第二章 旅立ち
第5話 見慣れた街にさようなら
―― 二〇二九年 八月二十八日 火曜日 ――
朝起きると、体は妙にスッキリしていた。
昨日早く帰ったからかな? 長旅になりそうだし丁度いいけど。
洗面所で身支度を整え、普段どおりに朝食を作る。
目玉焼きとベーコンをフライパンで焼きながら、レタスをじゃぶじゃぶと洗い、トーストには蜂蜜をたっぷりとかけ、氷をふたつ落としたグラスにアイスコーヒーを注ぐ。
ずっと変わらない朝食メニュー。
これも社会人になり、すべてがルーティーン化した生活の一部だけれど、わたしはいつか読んだ小説を真似たこのメニューを、とても気にいっていた。
幸せの象徴ともいえる朝食風景。
結弦が目を覚ましてふたりで暮らせるようになったら、この朝食を用意して、結弦を起こしてあげたいと思っていた。
でも、それはわたしにとって小説と同じ。実際に起こりえない夢物語だ。
朝食を食べ終え洗い物を済ませて、服を着替えて玄関で靴を履くと、そのまま振り返り、自分の部屋へ一礼をしてからアパートを出た。
駅までは歩いて二十分ほど。会社に行く時間よりもかなり早いし、知り合いに会うなんてこともないだろう。
明けたばかりの空は、雲ひとつない快晴だった。
東の空から昇る朝日は、見慣れたはずの街の景色を、見たことのないような淡い青紫に色づけている。
ひとり旅なんてこれが初めてだ。程よい緊張に心が高揚している。
初めて向かう七年前の事故現場と、そこにある慰霊碑。美輝と怜に早く会いたいと思う気持ちが強くなるほど、胸がざわめく。
駅に着き改札を抜けてホームに降りると、発着時刻を確認する。
早朝といえども電車の本数はそれなりにあり、五分ほど待って都心へ向かう快速電車に乗車できた。
昨夜書いたメモによると、ここから一度都心に向かい、都心から地方へと向かう電車に何度か乗り換えて、七色ダムに一番近い市街地へ向かう予定になっている。
七年前は都心から七色ダムを通って地方都市まで向かうバスが走っていたが、高速道路が開通してからは高速バスのみの運行となってしまい、今では七色ダム周辺を観光バスが走ることはなくなっていた。
都心へ向かう電車にはちらほら乗客もいたが、地方行きの電車に乗り換えると、世界が反転してしまったかのように車内は閑散としていた。
車窓から見える景色が、灰色のビルから徐々に鮮やかな新緑へと変わっていく。
田舎を持たないわたしにはあまり縁のない場所だけれど、田舎の景色や空気は好きだ。都会にはない森のにおい。肌をなでる風も、透明に煌めいているような気がする。
子どもの頃は両親がたまに連れていってくれる海や山への旅行を、いつも楽しみにしていた。
「海も見たかったな」
遠くまで広がる田園風景を眺めてひとりごちた。
海には数えるほどしか行ったことがない。もしも生まれ変わりというものがあるのなら、是非とも次は海辺の町でみんなと暮らしたい。
結弦と怜は水泳部だったし、陸上部だった美輝も海沿いの道をジョギングなんてシチュエーションを気にいってくれそうだ。
不明瞭な未来を想像して「ふふっ」と笑みをこぼすと、みんなと出会った記憶が甦る。
思い返せば、なんだか不思議な出会いだった。
外の景色に目をやりながら、視線はなにを捉えるでもなく、わたしの頭の中は高校生の頃の回想を始めた。
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