第4話『M』

 居間の人影を見た時、アタシは戸惑った。まさかの愛人だと思ったのだ。結局というか、やっぱりそんな事は無かった。しかも、相手がラブドールだったので、アタシは最大限の軽蔑と侮蔑を遠慮なく夫へ向けることが出来た。


 しかし、アタシは間近で見たラブドールの出来具合と精巧さに驚かされた。ドールの瞳を覗き、鳥肌が立った。触れた白肌に、滑る舌跡を見た。

 勿論、どんなにイヤラシく精巧でもラブドールはお人形だ。マスターベーションの道具でしかない。それなのに、あの動かない、物を言わない“穴存在”が、アタシの癪に障った。これは嫉妬心や劣等感などでは断じて無い。


 特集のタイトルは“真実の愛を見つけた男達”だった。

 ページには、セクシーな装いで微笑むダッチワイフ達がいた。その隣には“真実の愛”を手に入れた男達が並ぶ。誰もがとろけそうな笑顔だった。アタシの目に、この男達の献身ぶりが浮かぶ。だから、この男達にも、軽蔑と侮蔑を遠慮しない。


 レポートの冒頭はインタビューだった。

 

 インタビュアーの問いに、インタビュイーが“一目ぼれ”“生涯唯一”“最愛の恋人”“最後の恋人”と答える。

 繰り返し賛美を並べるインタビュイーからは、ラブドールへの非難中傷は全く無い。こうしたラブを書き連ねていけば、雑誌一冊では不足するだろう。至る処で語られる“真実の愛”にアタシは白け気味だった。

 男達の熱いラブに、反論する気も、同意する気もアタシには無かった。ただ、主張される“真実の愛”は、随分と軽いモノに思えた。インタビュイーの男達は、ドン・キホーテやグーグルサイト、その他ネットショップで買えてしまうような商品に“真実の愛”を捧げてしまうらしい。


― 結局“オタク”じゃないか。


 オタクは嫌いだった。それでも、アタシはパラリ、パラリとページをめくっていった。


 数ページにわたりインタビューは続いている。そして、インタビュイーのほとんどが、四十がらみのオヤジ達だった。

 彼らは『性生活が減った』『結婚生活は輝きを失った』『心から安らげるのはドールだけ』『妻は劣化した』などと、答えている。


― あらら。


 インタビュイーの妻達を気の毒に思った。此処に居るアホな男達はダッチワイフと妻を対比している。

 

 白髪が混じる40歳過ぎなら、結婚生活はソコソコに長い筈だ。その期間、夫の性処理だけで済んだ妻は全世界にも皆無だと思う。それ以外の貢献を無視し、この男達はダッチワイフと妻を並べる。


― 報われないわね。


 そして妻達は、ダッチワイフに劣ると判断された。コイツ等にとって妻は性具でしかなかった。


― だけれど。


 大抵の男達はこんなものだと思う。

 男は四〇歳過ぎでも、色にボケている子供なのだ。男達の頭には、玩具とセックスしかない。しかも、ラブドールにはその二つが備わっている。そして、いつでも新品だ。



 薄衣のラブドール『まどか』の手入れが完璧である事は一目で分かった。

 メイクこそしてはいなかったが、身に着けていたレースのワンピースも下着も上物だった。しかも、それらがあのラブドールには似合っている。それで、あのダッチワイフに対する夫の献身度を測るには十分だった。

 

 夫も“真実の愛”を『まどか』に見つけたのだろうか。


― 本当に、くだらない奴。


 繰り返すが、アタシは『まどか』を“女”だとは考えていない。

 あんなモノは、あくまでダッチワイフで、只の性具だと思っている。だから、嫉妬などある筈が無い。そもそも、夫との関係はとっくに冷え切っていて、“金さえくれれば本当にどうでも良い”が夫への偽りの無い本心だ。


― なのに。


 アタシはモヤモヤしている。原因は『まどか』である。理由も分かる。それが不快だった。


 アタシは再び、雑誌に目を落とした。これは通信社が発行している経済情報誌なので、大衆紙には無い信用がある。その為、購読層は大きくはない。だが、真面目な会社員に広く読まれ、彼らには社会的地位と経済力があった。



 “テンガ”の躍進が背景にあるのだろう。レポートは“性具”という、伏された経済圏に注目し、その可能性を指摘していた。

 一体30~50万円のラブドールが、年間2000体以上売れている事を強調し、ラブドールを一とする”性具”の社会浸透を示唆している。


 読み続けるアタシは、その内容が次第に販促に傾くように感じた。

 お堅い雑誌なので“穴存在”にハマった芸能人の登場などは、もちろん無い。その為、コマーシャルとしてのパンチ力は弱かったが、このレポートを目にした男達がラブドールに興味を持つことは間違いないだろう。


 地位と経済力で、女が絶えないであろう彼らが、濡れもしないラブドールに“真実の愛”を見出すかは不明だ。しかし、“秘す趣味”として適当である事には気が付く。精巧にできた人形は美しく、ミステリアスで、なにより無口だ。

 

大半の彼らは女に飽きている。辟易もしている。だから、刺激を求め買うだろう。


 

 アタシは雑誌を閉じた。そして、すっかり泡の消えた炭酸水を飲んだ。ぬるくなった為、薬品臭が強く感じられた。それを一口のみ、増々嫌になった。

 

 アタシは中身を個室に備え付いた手洗い場に流した。ラーメンスープの類は厳禁だが、この程度は許されるだろう。そして、アタシは雑誌を手にして立ち上がる。冷たく、新しい飲料を取りに行くついでに、この忌々しい雑誌を返却してしまおう。



 人間にとって食べる事、寝る事と同様に、自慰やセックスは自然な事だとは理解できる。そして、食べる事、寝る事と同様に、自慰やセックスには愛があるとは限らない。

 そもそも、男達の云う“愛”とはナンダろうか?ピストン運動の快感なのか?射精感か?絶頂感なのだろうか?それとも、精神的な満足なのだろうか?独占欲や所有欲などの達成感なのだろうか?


 マスターベーションやダッチワイフとのセックスにもそれらはあるだろう。それらが50万円で得られるならば、とても素晴らしい事だと思う。


 そんな事を考えながら、アタシのモヤモヤはイライラになっていた。アタシはやたらと腹が立っている。

 扉を開き、薄暗い廊下の中で、アタシは原因となったレポートの一行を思い出していた。それが頭に刺さって抜けやしない。



『ドールは夫の寝室に居座っています。そして、ベッドから私をあざ笑っています』



 この妻の言葉が、嬉々として『まどか』を抱く夫を見せた。毎度、毎夜、毎日、夫は新品の『まどか』を抱く。


― この妻はアタシだ。


 アタシはマガジンラックに雑誌を叩きつけた。


 知り合って、すぐにアタシ達は結婚した。そして、すぐに擦れ違いになった。

結婚の理由は忘れたが、擦れ違いの理由は“価値観の違い”だった。そして、その根本にはアタシが非処女だったことがある。


 夫はアタシを処女だと思っていた。だからこそ、結婚を急いだ。そして、初夜の後、夫は離婚を考えたと思う。世間体を気にして口にはしなかったが、アタシには分かった。成功者である夫は、見映えをとても気にしていた。

 

夫は裕福で若々しく、活動的で羽振りが良かった。最新のスーツや時計、高級車で身を包み、防御を完璧にして人前に現れた。そんな夫にとってアタシは唯一の穴になった。


 サイトで出会う男達は最低で退屈だ。ペニスに自信を持った、不細工で貧乏な男ばかりだ。アタシにとって奴らは腰を振るだけの存在でしかない。それでも、暇つぶしにはなる。ヤッている間だけは、感じないでいられる。

 

 ただ、最近、それにも飽きてきた。ヤッていても思い出してしまう。

 

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