第11話 猶予の夜と救いの彗星

「何が不満だ?」

「強いて言うなら『現状に』です。」

 私はピタリと足を止めた。彼女の声がドア越しに響くのをただ聴くしかなかった。

 忘れもしない6月の16日のこと。シグナが事務所に退所の意向を示した日だった。

「君の今の発言は自分の立ち位置を理解してのことかね?」

 社長の重く低い声が響く。

「た、確かに渕野辺の件以降、君のやることは大きく変わったと言ってもいいと思うよ?」

 少し焦りながらシグナ担当のプロデューサーが言葉で詰め寄った。

「『attempt』の事実上の解散、ソロによる活動の開始……仕事の回数や種類も大きく変動し、自らの価値観や周りの環境に大きく左右されることがあったことは私たちも理解しているし、それのサポートも十分してきたつもりだ。何かあるなら言ってくれ。そうじゃないとわからないだろう!」

 少し間があった。わたしはその場面を見ていたわけでもないのに固唾をのんで、彼女の次のことばを待つ。

「attemptでない以上私がここにいる理由もありません。理由はそれだけです。失礼します。」

 こっちに来ると身構えたとき、シグナが社長に呼び止められた。

「君のキャリアは私たちとの二人三脚で得たものだ。それ全てを放棄してまで君は辞めるつもりかね?」

 ぴたりと足を止めたのも束の間、彼女は再び告げる。

「私は、私がしたいことしかやらないことにしました。それはこれ以降変えていくつもりもないので。失礼します。」


 *


「待ってよ。」

 彼女はそのまま立ち止まった。気づいていたのかどうかはわからない。振り返った彼女の顔は強張っていた。おそらくその顔で「大人」との相対をしていたのだろう。

「………やめるの…?」

 絞り出す声があまりにもか細く、自分でもちゃんと言いたいことを言ったのか、理解するのに時間がかかりすぎた。

「うん。」

「なんで、なんでよ…。」

「聞いてたなら分かるんじゃないの?」

「そんなの…」

 理解していた。でもそう考えてしまえば彼女はもう私には絶対に届くことのない位置に行く事になる。振り返ることも後戻りすることもおそらくないって事は少しだけでも一緒にいた私でも理解できる彼女の性格ゆえだった。

「私は、止まりたくない。」

 彼女は何かを振り絞るように言葉を出した。

「これ以上やりたくもないことをやるのは嫌なの。」

 悲痛な叫びののち、声にならないような思いによって空間が静寂で満たされた。

「行かなきゃ。」

 シグナは止まらない。止まることはない。

「私は!」

 わかりきったことにどうしようもなく反抗した。

「隣にいてくれるだけで嬉しかった。シグナ……いえ、葵と莉愛がいてくれるそれだけで!他の何にでも耐えられる気がしたの。」

 彼女は何も言わなかった。

「あなたも私を置いてくんだ。」

「………ごめん」

 振り返って去っていく。私はその日から彼女に会ってない。


 そしてその2ヶ月後に、彼女は八月同盟のボーカルになった。

 正体不明の時から私は彼女の声に気づいていて、その何倍にも成長したその声を忘れることもできなかった。


 私だけ1人、まだここにいるのか。と思うしかなかった。


 *


「ダブルしかないんですけど…」

「じゃあ、それで。支払いってカードでいいですか?」

「え??」

 耳を疑う他なかった。当の彼女は平気な様子で自身のクレジットカードを使って、支払いをしている。振り返ってみるとすでに夜に突入し、うろちょろするよりもどこかで一夜を明かす方が確実だろうというお互いの同意のもと、東京へと戻った俺たちは息を潜めるのを形だけでも行いつつ、よくあるホテルチェーンの二部屋を借りることになっていた。だが、よくある1人部屋シングルもなく、二人部屋で別のベットツインルームも満員となっていた。センター試験の影響なのか、それとも休日にもかかわらず仕事人間がいるのかなんなのか、とにかくこんな夜中だったら空きもないのはわからないでもないが、そこで妥協する決心が早すぎないかこの人と思うしかない。

「何してるの、行くよ?」

「あ、うん。」

 どうする。このままだと色々とまずいのではと勘ぐっている。

 いわくつきでも幕張の大型会場のライブに出演できるような現役アイドルと、一夜を同じ部屋、しかもベッドも同じ場所で過ごす?

 ………下手すれば大スキャンダル…いやでも彼氏役だから……いやそれでもダメなもんはダメだろと一人、思索の迷宮に嵌まっていく。次第に追い込まれる自分を引き上げるかのように彼女が口を開く。

「意外とバレないもんだね。」

「あ、ああ、そういやそうだ。」

「ホテルとかってそういえば名前とか聞かれるの忘れてたよ。適当に書いちゃった。住所とかはあってるけど。」

「まあ、大丈夫なのか?」

 気が気でない。こうなった以上どうにでもなれと腹を括った気でいたが、そっちの方面では覚悟は足りていなかった。

「……」

エレベーターが着くまでも、着いた後も、乗り込んだその先でも何も交わす言葉もなかった。

「……!」

指先が触れたと感じた瞬間、彼女がすかさず俺の右手を左手で掴んだ。

「……!?」

ギョッとして彼女を見るも、目を合わせる様子もない。

何か、何かがおかしい。あのSNSのトレンドへと飛び込んだ事件以降、彼女の様子が少し変わっていったような気がしている。積極的な様子は変わらない、だけど何か危なっかしいような、崖から飛び降りるかのようなそんな雰囲気を感じ取っている。

「……」

黙りこくる姿すら俺には怖かった。午前とは全く違う意味で。


部屋のカードキーを当てて扉をこじ開ける。

先に彼女を入れて俺がドアを閉めたと同時に、彼女が後ろから俺に抱きついた。

「……違うだろ。」

「…違わない。」

抱きついた手を上から重ねるようにして掴み、剥がすことを試みるも、予想以上に彼女の握力があって離れない。

「……やめろ。」

「…なんで。」

「わかるだろ、それは衝動でしかない。いっときの感情に振り回されないでください。」

体と彼女の手の間に指を食い込ませた。

「もう、もうどうでもいい!!」

「よくないだろ!」

素早く身を翻すとそのまま振り解き、初めて俺の方から手を掴んだ。

「………!」

一瞬びくついた体を確認してから俺はそのまま手を下ろした。

「取り敢えず、シャワーでも浴びたほうがいいです。これからのことを考えるなら、それからでも遅くありません。」

「………ごめん。」

そのまま俺は、何か色々入ったコンビニの袋を手にして浴室へと向かう彼女を見送ると、ベッドにそのまま横たわった。なんかどっと疲れた。

「あー……?」

ため息と同時にリュックの横ポケットにチラッと見えたスマートフォンの存在。

「………」

じっと見ると、そのまま起き上がり、スマホを手に取る。色々なことを考える。

「何かを変えるにはここしかない……」

自分のスマートフォンの電源を入れた。起動画面を凝視して俺はそのまま黙りこくる。

いつものロック画面が見えるとそのまま通知が矢継ぎ早に流れていった。

「うわ…」

チャットアプリの通知には様々な人から心配の声があった。

「信濃さんに、慎吾…明日葉…はぁ、どうしたもんか…」

だが、不審なことに親から一切の返事が入っていない。なんだこれ。カリカリと頭を掻くと同時に着信が鳴り響く。相手は、妹の明日葉。

「ぬあ……。」

苦虫を噛み潰したような声が漏れて、それでも何もしないわけにはいかず、通話開始を押して耳に当てた。

「はい。」

「……………何してたの。」

低く声が出て、それにやや戸惑ったのか、少し間が空いて妹の声がした。

「………………」

「聞いたよ。れいかさんから。」

どう答えるかわからないままにしていたら、全てを察するように彼女は言った。

「なんで……」

「いや、まだ終わったわけじゃない、国公立はダメだけど私立の入試を受けて進学するとかできることは……」

「そういうこと言いたいんじゃない!!なんでお兄ちゃんがそんな目に遭わなきゃいけないのかって聞いてんの!」

うっ、と漏らしたくなるほどに大声が響く。

「待てよ、その言い方……」

まるで今の状況を知ってるような、

「誰かいるのは知ってるから、隠す必要ない。」

「人なんかいない、なんでそう思うんだよ。」

咄嗟に彼女を庇った。

「もういろんなところに連絡が飛んでるの、お兄ちゃんが認めてくれるだけで裏付けが取れる。」

「は?なんだそれ。」

少し黙った後に、彼女は続ける。

「ちょっと待ってて、一旦切るけど逃げないでよ。後、お母さんとお父さんには私から集中したいからホテルにこもって2日目に備えてるって言っておいたから。」

「は、いや、ちょっと………」

「言いたいことは山ほどある。けどこれだけ、お兄ちゃんの将来とか人生の選択とか、お兄ちゃんのものだけなわけじゃないんだよ!?」

「ちょっと声大きいって!!」

マイクの音量間違えたかってくらいにはみ出していく音声ののち、妹の声はぶつりと消えた。

ストンと音がして、眼前には凛が立っていた。

「なに……?」

「いや、その……。」

「誰と、誰と連絡してたの!?」

「大丈夫、大丈夫です。ちょっと外出てきます。」

このタイミングで本当にごめん、と謝りつつ、そのまま俺は部屋から出て、入り口の前に立っている。再び通知画面を見ると、友達追加の欄に誰かがいた。

「『Tougasaki Aoi』…?」

チャット欄には「妹さん、その他の友人から、緊急性を伴う連絡として連絡先の取得を了承させていただきました。」との文言。

「いったい誰ですか?」と返信する。

「私の本名は燈ヶ崎葵、芸名を「葵坂シグナ」と申します。」


それがどうしようもない俺たちを変える救いの彗星だった。



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