第4話 行ったフリだけはしておいて

「なんか人多いですね。」

 京葉線ホームまで行く長い通路の途中まで多くの人でごった返していた。人の波を時に進み、時に止まりながら右へ左へ器用にかき分けていく彼女の後ろへついていく。

「イベントでもあるんじゃない?」

 彼女は素知らぬ感じでズンズン進んでいく。途中の動く歩道に乗り込む時に俺の右隣に並んだ。グイッと右腕を掴み、体を寄せてくる。

「ふふっ、やっぱこの方がいいかなって」

 クスッと笑い、こちらの方を向く。そんなことを連発してくるので、照れるのが止まらない。アイドルってこんな距離近く接していいのかと腕をからまれながら考える。

「そういえばさ、」

 そのままの体勢で彼女が不意に言う。

「全然名前で呼んでくれないよね。私のこと。」

「!?」

 ギョッとした表情で彼女の顔を見る。にこやかな笑顔を向けながら彼女はこっちの出方を窺っている。

「呼んでよ、凛って。」

 若干真剣な表情をさせたのち、ニヤニヤと笑う。これは何かを期待してる顔だ。何なのかを自ずとわかるが。

「いやでも年上だし…」

「私は別にそんなの気にしないし。」

「こっちは気になるというか…」

「でも付き合ってるのにな〜、残念だな〜。」

 弄ぶというのがどういう状態なのかを説明するのにぴったりなシチュエーションなのだが、やられている身としては正直複雑だ。やられっぱなしであるというのが、自分の中ではいけないことだと考えるが、何故それがいけないのかという明確な理由が出せないまま、京葉線のホームへの距離だけが近づいている。ともかくやられっぱなしでは男の心の中の何かが許してくれそうもないので、意を決して口を開く。

「り、凛……………」

 少しポカンとした後、彼女はまた少し笑って言う。

「まあ、及第点かなぁ?」

「これでも頑張ったんですけどね。」

「もっと精進するべし、とでも言っとくよ。受験もそうでしょ?」

 プラットホームに着き、乗車位置の2列の隣り合う位置に並ぶ。

「めっちゃ努力した奴が必ず勝つわけじゃない。でも努力しなけりゃそもそもスタートラインにも立てない。それでも最後に笑うためには運の要素まで絡んでくる。」

「それこそアイドルだって同じじゃないんですか?」

「あはは、そりゃそうだけど、ギャンブルの度合いが違うから。」

「いや人生賭けてるって点では同じでしょう?」

「賭けてるものがそうでもギャンブルの度合いの問題。アイドルに安パイなんてないから。」

 それはそうかもと思う。安住の地があれば、あるいは決まった路線で売れることができればみんなが幸せになれる。現実はそう甘くない。

「それでもここまで上り詰めたんでしょ、凛は。」

「そりゃ血反吐吐くくらいやってたからね。」

「その努力を運や自分が裏切ってないってことだ。俺と違って。」

 スーッと京葉線がホームへと入ってきて2人は乗り込む。

「それは、違うんじゃない?」

「え?」

 ぞろぞろと大勢の人が乗り込み、自然と彼女との距離を近づけなければいけなくなる。気さくに話してくれているが、彼女自身はアイドルなのだ。あまりこう踏み入ったことをすればいつスキャンダルに足を踏み入れるか分からない。そんなことを考えつつ、彼女の言葉の続きを待った。

「君の事情は知らないけど、私がいなかったら君は普通に試験受けてたわけだし。……お互いそういう事言い合うのはなしにしない?」

 扉の前にお互いが向かい合う構図になる。若干の上目遣いで俺を見据えてくる彼女の有無を言わせぬ迫力に気圧されるばかりだった。

「うん、まあ、凛がそれでいいなら。」

「別に。私もあなたもできれば変な気なんて使いたくないでしょ。」

「あ、うん。それは…そうだな。」

 彼女の視線から逃げようとして、ついでに若干踏んでしまったお互いの地雷原から安全地帯に戻ろうとして会話のネタを列車内から探し出している。すると、とある男たちの身につけているものに目が惹かれた。あのバッグにつけられた缶バッジ、恐らくあのデザインから察するにアイドルの誰かのファングッ………そしてその向こうの列車広告は………

 ここまで察して俺は一つの可能性に気づき、眼前の少女に対して目を見開いた。

「気づいた?」

 ふふっと冷たく笑った彼女に信じられないとといった顔をする。

「……マジで?」

「一応、の近くまで行くフリはしておこうかなって。まあ、集合時間的に考えてももう遅いんだけど。」

 列車のサイネージ広告が無機質に無慈悲に画面に字幕を映し出している。

「アイドルスーパーフェスタ1/18(土)開催!!

 出演者:渕野辺莉愛、飛田凛、photon、ほか多数の人気アイドル出演決定!!」

 彼女がとんでもない事を起こしてしまっていることには気づいていた。しかしのことの重大さは俺の想像を遥かに超えた。

 いや、考えることくらいはできたはずだ。よくよく考えたらネットニュースでもやっていたことだし、SNS上でもアイドルファンの受験生の阿鼻叫喚の様で笑っていた自分もいたのだから。

「たった一度の過ちで自分の努力を裏切ったと君が言うなら、それは私も同じ。もうアイドルの飛田凛は捨てた。その覚悟で私は今君といるの。」

 これは悠長なデートなんかじゃない。文字通りの逃避行で、誘拐という犯罪なのだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る