第七章 図書館へ行く
ミイが残りのミルクを飲み終わったところで。僕らは図書館へ行くこととなった。
図書館への道のりは、ここから橋を渡って十五分ほど掛かる、川の向こう側だそうだ。
天気もいいし、きっと水辺は空の青を映してキラキラしているんだろう。ミイの散歩にももってこいだった。
「じゃあ行こうか」
絵描きさんが席を立つと、ミイも一緒に行こうと床に飛び降りた。行く気満々のミイは、ピンと背筋を伸ばし、早く早くと尻尾を揺らしている。
「僕らよりもミイの方が行きたがっているなんて!」
「うん、この子は芸術家タイプなのかもね」
僕らの仲間にぴったりだと二人で顔を揃えて笑った。出会ってまだ数十分だけど、すっかり僕らは仲良しになったみたい。
マルクト広場に再び出ると、辺りは先ほどまでの忙しさからすっかり解放されたようだった。行き交う人々も疎らで、人酔いする心配はなさそうだった。今のうちに、目的の場所まで向かわないと。こっからが本番。ぐっと気を引き締めた。
レストランへ向かう時と同様に、絵描きさんの後ろを歩き出した。ミイも僕の後ろを付いて歩く。絵描きさんって本当に、背が高いんだなあと改めて感じた。僕の二倍はあるんじゃないか。僕も大きくなれるかな。絵描きさんはおそらく二十歳前後だろう。ふと、年齢を意識した瞬間、自分の兄さんと絵描きさんが重なった。
「さあ、行くぞ。あの川には、大きな魚が住んでいるらしい」
「それって?」もしかしてクジラだろうか。少し期待した僕の顔を見て、絵描きさんは申し訳なさそうな顔をした。
「ああ、期待しているところ悪いが、クジラではない。クジラは海にいる生き物だからね」
「やっぱりそうか。うん、僕は図書館にある本や写真で我慢するよ」
「あっはっは! でもね、私はこの川に、クジラがいたっていいと思っているんだ」
ピタッと足を止める。絵描きさんの瞳は、少し遠いところを見ていた。
「たしかにクジラは海にいる。だけども、決して海にしかいちゃいけないとは思わない。私だって君だって、好きなところに自由に出掛けられる。絵描きである私達は、彼らに何ができると思うかい?」
絵描きさんが僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。僕ができること。できることは。
「彼らを自由にさせてあげること。それを、絵でやればいいんだね」
「そういうことだ。よくできました」
ふわっと頭を撫でられた。撫でられた感触がとても温かい。僕にも、できることはあるんだ。先生やお母さん、駅のおじさんみたいな大人の言うことが基準だと思っていたけど、そうではないこともあるんだ。絵はとても自由だと感じた。
「そんなこんなでほら。これが有名なマイン川だよ」
「うわあ! なんてキレイなんだ!」
絶景とはこのことを指すのだろう。太陽の光を直接受け止めたかのような水面は、自らを眩い白に染め上げている。眩しい水面は、風に揺られキラキラと波打っていた。
「みゃあああ」
この景色にミイもご機嫌な表情で橋の上を闊歩する。まるで僕のためのステージだと言わんばかりに。ふさふさの毛を風になびかせながら、空に向かってジャンプする。少しだけ、時間がゆっくりと流れたような気がした。この不思議な幻想的な光景の中、僕はそっと思い出した。
――この水面のような光景を、小さいときに見たような気がする。
ふと感じた印象を補足するように、絵描きさんが語り出した。
「昔は補強がされていなかったみたいで、橋に付けられた欄干はかなり低かったらしい。このマイン川で転落事故があったから、これほどの丈夫な欄干になったようだよ。かなりその事故は絵描きの間でも有名でね、なんと、絵を描いている最中にうっかり足を滑らせてしまったみたいなんだ」
補強されたけど、それでも気を付けなよと注意する絵描きさんの声はすっかり僕の意識から遠ざかっていた。
――僕は補強される前の、この橋を、知っているはずだ。
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