第12話 心のバリケード

時間は少し前に遡る。

「寒っ…」

吐く息が白く、会場で感じていた熱も収まって当然の冬空の下、私は都心を歩いていた。既にフェスタは終了し、幕張の「爆心地」とネットの世界以外、ほとんど混乱の様子もない。まあ誰の顔にも出ていないだけなんだろうけど。

「これで合ってんのかなぁ。」

スマホ備え付けのマップアプリに打ち込んだ検索結果はとあるビルの地下を示している。いくら都心といってもこんな場所に普通なら用はないから、やや心配にもなる。

そう、今はどう足掻いても普通の状況じゃないから。凛のことはすでに多くの点で尾を引くことになっている。

その中で、あのあとフェス会場で私はかつての同僚であるシグナに電話した。シグナと軽い挨拶を交わしたのちに、凛のことについて話したいからどこかで会えないかと問いかけたら、彼女は深く聞かずにとある場所を指定してきた。

「そこで会いましょう。」

彼女はそう言って電話を切った。



「ここの…地下?」

都心某所の大通り一本それたところに建つ1つのビル。

その地下一階へと私はエレベーターで向かう。

到着までそう長くはなかった。そのまま私はエレベーターから出るとその数m先にあるドアに歩み寄っていく。

「本日貸切」の文字に目もくれず、そのまま手をかけて開く。

「いらっしゃいませ。」

特に私の存在に動揺もせず、壮年期ごろの女性の店主がそのまま手で指し示した方向に目的の人物はいた。じっと中身の入ったグラスを傾けて、見つめるような表情でいる。

「……お疲れ、莉愛。」

近くに駆け寄ると私の方を見ずにそう言った。

「………う、うん。久しぶり、シグナ。」

「……ほんとにそうね。」

それを聞きつつ向かいの席に座った。私と彼女の間には黒々とした鉄板が置かれている。お冷のグラスが置かれた。

「おばちゃん、あと焼うどんと5種類の肉盛り合わせ、おまかせで。…そっちの飲み物は?」

「……ウーロン茶で。」

はーい、と掛け声がしてそのまま厨房が何やら動く様子を確認すると、そのまま私たちは向き直った。

「改めてお疲れ、フェス。」

「うん。ありがとう、楽しかったよ。」

当たり障りのないことを交わして、再び私たちは押し黙る。

約半年ぶりに会って話すことがない。それもやや円満でもない形での別れだから余計だ。いや、目的はあるんだけど、それもやや触れづらい。最たる目的ではあるんだけど。

「はい、焼きうどんと肉5種でーす。」

もう手早く品物が来てしまったことでなんとなく、そっちの方で気を紛らわせたくなってきたところに、彼女は切り出した。

「焼きながら話しましょうか。肉が固くならない程度に。」

「う、うん。」



鉄板で焼ける肉の小気味いい音をBGMに僕らは話し始めた。

「凛に…何があったの?」

私は今まであったこと、当初は全く会場には音沙汰のなかったことやその後の彼女のアカウントで起こっていた事、ミラが目撃したその光景、彼女以外の演目を以ってフェスが終了したことを伝える。

「ふーん。アカウントのことに関しては知っていたけど…」

「やっぱ……見たんだ?」

「トレンドの影響でね。半信半疑だったんだけど、アカウント消えてたんだから、やっぱり何かあるんだなって。」

最初に気づいたのはシグナの仲間の一人だったらしい。

「……いつも広報とか任せてる子がいてね。」

「へー。」

「はい肉。」

「あっ。」

ぽいっと私の皿に肉が置かれる。

「で、それでまだ続きがあるんでしょ?」

「え、あっ、……うん。」

噛んでいた肉をそのまま飲み込んで、私は核心に位置するとある「仮説」を話す。


「ふーん…」

「……」

別に今は肉を食べてないんだけど、今一つ、歯に何か挟まって噛みきれないような気分になる。

「それ、本当なの?」

「確率は高いわけじゃないけど……無視できないんじゃないかって。」

フェスの時に、ミラや那月からまとめて聞いたそれは「とある1人の人間、それもセンター試験を受けずにすっぽかしている高校生が凛の失踪に手を貸している」という仮説。

「正直な話、できすぎてるわね。」

「うっ…」

ごもっともな指摘。すごく頭脳明晰なように動いているが、前提条件が崩れて仕舞えば私たちのやっていることなど徒労に帰す。

「でも僅かな可能性を信じて進んできて、ここまできている事実。それは称賛するしかない。」

ゴトリとグラスを置くと、彼女は私を見た。

「でも大事なことだから聞くわね。これからあなたはどうするつもり?凛に会って私たちは何を言うべき?」

「…っ!」

なんとなくわかっていた。彼女の現在に近づこうとすると、その理由のなさが抵抗を生む。会ってどうする、何ができる。

そればかりが気がかりだった。

「でもさ、私はやっぱり見過ごしたくないんだよ。」

頭の片隅に残る、3人でいた時の記憶。

「あまりにも私にはやり残したことがあって……あの事務所にいた時のことで。………多分自分勝手に振る舞ったし。」

だから多分、そのツケを払わなきゃいけないんだって思う。

「私はまだ、ちゃんとあの子に謝れてない。……あと聞かなきゃいけない、なんでこうなっちゃったのか。」

少し黙っていたシグナは焼かれていた少し焦げ付く肉をヘラで浚う。

「……今回のことは事務所ばかりが悪いわけじゃない。あの子のやったことは多分犯罪でなくても、社会の見方的には許されようのないことかもしれない。」

テーブルに置いたヘラがカチャリと音を立てる。

「でも、その前に彼女の置かれていた心理的状況は?」

氷がことりと鳴る。

「それに、彼女のやったことにあの事務所はなんでそんな対応をしたの?………アイドルの人権はいつから事務所持ちになったのよ!?」

「落ち着いて。」


鉄板に残された欠片が寂しく音を立てていた。

シグナはお冷を飲む。

「………私は別に、私の選択に後悔なんて持ってない。私のキャリアも私のやり方も私が決めるってことにしたから、それの悪いところも飲み込んでる。」

滴がグラスを伝い、油は鉄板の上で漂う。

「でもあの時、辞める時に、彼女に何も言えなかったの。彼女を置いていく事実に。何も彼女にかける言葉を見つけられなかった。」

少し喉に渇きを感じて、私もお茶を流す。

「……今になって、後悔してるのよ、私は。」

「シグナもそうなんじゃん。」

「………やり残してるものがまだある。足りなかった言葉が。」

どれだけアイドルの世界の中でタフに生きているつもりでも、私たちはずっと完全無欠でいるわけじゃない。目に見えなくても傷を背負っている。

「決まったね。やらなきゃいけないこと。」

「うん。」

ようやく私たちの心にあった障壁が少しずつ取り払われていく。後はその最後のピースになるもの。

それに必要なものは「一連の私たちのつながり」の中にある程度揃っているはずだった。

「シグナには、どうにかそれを活かすための作戦が聞きたかったの。」

やっと聞きたいことが聞けたような気がする。言葉にしてしまえばとても単純だ。

「私たちは互いに話すためにも凛に会わなきゃならない。話したいことも聞かなきゃいけないことも残ってる。」

正しいんだとしたら、それの声を上げる場所が。

正しくないとしても、それを受け止めてあげる場所がいるのだ。

「それが私たちの目的。仮説が正しいことを前提に、目的を達成できる情報網は揃ってる、後は実行に移せるだけの何か……やり方が………」

シグナが言葉を切らし、考え込むのに合わせて、こちらも思考が止まる。少し考えを変えなきゃならない。


「じゃあ、目的のために何がいるかな?」

「情報は揃ってる。後は適切な連絡と場所。なるべく混乱は避けたい。」

「ってことは事務所の人間は…避けなきゃじゃない?」

「そうね。…ってことは何かをうまく撹乱できるようなことが必要なはずで…」

それはぽつりぽつりと、少しずつ形を成す。


私たち2人の作戦が始まろうとしていた。

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