第2話 ダークパスト ①

 一学期最後の日も夏の太陽が地上をあぶっていた。終業式後のホームルームが済み、開放感に満ちた下校時間が訪れた。

 瑠奈と蒼依はほかの生徒らの波に交じって正門を出ると、正面を横切る道を左へと向かった。みえん坂を下りきったところで多くの生徒は左折して橋を渡るが、瑠奈と蒼依は道なりに歩く。どちらの道も舗装路だが、二人が進む道は歩道がなく、乗用車が擦れ違えないほどに狭い。右には切り立った山林があり、左には二級河川の関野せきの川が流れている。

 二人は日帰りツアーの話題で盛り上がっていた。セミの鳴き声が気分をさらに盛り上げてくれる。

「空閑さん」

 三十秒ほど歩いた辺りで女の声がした。

 瑠奈と蒼依は足を止めて振り向いた。

 五メートルほどの距離に立っているのは、本郷梨夢だった。左肩にかけたスクールバッグのベルトを右手で握り締め、眼鏡のレンズを介してこちらを睨んでいる。

「本郷さん」

 彼女の名を口にした瑠奈は、蒼依を横目で見た。青ざめた表情の蒼依が、梨夢に正面を向けたまま固まっていた。

「神宮司さん」梨夢が言った。「わたしは空閑さんに話があるの。二人にだけにしてくれない?」

 敵愾心が込められた口調だった。蒼依の懸念は的中していたらしい。ならばなおのこと、梨夢の要求を吞むわけにはいかない。

「断るわ」

 単刀直入に瑠奈は突き返した。

「わたしの言った意味、わかるよね? 二人だけにしてほしい、って要求したの」

 梨夢は眉を寄せた。

「わかるよ。だから断ったの」

 相手の言い分がどうあれ、引き下がるつもりはなかった。

「瑠奈」蒼依がか細い声で言った。「あたし、本郷さんと話してもいいよ」

「だめよ。わたしに任せて」

 梨夢から目を逸らさずに、瑠奈は蒼依に釘を刺した。

「空閑さんは了解してくれているじゃない」梨夢は表情を変えなかった。「神宮司さんは関係ないんだから、口を出さないでくれる?」

「おおかた、野村さんにかかわる話なんでしょう?」

 瑠奈が問い詰めると、梨夢は口を引きつらせた。

「よくわかっているじゃない」

「蒼依は病気なのよ。なら、そんな話に付き合わせることなんてできるわけがない」

「空閑さんがPTSDなのは知っている。でもそれって、自業自得っていうものだよね。あんな人たちの仲間だったんだから」

 瑠奈は唇を噛み締めた。反論できなかったわけではない。蒼依の病を承知のうえで「自業自得」などという言葉をなんの躊躇もなく投げつけてくるその精神を疑ったのである。

 横目で見ると、蒼依の視点は定まっていなかった。

「何か勘違いしているようね」瑠奈は梨夢を見つめて言った。「蒼依も被害者なのよ。好きで野村さんの仲間に入っていたわけじゃないわ」

「そうは見えなかったけど」

 梨夢は嘲笑を浮かべた。

「本郷さん」蒼依が口を開いた。「あたし、本郷さんに何もしてあげられなかった。本郷さんからしてみれば、あたしも美羅と同じだものね。本当にごめんなさい」

 そして蒼依は、こうべを垂れた。

「蒼依……」

 こんな状況を受け入れてはならない。だが謝罪することによって蒼依の気が晴れるのなら、それも悪くはないのではないか。瑠奈はまだためらっていた。

 梨夢の表情がさらに険しくなった。

「空閑さんは病気なんだろうけど、わたしだって苦しんでいるんだよ。先生は誰も助けてくれなかったし、生徒たちはみんな見て見ぬ振りだったし。今ではわたし、誰も信じられなくなっちゃったの。学校なんか、もう辞めたいのよ。謝っただけで終わり? それで許されるなんて思っているわけ?」

「そうだね……あたしは許されないかもしれない」蒼依は返した。「でもね、見て見ぬ振りじゃない人だっているんだよ。瑠奈は……瑠奈はね、本郷さんと楠原くすはらさんがいじめられている、って先生たちに訴えたんだよ」

 楠原は二年二組の女子だ。梨夢と同じく、美羅たちのいじめの対象だった生徒である。

「わたしは力不足だった」

 そう言って、瑠奈は肩を落とした。訴えたのは事実だが、教師たちには相手にされなかったのだ。

「神宮司さんが何をしたのかなんて、そんなの、わたしは知らないもん」

 引き下がれないのだろう。梨夢は口を閉ざすと、眉を寄せて顔を背けた。

「今の楠原さんはみんなと仲良く過ごしているみたいだけれど、本郷さんだって、ほんの少し前向きになれば、みんなと楽しくやっていけると思うの」

 理想論かもしれないが、瑠奈はあえてそう伝えた。

 梨夢が再度、視線をこちらに向けた。怒りの形相を呈している。

「ふざけないでよ。あなたたち二人だってクラスのみんなから省かれているじゃない」

 事実だった。しかしそれを指摘されても、悔しくも悲しくもない。危ぶむとすれば、その一言を蒼依がいかに受け止めるかだ。蒼依の顔色を一顧するが、この状況ではすでに平静でいるわけがないのを、確認できただけだった。

「わたしたちはそれでかまわないの。でも本郷さんは、それでは嫌なんでしょう? だったら自分から歩み寄らなきゃ」

 瑠奈は諭すが、梨夢は首を横に振った。

「なんでわたしが無理しなくちゃいけないの? わたしにとっては空閑さんが加害者なんだよ。空閑さんからみんなに言って、みんなをわたしの前で土下座させてみせてよ。そうしたら、わたしは空閑さんを許してあげる」

 我慢にも限界があった。一喝して、もう帰ろう――そう思い、瑠奈は口を開きかけた。

 ふと、バニラの香りを感じた。

 瑠奈は振り向いた。

 すぐそばに、表皮も内蔵も半透明の巨獣がいた。翼を折りたたみ、四肢をアスファルトに休ませ、長い首をこちら側へと伸ばし、赤い眼球を梨夢に向けている。

「何? どうしたっていうの?」

 梨夢の声がして、瑠奈は正面に顔を向けた。

 編み込みお下げに眼鏡の少女は、落ち着きのない目で瑠奈を見ている。

 もう一度、瑠奈は振り向いた。

 半透明の巨獣――泰輝は、まだ梨夢を睨んでいる。怒りの形相だった。

「だめよ」

 小声で命じた。

 口にこそしていないが、蒼依も背後を気にしているようだった。うつむき、じっと息を凝らしている。

「このにおい……」

 つぶやいた梨夢は、小さく震えていた。

「本郷さん、わたしたちは帰るね。のんびりとしていられないの」

 瑠奈は言った。このままでは泰輝が暴れないとも限らない。

 不意に、梨夢は驚愕の表情で辺りを見回し始めた。

「本郷さん」

 瑠奈は声をかけるが、梨夢の様子は変わらない。

「なんか変。何よ……なんなの? 体が気持ち悪い」 

 そして梨夢はゆっくりと後ずさりながら、両手で左右の肩をさすった。

 猛獣のうめきがした。泰輝の声だ。

「ひっ」と声を上げた梨夢が、身を翻して駆け出した。そして彼女は振り向きもせずに右へと曲がり、下校する生徒たちを追い越して去ってしまう。

 ため息を落とし、瑠奈は蒼依の顔を覗いた。

 呆然とした表情で、蒼依は橋のほうを見ている。

「蒼依、大丈夫? 歩ける?」

 問われた蒼依は、我に返ったように瑠奈に顔を向けた。

「うん、平気。でも本郷さんとは、あとでちゃんと話し合いたい」

 笑顔だが、若干の無理は見て取れた。

「蒼依の気持ちはわかるけれど、無理しちゃだめだよ。本郷さんと会うときは、わたしが同伴するからね」

 瑠奈のその言葉に蒼依は頷いた。

「わかった。……ところで、本郷さんの家って、あっちだったっけ?」

 問われた瑠奈は、思い出して頷く。

「ご両親が失踪したとかで、おばさんに引き取ってもらったんだとか。そのおばさんの家、坂萩の街中にあるらしいよ。でも彼女は坂萩中に通っていたし、以前の自宅も坂萩らしいね。うちのクラスの女子たちが話しているのを立ち聞きしただけなんだけれど」

「失踪?」

 神津山市で今なお続いている失踪事件――すなわち、邪教集団や幼生にかかわる事件に巻き込まれた可能性があるといことだ。

「この話、やめよう」

 瑠奈は言った。

「そうだね」

 悟ったらしい蒼依は、すぐに同意してくれた。

「じゃあ、帰ろう」

 瑠奈はうながし、蒼依とともに進行方向に正面を向けた。

 いつの間にか、泰輝は立ち去っていた。

 バニラの香りがわずかに残っていた。


 玄関に入った梨夢は、小さな驚きを受けた。きれいに揃えてある一足の靴は、叔母である立花たちばな彩愛あやめのものだ。彩愛の通勤は徒歩のため、カーポートに彼女のコンパクトカーがあったことは彼女が在宅か不在かを外から知る手立てにはならない。

「ただいま。おばさん、帰っているの?」

 声をかけながら廊下を進むと、リビングから「お帰りなさい」と声がした。

 スクールバッグを肩にかけたままリビングに入ると、ソファで紅茶を飲んでいた彩愛が立ち上がった。パンツルックスのよそ行きである。

 彩愛は梨夢の母の妹だ。三十八歳であり、神津山市役所坂萩支所で職員として働いている。通勤は徒歩であるが、オフタイムは概ねマイカーで出かけており、趣味はドライブというアウトドア派だ。色白で鼻筋の通った美人であるにもかかわらず、彼女は独身を通していた。梨夢の知る限り、浮いた話もない。

「梨夢も紅茶を飲むでしょう? 今、入れるからね」

「自分で入れるよ」

 彩愛の向かいのソファにスクールバッグを置いた梨夢は、キッチンへ立とうとした。

「いいから、早く手を洗ってきてなさい」

 彩愛は梨夢を制すると、キッチンへと移動した。

「わかった。ありがとう」

 遠慮しすぎるのは、この家では禁じられている。梨夢は素直に洗面所へと向かい、手を洗ってからリビングへと戻った。

 梨夢がソファに腰を下ろして間もなく、彩愛がティーカップと小皿を載せたトレイを持ってきた。

 紅茶のそそがれたティーカップが梨夢の前に置かれた。梨夢と腰を下ろした彩愛との間に置かれた小皿にはいくつかのクッキーが載せてある。

「今日は早退したの。出かける用事があってね」

 梨夢の向かいに腰を下ろした彩愛が言った。

「これから出かけるの?」

 眼鏡のレンズが曇るのを嫌った梨夢は、尋ねながら眼鏡を外し、それをテーブルに置いた。

「うん、もうすぐ出かける。お昼ご飯、作り置きがあるから適当に食べて。夕飯は何かおいしいものを買ってくるよ。楽しみに待っていてね」

 笑顔で告げられ、梨夢は頷く。

「じゃあ、楽しみにしているね」

 できる限りの笑顔で返したが、この笑顔を維持するのは難儀だ。神宮司瑠奈と空閑蒼依を前にしてこの身を襲ったあの悪寒と、耳について離れないうなり声――錯覚にしてはあまりにも現実的だった。

「梨夢」

 彩愛が上半身を乗り出して梨夢の顔を覗いた。

「何?」

 ティーカップを持ったまま、梨夢はのけ反った。

「顔色が悪いよ」

「そ、そう?」

 動揺を悟られまいと、梨夢は目を逸らし、紅茶を一口だけ飲んだ。引き取られて以来、散々心配をかけてきたのだ。律しなければいけない、と梨夢は自分に言い聞かせる。

「また誰かに意地悪されたの?」

 ウェーブのかかったセミロングヘアが、梨夢の目の前でわずかに揺れた。

「ううん」梨夢は首を横に振った。「大丈夫だよ」

「大丈夫ならいいけど」

 得心のいかない様子で、彩愛は身を引いた。

「それに、意地悪する人たちは、もういないし」

 梨夢が付け加えると、彩愛は表情を曇らせた。

「例の子たち、失踪したんだったね」

 彩愛は自分の姉の失踪が脳裏に浮かんだに違いない。梨夢は自省した。

「おばさん……」

 うつむいたとたんに涙がこぼれそうになり、梨夢はすぐに顔を上げた。

「ごめんね梨夢。つらいのはあなたのほうなのに」

 彩愛は言いながら右手を伸ばし、梨夢の頬をそっと撫でた。

「大丈夫……もう大丈夫だよ」

 笑顔を作ったが、またいつ崩れてしまうかもしれない。

 右手をテーブルに置いた彩愛が、目を細めた。

「なるべく早く帰ってくるね。梨夢の顔色、本当によくないし。何かあったのなら、なんでもいいから、わたしに言って」

 あとでもかまわない――という感じではなかった。彩愛は梨夢の顔をじっと見つめている。

「あの……」梨夢は口を開いた。「さっき、帰ってくる途中で、なんていうか、変な感じがして……」

「変な感じ?」

 彩愛は眉を寄せた。

「うん。何か目に見えないものに睨まれているというか、威嚇されているというか。背筋がぞっとしたの」

「どんな状況だったの? ほかに誰か、一緒にいたの?」

 問われて、梨夢は口ごもった。自分が蒼依を責めたことは、彩愛に知られたくない。

「どうしたの?」と彩愛は迫った。

「一人で歩いていたの」梨夢は答えた。「たぶん気のせい。疲れていたんだよ。気のせいで変なものを感じて、その嫌な感じを引きずったまま帰ってきたんだと思う」

「そう。調子が悪いのなら、わたしが帰ってくるまで、ゆっくり休んでいなさい。早めにお風呂に入るのもいいかもしれないね」

 釈然としない様子で、彩愛は自分のぶんのティーカップを持って立ち上がった。

「うん」と頷き、梨夢はティーカップを取って口につけた。

 呆然とするあまり、胡乱な時間に流されていたらしい。

「じゃあ、行ってくるね」

 気づけば、彩愛の声とともに玄関を閉じる音がした。間もなくして、車が走り出す音も届いた。

 彩愛が出かけると、梨夢は一人になった。

 一人で家にいるのは心細かったが、出かける気にもなれない。

 時刻は午前十一時半になるところだった。


 Tシャツとデニムスカートに着替えた瑠奈は、リュックを右肩にかけて第一別宅の玄関先へと赴いた。前庭の東を一顧すると、木島きじまという隊員が立哨に就いていた。大場より三歳年下の彼は、大場の不在時に隊員たちをまとめることが多く、恵美と並んで次期隊長候補と言われている。

 玄関に視線を戻すと、Tシャツにデニムショートパンツの蒼依がドアを開けて出てくるところだった。彼女は左肩に大きめのトートバッグをかけている。

「グッドタイミングだね」

 先に声をかけたのは瑠奈だった。

「本当だね」

 蒼依は笑顔で返した。下校途中の一件以来、帰路の蒼依は終始無口だったが、どうやら気持ちは鎮まったようだ。

 二人は歩き出した。

「お昼は尾崎さんと一緒だったの?」

 瑠奈は尋ねた。

「ううん」蒼依は首を横に振った。「尾崎さんは出かけているんだって」

「じゃあ、一人で食べたの?」

「うん、一人だよ」

 こともなげに蒼依は答えた。

「だったら声をかけてくれたらよかったのに。うちのお母さんと三人で楽しめたのにな。蒼依、さびしくなかった?」

「食事を用意してくれた磯川さんが、お昼に出たドリア……あれの作り方を教えてくれたの。教えてもらったことを頭の中で反芻していたら、結構、夢中になっちゃってね」

「そうだったんだ」

 歩きながら瑠奈は頷いた。何かに夢中になることは癒やしになるのかもしれない。ならば、今回は蒼依の一人での食事は結果的に成果があったわけだ。

 二人は庭の西寄りのコンクリート敷きの道を南へと歩き、疎林を抜け、スレート屋根を冠した巨大な門の前に達した。敷地を囲む塀の高さが二メートル以上なのだから、門もそれに準ずるサイズとなる。観音開きのトラス格子状門扉は車両用であり、人が出入りする通用口は、その左に位置する片開きの扉だ。

 車両用の門扉は自動式だ。センサーによって車両を感知し、登録された車両である場合にのみに門扉が開く、という仕組みである。一方の通用口、および裏門の門扉は、門扉脇の表側、もしくは内側に設置されているパネルに暗証番号を打ち込まなければ開けることができない。ここに居住する者は、蒼依を含め、誰もがこの暗証番号を知っている。

 暗証番号は蒼依が入力した。瑠奈と二人で出入りするときは、極力、蒼依がこの作業を担っている。慣れるため、として蒼依が自ら申し出たのだ。

 ドアを開けた蒼依が先に出た。瑠奈が出たところで、蒼依がドアを閉じる。閉じたドアは瞬時にロックがかかった。

 門を出ると、正面は田んぼだ。水を張ったそこに青々とした稲が揺れている。ところどころに畑地もあった。いずれにせよ、門を出て直進はできない。

 道は左右に伸びていた。右が西、左が東である。舗装路だが、普通車がどうにか擦れ違える程度の道幅だ。

 二人は左へと歩き出した。瑠奈も蒼依も出かけるときは主に左の道を使っている。通学も買いものも、概ね、目的地はその方角なのだ。右の道は農道に接しており、途中で右折すれば塀伝いに神宮司家の裏門の外に回ることができるが、神津山第二高等学校や市街地に向かうには迂遠である。

 右に広がる田畑に対し、神宮司邸の白い塀が左に続いていた。そのまま進むと、やがて左の白い塀は途切れ、代わって雑木林となる。塀と雑木林との間に獣道のような細い道があるが、雑草まみれであり、瑠奈は幼い頃に興味半分で歩いたきりで、最近はまったく足を踏み入れていない。

 やがて、民家の密集する区間となった。バス停まであと半分、という距離だ。

 バニラの香りが漂った。

「たいくん?」

 歩きながら、蒼依が辺りを見回した。

 しかし泰輝の姿は確認できず、瑠奈は空を見上げる。

「たぶん、高いところを飛んでいるのよ」

 見鬼とはいえ、瑠奈の能力は空閑隼人より劣っていた。現に、幼生の気配を感じ取ることができない。もっとも、恵美の見立てでは、瑠奈の能力は見鬼として一般的な程度ということである。

「泰輝は興味半分でわたしたちを見ているのね」

 言いながら、瑠奈は視線を下ろした。

「ついてくるのかな?」

 問いつつ、蒼依は目だけを上に向けた。

「お腹をすかせていたみたいだから、このままどこかへ行くと思う」

 そう答えた瑠奈に蒼依は顔を向けた。

「たいくんといえば、さっきの本郷さんなんだけど」

「え……」

 蒼依を慮ればこそ、瑠奈は憂慮してしまう。

「さっきの下校途中の出来事でね」蒼依は歩きながら続けた。「本郷さんの様子がなんか変だった」

「そういえば……」

 あの一部始終を思い出し、瑠奈は頷いた。

 蒼依も頷き、そして言う。

「体が気持ち悪いとか、何かに怯えていたようだったよ。たいくんの声とかにおいがあったせいかもしれないけど」

「声やにおいのせいだけじゃないかもしれない」

「それって、つまり……」

 言いさして、蒼依は立ち止まった。

 瑠奈も足を止める。

「そんなのだめだよ。だって、本郷さんがほかの幼生の存在にも気づいているか、もしくは気づいてしまう、っていうことでしょう。それが事実なら、彼女、特機隊につかまってしまうよ」

「つかまっちゃうだなんて……どうにかしないと」

 言いながら、蒼依は眉を寄せた。

「うん」

 頷いた瑠奈だが、どうしたらよいものか、答えを見いだせなかった。

 バニラの香りが徐々に薄くなっていった。

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