運命の日

壊れゆく日常

関東上空は今日も曇り

 東京都大田区在住の高校三年生「諫村いさむら忠志ただし」は、京浜島つばさ公園から東京湾を見詰めて、ぼんやりしていた。

 いつからだろうか、東京湾のド真ん中に突き刺さる、軌道エレベーターのごとき巨大な機械の柱を見ても驚かなくなったのは。いつからだろうか、日光の当たらない生活に慣れてしまったのは。


 今日は八月七日、夏も盛り。去年まで暑い暑いと嘆いていたはずが、今年は衣替えもまだである。セミの鳴き声も聞こえない。それもこれも関東上空に停泊している、巨大な宇宙船のせい。リラ星人が地球上のあらゆるエネルギーを奪っているのだ。化石燃料や核燃料だけでなく、太陽光までも。天気は晴れのはずなのだが、上空の宇宙船が太陽光を完全に遮っており、地上では朝と夕の傾いた太陽しか見る事ができない。



 リラ星人が地球を訪れてわずか四か月で、地球全体の平均気温は昨年比マイナス五度という、あり得ない超寒冷化に見舞われた。まだ寒冷化は進行していくと見られている。どういう理屈か、日本各地の温泉まで冷泉化した。

 今は夏だから良いものの、秋から冬にかけて深刻な影響が表れるだろうと言われている。既に農作物の被害は壊滅的だ。空に浮かぶ巨大宇宙船に日光を遮られて、陽の当たらない関東平野では作物が全く育たない。電力の九割以上をリラ星人に徴収されているので、多くの製造業も死んでいる。まともに動いているのは役所ぐらいだ。


 日本政府の発表では、リラ星人の滞在は十月まで。十月になれば、リラ星人は再び宇宙の彼方に旅立つという。

 リラ星人が去った後、日本が早期に立ち直れるように、日本政府はリラ星人と取引をしたと言うが、その詳細は全く明かされていない。それが嘘か本当か誰にも分からない。ただ信じて耐え忍ぶしかないというのが、関東在住者の現実である。

 中には、日の当たらない生活に耐えかねて、東海地方に脱出する住民もいた。しかし、首都圏にいればリラ星人から供給される電力を優先的に配分される。そのために関東から脱出できない者は多く、諫村家もその一例だった。

 優先的と言っても、電灯や冷蔵庫を使えるくらいで、テレビを見たりスマホを使ったりできる余裕は無い。生活に必要な分、本当に最低限しか支給されないのだが、それでも地方よりはマシなのだから恐ろしい。地方では電車が動かないばかりか、病院にまで電力が回らないという。

 リラ星人が去った後でも、果たして日本に再び立ち上がる力は残っているのか。将来を悲観して自殺した者も少なくない。それでもまだ日本は良い方なのだ。まさに人知を超えた圧倒的な科学力を持つリラ星人と、徹底抗戦の道を選択した諸外国の被害は、日本の比ではない。裏切り者、腰抜けと非難されても、国民生活のために降伏を選んだ日本政府は間違っていないと、多くの国民は考えている。忠志もまた。



 忠志は溜め息をついて、公園の隣の空港に目をやる。空港も閉鎖中だ。飛行機を飛ばす燃料がない。

 今、飛行機の代わりに空を飛んでいるのは「働き蜂」。ひっきりなしに世界各国からエネルギーを奪い、母船に帰還して、また出動する。


 リラ星人が去った後、世界はどうなるのだろうかと、忠志は悲観した。果たして東京に未来はあるのか。日本人は狭い土地で田畑を耕す、江戸時代以前の生活に戻るのではないか。そうなったらコンクリートばかりの都会に何が残るのか。

 公園に目をやれば、あちこちに魂の抜けたような顔で座り込んでいる大人たち。仕事もできずに行政の臨時の配給だけで生き延びている。それは忠志も彼の両親も変わらない。


 現実から逃避するように、忠志は視線を海に戻した。鬱々とした気分で彼が海を眺めていると、背中を同い年の少年に叩かれる。


「よう、タダシ。こんな所で何してるんだ?」

「ムネか。別に何も……」


 忠志に話しかけてきた少年の名は「的山まとやま宗道むねみち」。忠志より少し背の高い、爽やかなスポーツ少年で、女子にもモテる。忠志とは幼稚園からの付き合いだ。


「もう飛行機は飛んでねーぞ」


 宗道の一言に忠志は眉を顰める。忠志の将来の夢は、飛行機のパイロットだった。

 彼は暇さえあれば、ここから空港に発着する飛行機を見て、将来の自分を想像していた。空港は四か月前から閉鎖しているのに、今でもここに来てしまうのは、習慣のようなものだ。

 何も言い返せなかった忠志は、話題そらしに宗道に質問を投げつける。


「今日は部活ないのか? サッカー部の部長だろ、お前」

「ああ……」

「何かあったのか? こんな時だからこそ、いつも通りが大事なんだって、前に言ってたじゃないか」


 苦笑いで気弱な返事をした彼が気になり、忠志は問いかけた。宗道は悲しい目をする。


「そう思ってやって来たけど、皆それどころじゃねーってさ。球蹴りしてる場合じゃねーとか、服を汚すなとか、親がうるさいらしくて。『いつも通り』も、もう限界みたいだ」

「まあ、そりゃ四か月も経てばな。よく持った方だよ」


 リラ星人が地球に降下して四か月。実際、宗道はよくやっていたと忠志は思う。

 環境の激変で次々と部員たちが辞めていく中、宗道は部員が十一人以下になっても「楽しくやろう」を合言葉にサッカーを続けて来たのだ。彼の明るさに救われた者も少なくはない。ただ、それにも限界があったというだけで。

 忠志は上空を覆う宇宙船を恨みがましくめ上げた。


「あいつ等が来てから、何もかもおかしくなってしまった」


 彼とは反対に宗道は俯き、悄然と海を見詰めてつぶやく。


「オレ達、どうなっちまうんだろうな」

「もう二か月の辛抱だ。二か月後には――」

「二か月後には?」


 の生活に戻れるのか、部員たちは戻って来るのか。忠志も宗道も、もう高校三年生だ。それなのにセンター試験も大学入試も日程は未定。勿論、各部活の大会も。

 将来の事を深く考えると二人とも何も言えなくなってしまう。


「……今から心配しててもしょうがないだろ。なるようになるさ」


 忠志は平気な振りをして、宗道を励ますように言った。今はそれしか言えなかった。

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