第二章・報復の狼煙 ‐Ⅱ‐

 トリスタンが襲撃されてから、今日で二週間が過ぎていた。あれから、竜の末裔たちは、すっかりと鳴りを潜めている。

 トリスタンの王都イゾルティーヴォでは、生き残った市民たちが、復旧に向けて着実な歩みを見せているという。

 明るい知らせがある一方で、グレゴリーから新たにもたらされた情報が、セインの胸をかき乱していた。

 早いうちに、レオンの耳に入れておくべきだ。セインは焦燥感を引きずりながら、国王の間へと急いだ。

 国内では、日を追うごとに征伐の軍を上げるべきとの気焔が高まってきている。

 今のところ、皮一枚で開戦の動きは抑えきっているものの、このまま行けば、押し切られるのも時間の問題だろう。

 いくら情報を提示して、竜の末裔たちの真意を説いたところで、血気に逸った貴族たちの目には、セインが、恐怖のあまり出陣を拒んでいるように見えるらしい。

 最近では、セインから竜騎士長の位を剥奪しようという声さえある。

 竜騎士長にあるまじき臆病者と謗られることには、もう慣れていた。

 他人がなんと言おうと、それで自分が味わった苦痛から皆を遠ざけられるのなら、一向に構わない。戦争で傷付くのは、いつだって弱者なのだ。

 人々を戦争に駆り立てたのは、異なるものへの恐怖と、その脅威から国を、民を、人類すべてを守ろうという、強い想いだったのだろう。

 しかし、その結果、戦乱の炎は世界中を覆い、たくさんの人が、大切な人を失う悲しみを味わったのだ。

 あの日、瓦礫の街をひとりきりで逃げ惑った恐ろしさを思い出し、セインは思わず身震いをした。

 レオンに出会い、あの優しい温もりに触れたとき、どんなにほっとしたことか。

 もしも神様がいるのなら、きっと、彼のように、救いの光をもたらしてくれる存在なのだろう。幼心に、そんなことを考えた。

 あの夕暮れを境に、セインが見る世界は、一変したのだ。

 レオンが与えてくれた救済を、より多くの人に与えられるようになろう。そうすることで、もう誰も、この恐怖を、知る者がいなくなればいい。

 幼い子供が、か弱い老人が、力なき普通の人々が、希望を砕かれ、死の友となる。そんな惨劇は、もう繰り返してはならない。

 失ってしまえば、二度と取り戻すことは出来ないのだから。

 本当に大切なものを守りたいのであれば、戦の芽を摘んでしまえばいい。あの日の自分を生まないためには、絶対的な力が必要だった。

 理想だけを叫んでいても、力がなければ、誰も救うことは出来ない。戦乱を厭うからこそ、セインは剣を取ったのだ。

 剣を握る者が、正しい判断をすれば、無益な戦は起こりえない。セインは一介の竜騎士であったころから、その信念のもとで事に当たってきた。

 真の平和を望むなら、可能な限り、諦めずに戦わずして和す道を探すべきなのだ。

 しかし、今度こそは、大きな戦を避けられないかも知れない。

 もとより、貴族層は、彼らの理想に添わないセインのことを疎んでいる。彼らが望むのは、勇敢に戦いを挑む騎士であり、ハーネストを高みへと押し上げる英雄なのだ。決して、民を守るために戦いを避ける平和主義者ではない。

 そんなことは、セインにも解っていることだった。

 それでもセインは、彼らに阿って、信念を捨てる気は毛頭なかった。

 自分は、この国の誰もが平穏に、ありふれた幸せにまどろんでいられるように、竜騎士長にまで上り詰めたのだ。この意志だけは、最後まで貫き通さねばならない。

 これを曲げてしまえば、自分が剣を取った意味は、失われてしまう。

 勇ましく叫ぶ貴族たちは、もはや、自分の意に添わない事実を、見ようともしない。

 群衆はやがて、耳触りのいい正義のために、血が流れることさえ厭わなくなるだろう。そんなことは、もう二度と、あってはならない。

 セインは迷いを振り切るように、決然と国王の間の重い扉を叩いた。




 沈みゆく夕日を眺めながら、レオンは玉座に腰かけて、物思いにふけっていた。

 セインが見た悪夢は、やはり予兆だったのだろうか。

 あの日を境に、災厄の足音は、確実に大きくなっている。

 小国に始まり、ハーネストの同盟国であるトリスタンの王都までもが、惨禍に見舞われてしまった。

 トリスタンの襲撃以降、竜の末裔たちの攻撃は、ぴたりと止んでいる。快哉を叫ぶ声もあるが、レオンは、嵐の前の静けさのような薄気味悪さを感じていた。

 脅威が鳴りを潜めた分、甚大な被害を受けた国々も、各国からの支援を受けて、なんとか立て直しをはかりつつある。

 沈黙を守る竜の末裔たちのことは気がかりだが、復興の道筋が立ったのは、喜ぶべきことだ。民衆も、日を追うごとに、落ち着きを取り戻し始めている。

 それでも、ハーネスト国内で日増しに高まる開戦の機運は、もはや、無視出来ないほどに大きくなっていた。

 アルノーを中心とした開戦派の貴族たちに、セインの訴えは届かない。情報を開示し、竜の末裔たちの狙いがハーネストに戦端を開かせることにあると説いたところで、それならば、望み通り戦って蹂躙すればいい、などと嘯く始末である。

 今は辛うじて押し留めてはいるものの、裏では、セインを追い落とそうとする動きさえある。状況は、レオンが予想した通りの展開になっていた。

 もし、セインが言うとおり、竜の末裔たちの狙いがハーネストの挑発であれば、守りを固めて待ち構えているのが上策である。

 だが、それでは、いつまで経っても、脅威は脅威のままだ。手をこまねいているだけでは、民衆さえ、そう遠くないうちに、征伐を望むようになるだろう。

 そうなってしまえば、国王である自分は、民衆の声を聞かなければならない。

 レオンは、暗い予感に、深い溜息をついた。

 国を守るために戦うことに、躊躇いはない。もとより、それが、王としての務めである。

 問題は、敵の全容が、未だ明らかではないことだ。

 トリスタン襲撃事件から二週間、竜の末裔たちの行方は、ようとして知れない。このまま開戦に踏み切ったところで、攻めるべき場所も、敵の数も分からないのでは、闇夜で蜂を捕まえるようなものだ。

 レオンの沈み込んだ思考を現実に引き戻すように、扉を叩く音が、国王の間に響いた。

「……入るが良い。」

 レオンが短く裁可を下すと、侍従が、恭しく扉を開く。

「セイン、何用だ?」

 開かれた扉の向こうに佇む背の高い銀髪の青年に、レオンは静かに問いかけた。

「至急、陛下のお耳に入れておきたいことがございまして。」

 セインは、優美な所作で首を垂れた。その声音は、いつになく固い。

「ふむ。……そなたらは、下がっておれ。」

 なにか、重要な情報を掴んだのであろう。

 レオンが侍従たちに目くばせをすると、彼らは、静々と部屋を出ていった。

「……して、なにか分かったことでもあったか?」

 閉ざされた扉の向こうから、足音はもう、聞こえない。

 レオンは、深く息を吐くと、改めて、セインに問うた。

「はい。竜の末裔たちの居所は、依然掴めておりませんが、トリスタンを襲撃した者達の構成は、ある程度確証が取れました。」

 セインは、静かに頷くと、レオンに真っ直ぐな視線を向ける。

「居所は分からぬ、か。しかし敵方の構成が分かれば、多少なりとも対処のしようもあろう。」

 レオンは、肩透かしを食らったように、ちいさな吐息を零した。

 所在が掴めていないのは痛いが、構成が分かっただけでも、一歩前進である。

「ええ。敵は、おおよそ十人前後の、訓練された組織だったようです。街の破壊痕、魔力残渣から考えて、主に緑竜、水竜、紅竜の三種で構成されていると見て、間違いはないでしょう。」

 淡々と報告を続けるセインの顔は、どことなく苦しげだった。

「その三種であれば、聖者の槍で対応出来よう。あと一週間ほどあれば、魔力充填は間に合うのであろう?」

 レオンは、セインの表情にひっかかりを感じながらも、あえて触れずに問いを重ねた。

「はい。彼らに対しては、それで十分でしょう。一週間を待たずに事が起きても、足止めにはなります。なにも、戦争をしかける必要まではないかと。しかし陛下、ここからは、あくまで推論なのですが……。」

 そこまで述べて、セインは言いよどむように声を震わせた。

「構わぬ。申してみよ。」

 良い知らせではないことは、セインの顔色を見れば明らかである。

 それでも、彼の言葉を、レオンは聞かなければならない。

「竜の末裔たちは、市民の言葉を借りれば、闇から音もなく現れ、街を破壊しつくした後、また、闇の中へと消えて行ったのだそうです。」

 そう告げたセインの薄紫の双眸は、昏い闇の底を映しているかのようだった。

「襲撃は、夜間だったな。ならば、そう見えてもおかしくはなかろう。……しかし、気になっておるのだな?」

 レオンは、セインの双眸に落ちた影を、じっと覗き込んだ。

「はい。新月の晩であれば、きっと誰にだって出来たでしょう。しかし、あの晩は、月が出ていました。街灯もありますし、市街地は、それなりに明るかった。」

「転移呪法を使った可能性もあろう。」

 レオンは、セインの奥にある確信的な不安を、ひとつずつ削り取るように言葉を選んだ。

 人間の魔力では、転移を行える者など、ほんの一握りだ。しかし、竜の末裔を始め、強い魔力を秘めた種族であれば、ごく一般的に使われているという。

 都市部では、そういったものを制限する魔術式が張られているが、竜の末裔ともなれば、突破することは可能なのではないか。

「いいえ。イゾルティーヴォに配備されている魔術防衛システムを解析しましたが、防衛を突破された痕跡は、ありませんでした。無理に転移を行えば、反動はあります。下位階の彼らだけでは、速やかに破壊活動に移るのは不可能でしょう。」

 セインは、明確に、首を横に振った。積み上げられた事実の先で待つ、最悪の答えへの道を、過たず辿っていく。

「……上位竜が、一枚噛んでいると?」

 レオンは、どうあっても否定しえぬ結論を、声に変えた。

「はい。それも、第三位階の雷竜や霧竜ではありません。……黒竜、と思われます。」

 そう告げたセインの声は固く、苦い響きを帯びていた。

「聖者の槍も、黒竜相手では、足枷にさえならぬな。軍も、場合によっては意味をなさぬ。」

 黒竜は、かつて帝国を統べていた青竜に次ぐ、第二位階の竜だ。魔力の量も、他位階の竜の末裔とは、比べものにならない。第三位階の雷竜や、霧竜の力さえ半減させられる聖者の槍をもってしても、黒竜が相手では、大した意味を持たないであろう。

 黒竜は、闇の中にあっては、どんな魔術師であろうと、嗅覚鋭い騎士であろうと、捕捉することさえ出来ないと言われている。

 竜の末裔の中でも、とりわけて稀な存在であり、黒竜の特異能力に対応出来る魔術防衛システムは、現在のところ確立されていない。

 それらを鑑みれば、たしかに、トリスタン襲撃の裏に黒竜が存在している可能性は、極めて高いだろう。

 ハーネスト襲撃を狙っているのが、他ならぬ黒竜であるというのならば、追い詰められているのは、彼らを追う自分たちの方だ。

 黒竜がその気になれば、全兵力を集めて決起しようが、魔術の粋を集めて編み上げた防衛システムがあろうが、一時持つかどうか、というところだろう。

 ドラチェーヅァならば、あるいは対処の仕方を心得ているかも知れないが、かの竜を狩る者とて、黒竜相手では、さすがに分が悪いかも知れない。

「ですので、僕に行かせてください。ひとりなら、あちらも警戒しないでしょう。交渉くらいは、出来るかも知れません。」

 セインは、固い決意を秘めた眼差しで、レオンを見据えた。その薄紫の瞳は、うっすらと射す一筋の光明を、掴もうとするかのように必死である。

「ならぬ。」

 セインの悲壮な覚悟を、レオンは厳然と突き放した。

 彼の信条を、知らぬわけではない。十八年間、ずっと傍で見守ってきたのだ。

 だが、相手は入念に、戦うための布石を打っているのだ。もはや交渉の余地など、あろうはずもない。

「何故ですか、陛下。」

 セインは、わなわなと身を震わせて、懸命に食い下がってくる。

「居所も分からぬのに、無闇に出てなんとなる?」

「必ずや、探し出して見せます。」

「黒竜が、お前ひとりの手に負える相手だと?」

「容易い相手ではないでしょう。ですが、僕ひとりなら、犠牲は最低限で済みます。」

「……やはり、許可出来ぬな。」

 レオンは、長外套を翻して、セインに背を向けた。

 セインは、相打ちに持ち込むつもりなのだ。たしかに、それならば犠牲者は一人で済むかも知れない。だが、それは王としても、レオン個人としても、絶対に認めることの出来ない一手だ。

「陛下なら、お分かりのはずです! 血を流すのは、僕ひとりで、十分だ!」

 セインは、畳みかけるように、わなわなと震える声を荒らげた。

 零れんばかりに見開かれた薄紫の瞳は、痛々しいほどの決意に濡れている。

「お前は、己の立場を、わきまえておらぬ。今、ハーネストは苦難に直面している。竜騎士長を欠いて、その先にある未来を、拓けると思うか? ……己を過信するな。」

 レオンは、背を向けたまま、静かに首を横に振った。

 冷静さを欠くのは、セインにしては珍しい。

 彼の焦りは、レオンにも理解出来る。だからこそ、自分は、なんとしてでも、セインをひとりで行かせる訳にはいかなかった。

「ですが、陛下……!」

 セインは、どうしても諦めきれないのか、尚も食い下がってくる。

 レオンは、一喝するように、厳然と、王杖を床に叩きつけた。

「くどい! 話は以上だ。下がれ。お前は、要なのだ。今、失う訳にはいかぬ。」

 セインの言葉を遮って、レオンは王杖を振りかざした。

「……失礼いたします。」

 セインは口惜しさをにじませながらも、恭しく一礼を残して去っていった。

 レオンは、セインの長躯が見えなくなるまで、じっとその背を見つめていた。

「やはり、お前は、誰も頼れんのだな。」

 レオンは、救いを求めるように、天を仰いだ。

 夕闇の残照の下、ステンドグラスの聖母は、優しく微笑んでいる。その笑みは、悲嘆に暮れる王を、慰めるかのようだった。

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