第6話 敵陣へと ③

 小野田はゆっくりと立ち上がった。そして隣に立つ瑠奈とともに、それを見る。木島と三上も、少し離れた場所で目を凝らしていた。

 星空を見上げた彩愛が、両腕を大きく広げていた。

「イアイ・ングガー……ヨグ=ソトース……」

 唱えられた呪文が何を意味するのか、小野田には見当もつかなかった。しかし、わかったことが一つだけある。本郷梨夢のスカートの中から伸び出している四本の金色の尾は、先端の鏃のようなものも含め、大川地区で肉食恐竜もどきに電撃を食らわせた触手とそっくりだということだ。

 もっとも、こちらの四本の尾は、あのときの触手よりかなり細い。それら四本の触手が、空中で矢作の体を覆い尽くしていた。まるで巨大な金色の毛玉が浮かんでいるようであり、矢作の体はその一部さえ窺えない。

 詠唱が済み、両腕を下ろした彩愛が、瑠奈を見つめた。

「わたしたちと一緒に行く?」

「泰輝が行くのなら、わたしも行きます。本郷さんがとらえた矢作さんのことも、ほうってはおけません」

 そんな瑠奈の態度を、小野田は殊勝に思った。だが瑠奈の意気込みを認めてしまっては特機隊隊員の意味がない。

「瑠奈ちゃん、行ってはだめだ」

 言って瑠奈の腕をとらえようとした小野田だったが、耳に痛みを覚え、その手を止めてしまう。目まいまで感じた。

 冷気が漂った。

 見れば、彩愛の背後に巨大な球体が浮かんでいた。

「門……」

 初めて直にそれを目にし、小野田は息を吞んだ。

 遠くの街灯の明かりが、虹色のマーブルの蠢きを照らしていた。底が地面から十センチほどの高さに浮いているその球体は、直径が十メートル以上はありそうだった。

 甘い香りに悪臭が混交した。糞尿のにおいだ。

 不意に、門から無数の灰色の触手が躍り出た。瑠奈や泰輝、彩愛、梨夢らが触手の群れに飲み込まれる。無論、梨夢の尾によってとらえられている姿の見えない矢作も同様だ。

 瑠奈の横に立っていた小野田は、灰色の触手の一本によって、またしても弾き飛ばされてしまった。

「小野田!」

 アスファルトに転がった小野田に、木島が駆け寄った。三上もすぐにやってくる。

 小野田はすぐに半身を起こし、片膝を立てた。両肩や背中、肘などに度重なる打撃を受けて痛みもそれなりにあるが、骨は折れていないようだ。

「おれのことより」

 両足で立ち上がった小野田が見ると、触手の群れは門に引き戻されるところだった。そして灰色の触手にとらえられた者たちは皆、姿を消していた。

「なんてことだ」

 木島がつぶやくと同時に、門は己の中心に向かって急速に縮小し、消失した。

 三人が三人とも、おぼつかない足取りだった。それでもなんとか、瑠奈たちが立っていた位置へと進む。

 小野田はアスファルトに置かれた二台のスマートフォンを見つけた。どちらも画面は暗かった。

「瑠奈ちゃんのか?」

 小野田に並んだ木島が、そう問いかけた。

「おそらく」

 曖昧に応えた小野田は、ふと思い立ち、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

 小野田の様子を見ていた三上が首を傾げる。

「小野田さん?」

「だめだ、電源が入らない」

 その一言で、木島と三上もおのおののスマートフォンをズボンのポケットから取り出し、すぐに確認した。

「同じだ」

 木島がそうつぶやいた。

 その隣の三上は、目で状況を訴えた。彼のスマートフォンも使えないらしい。

「門が現れたときの衝撃が大きかったからな」

 木島の言葉を受け、耳に痛みや目まいを感じたのは自分だけではなかったことを、小野田は悟った。頷く三上もそうなのだろう。

 小野田は自分のスマートフォンをズボンのポケットに戻すと、センサーグラスの各モードをチェックし、それらに異常がないことを確認した。木島と三上もセンサーグラスをチェックし、異常がないことを頷くことで表明した。

 冷気と悪臭が消えていった。

 静けさの中で耳を澄ますと、どこかで蛙が鳴いていた。

「車の装備をチェックしよう。無線なら使えるかもしれない」

 木島の言葉に小野田と三上は頷いた。ハンズフリー通話がメインとなっているため普段は使う機会の少ない無線だが、使えるのならば、今はそれに頼るしかない。

 車へと向かう前に、小野田は二つのスマートフォンと、矢作のセンサーグラスを拾った。

 一方、二つに分かれた召喚球を木島が拾う。

「会長に合わせる顔がないな」

 その一言が召喚球の破損を嘆いているのではないことを、小野田は理解していた。むしろ自分も同じ気持ちなのだ。肩を落としている三上もそうに違いない。

 三人は二台の特機隊専用車へと向かって歩いた。


 敷地内の安全が確認されたため、蒼依は第一別宅に帰された。木島、小野田、三上、矢作の四人はまだ帰還しておらず、松崎、越田、佐川、池谷の四人は神宮司邸敷地内の警備に就いている。管制室に残っているのは、恵美と真紀の二人だけだ。

 木島からの「雌の純血の幼生を確認した」との連絡を受けて五分が経過したにもかかわらず、以後の連絡はない。木島たち四人のスマートフォンのそれぞれに通話を試みたが、いずれもが通信不能の状態だ。出動した三号車と四号車に搭載されている緊急用の無線も同様の状態である。彼らは瑠奈のスマートフォンのGPSを頼りに中之郷工業団地に向かったのであり、おおよその位置は把握できる。ただし、管制室で先ほどまで監視することができたそのGPSは、木島たちと連絡が取れなくなった頃から消失したままだ。木島たち四人のスマートフォンのGPSもしかりである。

「木島隊長たちに何かあったのかもしれません」

 監視モニターを前にして椅子に座っている恵美が、隣の椅子の真紀を横目で見て言った。

「そうかもしれないけれど」

 次の一手を戸惑う様子の真紀に、恵美はわずかないら立ちを覚える。

「特機隊隊員なら覚悟はできていますが、瑠奈さんも一緒にいるかもしれないんです」

「だからといってむやみに第二陣を送っても、犠牲者が増えるだけかもしれない。高三土山の事件でもそうだったでしょう」

 真紀のその言葉は恵美に重くのしかかった。山野辺士郎事件の締めくくりとなった高三土山制圧作戦において、特機隊第一小隊第一強襲班は恵美を除く四人が殉職し、第二強襲班に至っては五人全員が命を落としたのだ。

「それはそうですが」

 そう言って、恵美は真紀に顔を向けた。真紀は憂いの表情で恵美を見つめている。

「わたしに命令を下す権限はないわ。でも、慎重に行動してほしい」

「わかりました。なら……」恵美は一計を案じ、それを口にする。「管制を松崎さんにお願いしましょう。わたしは越田さんと現場に向かいます」

「でもそれは危険――」

「いえ」恵美は真紀の言葉を遮った。「正面からは行きません。離れた場所に車を停めて、様子を窺いながら慎重に近づいてみます」

 中之郷工業団地は上手縄工業団地の北に隣接している。神宮司邸からも近い位置だ。車を現場から離れた場所に置いたとしても、十五分以内にはそこへたどり着けるだろう。

 寸時の間を置き、真紀は頷いた。

「わかった。お願いするわ」

 真紀の了解を得た恵美は、机の上の親機でインカムの回線を繫いだ。

「こちら尾崎です。松崎さんと越田さんは、至急、管制室に来てください」

 二人からの応答はすぐに入った。


 遠くから届く街明かりと、どこか近くにあるらしい街灯の明かりによって、そこが山林の近くであることが窺えた。目の前には、今風の二階建ての家が、一軒だけぽつんと建っている。

 異次元からの出口――出口の門も、入り口と同サイズで巨大だった。もっともそれはすぐに送り返され、冷気は消えている。加えて自分たちを運んでくれた触手の群れも、山林の闇の中へと引き戻され、悪臭も消えつつあった。

 梨夢の背後に掲げられた巨大な金色の毛玉がほぐれて四本の尾となった。うち一本が矢作をとらえている。矢作はぐったりとしており、微動だにしない。

「本郷さん」瑠奈は梨夢に顔を向けた。「矢作さんは、生きているよね?」

「もちろん」

 うっすらと笑みを浮かべて、梨夢は答えた。矢作をとらえている尾はそのままに、残りの三本がスカートの中に収まる。

「さあ、中に入るわよ」

 そう告げた彩愛が玄関先に向かうと、泰輝がそのあとに続いた。

「さあ、神宮司さんも」

 梨夢に促され、瑠奈も玄関先へと向かった。振り向けば、瑠奈に続く梨夢が、一本の尾によって矢作の体をやや斜めに掲げたままついてくる。

 玄関先に立った彩愛が、パンツのポケットから鍵束を出した。

「えーと、どれだったかしらね」

 つぶやいた彩愛はしばらく鍵の一つ一つを物色していたが、ようやく、そのうちの一本を目の前に掲げた。そして、「これね」と笑顔を見せ、ドアの施錠を解除する。

 成り行きを見ていた瑠奈は、尋ねてみる。

「この家も、無貌教の誰かの所有物なんですか?」

「そのとおり」

 簡素な答えが返ってきた。

 彩愛がドアを開けると、先に梨夢が入った。宙に掲げられた矢作の体がそれに続く。

「神宮司さん」梨夢が振り向いた。「この人の靴を脱がせてくれない?」

 目で彩愛に促され、瑠奈は無言で玄関に入った。甘い香りが漂うそこで矢作の革靴を脱がせ、それを揃えて三和土に置く。

 梨夢が靴を脱いで廊下の奥へと進むと、泰輝も靴を脱ぎ、梨夢の尾にとらわれている矢作のあとに続いた。

「さあ、神宮司さんも上がって」

 促した彩愛が、ドアを閉じて施錠した。

 泰輝がいるのだから、逃げるつもりなどない。だが、わずかに足がすくんでしまう。

「どうしたの?」

 彩愛の冷たい表情が瑠奈を覗き込んだ。

「いえ」

 吐き捨てるように答え、瑠奈も靴を脱いで廊下に上がった。


 小野田が運転を担当した四号車と三上が運転を担当した三号車、それぞれに搭載された無線はスマートフォンと同様、使用不可能の状態だった。もっとも、車載対幼生センサーは無事らしい。いつでも出られるよう、二台はエンジンをかけていた。

「しかし、本郷梨夢が幼生だったとはな」

 四号車の助手席で車載対幼生センサーの記録をチェックしながら、木島は言った。その木島と、三号車をチェックしている三上は作業のためにセンサーグラスを外している。念のため、小野田はセンサーグラスを装着したまま、四号車の外で周囲の様子を窺っていた。

 四号車と三号車のセンサーは、状況把握として個別非表示を解除したため、現場到着の寸前から泰輝の存在を示していたが、それと同時に雌の純血の幼生を感知していた。そして現場では、全員のセンサーグラスが本郷梨夢に雌の純血の幼生である表示を重ねたのである。ならば、なぜあの雑木林でどのセンサーグラスも本郷梨夢に幼生の反応を示さなかったのか。またあのときは、一号車と四号車のセンサーも無反応だったのだ。それなのに、泰輝の結界だけは本郷梨夢を幼生として認識したわけである。

 四号車の助手席の外で小野田がそんな疑念を口にすると、開けたままのドアから木島が降り立ち、ドアを閉じた。

「無線はだめだが記録は無事だ。分駐所に戻ってから解析しよう」そして木島は小野田を見る。「今の小野田の話だが、小野田と尾崎が大川での任務のあとに報告会で言っていたよな。状況によってはセンサーの機能が追いつかないことがあるかもしれない、と」

 木島の言葉に小野田は頷く。

「はい」

「おそらくだが、少なくとも一号車の爆発があるまでは、本郷梨夢は幼生として覚醒していなかったんじゃないかな」

「覚醒……まるで見鬼みたいですね」

「小野田も知ってのとおり」木島は説く。「幼生は純血もハイブリッドも、独特の生体信号を出していて、対幼生モードのセンサーはこれを感知する。そのうえで……だ。以前の本郷梨夢の生体信号が幼生のものではなく人間のものだとしたら、センサーには感知されないはずだ。ところが彼女の実態は純血の幼生だ。人間としての生体信号の中に幼生の微弱な生体信号が交じっていたか、人類のテクノロジーでは感知できない幼生本来の何かが放たれていたのか、いずれにしても、センサーの機能が追いつかない何かに、泰輝くんの結界は如実に反応した……というのが、おれの推測だ。まあ、当て推量だがな」

 当て推量とはいえ、的を射ているだろう。小野田はそう感じた。

「木島隊長の推測どおりだとして、本郷梨夢は以前から自分が幼生であることを認識していたんでしょうかね?」

「していなかっただろうな」

 即答だった。

「自分もそう思います。ならば、一見すると今の本郷梨夢は気の毒な状況のようですが、実際には幸せなのではないでしょうか」

 小野田が私見を述べると、木島は得心のいかなそうな顔を見せた。

「なぜ、そう思う?」

「本郷梨夢の両親は二年前に失踪し、そのために彼女は立花彩愛に引き取られました。また、高校に進学してからの本郷梨夢は、不良グループからのいじめに遭っていました」

「そうだったな」木島は頷いた。「つまり、そういった不遇の過去が、かりそめの歴史だったことになる。さまざまな鬱屈から解放されているかもしれないな。まして今や彼女は神の子だ。人間など下等な生き物にしか見えないだろう」

 ある意味、小野田は本郷梨夢をうらやましく思う。木島の言うさまざまな鬱屈――人間社会のしがらみを好ましいとする者などそう多くはないだろうから。

「本郷梨夢も、誰かの執りおこなった儀式によって、人間に代理出産してもらったのだろうか?」

 不意に、遠くを見るようなまなざしで木島が疑問を呈した。

「無貌教による儀式、としか考えられませんが」

 そんな言葉を受けて、木島は目の焦点を小野田に合わせた。

「ならば、失踪した二人……本郷敬吾とその妻である美由紀、本郷梨夢の両親とされてきたその二人は、無貌教とどうかかわっていたのか。それも調査の必要がある」

 木島の意見は小野田の想定に疑問を投げかける形となった。すなわち、本郷梨夢を代理出産したのは本郷美由紀ではない可能性もある、ということだ。

「いずれにしても」木島は言った。「早急に無貌教の拠点を抑えなければならない。おそらくこの神津山には、やつらのアジトがいくつもあるはずだ」

「連れ去られた瑠奈ちゃんや泰輝くん、矢作らは、そのうちのどこかにいそうですね」

「ああ」

 木島が頷いたところで、三号車の助手席から三上が降り、ドアを閉じた。

「センサーのデータは無事ですが、やはり無線は復帰できませんでした」

 言いながら、三上は小野田と木島のほうへと歩いてきた。

「そうか。連絡を取ることができなければ、情報を得ることもできないわけだ」

 そう告げた木島の前で、三上が立ち止まる。

「これ以上の捜索は無理ですね。ところで小野田さん」三上は小野田に顔を向けた。「さっき、門から漂っていた異臭以外に、甘いにおいがしていましたよね?」

「三上も気づいたか」

 小野田が首肯すると、木島が眉を寄せた。

「どういうことだ?」

 木島の問いに小野田が答える。

「一号車爆発事件現場と大川の幼生出現現場の二カ所に漂っていたにおいと同じだったんです。しかも本郷梨夢の尻尾だか触手は、サイズこそ違いますが、おれと尾崎が大川で遭遇した純血の幼生のものにそっくりでした」

「つまり、大川で巨大なハイブリッド幼生をいともたやすく斃したのは、本郷梨夢だったということか?」

「憶測ですが」

 それ以上は言葉にできず、小野田は口を閉ざした。

「そうか」木島は言った。「とりあえず、いったん分駐所に戻ろう。おれは三上と三号車で行く。小野田は四号車を頼む」

「了解」

 小野田と三上は声を揃えた。

「木島隊長」

 女の声がした。

 見れば、脇道のほうからスーツ姿の二人が歩いてくる。

 恵美と越田だった。二人ともセンサーグラスをかけている。

「尾崎と越田か」歩いてくる二人に向かって木島が声をかけた。「車はどうした?」

「大通りから脇道に入ってすぐのところに停めました。状況がわからなかったので、慎重に様子を見ることにしたんです」

 答えた恵美が三人の前で足を止めた。その隣に越田が並ぶ。

「瑠奈ちゃんと泰輝くんは?」

 越田の問いに小野田が答える。

「連れ去られた。矢作もだ」

 とたんに恵美と越田は眉を寄せた。

「純血の幼生がいた、と報告がありましたが?」

 恵美が問うた。

「そうだ」木島が答えた。「とりあえず分駐所に帰還する。話はそれからだ」

 早速、恵美がスマートフォンで分駐所に状況の報告をした。

 それが済むと、全員は帰還のための行動に移った。


 恵美と越田が乗ってきた二号車は、脇道の大通り寄りに停めてあった。フロントを先ほどの現場に向けてある。

 三上の運転する三号車は走り去るが、小野田の運転する四号車は、そこで停止した。後部座席の恵美と越田はそこで降りるが、二号車に向かったのは越田だけだった。

 さも当然のごとく、四号車の助手席に恵美が着く。

「わたしはこっちだそうです。早く行きましょう」

 反論する暇を小野田に与えず、恵美は言った。

「そうか」とだけ返し、小野田は四号車を発進させた。越田が変に気遣ったに違いないが、うんざりとした様子は見せないようにする。そして気を引き締め直し、二号車が素早く切り替えして四号車の後方につくのを、ルームミラーで確認した。

 四号車は二号車を従えて中之郷工業団地の中を東西に走る大通りに出た。向かうのは東である。交通量は少ない、というより、この二台以外に車はまったく走っていなかった。

「少しだけでも状況を教えてもらえませんか?」

 やはり気になるらしく、恵美は尋ねた。

「瑠奈ちゃん以外に、泰輝くんと立花彩愛、本郷梨夢がいた」

 まずは現場でのメンツをイメージさせた。

「立花さんと本郷さん?」

 確かにそれだけでは疑念は深まるばかりだろう。本郷梨夢が純血の幼生だったことや立花彩愛が無貌教の者だったことなども含め、小野田は成り行きを手短に伝えた。

「そうでしたか」恵美は言った。「小野田さんの言うとおり、大川で遭遇した純血の幼生が本郷梨夢かもしれませんね」

「可能性はあるな」

 胡乱ではある。確信はできなかった。

「それにしても、小野田さんやみんなのけがの具合はどうなんです?」

「みんなたいしたことはないだろう。おれに関して言えば、まだ背中と両肘がずきずきするがな」

「だったらわたしが運転します」

 恵美が小野田に顔を向けた。横目で見れば、彼女の顔には憂いが表れている。

「車の運転くらい問題はない」そして付け加える。「でも、まあ……心配してくれて、ありがとうな」

 恵美にねぎらってもらうなど、初めての経験かもしれない。小野田は胸に熱いものを感じた。

「心配もします。事故でも起こされたら、このあとの任務に支障を来します。それに、わたしまでけがを負うかもしれなし」

 その言葉は、小野田の胸の熱いものを吐き気に変えるに十分だった。

 やがて四号車と二号車は南北に走る通りにスイッチした。二台は一路、南へと向かう。

 神宮自邸に到着するのは間もなくだ。

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