第16話 彼女の望む幕引きを

「嘘…?」

 ぽつりと眼前の事務所の人間が呟いたのを皮切りに、その狂いと騒ぎは最高潮へと達する。受験会場の静謐さとはおそらく大違いなのだろうとふと思い、受験のある会場以外、今の世界が喧騒に満ちている様を想像した。

「そうですよ、まさか暗号表をバラしたのが敗北宣言だとでも?」

 腕を大袈裟に彼女は広げた。

「違いますよ、暗号の機密性も文章の内容の組み立てもどうでもよかったんですよ、って意思表示です。」

「まさか、成田空港に人の目を惹きつけるためだけに…?」

彼女は仕草は大きい割に、にこりともしない。

「そうですよ、文章の内容…完璧には覚えていませんが、成田空港、飛田凛という名前、彼女はそこに行く、みたい要素が書かれていたはずですね。それらの内容は全て嘘です。読み取ってもらうために暗号は正確に作ってもらってますし、何人かの協力者に投稿と拡散をお願いしたのも事実です。」

「そうすれば、読み解いた誰もが真実だと思い込むと?」

「ええ……ただ、一つ申し上げるとすれば

至極当たり前の事ではある。

「だけど、ネットは知識の殿堂と呼んでも差し支えないような膨大なものを抱え込んでいる。」

彼女は続ける。

「それが結局どこかに、教えてくれないような真実や隠された謎を解き明かしてくれるんじゃないかと錯覚させるには十分なことだったから、私たちはそれをあえて利用したに過ぎない…」

それだけです、と彼女は言い終える。

「こんな大それたことを…お前は一体何をしたいんだ!?」

「それはですね…」

彼女は少し笑みを浮かべている。



初めて計画の内容を聞いた時は正直俺もゾッとした。

「ここまでやんのかよ………。」

「ここまでやらなきゃいけないの。」

最大限ではなく、これでも最小限だと彼女は言う。

「第三者視点から見れば、現状の有利はどう考えてもあっち側よ。それを同じ目線のステージに引き込むにはそれ相応の場もやり方もいる。」

まあ、それだけの手札があるからこのやり方でできるんだけどねと続けて呟いた。

「私は…どうすればいいの、その間。」

「あなたは……。」

「え…!?」

絶句する凛を見つつも淡々と彼女は続ける。

「信頼できる仲間が、すでに私たちの周りのどこかで待機してるから大丈夫よ。」

「いや、そういう事じゃなくて…!」

「じゃなくて?」

「もっと…こう…。」

そこまで言って言葉に詰まったのか、モゴモゴと口を動かす凛にシグナはため息をまたつく。眉間を少し指で突いて、その拍子で彼女と目を合わせる。

「……約束、してるんじゃないの?」

「……!!」

「その顔ができるんだったらさっさと言いなさいよ、全く。」

このことについては俺は何も知らない。おそらく昨日の莉愛さんとの連絡の中で何かあったと考えるべきだろうが、それは推測の域を出ない。

「私たちの時間稼ぎの間に、あなたはあの約束も、これらも全部使って、この事件をどう終わらせるかを考え込みなさい。」

少しだけシグナがニコッとした。

「私たちは私たちのしたいことをして、周りを巻き込んできた。自分の出したい結論を、あなただって自分のしたいことで示してやってやりなさい。それだけの場は整えてあげるわ。」



「じゃあ…平木くん。」


シグナについていこうとしたその時に凛に呼ばれる。おそらく別れの挨拶でも言おうとしたのだろうか。

暗号文にどうやら協力者の存在が乗ることや、凛とその協力者がいるということのフリを完璧にしたいなどの色々な事情がある以上、俺と彼女はこれで一旦別れることになる。

「奏真って、呼んでくれないんですね?」

「な、なっ…バ、バカ、もうこんな時に呼べないでしょ!」

シグナが後ろでクスクス笑いを堪えきれないように顔を伏せる。

「冗談ですよ、飛田さん。」

「あっ…。」

「また3月にでも、会いましょう。」

そう言っても、大分彼女が寂しそうに笑うもんだから、俺までなんとなくまだこの関係を過去にしたくないような、そんな感覚に襲われている。

「うん…。」

手を振った、それ以上は何もできなかった。



「ねえ。」

「ん?」

「デートは楽しかった?」

ぶっ、と電車内で軽く吹き出しそうになり、やや咳き込む。クスクスと彼女が笑う。

「本当、馬鹿な人。有名人とはいえ、たった1日の逃避行で人生棒に振る気?」

「そういう馬鹿なことに憧れる奴はたくさんいますけど、実行できる奴はそう多くない。」

「だからって、そうなりたかったわけ?」

あきれた、と言いたげに彼女は天井を見る。

「カッコつけたいんですよ、可愛い子の前では。最初はそういう下心がありました。」

最初からそんなんだった。可愛いアイドルと逃避行して受験を休むとか、夢が化身になって現れたようなものだった。

「でも、巻き込まれるうちに俺も彼女もわかっていた問題に向き合わなきゃいけない時が来た……俺と彼女は正しいことを犠牲にしたんです、責任は負わなきゃいけない。」

誰かの期待を、正しい事の先にあり得た未来を、失ったということを。いつだって、得るものの裏に失うものがある。

「本当、あの子もあの子よ…別れ際にあんな顔しちゃって。」

「いや、流石に不安なだけだと思いますよ。」

そう呟くものの、横にいた彼女は俺の方を見てそのまま別の意味で呆れた、とでも言いたげな顔をした。いや、だってここで薄々思ってることを言ったらそれこそ気持ち悪いだけだろう。カッコつけだ、これもまた。

「なんでこう、正しいことがいっつも救われないのかしらね。」

あーあ、本当意味わかんないと彼女がぼやいた。



時を進めた現在。彼女はそのまま不敵に笑い続ける。

「さっきの嫌がらせってやつ、実は半分当たってたりして。」

「は?」

「あなたたちのことについては把握しています、もちろんあの投稿についても。」

「……あれは凛自身がやったことだ。」

笑みを消して、一つ彼女は睨みを効かせて彼らを見つめると、またスマホを見つめる。こちらからはスマホのスピーカーの音量を上げる操作が見て取れた。かなり乱雑に、それでも回数だけは丹念に。

「『一体どうするつもりだ!!』」

「は…!?」

俺の改造ポケットにある、遠隔でも聞こえるようになっているスピーカーが途端に大音量を発する。

その声は先ほどまでに聞こえていた眼前の男の声と一致していた。それに気づいたさまざまな声が、文章が、波紋のように、そこから論理を広げさせるはずだ。そしてそれはすぐに証明される。

「『そうだ、飛田のSNSは使えるはずだろう?』」

核心に迫る一言でそれが現実であったと気づく。もはや誰も言い逃れはできない。仮説が実証されていく。

「『彼女が戻ってこないことには何も解決しないだろう!!』」

遠目から見ても今、眼前にいる渦中の男の動揺が見てとれた。一体どこで、誰が、彼らを陥れるような真似をしたのかは結局のところ、俺の方は何一つ知らない。この場において、真相はこの葵坂シグナの掌に握られ、頭に抱え込まれているのみだった。

「……以上のことから分かるように、彼女の失踪によるイベントの損失を補いたいが故に、このような言動と考えが取られ、飛田凛の公式SNSがあのような騒動になったことは想像に難くないでしょう。」

全てをスマホに打ち明けさせた彼女はそのままそう話す。

「あの投稿は事務所のとったただの強行策で、この場合の彼女本人は、ただの被害者に他なりません!」

強くそう言い放つ。完全に情勢はこっち側に持っていきつつある。ただ、僅かに俺たちの行いには弱点がある。

「シグナ…こんな事をして、お前が無傷で済むと思っているのか!?」

「……私たちは最初から無傷で終われると思ってません。」

そうだ、この行いは勝つためなら寧ろやるべきなんかじゃない。明確にその人の悪いところを棚に上げて、あまつさえ他人の悪事を糾弾する。勧善懲悪には程遠い贔屓のような行い。

「そもそもあなた方に勝とうなんて思ってません。これ以上の泥沼になる前にあなたたちに引き分けで手を打たせたいんです。」

でも、それは俺たちが理解していないはずがなかった。最初からシグナはこれを扱うリスクを知っていた。だから躊躇いなく彼らと相対し、迷いなくこれを使った。

「私も、彼も、そして凛本人も、重々このことに関する責任を持ちます。いかなる糾弾も受け入れます。しかし、その上で何も知らないフリをして、平気な顔でいるあんたらが気に食わないってだけです。それが、この嫌がらせです。」

語気を荒げた彼女は一呼吸をする。

「これ以上の行いは彼女を望まぬ結末に持ち込むことになります。予想だにしなかった事も起こりうるはずです。それだけは避けたい。」

彼女らしくない息切れか、それとも悲しみか。最後だけとても細い声だった。

「彼女の連絡を待ってください。これ以上、あなた方からアクションを起こすのはやめてください。彼女があなた方との話し合いを望む場合は受け入れてあげてください。誰も得しない結末ではなく、彼女の望む幕引きを…。」

お願いしますと言い、最後は頭を下げた。

誰も何も言わない。

先ほどのざわめきを消して、ふたたび空港には冬の冷たさを滲ませる静寂が入り込んだ。


ちょうど同時刻、渕野辺莉愛が飛田凛と接触を果たしていたと聞いたのは、これらが全て終わった後だった。

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アイドルと逃避行することにしたので、センター試験には行けません。 齋藤深遥 @HART_N

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