第肆章 2「敵地(カーネーション)2」



『離陸まで、残り180秒』



 感情のないアナウンスが、次世代の全てがつまった機内に響き渡る。


「おーい、ナナ」

「ん?」


 彼の名前を呼んだのは鬼我京子だった。


「どうした、少しだけ気分が悪そうに見えるぞ。珍しいな」


「いえ、別に」


「そうなのか? 確か、学校で……」


「何でもないです、俺は奴らを破滅させるだけなので」


 彼の目力はとてもすごかった。


 上の役人どもなんて比にならないほどの眼力で鬼我の目を見つめる。さすがのこの女もその眼力には耐えきれずに、


「いや、なら、なんでもないんだ……いつも通りの瞬殺で頼むよ。今回ばかりは簡単な敵ではないし、君のこともおおむね把握済みだろうから」


 すると、今度は一瞬下を見て、


「俺は、俺に与えられた仕事は壊す、殺す、そして秘密を保持することだ」


 何かを考える彼の顔色は明るい、なんてもんじゃない。まったくの逆であった。


「任務遂行。ただそれだけだ」


 そんなことを言う彼を見るのは初めてだった。


 いつもはそっぽを向いて、了解としか言わない彼が少しだけ感情的に見えたからだ。その実績は数知れず、一桁台という数字で、この期間を裏から支える大エースが……。


「ああ、そうだな」


 この頃の、彼の姿は数年前より見違えている。


 イエスマンが、自らの意思で動こうとしている、この暗殺という行いをしようとしている彼の背中を見て鬼我京子は少しだけ――。




「本当にすごい飛行機だな」


「ええ、ナイフ小僧の無能さとは違いが丸分かり、なほどにね」


 さっき冷めたはずの言い争いがまた始まろうとしていた。いったいどこまでしたら気が済むのだろう。アダルトチルドレンというのはこのことである。


「はいはい、黙ってろ」


「あーー、なぁにーーーナナの真似なんでしょうぅぅぅ」


「ああ?」


「気持ち悪いわ、この小僧」


「は? なわけないだろ、本音だよ。大体なぁお前、ナナって呼ぶな、馴れ馴れしい。俺たちのエースの名を呼ぶな」


 こんな風に、我慢すらできない子供の彼にも触れちゃあいけないプライドがある。それは、先輩を侮辱すること。なぜかそれだけは嫌なことらしい。この前も、クハが少しだけゴロが慕う通信班の男をバカにしたときに、めちゃめちゃ怒られたことがあったみたいだ。


「二人とも、整備に支障が出るから騒がないで」


 言い争いをする二人の数歩先で整備するクハが冷血な声で言った。


「ッチ」


「クハには関係ない!」


「頼むからいい加減にして、ナナにも言われたでしょう? 仕事なの、任務なの。それも最大級に重要な……私も整備したいし、あなたたち一緒に行動するんだからしっかりしてよ。ナナにまた言われるよ、ったく」


 それらしいことを言う彼女の目には余裕がないように見えた。焦燥の汗と緊張の汗。

 自分の任務はその施設から出てきた目標を打ち抜いて始末すること。彼女にとって簡単――のはずだった、数日前までは。

 あの日、忘れもしないあの日に謎の男に出会うまでは。


 そう。

 自信がなくなったのだ。



 たった一回のミスで、だ。仕方がない。と言えば終わってしまうかもしれないが、クハにとっては任務を遂行できることの方が普通のことなのだ。


 その大きなプライド、いいや彼女だけの常識を真っ向からへし折られた。年下のゴロとナナに助けられた挙句、自分はそんな大きな標的に対して何も動けなかったから。闇雲に飛んで行っても助けられないのを口実に何もすることができなかった。


 そんな汚名やトラウマを克服したいと思う心と、またあの日みたいにことが進むかもしれないと思う不安の心が彼女の頭の中を支配していた。

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