少女山にて

黄身ラブ太郎ドドイツぽン

プロローグ1 山籠りする少女

朝露に濡れた、鬱蒼と生い茂る草木をかき分け、浅く雪に覆われた地面を一歩ずつゆっくりと進む。

最近は冷え込んだから、そろそろだとは思ったけれど、この地域に来てから数ヶ月、雪が降ったのを見るのは今日が初めてだ。

朝、目が覚めると布団の中に飼い犬のシアが入り込んでいたからきっと彼も寒かったのだろうと思う。

こんなにモフモフとしたトイプードルが寒がるなら普通の人はきっとさらに寒いのだろうなと考えながら隣を歩くシアを見つめていると、こちらの顔を黒くきらきらした目で覗き込んできた。甘やかしすぎと前から言われているけれど、唯一の家族であり相棒の彼に見つめられてしまうと、気がつけば腰に下げたポーチから燻製にした鹿肉をあげていた。すると、満足した顔で再び彼は軽快に歩き始めた。

口から白い息が漏れる。いささか荷物を多く持ち過ぎたかもしれないと後悔するが定期的に地域のあちこちから土をサンプリングして持ち帰るよう言われている為、武器や食糧に加えてそれらを入れるケースを持ったら、この重さになるのも仕方のないことだ。

相棒にも荷物を一つ持ってもらいはしているが身体の小さい彼にはあまり重いものを持たせられない以上、どうしても自身の持つ荷物が他より増えてしまう。

愚痴の代わりに溜息を吐きながら歩き続けると次第に周りの草木が少なくなり景色が開けてきた。とは言っても辛いのはここからだ。

森林を抜けると、先ほどより雪が降り積もっているはずの山が見えてきた。しかし、そこに白い色は見当たらず一面が背の低い草の緑色と遠目には粒のように見える黒い岩に覆われていた。

なだらかな丸みのある山を荷物を抱えたまま進み何とか頂上まで登ると、最近ようやく慣れたテント張りを終えて、地面へと地熱観測機を差し込む。腕に取り付けたデバイスへと目をやると、そこには普段通りの高い熱と一定の振動がグラフとなって記されていた。

それを確認しながら片手に握った銃をバイポットを開いて下ろし、再び右手のデバイスを操作する。端末の操作によって自身の着た服がみるみるうちに当たりの草木を模した迷彩へと塗り替えられる。

隣に佇むシアを軽く撫でると、頭へとゴーグルを取り付け身体を地面に寝かせる。頬を銃に当てるようにしながらスコープへと目を落とす。

1発の弾丸を込めると、いつもの場所へと狙いを定め、デバイスからゴーグルへと送られてきた風速を基にスコープの標準器のメモリを回して調整した。

頭の中で時計の針が時間を刻む幻聴が響き、カチカチとした音を鳴らす。そんなシステムは搭載されていないというのに。

その針が0を指すと同時に目の前の洞窟が眩い光を放ち、瞬く間に黒煙に包まれる。それから数秒遅れて、響き渡る音と共に崩落させた岩を押し除け爆発を免れた『残留物』達が咆哮を上げ溢れ出す。

指で数え切れる数をゆうに超える量の巨大な敵をスコープの中におさめると、少しだけ重たく感じる引き金を押し込む。すぐさま銃身から放たれた弾丸は群の真ん中にいた最も巨大な『残留物』の頭へと放物線を描き迷う事なく飛来する。

数秒後には、向こうにも聞こえるであろう銃声が届く前に銃身へと弾を込める。頭を撃ち抜かれた巨体が脳からの信号を失い、膝から崩れ落ちると同時に次の弾が放たれる。

一つ二つ三つ。相手がこちらの位置すら掴めぬ間に次々と頭を吹き飛ばしていく。

只々、機械的に冷静に心を乱さず放たれた弾丸達は一発一発が確実に命を奪い去る。そもそも戦いでは無く一方的な狩りにしかならないと思えた。

しかし、群の数が減り続けまばらになり始めた時、崩れ去った洞窟の周りが地震のように揺れ始め残った群の下から地面を裂き更なる巨体が姿を現した。


スコープ越しでなくとも十分に頭部を狙えそうな圧倒的な体躯。恐らく二十メートル近い身長を誇るあれは『残留物』のなかでは小さい方だとは思う。だが、硬い外殻を全身余す事なく持つため、今の装備で戦うにはいささか骨の折れる相手だ。

巨体はこちらの位置を既に悟ったようですぐさま此方へと歩み始め、ゆっくりながらも大きな歩幅で瞬く間に迫りくる。

一撃で倒せないのは弾が勿体ないが仕方あるまいと敵の額から狙いを少しだけずらしその眼へと狙いを定め引き金を引く。

先程まで次々と敵を屠った物と同じ弾丸であったが、それが狙った先の『残留物』に傷を負わせることはなかった。

こちらのの身体が収まりそうなサイズの眼を、確実に捉え命中した弾丸だったが、その弾丸を相手の眼は戦車に小石を投げ当てたかの様に跳ね返し、圧倒的な巨軀が此方へと更に迫り来た。

数ヶ月前に数匹の同種を殺傷した筈だったがこちらの予想を遥かに超える個体へと進化したものが現れたらしい。

「phase2……」

思わず家を出てから一言も発していなかった口から言葉が漏れる。

他の大多数の個体に比べて、通常火器が効かない段階まで進化した個体を『phase2』と呼称しているが、この地方で発見したのは初めてであり予定外の遭遇だ。次の段階へと進化されると中々面倒な事態になるため、デバイスを操作し追加の戦力投入を要請する。出された要請は直ぐに許可されたものの、恐らく届くまで最低5分は要する。

ここで待っていては勝ち目がないだろうと運び込んだ荷物を折りたたみ背負うと、ライフルを片手にシアと共に相手の迫る側とは逆の

雪の降り積もった森へと引き返し山を駆け下りる。

数百メートル離れていたあの巨体の足音が次第に大きくなるがまだ遠い。おそらく山は避けて回ってきているのだろうが、あのまま籠城していれば数秒後には自身の元へと昇って来られていたかもしれないなぁと、余計な事に思考を巡らせていたら隣を並走するシアが侵攻方向の右側へと喉を鳴らし威嚇し始めた。

どうやら取り逃した小型の『残留物』達が迫ってきているらしい。

「シア、乗って」

このままの速度では追いつかれると判断すると、迷わず背中の土壌サンプルを捨て去り、相棒の服をベルトで此方と繋ぐと再び森の中を銃を構えたまま走り出す。

こんな事ならサンプルの回収は後にすればよかったとか、後で壊れてなければ回収したいなとか、また余計なことは考えてしまうが、迷うことなく雪に包まれた大地を蹴り駆け抜ける。

人ならば異常とすら思えるスピードで移動するが、自身でも分かるほど『残留物』達の声が近づき此方へと一直線に距離を詰めて追いすがる。

鼻の曲がるような悪臭を放つ唾液を開けた口から湯水のように垂らしながら、こちらの真後ろへと追いついた敵が地を蹴り仲間を屠った獲物へと、剥き出しの牙をむけて飛び付くが、それを右足を軸にしながらしゃがむ様に回転して避けると、そのまま頭へと弾丸を叩き込む。

至近距離で放たれた弾丸によって相手の頭が風船みたいに破裂する様を視界に納めながら弾丸を込めるが、左右から更に一匹づつ迫る獣達を同時に倒す為、左の腿へ取り付けたホルスターからマグナム自動拳銃を取り出す。

右手にライフルを持ちながら、それを支える様に拳銃を手にした左腕の肘へと乗せて、草木に隠れる様に低姿勢で迫る相手が飛びつこうと身体を僅かに上げたところへ弾丸を打ち込む。ライフルは勿論マグナムに込められた大口径の弾薬が撃ち込まれた『残留物』達は瞬く間に生命活動を停止し白く染まった地面へと赤を塗り広げる。

次々と迫る獲物達に対して、装弾の間に合わないライフルを手放し右腿へ下げたホルスターから拳銃を引き抜く。

口径の小さい右手の拳銃は威力が足りず殺しきれない為、左手のマグナムでは対応の間に合わない側面から来る敵へ手足の関節を撃ち抜き動きを鈍らせ、それでも追いすがる物の牙や爪を避けながら、頭へ放たれるマグナム弾で確実に数を減らしていく。

その最後の獲物が地面へ倒れ伏し、あたりが静寂に包まれる。ただそれは、あまりにも静かすぎた。

勘のおかげか、僅かな音を捉えることができたのか、無意識のうちに脚が地面を蹴り先程までいた場所から瞬時に飛び退く。

その瞬間、戦闘を行なっていた場所が空から降る物に蹂躙されていた。

ただの岩であったそれは、先程より距離を詰めていた巨大な『残留物』が投げつける事によって簡単に命を刈り取る凶器へと変えられていた。

地面に当たり、撒き散らされた破片を身体を翻し避けながら着地するも、動きが止まってしまう。無理な姿勢のまま全力を使いジャンプした代償に過負荷で一時的に動作ができなくなっていた。再稼働までの秒数が脳内へと伝わるが目の前へ迫る『残留物』の攻撃を避けるには間に合わない。

岩で攻撃する必要もないと判断したのだろう相手は近づき、高く挙げた腕は無慈悲にそのまま此方へと振り下ろされた。




しかし、相手の命を奪おうと迫った爪が此方へと届くことはなく、此方が見ている目の前で先程の岩の様に飛来した、金属の塊にその巨体は吹き飛ばされていた。

巨大な獣の身体へと突貫した塊は中に燻る熱を、まるで威嚇するかの様に煙として外に吐き出す。

『残留物』には、偽装装甲により周囲の景色と一体化し純白になったその機械は、先の丸い山が目の前に生まれたかの様に見えた。しかしその塊の下には二本の足が見え隠れし、それが「歩く」事のできるものなのだと理解させた。

そして目の前で、先程までただ一方的に屠るだけであったはずの少女が、その白い塊に乗り込んだ事で、「戦う」必要のある存在へと変化したことを実感する。



少女は背負っていたシアを胸元へと抱え直しながら共に機械の中へと乗り込み、自身の身体にはゆとりのあるスペースで席につくと操縦棒を握りしめ、ちくりとした痛みと共に自身の二の腕へと席から伸びた機械が装着され血を抜かれる。

特殊な身体である為、指紋や瞳孔の安定しない自分にとって、血が認証キーであり機体へ存在を認識させることが出来る唯一のものだ。ちくりとするのは好きじゃないが。

「オーバースローよりザ・サンへ、第一拘束封印開錠、第一第二閉鎖封印開錠を申請」

と少女は、機体を通して自身の操者へと言葉を送る。

「ザ・サンよりオーバースローへ、封印開錠を審査……審査完了。第一拘束封印開錠を承認。同時承認第一閉鎖封印限定開錠。第二閉鎖封印開錠申請を却下」

「オーバースロー了解。第一拘束封印、第一閉鎖封印を開錠」

主人のことを認識し、眠りから覚めたかの様に駆動音を響かせ機体は塊から頭を目まで露出させた。更に顔にある物とは別の大きな眼が胸元で開眼する。



巨大な『残留物』は目の前で動き始めた物へ、地響きの様に辺りを震わせる咆哮を放つ。だが、その自身へ危害を与えた者に対する怒りをはらんだ威嚇は、その機械へは勿論のこと、中に乗り込んだ少女へも声を出したという情報としてしか届かない。

虚しく森林を震わせながら、大きさというアドバンテージを失った獣は牙を剥き出しにし唸り声を出し続けながらも、近くの木を引き抜く。

ただ突貫するだけの他と違い武器という概念を理解したその『残留物』は槍投げの様に木を構える。正体のわからない相手に対して近づくことをしないのは恐らく正しいのだろう。だが、近づかずに逃げることを選択しなかった間違いが直ぐ様結果として現れる。

槍の様に放たれ、人相手であれば必殺の威力を秘めた投擲物だったが、しかしそれは相手へと届くことなく空中で霧散した。

木が弾け消えたことを認識したと同時に、獣はかつて感じた事のない熱と共に自身の左腕の肘から先が光に飲み込まれるのを目撃した。

『残留物』は、どうしようもない熱さと痛みに、全身を震わせ滝の様な汗や唾液を漏らし、先ほどの咆哮とは違う苦しみの絶叫を響かせ、地面に広がった雪へと倒れ込む。

目の前で情けなく震え身悶える獣を見下ろしながらも、目標物は木と共に焼き消せると考えていた少女は再び通信端末を通して操者へと許可を求める。

「オーバースローよりザ・サン、プラズマの威力が足りてない。第一閉鎖封印の全開錠を再度申請」

「こちらザ・サン、状況を確認。周辺環境への被害を抑える為申請を却下。ただし、第二拘束封印の限定開錠を許可する」

「了解。オーバースローアウト」

通信を切る共に、今更被害なんてと呟きながら機体へと指示を巡らせる。

機体の膝を曲げ、それを一気に引き伸ばし空中へと跳躍する。


その跳躍を見た『残留物』は、熱による痛みを生まれ持った回復力により堪え、辛うじて顔を上げる。

今の痛みは想定外であり初めてだった。生まれて初めて恐怖を理解した。

だが、あの痛みはもう効かない。一度乗り越えた苦しみがまた放たれようともあれで自身は殺しきれない。こちらが死ぬより前にこの爪は相手を貫く。

勝利を本能で確信した獣は、空から飛び再び放たれた光を、かつてない咆哮と共に迎え撃った。

光は腕ではなく、こちらの顔から動体へと直進して放たれたが関係ない。光に声を上げるが、先程の様な悲鳴ではなく痛みを乗り越えようとする雄叫びを黒く焼かれていく喉の奥から響かせる。

熱線の勢いに殺されながらも確実に相手を破壊する威力で放たれた爪は、迷わずに少女が乗り込んだ機体の胸へと突き進む。

だが無情にもそれが届くことはなかった。

相手の機体は硬く閉ざされた装甲を開き側面から腕を露出させ、自信を貫こうとする爪ごと相手の手を握り潰すと、片手で乱雑に地面へと叩きつける。

決死の思いで放たれた爪ごと手を粉砕されながらも、獣は続け様に回復したばかりの左腕を相手へと叩きつけるが、それすらも届くことは叶わず相手の顔の目の前で止められ潰される。

数秒あれば今粉砕された両手も新たにつけられた火傷も全て回復が叶っただろうが足りなかった。相手は此方の粉砕した手を離し真っ直ぐに手刀を放つ。

その瞬間、『残留物』は生命を絶たれると理解した。だが、諦める事をその獣は知らなかった焼けただれ半壊した顎を開き、牙を露出させながら相手へと全霊をかけた最後の一撃を放った。



白き機体は、その身体へと迫った牙の代わりに赤色で体を染め上げられていた。目の前で顔を半分に割り砕かれた相手を見下ろし、その頭から手を引き抜くと、後で肉片を掃除させられるメカニックを気遣い、腕を振って最低限こびりついた肉をはらい、再び露出した腕を装甲の中へとしまいこんだ。

「オーバースローよりザ・サンへ、作戦行動終了、全封印施錠完了。機体を基地へ帰還させます」

操縦棒から手を離すと機体の外へと身を晒し、髪をかき揚げて蒸れた首筋を外気で冷やしながら、シアを見つめてモフモフとした頭を軽く撫でおろした。

地面へと飛び降り暫く歩くと背後から機体が空へと飛び去る轟音が、静かになった森林へと響きわたり戦いの終わりを告げる。

「疲れた……もう動きたくないし、脚うまく動かないし寝ようかな……でも外は寒いし、片付けしないと怒られるしなぁ」

がくりと肩を落とし、ゆらゆらと疲れた身体で脚を動かし歩を進めた。

この辺りの生物達が『残留物』の遺骸を処理してくれるだろうからと肉片は放っておくが、暫くはその生ゴミ達のせいで臭くなるのだろうなとさらに憂鬱な気持ちに拍車がかかる。

ただ、こちらの顔をちろちろと舐めてくるシアの顔を見つめるともう少しだけ頑張って、帰宅したら目一杯、暖かい毛でももふろうと顔を上げる。

きちんと仕事だけは果たそうと置いてきた荷物のもとへ歩きだし、少女は巨大な骸を後にした。

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