第14話 明けへと進む
ばたりと安息の地へと戻った。
「はぁ……」
そういや、ダブルベッドだけなんだよなぁと思い、さてどうするかと考える。
「床か椅子か…」
「おかえり。」
最悪の寝床を思考していたら、布団から声がした。
「あ、ただいまです…えーっと。」
どう伝えるべきかと迷う中で彼女の声がした。
「さっき…電話があって。」
ギョッとして彼女がいるらしき塊を見た。
「あの、ええっと、私の元同僚から…。」
「え?」
「莉愛、渕野辺莉愛…知ってるでしょ?」
俺はそれを驚きと困惑の表情をもって迎えたが、彼女にとっては単に難聴に思えたらしい。詳しいことまで教えてもらえた。
つまり彼女たちは僕らを両側からアプローチしていた。それは確実性のないことなんて彼女たちはしないってことの証明でもあった。
「あー、こっちのことも言っていいですかね、シグナさんから……」
「うん、莉愛が言ってた。」
「そっすか。」
「私ね…」
動かない山のような布団の中からくぐもったような声がする。
「こんなことになるなんて、とかは絶対に思ってなかった。わかってたの、どこかで報いを受けて、追い込まれることになるって、そのくらい。でもさ…」
見えなくてもわかる、彼女は泣きそうだった。
「どうしたらいいか……わからなくて。」
「………」
俺は何も言わない。
「莉愛がいなくなって……シグナもいなくなって……私自身の仕事も少しずつ変わった。………歌の仕事とかが…少し減って、ネット系TVとかが増えて。でもそれはね全然よかったの、全く気にしてないはずだったの。………でも、何気なくTVとか新曲のMV見た時になんか………私といた時と、なんか、違うんじゃない、かなって。」
呼吸の調子がやや変わっていく。あまりにひどいようだったら落ち着かせようと思った。
「その時に……あの二人は選んでるんだって。選んで変わったんだよって心の中で思ったら、急にじゃあ、あなたは選ばなかったの?…って言われたような気がして。なんでそんなところにいるんだって…抜け殻の表面に這う温もりばかりに縋ってた私に言ったの。」
呼吸を落ち着かせるように彼女は間をおいた。
「私はどうしたいのかなって……もしかして、置いて、いかれているんじゃないかなって。」
「急にそんなことを考えたら、何もうまくいかなくなっていったような気がして。ふと思うと、あれ、今笑えてる?とか思うようになって…仕事も義務感以外のモチベーションを探すようになって。」
「そうなる前に、事務所の人に何も言わないのはダメだったと思う……2人がいないのが、とかじゃなくて、それすら選ぼうとしなかった、私の責任。」
何も口を挟まない俺を感じ取ったのか、そのまま彼女は続けた。
「変えたいと思うのに、人が…いや、私が動こうともしなかったのは、何かを恐れたとか、そうじゃなくて……多分このままでも世界は回っちゃうから、それでいいじゃないかって思うから。でもそれだったら、私はどこにいるのかな。」
部屋には薄い灯りが漂っている。
「今、莉愛の顔とか見たら私、全力で逃げて、泣いちゃいそうで……色んな意味でステージに、立てなさそうだった。そうなる前になんでも手は打てたのに、そうしなかったから、最悪の方法を取ったの。」
「だから…朝、あの時に。」
ようやく俺は口を開いた。彼女は本当に「今ある全て」から逃げていた。
「でも最悪の方法を取った時って一番、最高な気分になれるの。苦しいを手放したから、久しぶりに選んだことだったから。私は本当にあの時、気分が良かった……だから、なんとなく、あなたに『彼氏にならない?』って。どうせ断られてもいいって、それくらいで声をかけた。」
「でも…俺は、」
「でも、あなたは手を取った、私と一緒に堕ちていってしまった!私はその時、一番最悪で、最高だった!!あなたさえいれば、孤独にならなくて済むと思った、でも一人の人生を壊してしまった…!! ……何よりも狂ったくらいに逃げるのが楽しかった……ごめんなさい。」
全てを吐き終えた彼女に俺はため息を吐いた。
「間違ってますよ、それ。」
「え?」
「俺らは堕ちたんじゃない、選んだんだ。凛もそう言った。」
「でも…あなたは…」
「受験ってのは、もう正直どうでもいいんです。どうにでもなる。」
「そんなの…。」
「少しだけ…昔の話ですが。」
遮って、俺は前置きをした。
「その日は大事な高校受験でした。ええ、そのはずだったんです。でも受けられなかった。その数日前に罹った妹のインフルエンザが感染したみたいで。」
「え…?」
「多分、妹は今回の一件で、そのことを少し思い出すことがあったんだろうなとは思います。」
だからこそあの時、明日葉は俺のことを人一倍怒り、誰よりも俺の身を案じた。あいつは人一倍、自分のしたことが誰かの未来を大きく左右したことに対して、引け目を感じつづけている。今にして思えば、誰も悪くないのだが。
「でも俺はあの時、確かに悔しさも呪いもありました。でも、その先で確かに俺は生きていて、幸せも楽しみも友達も得ていた。破滅なんかしなかった。」
確かに終わりを考えた、そうでなくとも、二度と浮き上がらない可能性の未来ばかり考えていた。
でも、高校生活は驚くほどに、自分にとって退屈なもの、暗闇の中にある3年間なんかではなかった。望んだ未来ではなくとも、選んだことへの手応えがあって、何より俺は楽しかった。
「どういう未来を選んだとしても、その先には確かに良いことも、胸に響くような刺激もあるんだって…だから、」
わずかに布がこすれて動くような音がした。
「………………『どんな選択だろうと、選んだ先に明るい光が必ず存在する』って俺は馬鹿正直に信じてられるんですよ。」
だから、俺はあの時に簡単に未来を変えられた。彼女についていく選択をした。多分一回転んだことで、恐れがなくなりつつあるんだろう。
「それで…まあなんというか、俺…ちょっと違和感あったんですよ。」
「何に…?」
「受験に、です。」
えっ、とかすかに漏れたような驚きを聞きつつ、俺は続ける。
「ありきたりな話ですけどね、とある国公立大学を志望していて、友達も同じ場所に行きたいとかもあって、まあ今まで色々やっていたんですけど、途中で全くやる気とか出てこない時期もあって。」
部屋の椅子にそのまま腰掛けた。
「考えてみたら、その志望するってことになんにも自分にとって楽しいことがなかったんです。親の目とか世間への体裁とか、そんなことばっかり考えて模試の判定をもらってた……それでまあまあうまくいきそうだったから…ちょっとだけどこか嫌気がさしたのかもしれなくて。」
嫌な言い方をすれば、だから俺は軽率になれた。あの時に感じていた億劫さがなかったら、異質な心を排除し切っていたら、多分こんなことになってなどいない。
「だからまあ、受験ってやつにいまいち気が乗らないのをいいことにこんなことしたわけで…まあ私立受験もあるわけだから、なんも俺のことは心配なんてしなくていいです。」
大事なのはあなたのこれからを選ぶことです、と俺は言い切った。
「私は…。」
その言葉の続きを待った。
*
「いいんですね、それで。」
「………………もちろん。」
私の選択。それがこの事件を終わらせる最後のピースだってことは否応無くとも理解していた。その判断を今の今まで延ばし続けることが多分最大のミスだったわけで。
今はただ、布団の温もりだけに縋っている。隣にいる彼は頑なにベッドを拒否したから、それ以上は私も強く言わなかった。ちょっとだけ寂しいけど、それもしょうがない。
「楽しい話でもしますか。」
「え?」
「折角ですし、俺も笑って終わりたいんで。」
「そんなの……」
「俺は、とりあえず大学には行くと思います。こんな形ではありますけど、本当にやりたいことのために、本当に行きたい場所に行く決心がついたので。」
「そっか…。」
配慮は嬉しいけど、私には今、何も考える気力がなかった。
「……次、いつ会えますかね。」
「え…次?」
「次です。まあ、フリでやってただけなので会えなくてもしょうがないですけど。」
次かぁ、と思えば少しだけ、ほんの少し未来に想いを馳せる隙間ができた。
「全てが終わったら…かな。」
でも、重苦しい言葉が出てきてしまった。それでも、彼は話すのをやめなかった。
「じゃあ3月っすね。」
「3月…。」
「運が良ければ受験が終わった3月、ごたついたら来年の3月。それでいいじゃないですか。その時には全て、決着がついてますよ。」
3月、決別と区切りの月。その響きに、印象に少しだけ何かが和らぐように思えて。
「それなら、まあ」
会えるかな、とこぼしたその私の顔は少しだけ笑っているような気がした。
全てが終わるまで、あともう少し。
時間は止まらず、明けを目指して突き進む。
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