episode TWO《暗殺》


札幌市 豊平区 とある住宅街


「こちら098、標的β発見。殺害を開始します」


『こちら通信B班、了解……あ、No,098』


「何よ」


『一人でも大丈夫ですか?』


「っちょ、笑わせてんの? 馬鹿なの? あたし、もう5年目なんですけど。そこらの量産型の女子高生でも女子大生でもないのよ。次言ったら、風穴開けるからね?」


『はあ……ですが、もしかしたらNo,056が向かっているかもしれません。何かあっても助けてくれるでしょう』


「え⁉ って……あの男とは正直一緒に任務したくないのだけれど。まあいいわ、勝手にすれば。その前にあたしがやるわ」


『了解です、では』


「あんな男に助けられてたまるかっての!」


 車が数台、人もちらほらと通っている夜の月(いっ)寒(ぽん)通り(みち)を彼女が進む。

 昼の活気は消え、高校生も中学生もいない夜道はとてつもないほどに閑散として、どこか寂しそうな雰囲気を醸し出していた。

 黒いタイツの上にはハンドガンが装備され、覇気のない灰色のコートに包まれ、ギターケースを背負った身長が低めな彼女。年齢は明かさず、ただ、大学ではかなり好評のその顔立ちが大きなアピールポイントである。

焦げ茶色の髪を腰まで垂らし、風に吹かれて靡くそれを気にしない彼女には他とは違う麗しさすら感じさせていた。瞬間、彼女は走り出した。

 タッタッタっと音を立て、横を走るロードバイクのビジネスマンを驚かせながら、女性とは思わせないスピードで駆けていく。

「ったく、あの男にはつくづく呆れる」

 呟く余力を未だ残す彼女は怪物、もはや女性に駆ける言葉ではない。


 急な方向転換を繰り返し、鋭角に曲がった先は薄暗い路地だった。

「この辺かしら、ね」

 そう言った途端、足元が緑色に光り出す。地面からなのか、それとも街灯なのか。

 いや、それは彼女の靴からの発光だった。

 純緑の光が徐々に強くなり、地が揺れる。

 揺れ震え、そして飛ぶ。

「っ」

 浅く息を吐き出して、同時に鉛直な平面を駆け出した。壁から壁へ飛び移り、身軽い動きで8階建てのマンションの屋上へ登っていく。

 その姿はまるでリス、小動物のような速さで一気に駆け上がる。


「ふー」

 軽く額をぬぐって、ギターケースを地につけ、開く。

 ギター……ではなく、そこに入っていたのは、対物狙撃銃「バレットM82A1」 従来の型を小改良したその銃は、比較的衝撃を抑え、片手でも撃てるとアピールされるアメリカ製の武器。2km先のものでも撃ち抜けると言われる化け物銃を取り出し、わずか十数秒で組み立ててを完了させる。

そして、伏せた態勢で構え銃口を横に突き出す。

鬼に金棒とは、まさにこのことである。

「A98-2起動」

 彼女が目を瞑り、そう呟くと右目が赤く光り出した。

「標的βを目標とし、距離演算開始」

 彼女がつけている特殊なそれは自立型音声認識Auto voice ricognitionコンタクト。

 右目の角膜を削った隙間に入れ込み、視神経と脳に同調させて情報を伝達するその装置。

 彼女が歩きながらも標的の位置を正確に捉えられたのもこれが理由である。このコンタクトには未だ公にされていない特殊技術を取り入れられており、電子ズームを1ミリ以下のレンズで可能、加えて追跡機能まで搭載され、ものの数秒で半径数キロに亘って完璧に把握できる、狙撃手うってつけの装備品である。

『演算完了。11時の方向、距離1838m。この位置からの角度、誤差修正、16°風速0,3』

「へえ、舐められた距離ね、余裕じゃない」

 ここからは彼女の舞台であり、舞台に立つ彼女には敵はなし。

 コンタクトを最大限に活かした最大ズームで標的βを見据える。映るのは細身の男、コンビニ袋から銀色の缶を取り出して、手でぎっしりと掴み、口に運びそうな男に焦点を合わせていく。

 追いつく、追いつく、いや、最初から追いつくことが決まっていると言ったほうが正解とも言える。どこかの英雄の槍の様に因と果が逆転していた。

 死という一文字がだんだんと色づき、より濃くより大きくその姿を露わにしてゆく。

 それは全人類に背中合わせで、いつも牙を剥いているのかもしれない。

 そう。

 ここから先は彼女の個性(ステージ)。

 正味である。

この角度、この暗闇、この距離から、一人の人間を正確に狙撃できる者などほとんどいない。機械でもなかなか難しい所業。ましては、それが女性となると珍しいものなんて話じゃない。奇跡。いや、もっと大きな最高級の奇跡。宇宙138億年の歴史の中での奇跡と言えるのかもしれない。

「ふぅ、っ……」

 息を吸って、呼吸を止める。

 全神経を尖らせ、人の枠を超えた世界に飛び込んでいく。


 フィッ‼‼


 瞬いた、その瞬間。

口径12,7mmの金色の鉛弾が静寂な暗闇を切り裂いた。

 熱を帯びた薬莢が煙と一緒に飛び出し、彼女の左の目を塞ぎ込む。


 音速を越え、空気との摩擦で熱が生まれ、火花が存分に飛び散っていく。

いつの間にか、その弾丸は札幌の静寂を分断していた。

 あらゆるものが止まった世界で、鉛弾が、弾丸が、狂気が、もといえ死が追い駆ける。


 刹那、死が到達した。


 そして、男の頭が飛散。

 鮮血をまき散らし、辺り一面を赤い海に変化させ——






 ————かと、思った。






「ナ⁉」

 二つの記号が彼女の頭を抑えつけた。

 同時に、刻まれた「無敵」の文字が姿を消し、それによる衝撃だけが彼女の頭を侵食してゆく。

 なぜだなぜだ、なぜっあの残酷な光景の後ろからあの男が出てくるのだ。

 想像以上の不思議であり、予測不可能な技術が、異能が、謎が、姿を現した。

 仕留めたと思ったのも束の間。その光景を上書きするように、撃たれたはずの細身の男が五体満足で現れる。先ほど散ったはずの鮮血は消え、赤い海は蒸発し、その場には無傷のあの男が残っていた。

 こちらを見つめたその表情。

 頬が少し上がり、ニコっと不敵な笑みを浮かべる。

「っう! な、なんで……?」

 その笑みに少し腰が引けてしまう彼女。たとえレンズ越しだとは言え、あまりにも不気味な笑みに本能が悲鳴を上げた。

 こいつはやばい、さすがにやばい。

 098の持つ豊富な経験の中でさえもこんな者はいなかっただろう。苦労したと言えば、

動きが素早く、近接格闘の面で少し圧倒されるくらいだった。でもそれは彼女の本職ではない。だからまだ、よかった。なのに、今度というのは訳が違う。本業の個性である愛銃で撃ったのだ。誰もが見た残酷な光景がドッキリでもあったかのように塗りつぶされ、男は何もなかったかのように笑っていて。


 ん。

 待てよ。

 レンズ……越し??


 それに気づいた途端。

鳥肌と、冷血かつ灼熱の稲妻が彼女の体の内側を駆け巡った。

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