『わたし達は、ずっと琴音を見てたよ』



 懐かしい声に、罪悪感と涙が溢れる。



『わたし、なにもうまくできない。仕事も、結弦や、美輝と怜のことだって、なにも……、ごめんなさい!』


『そんなことないよ。毎朝ちゃんと時間どおりに起きて、毎日ちゃんと会社に行ってさ、どれだけいやなことがあっても、週末は必ず結弦のところに行ってあげる琴音を、わたし達はずっと見てきた。ほんとに琴音は、こっちが心配になるくらいの頑張り屋だったよ』



 美輝の声は、微かに語尾が震えていた。


 これは夢だ。だけど全身を、美輝のたしかな感触と、そのぬくもりが駆け巡る。



『ううん、わたし全然頑張れてない。今日だって、職場になにも言わないまま来ちゃったし、美輝と怜にも、あの事故で犠牲になった人達にもちゃんと会いに行けてなかった。結弦も寝たきりになっちゃって、わたしだけが無事だったっていうのに、わたしは慰霊碑に手を合わせることさえできなくて、本当にごめんなさい』



 背にまわされていた美輝の手が離れ、優しくわたしの頬をなでる。



『もう謝らないで。琴音は気にしすぎだよ。あんな怖い思いした場所なんて、簡単に行けるわけないじゃん。それなのに、今はあの場所に向かってるんだよね……。いつも頑張ってばかりなのにさ。そんなに無理しなくていいんだよ』



 美輝は自分自身が生きられなかったのに、それでも尚わたしのことを考えてくれていると思うと、余計にわたしが生き残ったことが、罪に思える。



『でも、わたしは今も自分のことばっかりだよ。昨日も仕事で大失敗しちゃってすごく怒られて……。罪の意識から逃れたいから、自分がラクになりたいから、全部捨てたから、もう許してもらえるんじゃないかって、そう思って慰霊碑に向かってるんだよ』



 子どものように泣きながら話すわたしを、夢の中でさえ美輝は優しく慰めてくれる。



 あぁ、わたしはやっぱり、またこうしてみんなに甘えてしまうんだ。


 言葉に詰まるわたしに、怜が諭すように口を開いた。



『仕事の失敗なんて、そんなもん上司の任命責任だってあるし、そこまで気に病む必要もないんじゃねえ? ていうかお前んとこの課長、あんな奴上司の前に人間失格だろ』



 怜らしい考えだし、一理あるとは思うけれど、今のわたしはなぜかそう思うことができない。



『あの事故からさ、お前はなんでも背負いすぎなんだよ。俺らが生きられなかったことだってお前のせいじゃねえし、結弦が目を覚まさないのもお前のせいじゃねえよ』



 そんなこと言われても、わたしじゃなく他の誰かが生きていたならって、そう考えてしまうんだもの。



『勝手に自分のこと責めて、罪滅ぼしだとか言って頑張りすぎなんだよ。仕事だって命懸けでするもんじゃねえし、逃げたって構わねえよ』



 怜の言うとおり、わたしはあの事故以来ことある毎に自分を責めてきた。


 四人の中で、わたしだけがいつもどおりに暮らせることに罪悪感を感じて、いつしか楽しみや喜びを避けるように生きていた。


 幸せになってはいけない、そう思って心にも蓋をしている。そうして閉ざされた心は、苦痛から逃げるという手段をも忘れさせてしまったのかもしれない。



 でも、逃げてどうなるんだろう? わからない。逃げたくない。

 わたしは、許されたい。



 俯いて視線を落とすと、美輝がわたしの手を取って言った。



『琴音、今からでも遅くないよ。慰霊碑なんて行かなくていいから、結弦のとこに帰ろ? それから仕事も辞めて、一旦ゆっくり休もうよ……。ね? そうしよ?』


『そうだな、今の琴音に必要なのは、頑張ることから逃げて、目一杯休むことだ』



 逃げて、休む? 社会人として働かなくちゃいけないのに、休めるわけないじゃない。そもそも休んでなにがどう変わるんだろう。


 わからない。どうすればいいのか、どうするべきなのか、なにもわからない。でも、どうしたいのか、それだけはわかっている。



 わたしは、その気持ちを感情のまま口にした。



『もう遅いよ……。逃げたって休んだってなにも変わらないよ。わたしはただ、あの頃に戻りたい。旅行だって、あんな事故さえなければ、楽しく過ごせたはずだった。あのままみんなと楽しく過ごして、一緒に生きていたかった! わたしは、ひとりでなんて生きていけない! 生きてたって意味がないもの!』



 言い終えるとうまく息ができなかった。胸が苦しい。



 震える声で叫んだわたしを、美輝がもう一度、そっと優しく抱きしめてくれる。表情は見えないが、きっと困っているんだろう。わたしが、困らせているんだ。



『琴音……、やっぱり淋しいんだね』



 そう呟く美輝だって、どこか淋しそう。



『わかった。次できっと、最後にするから……』



 わたしは美輝の顔を見て、泣きじゃくりながら訊ねた。



『最後……って?』



 淋しそうだけど、凛とした眼差しを向ける美輝。



『もう、どこにも行かないよ』



 微笑みながらそう言い残して、美輝と怜は姿を消した。





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