第6話 ここで流れを変える
「一体どうするつもりだ!!」
中年の男の怒号とそれに対して平謝りを繰り返す声が聞こえる。
「申し訳ありません!ですが、既に携帯には電波が入らない状態になってまして…」
中年男性の前に立つ2、30代前後の男が頭を下げたのちにこう言って、さらに続ける。両方とも何回か顔を合わせているが、確か飛田さんの事務所の方だったはずだ。
「他のアイドルの子たちや社員たちにも連絡を取り、情報収集を行っていますが…今日は誰とも会っておらず、昨日に関しても全く不審な挙動などは先ほども申し上げた通り、見つかってないようで。」
このご時世、ネット、あるいはパソコンやスマートフォンを使わなくすれば、ありとあらゆる情報の出入りを絶つ事が可能だ。そりゃ彼女が見つかるわけがない。
「チッ…全くなんなんだ一体…。」
男が舌打ちしつつ、唸り続けている。
「とにかく!もう開場、さらには開演までにも時間がないんだぞ!何とかしてでも連れ戻さないと、もはやうちの信用もガタ落ちだ…」
一頻り唸って舞台裏のスペースを往復したのち、その男が何かを思い付いたかのように声をあげた。
「そうだ、飛田のSNSは使えるはずだろう?」
「は、はぁ…確かにスタッフとの共同運営ではありますから、こちらから操作できないことはないですが…」
「であればこういうことも可能なはずだろうか…?」
耳元で何かを呟く様子が見てとれる。若い男の方が何か困惑したり、「ですが、そんなことがもし露見したら…!」という風に慌てるばかりだ。
「彼女が戻ってこないことには何も解決しないだろう!!」
典型的な押し付け。利益だ、評判だと優先して本人の尊厳か何かを見失っている。スマホの録音アプリをずっと起動させているが、これが流出でもしたらまずいとちょっとだけ思った。まあ、使い所を考えておこう。
「とにかく、なんとかして連れ戻すんだ!!彼女がいないとせっかくチケットを買ったファンによって何が起こるかわからない。ならば逆にこちらにうまく味方をしてもらう他ないだろう!!」
「は、はい…」
彼女、飛田凛が現在進行形で失踪中の事件、どうも何かがおかしいのは明らかみたいだ。彼女の単なるわがままなのか、それとも何かのメッセージ性があるのだろうか。
それにあの事務所側の人たちの行動もどうも怪しい。注意しておこうかな…とか考えていると不意に声がかかる。
「ミラ、何してるのー? 最初の出番私たちなんだから、さっさと集まって〜って言われたでしょ?」
すでに開場30分前、開演までも1時間ほどに迫っていた。振り向けば、すぐそこに那月がいる。
「ごめんなさい。すぐ行く。」
録音アプリを止めた私は気づかれないようにその場を離れた。それにしても一体こういう場合は誰に言うのが正解なんだろうか。
*
時はまた少し遡る。
目の前で偶然が2つ起こる。1つは飲もうと思っていた自販機のドリンクが私の前の人で売り切れたこと、2つ目はその前の人が自販機の当たり機能を当てたことだった。彼女の手元には2本のドリンク。
「あ、あの要る?」
「え?」
目の前で売り切れたもんだからあっ、って声を出してしまったのがバレていたのだろうか。
「私、こっちでいいから。」
「あ、ありがとうございます…」
飲みたかった方を手渡される。気を遣わせたかなと若干申し訳ない。
「これからお昼とか?」
「そうですね、試験中は部屋篭りきりだったので、気分転換に。どこかいい場所とかありますか?」
「私もよくわからないんだけど、とりあえず一緒に探しますか?」
「ありがとうございます。」
私、日下部葉月が在学している高校は神奈川県だけど、センター試験では神奈川県の一部の高校の生徒は東京に受験会場が振り分けられる。慣れないというか、来るのは初めての大学のキャンパスに振り分けられたので、正直、下手に動くと迷いそうだと感じていた。
時間は昼休み。二教科、あるいは一教科の社会が終わり、約1時間の休憩が与えられていた。片手間にお昼を取りつつも最後まで国語や英語の勉強する人も多いが、ちょっとだけ余裕を持ちたかった私は外でお昼ご飯をとることにしていたのだ。
「あの、お名前聞いてもいいですか?」
「えっと、信濃。信濃れいかです。」
「信濃さん。」
「はい。」
「私は日下部です。日下部葉月。」
「日下部さん。」
「はい。」
「「……」」
いや、口下手か私!!!これ以上話すことなんてないみたいな雰囲気出しちゃったよ?この後から会話持続させるの結構厳しいのでは、と急にパニクる。
「あ、ここは?」
「そうですね、ここで大丈夫です。」
「あの、良ければご一緒していい?」
「あ、はい全然!」
「よかったです。」
木を囲む手近な石のベンチに腰を下ろすと二人は同じようにお弁当の箱を開けた。
「カツサンド…」
れいかさんが私のお弁当の中身を見てちょっと驚いたような顔をする。
「昨日の余りなんですけどね〜。験担ぎってことで。」
「すごい厚さ…」
「ミルフィーユカツなんですよね。お母さんがなんか奮発したみたいで。」
この厚さはあなたが積み上げた努力の大きさよ〜みたいなこと言ってたっけ。
「へぇ…」
なんとなく彼女の様子が若干沈んでるような気がして気にはなったんだけど、今日という日で気分が沈んでるってわけは私の考えうる限りで一つしかないので、迂闊に触れることはおこがましいことこの上ないのではと考える。
「あの…元気、出してください。まだ社会だけですし、これから巻き返せると思いますから!!」
「えっ!?あ、いや、試験がうまくいかなかったわけじゃなくて…!!」
「あ、そうなんですか!?すいません、私てっきり……すごい無神経なこと言ってるかもとは思ったんですけど、ちょっとだけ気になっちゃったので。」
「いえ、試験は大丈夫。なんというか他人の心配しちゃってて。友達には今更人の心配するなんて、みたいなこと言われるし、私も余裕ないのに却って自分追い込んでるだけだし、彼自身の問題のはずなので。」
その人、なぜか今日来てないみたいなんです、と彼女は言った。家はきちんと出ていったらしいというのが仲のいいその人の妹さんから聞いた話だった。
すると、電源を入れていたスマホがブブッと震える。ちょっとごめんねと信濃さんに言い、画面を見る。なっちゃんこと三崎那月からの電話だった。確か今日は……かなり大きなイベントじゃなかったっけ。
「もしもし?」
「あ、葉月??」
いつものように彼女の声が聞こえ、私は彼女と話し出した。その後、彼女が遠慮がちに言う。
「あー、で本題なんだけど、もし、もしだよ?試験会場に無断欠席とかしてる人とかいたり………」
「あ、いるみたいだけど…」
思わず信濃さんの方を見てしまう。彼女は怪訝そうな顔をした。
「え、いる?いるの!?聞いておいてあれだけど、嘘でしょ!?」
信濃さんとの先程の会話のことを話す。
「ちょうどその人とさっきなんか色々あって、どうやら友達がなんの連絡もなしに来てないってことを知ったと。」
なっちゃんがそう言ってから少し間が空き、彼女がまた遠慮がちにその人の名前を聞いてきた。これ以上はと思い、私は信濃さんに言う。
「あの、ものすごくよくわからない話なんですけど…あなたのお名前といなくなった人のお名前聞いてもいいですか?」
「え…?」
「いや、なんか友達がそのことについて聞いてきて、無断欠席してる人とかいない…?って。」
「え、なにそのお友達…」
「結構仲良いから、もし無理そうなら全然言ってください。対処できますから。」
しばらく熟考の表情を見せたのち、彼女は口を開いた。
「わかりました。一応その方には私のお名前だけ伝えてください。こちら、或いはそちらから進展があればそれ以上の情報を出す。今はそれしか言えません。」
「わかりました。あ、なっちゃん?」
それから私はれいかさんの名前だけを言い、そのまま電話を切った。
「すみません、友達がなんか…」
「いえ、私も彼のことに関しては気にならないわけじゃないので。まあ、日下部さんが悪人に見えなさそうなので、一応その友達もある程度は信じたというか。」
「はは…ありがとうございます。」
褒められたと解釈しておく。
「とはいえ、受験当日の真っ最中にこんなことやってるんじゃ、私も他人から見たら悠長な人間に見られちゃうのかもしれないわね。」
「ずっと最後まで勉強ですもんね〜。ちょっとおかしくなっちゃいそう。」
「彼もそうなのかな…受験のストレスとか色々あったのかもしれないし、察してあげられれば良かったのだろうけど。」
「手一杯なのはお互い様だったんと思いますけど、それだけ今考えられるなら、その人にもあなたの優しさとかは伝わってると思いますよ。」
言葉に迷い続ける。次の国語の試験はこんな調子で大丈夫なんだろうかと心配にもなる感じの心情の察し方、言葉への具現化の出来だ。
そのままチラッと腕時計で時刻を確認する。もうそろそろ戻ってもいい頃かもしれない。
「戻りましょうか。そろそろ、いい時間ですし。」
「あ、ええ。お昼付き合ってくれてありがとう。また何かあったら教えて。受験番号教えとく。」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。お互い頑張りましょう。」
受験番号を教えられる意外さに戸惑うも、彼女とは一旦別れ、私も一旦なっちゃんのことは忘れることにした。
事態が急転したことを知ったのは国語の終了後のことで、私がこの後の騒動に巻き込まれるのは1日目の試験が終了した後のことだった。
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