第一幕


 第一幕



 昭和二十年三月十一日の早朝、東京都神田区の住宅街の一角で、煤で汚れた学生服姿の俺はぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。ほんの十二時間ほど前までは健在だった民家の数々はことごとく焼き払われ、未だにくすぶり続ける瓦礫から漂う焦げ臭い匂いが、つんと鼻を突く。この辺りでは数少ないコンクリート造りのビルディングだけはかろうじて焼け残っているが、大半の区民が住んでいた木造家屋は跡形も無く姿を消し、昨夜の空襲の凄まじさに言葉も無い。

「嘘だろ……」

 絶句していた俺は、力無く呟きながら肩を落とした。こうして焼け野原と化した東京の下町の惨状を眼の前にすると、自分が住んでいた下宿が一夜にして燃え尽きてしまったと言う現実を、否応無しに思い知らされる。そう、昨日までこの路地裏に建っていた筈の俺の下宿は米軍の焼夷弾の猛威に晒され、家財道具もろともあっけなく全焼してしまった。故郷の家族や旧友達と一緒に撮った思い出の写真の数々も、神田の古書店を巡り歩いて必死に買い集めたロシア文学全集も、その全てが真っ白な灰と消し炭になり果ててしまったのである。

「後藤さん、後藤さん」

 不意に、誰かが俺の名を呼んだ。見れば、こちらへと小走りで駆け寄って来る初老の女性の姿が眼に留まる。藍色のモンペを履いたこの女性は、俺が住んでいた下宿の大家さんだ。

「大家さん、無事だったんですか」

 見知った人の声を耳にした俺は、ホッと安堵する。

「後藤さんも、無事だったのねえ。どこに避難していたの?」

「上野のお山です。大家さんはどこに?」

「あたしは、神田川沿いから皇居の近くまで避難していたの。あそこだったら、いざとなればお堀に飛び込めば助かると思ってね。でも、いくら命が助かっても下宿が燃えちゃったら、あたしは明日からどうやって生きて行けばいいのかしら……」

 大家さんは悲痛な声でそう言うと、その場に膝を突いて泣き崩れた。おいおいと泣き続ける彼女の姿に、俺は掛ける言葉が見つからない。無言で立ち尽くすばかりの俺の周囲には、焼け焦げた家屋から立ち上る白煙が漂う。

 昭和十六年十二月八日に天皇陛下が発せられた『開戦の詔勅』をもって勃発した大東亜戦争は苛烈を極め、昨年六月から米軍のB29戦略爆撃機による本土空襲も始まり、長引く一方だった戦局は日に日に切迫しつつあった。そして当然ながら、戦争が長期化すればするほど市場に流通する物資は不足し、国民の生活は困窮する。国家総動員法の制定と前後して生活必需品の売買は配給制となり、米穀通帳が無ければ米も手に入らないし、衣料切符が無ければふんどし一枚すらも手に入らない。そんな状況に追い討ちを掛けるかのように、今度は自宅である下宿が燃えてしまったのだ。これでは文字通りの意味でもって、人間が人間らしく生きて行くための衣食住を断たれたも同然である。

「それで後藤さん、あなたはこれからどうするの?」

「とりあえず、我孫子の実家に帰ろうかと思っています。学校の方も、暫くは休ませてもらう事にしました」

 やがて涙を拭いながら立ち上がった大家さんの問いに、俺は答えた。身の回りの貴重品を詰め込んだ布製の背嚢が、なんだかやけに重く感じられてならない。


   ●


 空襲を免れた都内の友人の家に数日間身を寄せた後に、俺は千葉県東葛飾郡我孫子町の実家に帰るため、上野駅から国鉄常磐線に乗った。そして我孫子駅で汽車を降りると、改札口の前まで出迎えに来てくれていた父と合流し、手賀沼からほど近い懐かしの我が家を目指して歩き始める。

「壮太、東京は酷い空襲だったそうだな」

 駅から手賀沼へと続く坂道を並んで歩きながら、カーキ色の国民服姿の父が言った。

「うん、酷かった。皇居は無事だったけれど、下町は殆ど焼けてしまったよ」

「そうか。それで、学校の方はどうするんだ? ロシア語の勉強は捗っているのか?」

「それなんだけれど、昨日学校の総務課と相談して、来年度は休学させてもらう事にしたんだ。どっちみち今の状況じゃ、教師も学生もどんどん戦地に送られていて、まともな授業なんて出来ないからね」

「そうか」

 父はそう言って相槌を打つと、遠い眼をしながら空を見上げる。

「学校の名前が変わったり、休学する事になったり、お前の学生生活も順風満帆とは行かんなあ」

「そうだね、父さん」

 二年前に俺が入学した際には『東京外国語学校』だった母校の校名は、昨年四月に『東京外事専門学校』に改称されていた。在学中に所属先の名称が変更されると言うのは、なんだか居住まいが悪くて仕方が無い。

「それで、休学するとしたらこれから一年間、お前はどうするんだ?」

 父の問いに、俺もまた遠い眼をする。

「さあ、どうしよう。とりあえず少し休んでから軍需工場にでも働きに出ようと思っているんだけど、父さんの工場に働き口はあるかな?」

「どうだかなあ。最近は材料も電力も不足しているし、新しい工員を雇うだけの余裕があるかどうか、わしには分からんなあ」

 そう言う父と共に、俺は我孫子の坂道を歩き続けた。眼前に見える手賀沼の水面が、陽光を反射してきらきらと輝いている。


   ●


 その日の朝、弁当を手にした父が玄関の引き戸を開けた。

「それじゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 見送りに出た俺は、父が立ち去った後の玄関に所在無げに立ち尽くす。

「さてと……」

 実家に帰省してから、早くも一週間が経過しようとしていた。我孫子町の隣の柏町に在る日本光学柏工場に勤務する父と違って、今に至るまで働き口が見つかっていない俺は、未だ陽も高いと言うのにやるべき事が無い。

「それじゃあ壮太、お留守番お願いね」

 父に続いて母もまたそう言い残すと、地元の婦人会の寄り合いに顔を出すために、木造二階建ての実家を後にした。一人取り残された俺は仏間の畳の上にごろりと寝転がり、学校の教材である日露辞典の頁をぱらぱらと捲りながら時間を潰す。しかしこうしている間にも、遠い南方や大陸の戦地では五族協和と王道楽土の樹立を夢見ながら軍人軍属の諸先輩方が戦っているのかと思うと、暇を持て余している自らの不甲斐無さに立つ瀬が無い。ちなみにこの日露辞典は、貴重品の一つとして避難する際に背負った背嚢に入れてあったので、神田の下宿を焼いた空襲も免れる事が出来た。不幸中の幸いとは、まさにこの事である。

「後藤さん、後藤壮太さん、いらっしゃいますか?」

 自分の名を呼ぶ声に、俺は眼を覚ました。どうやらロシア語辞典を読みながら、うとうととうたた寝をしてしまっていたらしい。

「はいはい、どちら様ですか?」

 寝惚け眼の俺はそう言いながら、実家の廊下を声のする方角へと急ぐ。そして玄関の引き戸を開けると、そこには国民服姿の中年の男性が立っていた。

「あなたが、後藤壮太さんですね?」

「はい、そうですが」

 俺がそう言うと、その中年男性は小脇に抱えていた革の鞄から折り畳まれた赤い紙をうやうやしく取り出しつつ、厳かに言う。

「私は、我孫子町役場の兵事係の増田です。今日は後藤壮太さんに、これを届けに参りました」

「これは……」

「おめでとうございます、召集です」

 兵事係の増田と名乗る中年男性がそう言いながら俺に手渡したのは臨時召集令状、つまり俗に言うところの『赤紙』であった。その俗称通りの赤く染められた紙を受け取り、折り畳まれたそれを開いてみれば、俺の名前と共に『右臨時召集ヲ令セラル依テ左記日時到著地ニ参著シ此の令状ヲ以テ当該召集事務所に届出ヅベシ』と印刷されている。更にその後も兵事係の増田氏は二言三言の言葉を並べていたが、俺は手を小刻みに震わせながら召集令状を凝視していたために、彼が何を言っていたのかはよく覚えていない。そして気付けば増田氏は立ち去り、薄暗い玄関には俺一人だけがぽつんと取り残されていた。なんだか軽い眩暈がして、浮き足立つように足元がふわふわする。

 夕方になって帰宅した父と母に、俺は召集令状が届いた事を正直に話した。赤紙を前にした二人は言葉少なく、神妙な面持ちである。

「そうか、お前もとうとう、出征する事になったか」

 少量の米と野菜と芋だけの質素な夕食を食べ終えた父が、俺と母と共に居間の中央に置かれた卓袱台を囲みながら呟いた。その眼には、うっすらと涙が滲んでいるようにも見える。

「去年の徴兵検査では第二乙種だったから、未だ当分は召集される事は無いだろうと思っていたんだけどなあ。戦地では、そんなに兵隊が足りないのだろうか」

 俺はそう言って、卓袱台の上の湯飲みに注がれたお茶を啜った。先に出征した学校の級友から「第二乙でも油断するな」と事前に忠告されていたが、いざ自分が召集されるとなると、戦地で戦う覚悟がなかなか決まらない。

「とにかく、出征までに日の丸を用意しないとねえ。それに、佐倉の伯母さんと水戸の叔父さんに電報も打たなくちゃ」

 そう言った母は落ち着かない様子で、何故かお盆を胸に抱えたまま、さっきから立ったり座ったりを繰り返している。

「日の丸か……」

 出征する際には日の丸の旗を何枚か持参するのが、当時の兵隊の常識であった。その日の丸の白地の部分に『武運長久』と大書し、更に親戚や友人からの闘志を鼓舞する寄せ書きを募って、戦地でのお守りとして携帯するのである。

「壮太、とにかく今夜はもう風呂に入ってゆっくり休め。出征の準備やら何やらで、明日からは忙しくなるからな」

 父もまたそう言って、自身の湯飲みに注がれたお茶を啜った。召集令状が届いた事を告げてからのこの数時間で、父も母も急に老け込んだように見える。

 そして僅か三日後の早朝、まるで追い立てられるかのような性急さでもって、俺は出征した。我孫子駅には親類縁者だけでなく役所の兵事係や地元の婦人会の女性達が集まり、万歳三唱と共に、汽車に乗る俺ら出征兵士達を盛大に見送る。

「ああ、本当に俺は出征したんだ」

 師団本部のある仙台へと向かう汽車に揺られながら、俺はぼそりと呟いた。ここに来てようやく、自分が兵士になるのだと言う実感が足元からふつふつと湧き上がって来る。

「やあ、お互いに大変な事になったな」

 不意に、向かいの座席に腰を下ろした、一緒に召集された男が声を掛けて来た。俺と同じくらいの年頃の若い男で、やけに度の強い眼鏡を掛けている。

「そうだな。学生の内は召集されないと思っていたんだけれど、残念ながらあてが外れたよ」

 俺はそう言って、深い溜息を吐いた。

「このまま行けば、たぶん仙台でキミと同じ師団に配属されるな。俺は飯塚。飯塚清いいづかきよし。よろしく」

「俺は後藤壮太ごとうそうた。よろしく」

 飯塚と名乗った眼鏡の男と俺とは握手を交わし合い、互いの身の上話や世間話でもって、目的地である仙台までの時間を潰す。やがて正午になったので母が用意してくれた弁当を車中で食べ、気付けば西の空に陽も傾きかけた頃に、ようやく汽車は仙台駅へと辿り着いた。我孫子駅の駅舎とは比べ物にならない、東北の玄関口たる大きく立派な駅舎である。そして飯塚やその他大勢の新兵達と共に降車した俺は、帝国陸軍の少尉らに引率されながら、宮城県仙台市内の師団本部目指して歩き始めた。この師団本部での二週間ばかりの初年兵教育の後に、俺らは戦地へと送られる。


   ●


 やがて桜の花も散り始める頃、俺は再び、多くの新兵達と共に汽車に揺られていた。混み合った車内の向かいの座席には飯塚二等兵が腰を下ろし、膝の上に乗せた軍隊手帳を下敷きにしながら手紙を書いている。

「なあ飯塚、それ、また妹さんへの手紙か? 毎日毎日、よくもまあ飽きもせずに書き続けられるもんだな」

「ああ、幸子は未だ小学生だからな。突然俺がいなくなって寂しいだろうから、出征する時に、毎日手紙を書くって約束したんだ」

 大田二等兵はそう言うと、少し照れ臭そうにはにかんだ。我孫子の実家に残して来た妹の幸子さんへの手紙を書くのが、目下のところの彼の日課である。

「それでも毎日だなんて、そんなに書くべき内容があるか?」

「内容なんて、何でもいいんだよ。なんなら、今日の飯は美味かっただの不味かっただのだけでもいい。つまるところ、俺が無事である事さえ伝わればいいんだ」

「ふうん、そんなもんか」

 手紙を書く習慣の無い俺は、得心したようなしないような曖昧な返事でもってお茶を濁した。そして飯塚が手紙を書き終えるのとほぼ同時に汽車が博多駅へと到着したので、俺らは一斉に腰を上げる。

「いよいよだな」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いた俺は、博多駅の駅舎に降り立った。汽車に乗り込む際に利用した仙台駅にも引けを取らないほどの、これまた大きく立派な駅舎である。そして駅舎を出た俺らは四列縦隊でもって大博通りを行進し、やがて博多湾へと辿り着くと、そこに停泊していた帝国陸軍の輸送船に乗り込んだ。汽車の車中と同じく、輸送船の甲板上もまた混み合っており、カーキ色の軍衣を着た新兵達でごった返している。ここから釜山プサン元山ウォンサン咸興ハムンと言った朝鮮半島東部の港湾都市を経由しながら日本海を北上した後に、およそ一週間ばかりの船旅を経て、やはり朝鮮半島有数の港湾都市である清津チョンジンでもって北鮮に上陸した。

 息つく暇も無く、今度は清津駅でもって再び汽車に乗せられる。そして国境を越えて満州国へと入国した俺らは、最終目的地である牡丹江ぼたんこうの町へと辿り着いた。仙台駅を出発してから実に十日余りの長旅により、俺も大田二等兵もその他大勢の新兵達も疲れ果て、膝ががたがたと震えて満足に行進も出来ない。

「ここが満州……」

 満州国は昭和七年に調印された日満議定書によって樹立された、皇帝愛新覚羅溥儀を首長とする独立国家である。しかし独立国家と言うのは名目上だけで、実質的には大日本帝国の属国であり、また植民地でもあった。そして満州国、及び宗主国である大日本帝国の仮想敵国こそが、大正六年のロシア革命によって体勢が一変したソヴィエト社会主義共和国連邦である。だからこそ、その仮想敵国たるソヴィエト社会主義共和国連邦、いわゆるソ連との国境線を維持する事は国家の一大事であった。ここを守護出来なければ満州国も朝鮮半島もソ連赤軍の占領下に置かれ、やがて日本海を越えて、我らが本土たる日本列島もまた侵攻されるであろう。そうならないためにも俺や飯塚二等兵はこうして召集され、牡丹江からほど近い綏芬河すいふんがの国境線を警備する、無敵を誇る関東軍第五軍の第124師団に補充兵として配属されたのだった。

「なあ、壮太」

 綏芬河の国境線で警備任務に従事しながら、飯塚二等兵が俺に尋ねる。

「本当に、ソ連は攻め込んで来ると思うか?」

 そう言った飯塚二等兵の眼鏡越しの眼差しは、幼い妹が帰りを待っている本土を死守すると言う志に燃えているためか、真剣そのものだった。

「さあ、どうだろうな。ついこの前、ソ連は日ソ中立条約の不延長を通告して来たばかりだ。だからひょっとしたら、今すぐにでも侵攻しようと手薬煉てぐすねを引いて待ち構えているのかもしれない」

 俺がそう言うと、大田二等兵の眼差しはより一層真剣さを増す。しかし俺は彼の緊張をほぐしてやるべく、口端に笑みを浮かべた。

「なあに、そんなに肩肘張らなくても大丈夫だって。不延長を通告して来たとは言え、条約はあと一年は有効だ。だから仮に攻め込んで来るにしても、それはきっと来年の春以降の話だろうよ」

「そうか、そうだな。そうだといいな」

 飯塚二等兵もまたそう言うと、こちらに向けて笑みを返す。しかし残念ながら、俺の楽観的な予想は外れてしまった。夏真っ盛りのその年の八月九日未明、有効である筈の日ソ中立条約を無視したソ連赤軍が、満州里、黒河、綏芬河の三箇所の国境を越えて侵攻して来たのである。


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 ソ連赤軍の侵攻開始から十日目の昭和二十年八月十八日未明、三八式歩兵銃を肩に担いだ俺は自分の背丈よりも高く穂が実った高粱こうりゃん畑の中を、当て所も無くふらふらと彷徨さまよい歩いていた。並んで歩く飯塚二等兵が被った九八式鉄帽が、仄白い月明かりにぼんやりと照らし出されている。

「壮太、ここはどこだ?」

 これで何度目になるのか、同じ質問を飯塚二等兵は繰り返した。度の強い眼鏡を掛けた彼の額には、じっとりと脂汗が滲む。

「分からない。未だ穆棱ムーリンのどこかだとは思うが、どっちの方角に向かっているんだかはさっぱりだ」

 そう返答した俺と飯塚二等兵の二人は、もうかれこれ十時間ばかりも、夜のとばりに包まれたこの高粱畑から抜け出せないでいた。国境の町綏芬河を越えて侵攻して来たソ連赤軍を迎え撃つために、俺らが所属する関東軍第五軍第124師団は牡丹江の町を出発したが、大方の予想に反して綏芬河の手前の穆棱の郊外の原野でもって会敵してしまったのである。

 関東軍とソ連赤軍、双方共に死力を尽くす穆棱郊外での遭遇戦は、実に一週間にも及んだ。しかし関東軍の主力は南方のフィリッピンのレイテ島やマレー半島に送られていたし、臨時召集された補充兵ばかりの関東軍は八路軍や匪賊と戦った事はあるが、ソ連赤軍の様な重武装の正規軍と正面きって戦った経験は無い。しかもこちらはほぼ歩兵だけで編成されていると言うのに、敵は戦車や戦闘機でもって機動的かつ電撃的に攻撃して来るのだから、形勢は圧倒的に不利であった。

 そして昨日の午後の戦闘中、遂にソ連赤軍の第十機械化軍団が関東軍の防衛線を突破したので、我が中隊は隊長の撤退命令に従って敗走したと言う訳である。敗走する途中で部隊は散り散りになってしまい、俺と飯塚二等兵以外の友軍の兵士達がどこに行ってしまったのかは、皆目見当がつかない。

「弾は未だ残っているか?」

 延々と続く高粱畑の中を歩きながら、飯塚二等兵が尋ねた。俺は腰の帯革に取り付けられた弾薬盒の中身を確認すると、溜息混じりに答える。

「いや、もう殆ど残ってない。お前は?」

「俺も残ってない。どこかで補給を受けないと、もうこれ以上戦えないぞ」

 前線基地で最後の補給を受けた際に、弾薬盒に計百二十発もの小銃弾を詰め込んだ筈であったが、それらはこの一週間ばかりの戦闘でほぼ全弾撃ち尽くされてしまっていた。手元に残っているのは肩に担いだ三八式歩兵銃の弾倉内の、ほんの数発のみである。もしここでソ連赤軍の兵士と遭遇でもしたら、俗に『ゴボウ剣』と呼ばれる三十年式銃剣でもって白兵戦に挑むしかない。

 そうこうしている内に東の空が白み始め、やがて夜が明けた。終わりなき迷宮かと思われた高粱畑からようやく抜け出せた俺と飯塚二等兵の二人は、アルミ製の水筒を傾けて水分を補給し、人心地つく。

「おおい、お前らも日本軍か?」

 高粱畑沿いの農道で休憩していた俺の耳に、不意に野太い男の声が届いた。見れば俺らと同じ九八式軍衣に身を包んだ帝国陸軍の兵士が百名ばかり、農道の先で身を寄せ合いながら、こちらに向かって手を振っている。

「ここは、どこの部隊だ?」

 飯塚二等兵と共にその兵士達に近付いた俺は、自分と同じ階級の兵士に尋ねた。するとその兵士は無精髭が浮いた顎を撫でさすりながら、少しだけ申し訳無さそうに答える。

「俺達は、どこの部隊でもない。穆棱からばらばらになって撤退して来た各部隊の兵隊が寄り集まっただけの、言わば即席の混成部隊だ。お前らも一緒に来るか?」

 彼の誘いを断る理由は無かったので、俺と飯塚二等兵は頷いた。

「それで、これから俺らはどこに行くんだ?」

「とりあえず、牡丹江まで撤退して補給を受けようと思う。今のままでは装備も心許無いし、殆どの兵隊は昨日から何も食べていないからな」

「そうか」

 得心した俺と飯塚二等兵の二人は、その混成部隊の兵士達と共に、西の方角に向けて歩き始める。兵士達は皆疲れ切っており、その足取りは重い。

「家があるぞ!」

 歩き始めてから一時間ばかりも経った頃、兵士の一人が叫んだ。彼が指差す先を見遣れば、一軒の質素な小屋が農道の脇に建っているのが眼に留まる。どうやらそれは、この高粱畑を管理する地元の満人の家屋らしい。

「何か、食う物はあるかな」

「やっと何か食えるぞ」

 腹を空かせた兵士達はそう言いながら、食料を求めて小屋に押し入った。

「誰か! 誰かいるか!」

 押し入ると同時に兵士の一人が叫んだが、小屋の中から返事は無い。ソ連赤軍が侵攻して来た事を知って、ここに住んでいた満人もまた、既に内陸部に避難したものと思われた。

「米は無いか? 米を探せ!」

 主を失った小屋の炊事場を無断でひっくり返して米を探すが、白米はおろか玄米一粒すらも見つからない。当時の満人にとって米は滅多に手に入らない貴重品なので、避難する際に全て持ち去ったか、そもそもこの小屋の住人は所持していなかったのだろう。

「糞! 高粱しか無い!」

 米は一粒も無かったが、高粱だけは小屋の一角に大量に備蓄されていた。高粱はイネ科の雑穀の一種で、日本ではモロコシとも呼ばれる。その実は小豆の様に赤く、脱穀せずに殻ごと食べると舌触りが悪い上に苦く渋いため、これを主食としている満人には申し訳無いが、正直言って不味い。

「高粱しか無いんだったら、食べない方がましだ」

「俺も、高粱は食べたくない」

 落胆した兵士達が、うんざりしたような口調でもって愚痴を漏らす。そして結局、俺らは何も食べないまま、この満人の小屋を出て行く事にした。

「おい、これは何だ?」

 不意にそう言った兵士が、小屋の奥の土壁を指差す。するとその土壁には、白い石灰でもって『反日抗日、抗日侮日、打倒日本帝国主義』と書かれていた。この小屋の住人が書いたのか、それともここを訪れた八路軍の兵士か共産党員だかが書いたのか、とにかく祖国を侮辱された俺ら大日本帝国軍人は憤慨する。

「なんだ、こんなもの!」

 飯塚二等兵がそう叫ぶと、三八式歩兵銃の先端に取り付けられた銃剣の切っ先でもって、土壁を突き崩した。薄い土壁がぼろぼろと剥がれ落ち、小屋の中に砂埃が舞う。しかし俺にはその光景が、なんだかひどく空しいもののように思えてならない。

「仕方が無い、飯は諦めて先を急ぐぞ」

 一時的に混成部隊の隊長を務める事になった少尉の号令で、俺ら兵士達は小屋を後にした。すると表に出たところで、ごうごうと言う鈍い発動機の音が耳に届く。

「ソ連の爆撃機だ!」

 兵士の一人が、緊迫した声で叫んだ。見上げれば、確かにソ連赤軍の爆撃機が一機、頭上を通過して行くのが眼に留まる。

「撃ち落とせ!」

 少尉の命令と同時に、俺らは一斉に三八式歩兵銃を頭上の爆撃機に向けて構えた。仙台の師団本部での初年兵教育の過程で行われた、航空機を撃ち落とすための野外演習を思い出す。しかしその演習は、長い竹竿の先端に取り付けた玩具の飛行機に小銃の照準を合わせるだけの馬鹿みたいな演習で、しかも物資不足を理由に実弾を発砲する事すら許されなかった。三八式歩兵銃を構えながら、大声で「ばん! ばん!」と叫ぶのである。叫ばなければ上官から平手打ち、つまり俗に言うところをビンタを喰らわされるので、馬鹿馬鹿しいと思いながらも叫ばざるを得ない。

 思い返せばその初年兵教育も、軍人勅語や戦陣訓の暗誦、それに軍歌合唱や行進などが主体の、お世辞にも実戦的とは言い難い無意味な行為の繰り返しであった。そして急に白けてしまった俺は、無駄弾を撃つ事もあるまいと悟り、爆撃機に向けて構えていた三八式歩兵銃の銃口を標的から逸らす。兵士達の中には上空目掛けて発砲する者もいたが、大半の者は俺と同じく撃墜を諦め、構えを解いた。兵士達は皆、連日の戦闘と空腹でもって疲れ果てていたのである。

 するとその時、頭上の爆撃機からは爆弾でも焼夷弾でもなく、何か小さな紙片が大量にばら撒かれた。ばら撒かれた紙片がまるで紙吹雪の様に、周辺一帯にひらひらと舞い落ちて来る。拾い上げてみれば、それはソ連赤軍の宣伝ビラであった。そのビラに書かれた文面を読んだ兵士の一人が、大声で叫ぶ。

「何だこれは!」

 ビラには「日本軍ついに全面降伏す」「日本侵略主義より解放せられたる中国人朝鮮人万歳」「斯太林スターリン元帥万歳」と、日本語と中国語でもって併記されていた。

「全面降伏だって? 飯塚、これはどう言う事だ? 日本は負けたのか?」

 俺が問うと、飯塚二等兵が顔を蒼褪めさせながら答える。

「そんな事あるものか! こんなの悪質なデマに決まっている! 不滅の神州日本が、露助ろすけなんかに負ける筈がない!」

「そうだ、デマに決まっている!」

露助ろすけどもは、俺達の戦意喪失を狙ってるんだ! 騙されてたまるもんか!」

 ビラを手にした兵士達が、口々に叫んだ。しかしそんな彼らの発言を担保するのは日本は必ず勝利すると言う根拠の無い確信のみで、その確信がソ連赤軍の猛攻によって揺らぎ始めている今となっては、動揺は隠し切れない。

「とにかく、先を急ぐぞ! 牡丹江まで行けば事実がはっきりする筈だ!」

 隊長の号令で、兵士達は再び歩き始めた。そして穆棱郊外で一夜を明かした後の八月二十日早朝、牡丹江の関東軍第五軍司令部までようやく辿り着いた混成部隊は、司令部の営庭で次の命令を待つ。

「総員傾注!」

 二名の下士官を連れた関東軍の将校と共に官舎から出て来た隊長が、やや上ずった声でもって叫んだ。肩章から判断するに、将校の階級は中佐である。佐官級の上官に対して失礼の無いように俺ら兵士達は急いで整列し、背筋を伸ばして姿勢を正した。

「これより中佐殿から、重要なお話がある! 総員、心して聞くように!」

 隊長の言葉に従い、俺は中佐の発言に耳を傾ける。

「いいか、よく聞け。去る八月十四日、大日本帝国政府は米英支蘇共同宣言を受諾し、十五日には天皇陛下が終戦の詔勅を発布された。更に翌十六日、大本営指令大陸命第一三八二号、つまり停戦命令が全軍に通達された。この通達に基き、貴様らにはこれから武装解除を命ずる」

 そう言った中佐もまた、混成部隊の隊長を任された少尉と同じく、ややもすれば声が上ずっていた。そして彼の言葉に、兵士達の間に動揺が広がる。

「中佐殿、停戦命令とはどう言う事でありますか? 日本は負けたのでありますか?」

「家族は、内地の家族は無事なのでありますか?」

 兵士達はうろたえ、今にも中佐に詰め寄らんばかりだ。

「静まれ! 詳細が分かり次第、追って伝える! 今は速やかに武装解除し、次の指示があるまで待機せよ!」

「やっぱり日本は負けたのか……」

 思いも掛けぬ停戦と武装解除の命令に、俺らはその場に呆然と立ち尽くす。日本が負けたと言う事は、八紘一宇の夢は潰え、我らが悲願たる大東亜共栄圏の樹立は幻のまま消え去ったと言う事だ。兵士達の中にはあまりに感極まったのか、おいおいと男泣きに泣いている者もいる。この虚脱感と喪失感を、一体どのような言葉でもって言い表せば良いのだろうか。

 だがしかし、どれほど喪心したからと言って、上官の命令に従わずにいつまでも立ち尽くしている訳にも行かない。俺らは下士官の指示に従い、武装解除に応じる。

「総員、速やかに全ての武器弾薬を引き渡せ!」

 出征の際に命よりも大事な兵士の魂として支給された三八式歩兵銃や三十年式銃剣だけでなく、残り僅かな小銃の弾丸に手榴弾、更には鉄帽や被甲に至るまで、全ての装備が司令部の営庭で回収された。勿論、機関銃手が持たされていた九六式軽機関銃や、将校にのみ支給された十四年式拳銃と軍刀もまた同様である。菊の御紋が刻まれた三八式歩兵銃と鉄帽がうずたかく積み上げられた様は、さながら役目を終えた兵士の大腿骨と頭蓋骨による墓場、つまり亡骸の山にも似ていた。

「なあ壮太、俺達これからどうなっちまうんだろう」

 武装解除によって丸腰になった飯塚二等兵に尋ねられた俺は、澄み渡る青空を見上げながら答える。

「さあな。軍隊は運隊だ。なるようにしかならないさ」

 見上げた満州の空は、遥か地平線の彼方に真っ白な入道雲が浮かぶ夏空であった。鉄帽を脱いだ頭はやけに軽く、無防備過ぎて一抹の不安すらも覚える。


   ●


 武装解除から二日後、牡丹江の関東軍第五軍司令部に集結していた俺ら兵士達に、新たな命令が下った。吉林省の琿春フェンチュエンまでの約二百㎞の道程を、歩いて移動しろと言うのである。

「畜生、戦争はもう終わったんじゃなかったのかよ」

「いつまで俺達は歩かされるんだ?」

「それにしても、腹減ったなあ」

 いくら愚痴を漏らしたところで、上官から歩けと命令されれば、兵士は歩かない訳には行かない。やがて一週間余りも満州の地を歩き続けた後に、俺らの混成部隊を含めた師団規模の兵士達は琿春に到着した。そしてこの琿春の国民学校に集められた兵士達は千人単位の大隊に再編成されると、上官は俺らに、校庭を埋め尽くすように張られた数百張の天幕の中で生活しろと言うのである。一つの天幕には二十人ほどの兵士達がぎゅうぎゅうになって身を寄せ合いながら寝起きし、あまりの狭さに満足に身動きも取れない。しかも剥き出しの地べたに直に寝かされたため、雨が降ると全身ずぶ濡れになり、体調不良を訴える者が後を絶たなかった。

 住環境の悪さに加えて兵士達の不平不満に拍車を掛けたのが、食事の粗末さである。一日に二度、僅かな黒パンと『カーシャ』と呼ばれるロシア風の雑穀のお粥が配給されるだけで、その絶対量は成人男子の腹を満たすには程遠かった。そのカーシャも粟や稗ならまだマシで、高粱のカーシャとなると、米食に慣れた日本人には不味くて食えたものではない。

「不味いなあ」

「ああ、不味い」

 ぶつくさと文句を垂れながらも、俺らは酸っぱい黒パンと水の様に薄い高粱のカーシャを貪り食う。他に食う物が無いとなると、文字通りの意味でもって背に腹は代えられないからだ。そもそもそんな粗末な食事ですら毎日配給される保障は無いのだから、尚更である。

「なあ壮太、俺ら、やっぱりソ連の捕虜になったんだよなあ」

 天幕の中で横になった飯塚一等兵が、薄汚れた軍衣の裾で眼鏡のレンズを拭きながら、俺に尋ねた。元々小柄で細身の彼は、最近とみに痩せたように見える。琿春に足を踏み入れてからこっち、同じ関東軍の将校に成り代わって、ソ連赤軍の警戒兵カンボーイが俺ら日本兵を監視するようになっていた。彼らは俗に『マンドリン』と称されるPPSh-41短機関銃やモシンナガン小銃を手にし、天幕の周囲を我が物顔で闊歩する。そして有刺鉄線で囲まれたこの国民学校の敷地は、友軍からも敵軍からも、半ば公然と『野戦収容所』と呼ばれていた。それはつまり、俺らがソ連の捕虜として収容された事の裏付けに他ならない。ちなみに俺も飯塚も上官からの辞令により、終戦と共に二等兵から一階級上の一等兵に昇進していた。この昇進は、後に『ポツダム進級』と呼ばれる事になる。

「壮太さん、ダモイは未だですか」

 今度は飯塚一等兵とは反対側の隣に座る少年が、俺に尋ねた。この少年は佐山矢三郎さやまやさぶろうと言う名の未だ十七歳の紅顔の美少年で、満蒙開拓青少年義勇軍の入植者として満州南部の農地を開墾していたところをソ連赤軍によって拉致され、ここに連れて来られたのだと言う。俺と飯塚一等兵とこの少年矢三郎は、歳も近かった事もあり、この野戦収容所で苦楽を共にする親しい間柄となっていた。

「ダモイか……」

 そう言った俺や矢三郎の口から漏れた『ダモイ』とは、ロシア語で『帰国』と言う意味である。その帰国ダモイが一体いつになるのか、天幕生活を余儀無くされた俺らの関心は、もっぱらその一点に集約されていた。

「ジュネーヴ条約だと、捕虜は戦争が終わったらすぐに故郷に帰してもらえる筈だが、ソ連はこの条約に批准してないからなあ」

 俺はそう言って、深い溜息を漏らす。初年兵教育を受けていた頃に毎日の様に復唱させられた戦陣訓では、何度も繰り返し「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」と教えられて来たが、実際にこうしてソ連赤軍の捕虜になってしまうと、もはや辱めも糞もない。今日一日を生き延びる事で精一杯で、軍人としての矜持をどうこうする余裕などまるで無く、ルンペンやプータローと言った浮浪者と殆ど大差の無い生活であった。

「ああ、糞、あいつらまた来やがった」

 国民学校の校舎から数人のソ連赤軍兵が出て来たのに気付いた飯塚一等兵が吐き捨てるように呟き、かぶりを振る。

「ようし、全員出て来い! 所持品検査だ! ダワイ! ダワイ!」

 マンドリン短機関銃を手にしたソ連赤軍兵達は、ロシア語でそう叫びながらこちらへと近付いて来た。そして俺らの身体を服の上からまさぐり、雑嚢や背嚢をひっくり返して、その中身を入念に検分する。彼らの目的は日本兵が所持している金目の物や貴重品の略奪で、特に腕時計や万年筆などの高価な工業製品を見つけると大喜びし、力尽くで奪い取るのだ。

「おいお前、その時計をよこせ」

 運悪く、脚絆ゲートルの下に隠しておいた腕時計を発見されてしまった俺の眉間に、ソ連赤軍兵の一人がマンドリン短機関銃の銃口の照準を合わせる。

「これは故郷の父親から貰った大事な時計なんだ。勘弁してくれ」

 俺はロシア語で懇願するが、薄汚れた軍服に身を包んだソ連赤軍兵は意に介さない。

「知らねえよそんなもん。殺されたくなかったら、早くよこせ」

 命には代えられないので、俺は渋々ながら、父との思い出の品である腕時計をソ連赤軍兵に手渡した。するとそのソ連赤軍兵は、俺から奪い取ったばかりの腕時計を得意げに腕に巻く。見れば彼の左腕には、これまでに他の日本兵達から略奪したと思しき腕時計が幾つも光り輝いていた。

「壮太さん、ロシア語が堪能なんですね」

 矢三郎が尋ねて来たので、俺は腕時計を失った喪失感と父に対する申し訳無さに打ちひしがれながら答える。

「ああ、内地の学校に通ってた頃に、ロシア文学を専攻していたからな。しかしいざ実際に出会ったロシア人が、こんな野蛮人ばかりとは思わなかったよ」

 俺がそう言い終えるのとほぼ同時に、近くの別の天幕で一発の乾いた銃声が轟いた。そして次の瞬間、一人の日本軍の少尉がどさりと地面に崩れ落ちるのが眼に留まる。痙攣する少尉の胸からは真っ赤な鮮血が止め処無く滴り落ち、喉からもごぼごぼと血のあぶくが漏れていた。そして僅か数秒後、血まみれの彼はかっと眼を見開いたまま動かなくなる。つまり、死んだのだ。

「どうしたんだ?」

 俺が尋ねると、一部始終を見ていたらしい飯塚一等兵が答える。

「勲章を隠し持っているのが露助ろすけに見つかって、渡すのを拒否したら問答無用で撃たれたそうだ」

「そうか」

 腕時計や万年筆と並んで、日本軍の授与した勲章もまた戦利品として人気が高く、これを発見したソ連赤軍兵は嬉々として奪い取った。きっと故郷に持ち帰り、家族や友人に自慢するための土産物にするのだろう。そして胸を撃たれて死んだ少尉の遺体の手から勲章をぎ取るソ連赤軍兵の姿を見ながら、もう少し抵抗していたらこの俺もまた彼と同じ運命を辿ったのだと思うと、背筋にゾッと冷たいものが走らざるを得ない。

「馬鹿な日本人ヤポンスキーめ」

 少尉の遺体から勲章を奪い取ったソ連赤軍兵はそう言うと、新たな獲物を求めて次の天幕へと足を向けた。捕虜を殺害した彼の表情は涼しげで、その所業を責める者は友軍にも敵軍にもいない。

「……畜生……」

 悔しくて堪らない俺は静かに唇を噛み、固く眼を閉じる。


   ●


 やがて国民学校での天幕生活は、一ヶ月余りも続いた。そして九月も終わろうとしていたある日、俺ら捕虜達を校庭の一角に集めたソ連赤軍の将校は宣言する。

「諸君、日本への帰国ダモイが決まった。すぐに荷物を纏め、集合しろ」

 通訳がそう言うと、捕虜達は歓声を上げて喜んだ。

「ああ、遂に日本に帰れるんだ!」

「やっと家族に会えるぞ!」

 上機嫌で荷物を纏めた俺らは国民学校の正門前に整列し、意気揚々と出発の時を待つ。もっともめぼしい私物はソ連赤軍兵によって略奪されていたので、荷物はほぼ空っぽの雑嚢と飯盒と水筒くらいのものだった。しかも終戦からこっち一度も風呂に入っていないので、唯一の被服である軍衣もまたすっかり薄汚れてしまっている。

「出発!」

 将校の号令で、俺らは一斉に歩き始めた。事前に行き先は告げられていなかったが、とにかく家族が待つ内地に帰れるのならば、当面の目的地がどこだって構わない。なんなら地の果てまでだって歩き続けてみせるし、その覚悟は出来ている。そして一週間ばかりも満州国の原野を歩かされた末に、日本軍の捕虜達とそれを監視するソ連赤軍の警戒兵カンボーイ達の一行は、小さな鉄道の駅へと辿り着いた。駅の入り口には、風雨に晒されてぼろぼろになった看板が掲げられている。

「グロデコーヴォ……?」

 ロシア語でもって看板に書かれた駅名を、俺は読み上げた。グロデコーヴォ駅と言えばソ満国境の町綏芬河を越えた先に存在するロシア鉄道の駅であり、それはつまり、ここが既にソ連領内である事を意味している。その証拠に、駅舎の上には赤地に金の鎌と金槌が象られた、ソヴィエト連邦の国旗が掲揚されていた。

「どう言う事だ? 北鮮から船で日本に帰るんじゃなかったのか?」

「北に向かっているから、おかしいとは思ったんだ!」

 捕虜達の間にも、動揺が広がる。てっきり日本海沿岸の港町に向かっていると思っていたのだから、当然だ。しかしそんな俺らの様子などお構いなしに、ソ連赤軍の警戒兵カンボーイ達はこちらにマンドリン短機関銃の銃口を向けながら、駅で待機していた貨物列車に乗れと命令する。

「ダワイ! ダワイ!」

 ロシア語で急き立てられながら、俺らは貨車に乗り込んだ。一つの貨車に百人ほどの捕虜が強引に乗せられたので、文字通りぎゅうぎゅう詰めで足の踏み場も無い。しかも捕虜達が乗り込んだ事を確認した警戒兵カンボーイは、貨車の扉を閉めると、それを鋼鉄の鎖と南京錠でもって施錠してしまった。

「おい、出られないぞ!」

「どうなっているんだ?」

 狼狽する捕虜達を他所に、貨物列車はグロデコーヴォの駅を発つ。こうなってしまっては、運を天に任せるしかない。

「きっと、このままウラジオストックまで行って、そこから船で日本に帰るんだ」

「そうだそうだ、そうに決まっている」

 貨車の中では、そんな楽観論を唱える者も少なくなかった。とにかくソ連赤軍の将校が帰国ダモイさせると言っていたのだから、その言葉を愚直に信じているのである。そして数時間ばかりも走り続けた末に、貨物列車は突然停車した。

「飯と糞の時間だ! お前ら早く降りろ! ダワイ! ダワイ!」

 警戒兵カンボーイがそう叫びながら施錠されていた貨車の扉を開けたので、俺ら捕虜達は急いで降車する。するとそこは駅でも町でもなく、線路以外には何も無い荒涼たる原野のど真ん中であった。

「早くしろ! ダワイ! ダワイ!」

 食材を渡された炊事係の捕虜達が、急かされながら炊飯を開始する。十二両編成の貨物列車にはおよそ千名ばかりの捕虜達が乗せられているのだから、全員分の食事を用意するのは一大事だ。

「今の内に糞も済ませておけ! ダワイ!」

 飯が出来るまでの間に用を足そうと、貨車から降りた俺は軍衣の短袴たんこを脱いでその場にしゃがみ込み、肛門にぐっと力を入れる。するとしゃがみ込んだ線路の脇には、既に幾つもの大便がごろごろと転がっているのが見て取れた。どうやら俺らの前にも、ここで用を足した先客がいたらしい。

「さっさと飯を食え! 時間が無いぞ! ダワイ! ダワイ!」

 炊事係が飯盒によそってくれた飯を、やはり警戒兵カンボーイに急かされながら貪り食う。飯の献立は野戦収容所に居た時と同じ僅かな黒パンと水の様に薄い高粱のカーシャだけなので、お世辞にも美味くはないと言うか、はっきり言って不味い。

「食い終わったら出発だ! さっさと列車に乗れ! ダワイ!」

 息つく暇も無く、再び俺らは貨車に乗せられた。勿論捕虜達が全員乗り込むと、またしても貨車の扉は外から施錠されたため、途中下車は出来ない。

「本当に、俺達は日本に帰してもらえるんだろうか……」

 ソ連領内を走り続ける貨車の中で、捕虜の一人がぼそりと呟いた。しかしその呟きに返答する者は誰もおらず、重苦しい空気が狭い貨車の中にどんよりと垂れ込める。

「陽が暮れるぞ」

 そうこうしている内に夜のとばりが下りたので、俺らは肩を寄せ合いながら横になり、そっと眼を閉じた。がたがたと貨車が揺れるのでなかなか寝れなかったが、次第に意識が薄れると、やがて静かに眠りに就く。

「おい皆、起きろ!」

 不意に誰かが大声で叫んだので、俺ら捕虜達は一斉に飛び起きた。見れば貨車の板壁の隙間から朝陽が差し込んで来ており、いつの間にか夜が明けた事に気付く。

「太陽が後ろから昇っているぞ!」

 再びそう叫んだのは、貨車の外の風景を覗き見ていた一人の兵長だった。最初は彼が何を言いたいのかよく分からなかったが、すぐにその意味するところを理解すると、車内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。

「なんだって? この列車は西に向かっているのか?」

「日本に帰れるんじゃなかったのかよ!」

 混乱した捕虜達が、口々に叫んだ。

「壮太、これは一体どう言う事だ?」

 俺の隣で寝ていた飯塚一等兵も半身を起こし、狼狽しながら俺に尋ねたが、当然ながら俺にも何が何だか皆目見当がつかない。

「分からない。だがとにかく、ウラジオストックに向かっているんじゃなさそうだ」

 捕虜達は貨車の板壁の隙間から外の様子をうかがいながら、不安げな表情をその顔に浮かべる。

「冗談じゃない! 俺は日本に帰るんだ!」

 車内で一人の准尉が叫んだが、貨車の扉は鋼鉄の鎖と南京錠でもって固く施錠されているため、逃げる事は出来ない。そして捕虜達を乗せた貨物列車は、やがて何も無い原野で停車した。

「飯と糞の時間だ! ダワイ!」

 そう叫びながら貨車の扉を開けた警戒兵カンボーイに、捕虜達が殺到する。

「なんで列車は西に向かっているんだ? 日本に帰してくれるんじゃなかったのか?」

帰国ダモイは嘘だったのか? 俺達を騙したのか?」

 しかしいくら詰め寄ったところで、捕虜達が叫ぶ日本語はソ連赤軍の警戒兵カンボーイには通じない。

「知るか! お前ら、下がれ! 近寄るな!」

 慌てた警戒兵カンボーイは、マンドリン短機関銃の銃口を詰め寄って来る捕虜達に向けながらロシア語で叫んだ。すると一人の捕虜が彼の眼を盗んで貨物列車から離れ、その場を走り去ろうとする。

「おい、逃げるな! 戻れ! 殺されたいのか!」

 そう警告した直後、警戒兵カンボーイはマンドリン短機関銃を構え、引き金を引いた。パパパンと言う数発の乾いた銃声が原野にこだました後に、逃走を図った捕虜がどさりと地面に崩れ落ちて息絶える。見ればそれは、先ほど貨車の中で「俺は日本に帰るんだ」と叫んでいた准尉だった。

「馬鹿め」

 吐き捨てるようにそう言うと、警戒兵カンボーイはマンドリン短機関銃の構えを解き、捕虜達を睨みつける。大人しくなった捕虜達は食事と用便を済ませると、血まみれの准尉の遺体をその場に残したまま、再び貨車に乗せられた。そして貨物列車は西の方角、つまりソ連領内の内陸部に向かっていつまでも走り続ける。

「ああ、やっぱり俺達は露助ろすけに騙されたんだ」

 飯塚一等兵が口惜しげにそう言うと、貨車の床を拳で何度も叩いたが、そんな事をしても事態は好転しない。そしてバイカル湖を左手に臨みながら、やがてグロデコーヴォ駅を出発してから五日後に、遂に貨物列車は大きな駅に辿り着いた。シベリア鉄道の要衝の一つ、タイシェット駅である。

「ようし、全員さっさと降りて整列しろ! ここからは歩きだ! ダワイ! ダワイ!」

 貨車から降ろされた俺ら捕虜達はタイシェット駅を出ると、警戒兵カンボーイに先導されながら東の方角へと歩き始めた。タイシェットの空気は肌寒く、吹く風には既に冬の匂いが混じっている。満州国で武装解除させられた時には未だ真夏だったので、捕虜達は夏服しか着ておらず、ジッと立っていると凍えるほど寒い。

「壮太さん、僕らはどこに向かっているんですか?」

 満蒙開拓青少年義勇軍の入植者だった矢三郎が、俺の隣を歩きながら尋ねた。

「行き先は分からないが、さっきの駅がタイシェットと言う事は、ここはシベリアのイルクーツクの近くだ」

 そう言った俺や矢三郎や飯塚一等兵を含めた捕虜達は、ソ連赤軍の警戒兵カンボーイの命令で延々と歩かされ続ける。ここに至るまでに既に十名ほどの捕虜が逃走を企てて射殺されているので、今更になって逃げ出す者は誰もいない。そして小雪が舞う原生林の中の一本道を二日間ばかりも歩かされた末に、俺らは森の中に佇む大きな施設へと辿り着いた。その施設は高さ四m余りの板塀と二重の有刺鉄線で囲まれており、頑丈な営門の横にはロシア語で『ブラーツク第二十三収容所』と書かれている。

収容所ラーゲリ……」

 俺はようやく、全てを理解した。そして理解すると同時に眩暈に襲われ、眼の前が真っ暗になる。

「……畜生……」

 将校が約束した筈の帰国ダモイは真っ赤な嘘であり、俺らはソ連赤軍によって捕虜として捕らえられ、日本から遠く離れたここシベリアの僻地に奴隷同然の労働力として抑留されたのだ。それは終戦からおよそ七週間ばかりが経過した、忘れもしない昭和二十年十月八日の事である。

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