第二章・報復の狼煙 ‐Ⅰ‐

 今日という日は、いつも以上に騒々しい。憂うべき日であり、始まりの日となるだろう。

 アルノーは、執務室の窓辺に立って、事の動静を見守っていた。

 広々とした裏庭には、城内の竜騎士たちが、実に美しい方陣を組んで参集している。

 その集団の先頭で、ひょろりと背の高い銀髪の男が、命じるように高く手を掲げた。

「さしもの竜騎士長も、重い腰を上げたな。」

「とはいえ、彼はどうせ、戦いはせんでしょう。……実に高潔な男だ。」

 アルノーの呟きに答えた客人――法務大臣ギルバート・オルドビスは、その声音に、皮肉の色を隠そうともしない。

「所詮は、幼稚な理想主義者だ。理想は、現実の前に打ち砕かれる。」

 アルノーは、遠目に見えるセインの姿をじっと睨み据えた。

「現実の荒波を、彼はまだ知らぬのです。打ちのめされて、ようやく理解することになる。悪を糾さぬ、己の過ちを。」

 法の番人は、判決を下すかの如く、厳然と言い放った。

「正義は、なすべき者の手でなされなければならない。トリスタンの襲撃は、実に悼むべきことだが、征伐の狼煙となろう。同盟国として、人類社会の庇護者たる神皇七国の一角として、旗を上げるべき時の知らせよ。」

 アルノーは、窓から目を背けると、ゆっくりと振り返った。

 来客用の豪奢なソファーに腰かけた黒髪の男は、長躯に英気を漲らせて、じっとアルノーを見つめ返した。

「……まさに。しかしながらグィノット卿。それでも、あの男は動かない。守りを固めるように、陛下に進言するだけに違いありません。」

 ギルバートは、眉間に皺を寄せ、不愉快そうに推論を述べた。

「案ずるな、ギルバート。セイン・クロスに、味方などおらぬ。騎士長も、トリスタンが襲撃されたとなれば、さすがに、あれの言うことに賛同など出来まいて。」

 アルノーは、子供をあやすように、静かに笑みを浮かべた。

「戦嫌いの聖務大臣は、ヴァルドーの教皇庁に出向中。あの竜騎士のなりそこないの枢機卿が不在とあれば、聖務省は、中立を保つであろう。陛下は、公私を別つことの出来るお方だ。きっと、正しきご判断をなさる。」

 アルノーは、自らの優位性を立証するように、ひとつひとつ言葉を重ねた。

 国王にとって、竜騎士長は、弟のようなものだ。なにせ、わざわざ凱旋の途上で拾い、十八年も手元に置いて育てたのだから、愛着くらいはあるだろう。

 その恩に報いるようにセインが竜騎士長となった時、アルノーも、彼はふわふわと定まらぬようでいても、すこしは骨のある男なのだと思った。

 御前試合で彼の剣戟の冴えを目にしたとき、一分の無駄さえない動きに、年甲斐もなく、見惚れさえしたのである。

 あの男が先頭で剣を取るならば、ハーネストは、神皇七国の筆頭として、竜の末裔の脅威を、完全に拭い去ることさえ出来よう。

 アルノーを一瞬でも期待させるほど、セイン・クロスの剣は、輝きに満ちていた。

 それなのに、あの男が竜騎士長になってからというもの、彼は進んで戦場に立とうともしない。辺境地帯で起きた反乱さえ、ほとんど話し合いで決着をつけてしまったほどだ。

 此度こそはと内心淡い期待を寄せたのだが、竜の末裔が相手だというのに、声高にお得意の不戦論を述べ立てるばかりで、彼に戦う気概など、ありはしなかった。

 今となっては、あんな男に、一瞬でも夢を見せられた己の甘さに反吐が出る。

「陛下は、実に素晴らしき王です。そして、とてもお優しい。民の痛みを、良く知っておられる。我々は、陛下に正義への道を、示さねばならない。」

 ギルバートの黒瞳には、迸る使命感が赤々と燃えていた。

 実に、分かりやすい男だ。

 アルノーは、ギルバートの浅黒く焼けた顔を見やりながら、純朴な協力者を、じっくりと値踏みした。

 ただ正義に酔っているだけの単純な男だが、グィノット家に次ぐ大貴族とあって、声の大きさだけは、比肩する者がない。

 細かな策謀には向かずとも、衆目を集め、正義の旗頭として担ぐのには、うってつけの人材だ。存分に、その燃えあがる正義を喧伝してもらおうではないか。

「なに、外堀を埋めてしまえば、あの男とて逃れられまいよ。」

 アルノーは、正義の執行者に、そう嘯いてみせた。

 無用な戦を避けることには、たしかに一利あるのだろう。なにより、民草を疲弊させずに済む。民が健やかであれば、国もまた安泰なのだ。

 アルノーとて、セインの言わんとすることが、まったく理解出来ない訳ではない。

 それでも、竜の末裔の征伐は、人類の悲願である。恒久の平和をもたらすための聖戦の御旗は、長きにわたって人類の最終防衛線を担ってきた、我が国こそが掲げるべきなのだ。

 神の声の代弁者を気取っているヴァルドーに、先を越されるなど、もっての外である。

 神皇七国の中でハーネストの国威を示す好機である以上、あの男には、梃子でも動いてもらわねばなるまい。

「駄々をこねるようであれば、首を挿げ替えてしまえばいいだけのことです。正義の執行者は、雄々しく剣を取ればそれでいい。」

 ギルバートはしたり顔で、いやらしく口元を歪めた。

 この法の番人は、乗り手の意に添わぬ馬が、よほど気に入らないのだろう。

 アルノーにとって、セインの去就など、どうでもいいことである。

 あの男は、気に入らぬところはあるが、魔術も剣術も、腕が立つことだけはたしかなのだ。使える手札を、わざわざ捨てる必要はない。

 走らぬ駿馬には、鞭をくれてやればいいだけのことだ。

 アルノーは、再び、窓の外に視線を移した。

 裏庭に参集していた竜騎士団は、隊伍をなして四方へと散っていく。整然と鳴る軍靴の音は、さながら、栄光の鐘の響きのようだ。

 今日という日は、まさに、新たな歴史の始まりの日となるだろう。




 物の海に沈んだ執務机の上を乱暴に片付けて、イグナティウスは、機械仕掛けの魔術盤を、でんと中央に据え置いた。

「使ってなかったからなあ……。」

 小型化に成功したと、部下が子犬のように目を輝かせながらこれを持ち込んだのは、いつのことだっただろうか。

 長らく机の下にしまったままにしていたせいか、魔術盤には、埃が地層のように堆積していた。

 魔具作成に長けた彼が手塩にかけて組み上げた代物だから、このままでも、動きはするだろう。とはいえ、初めての仕事が埃まみれのままというのは、魔術盤がいささか哀れだ。

 なにより、これから相手にするのは、この魔術盤の製作者その人である。

 かといって、いちいち手で払い落すのも、これだけ積もっていては面倒くさい。

 イグナティウスは、大きく息を吸い込むと、魔術盤に積もった埃を一息に吹き飛ばした。

 粉雪のように、綿埃が宙を舞う。埃は、手を抜いたイグナティウスの顔めがけて、盛大なしっぺ返しを食らわせた。

 イグナティウスは、舞い上がった埃に噎せこみながら、だらしなく鼻を啜った。

 やはり、きちんと手なり羽箒なりで、埃を落とすべきであったか。

 イグナティウスは、珍しく己のものぐさを悔いたが、それも、ほんのわずかな時間であった。

 誰も見てはいないのだから、問題はない。

 気を取り直したイグナティウスは、首に提げていた竜騎士の証を、魔術盤の中央にそっとはめ込んだ。

 竜騎士となった者に与えられる勲章は、それ自体が、純度の高い希少な魔石で作られている。竜騎士としての務めを果たすのに、欠かせないものだ。

 澄み渡る水のような青い魔石は、細やかな彫刻の施された盤上で、己を誇るようにきらりと冷たい光を放つ。

 イグナティウスは、右手を魔石にかざすと、祈るように呪文を紡ぎ始めた。

 囁く声に導かれるように、緩やかな青い光が、盤上を這うように広がっていく。その輝きは、うねりながらゆっくりと沈み込み、やがて、銀板に刻まれた魔法陣を浮かび上がらせた。

 これで、準備は万端だ。おそらくあと三十秒もすれば、彼はここに来るだろう。

 ほどなくして、忙しなく近づいてきた足音に、イグナティウスは顔を上げた。

 ――丁度、計算通りの頃合いだ。

 音から分かる広い歩幅は、その男の長躯を思わせる。几帳面なこの響きを、イグナティウスは、良く知っていた。

「セイン、準備は出来てるぜ?」

 足音が止むと同時に、イグナティウスは、扉の向こうにいる来訪者に呼びかけた。

「今、トリスタンにいる局員は、パトリオットさんでしたよね。」

 セインは、ノックもなしに扉を開くと、床の物を器用に避けながら、イグナティウスの下につかつかと歩み寄った。

「ああ。……あいつ、ちゃんと答えてくれるかね。」

 イグナティウスは、大型犬のような部下の顔を思い浮かべながら、苦い声を零した。

 パトリオットは、トリスタンの生まれだ。人生の大半を母の故郷であるハーネストで送っているとはいえ、祖国の危機を前にして、我を忘れてしまっていてもおかしくはない。

「通信回路を開いてください。……今はすこしでも、状況が知りたい。」

 セインも、同じ気持ちなのだろう。

 苦しげに眉根を寄せる横顔に、いつもの笑みは見られない。

「分かった。……こちら、ハーネスト竜騎士団特務局長、イグナティウス・ファルツだ。パトリオット、聞こえていたら応答してくれ。」

 イグナティウスは頷くと、銀板にかざした右手に集中した。歯車が、ぎしりと音を立てながら回り始める。立ち上る光の帯は、イグナティウスの声の形を、虚空に描いた。

「……こちら、ハーネスト竜騎士団特務局副長、グレゴリー・ド・ナタナエル。パトリオットは、救援のためイゾルティーヴォ市街地を駆けまわっている。私が、代わりに話そう。」

 通信機越しに応えた慇懃な声は、予想外の男のものだった。

「グレゴリーさん? なぜトリスタンに?」

 イグナティウスが応じるよりも早く、セインが、狐につままれたような声を上げた。

「ん? この声は、竜騎士長閣下かね。なに、ハーネストに帰還中、ちょうど通りがかったのさ。休暇中の私を、呼び戻すように指示したのは……。私の記憶違いでなければ、たしか、君だったと思うのだがね。」

 ノイズ交じりの伊達男の声は、葉巻でもふかしているかのようにゆったりとしている。

「バカンスのお邪魔をしてすみませんね。ですが、今回ばかりはどうかお許しを。」

「構わんとも。海辺で待ってくれている健気な乙女との逢瀬は、落ち着いた時に楽しむさ。」

 通信機越しの伊達男の声は、いい歳こいた独身男の耳には、あてつけのように聞こえる。

 イグナティウスは、相手に見えないのをいいことに、鼻っ柱にこれでもかと皺を寄せた。

「引く手あまたで、なによりなこって。で、グレゴリー。状況はどうなってんだ?」

 暢気な伊達男に精一杯の嫌味を送り、イグナティウスは短く問いかけた。

「惨憺たるものだよ、イグナティウス。市街地は、ほぼ全壊といっていい。イゾルティーヴォに駐屯していた我が国の竜騎士団も、部隊長含め死傷者多数、今動けるのは、三分の一以下だ。下手人と思しき竜の末裔たちは、もう姿をくらましている。」

 グレゴリーの声音からは、先程のようなゆとりは消え去っている。彼は、声を落として、現地の惨状を切々と告げた。

「国王陛下と市民は、ご無事ですか?」

 示された厳しい現実を前に、セインは、青い顔をさらに青くして、肩を震わせた。

「王城は、市街地ほどの打撃を受けていないようだった。アズレト二世は、先程保護した。憔悴してはいるが、ご無事だよ。お怪我もされていない。市民には、死者も出ている。正確な数までは、まだ把握しきれていない。ただ、街の損壊からすると、思ったよりは、すくないように思えるがね。」

「思ったよりもすくない、か。」

 イグナティウスは、黒髪を引っ掻き回しながら、グレゴリーの言葉をなぞった。

 竜の末裔たちは、一夜のうちに、小国とはいえ王都ひとつを破壊してみせたのだ。今まで通りの報復行為ならば、ひとりでも多く殺そうとするだろう。

「……やっぱり、目的は別のところにあるな。」

 髪を掻きむしるのを止め、イグナティウスは、重い吐息を漏らした。

「私も、同意見だね。竜の末裔たちが、トリスタンを滅ぼす気だったならば、死者は倍以上に膨れ上がっていた。国王も、無事では済まなかっただろうさ。」

 グレゴリーは、通信機の向こう側で、イグナティウスの結論に賛意を示す。

「やはり目的は、ハーネストへの挑発……でしょうかね。」

 セインは腕組みをしたまま、苦虫でもかみつぶしたような顔で、低く呟いた。

「だろうな。やっこさんは、どうもハーネストにこだわっているような気がするぜ。」

 イグナティウスは、髪を神経質に引っ掻き回しながら考えを巡らせた。

 十八年前の大戦の際、偽情報に踊らされた帝国は、兵力を世界中に分散させた。

 対する諸国連合は、同時侵攻が進んだ頃合いを見計らって、竜の末裔の力を奪う兵器はトリスタンにあり、帝都を射程に収める準備が進んでいると吹聴して、トリスタンに意識を向けさせた。

 帝国軍の主力部隊と、ハーネスト・トリスタン連合軍の戦いは、苛烈を極めた。なにせトリスタンが保有するという兵器さえ破壊してしまえば、戦況は覆るのだ。

 躍起になってトリスタンを攻略しようとした結果、帝国軍は致命的な隙を曝した。

 聖者の槍は、帝都ラインハルドに最も近いハーネスト王城に配備されていたのである。帝国の目がトリスタンに向いているその間隙を突いて、聖者の槍は起動され、諸国連合に攻め込まれた帝国は、ろくな抵抗も出来ないまま、あっけなく滅び去ったのだ。

 敵の狙いが、十八年前の再現であるとすれば、今回のトリスタン襲撃にも合点も行く。

 今度こそハーネストに一矢報い、亡国への弔いとする。その先ぶれとして、あえてトリスタンで示威行動に出た、というところだろう。

「しかし、ハーネストが狙いだとしても、奇妙ではあるがね。」

 通信機の向こう側で、グレゴリーが新たな疑問を投げかける。

「彼らが、ハーネストの防衛を突破できる自信があるように見えること、ですか?」

 セインは、明確に、彼の疑念を指摘した。

「そうだ。仮に帝国が健在だったとしても、ハーネストと正面から事を構えるのであれば、勝率はそう高くはない。なにせ、我が国の兵力は多く、国土も広い。その上、聖者の槍はあるし、竜を狩るドラチェーヅァの一族もいる。それを知らない訳でもあるまい。私なら、わざわざ警告などせず、奇襲をかけるね。」

 敵方に立ったグレゴリーの見解に、イグナティウスは眉間に皺を寄せた。

 味方がすくなく、相手が強固であるならば、グレゴリーの言うとおり虚を突くべきだ。

 それなのに、竜の末裔たちはあえてそれをせず、ハーネストに警戒の猶予を与えている。

 彼らが、この状況を楽しんでいるのでなければ、不利を覆せるような手札を、まだ隠し持っているということだ。

「聖者の槍で抑えきれない上位階の竜が、一枚噛んでるってことか。」

「……おそらくは。すくなくとも、雷竜くらいは、いるのかも知れないね。第三位階となれば、聖者の槍でも力を半減させるのがせいぜいだ。もし、十八年前に騎士長と交戦した雷竜と同じ者であれば、一矢報いるくらいは出来るだろう。なにせ、帝国で、一、二を争う実力者だったようだからね。」

 リクター・アゲンストと雷竜の一騎打ちは、トリスタン戦線における最大の英雄譚として語られている。

 撤退するハーネスト・トリスタン連合軍の殿で、リクターは、たったひとりで雷竜の猛攻をしのぎ切ったのだ。重傷を負って意識不明のまま帰還した金色の騎士の鎧は砕け、今でも全身に、無数の傷跡が残っているという。

 当時、後方支援部隊としてハーネストに残っていたイグナティウスは、彼を見て、万一回復しても、もう二度と戦えないだろうと思ったほどだ。

 彼の人並み外れた頑強さが幸いして、今でも剣を振るっているのは、驚嘆に値する。

「グレゴリーさん。街に残された痕跡から、実行犯の種別は分かりますか?」

 セインは、雷竜の話題には触れず、実際の襲撃者の構成を問うた。

「ふむ。まず、単純に力任せに破壊された建造物が多い。緑竜が一番多いということだろう。それから、市街地の西側は、炎で焼き払われていた。このあたりで暴れたのは紅竜だろうね。逆に、東側は燃えてもいないのに、水浸しになっていたことから察するに、こちらは水竜の仕業と見ていい。とはいえ、今のところ確証はないし、数までは、分からないがね。」

 グレゴリーは、自説を交えながら、現実的なセインの問いに答えをあたえた。

「……数はそう多くはないと思うぞ。ただし、全員よく訓練されている。」

 グレゴリーの言葉を拾いながら、イグナティウスは、苛々と髪を掻きむしった。

 イゾルティーヴォは、広くはないが、歴史のある街だ。古い街並みを飲み込みながら拓かれていった街は、複雑に入り組んでいる。

 迷路のような市街地は、日中でも、地理に明るくなければ迷うほどだ。そんなところに夜間に大軍を投じれば、間違いなく身動きが取れなくなるだろう。

 ハーネストを動かすだけならば、目に見える破壊の爪痕を残すだけで事足りるのだ。人間よりも強靭な竜の末裔である彼らには、なおさら、人数を割く理由がない。

「彼らとて、普通なら自分の家族を殺したかもしれない相手を前にして、冷静ではいられないでしょう。ただ破壊して逃亡したというのは、訓練されていた証、というところですか。」

 遠くを見つめるセインの薄紫の双眸は、どんよりと昏かった。

「欲張らず、必要最低限の成果を上げる。敵さんは、仕事が出来やがる。ハーネスト国内で開戦の動きを加速させるには、これで十分からな。」

 業腹だが、敵が烏合の衆でないことは、認めざるを得ない。

「だが、それに乗るのは非常にまずい。むざむざ斬りやすいように、首を差し出すようなものだ。」

 通信機越しの伊達男は、苦い吐息を零した。

 敵方の意図するままに動くのは、自ら負けに行くようなものだ。すでに、ハーネスト国内には、征伐を望む声がある。

 このまま手をこまねいていれば、敵の術中にはまるのは避けられない。

「開戦論を防ぎきるのは、僕の務めです。グレゴリーさん、あなたは引き続き、トリスタンに留まって、調べを進めてください。もっと詳細な情報が欲しい。可能であれば、上位竜の存在の如何を探ってください。」

 セインは、決意を新たにするかのように、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「分かった。パトリオットには、市民の救援を優先するように伝えればいいかね?」

「ええ。……よろしくお願いします。」

「しかと、拝命した。……では、失礼するよ。」

 グレゴリーの声が途絶えると同時に、光の波が淡雪のようにふわりと消えた。薄暗い部屋に、ほのかな影が落ちる。

 イグナティウスは、指示を仰ぐようにセインに視線を向けた。

 静かに顔を上げたセインの両の目に、普段の柔らかさは微塵も感じられない。

「イグナティウスさんは、上がってきた情報の分析をお願いします。気付いたことがあれば、すぐに知らせてください。」

 厳しい眼差しのまま、セインは、イグナティウスの無言の求めに応じた。

「了解。……昨日の今日でちっと遅れを取ったが、巻き返してみせるぜ。」

 イグナティウスは、昏い顔の上官を励ますように、これでもかと自信ありげな笑みを作ってみせた。

「……期待していますよ、局長。」

 わざとらしいほどに胸を反らせるイグナティウスの姿に、ようやく、セインはすこしだけ、表情を緩めた。

 それでも、眼鏡の奥の双眸は、水底のような昏さを秘めている。

 悲壮ささえ感じさせるセインの薄紫の瞳は、まるで、彼が幼い日に見た悪夢を、なぞっているかのように見えた。

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