第26話 棘
「タケシ、何やら随分と上機嫌だな?」
夕食の席で、アイシャがタケシの顔をまじまじと見つめながら問い掛けて来た。
「えっ?そ、そうですか?」
そう答える猛の表情は、頬が緩みそうなのをやっと堪えているような状況だ。
猛は、自分が今アイシャの言う通り上機嫌なのか。
はたまた、心がざわついて落ち着かないだけなのか、自分でも判断が付かなかった。
昼間助けたボウリング場の気になる店員・イルメラから指定された時刻まで、あと4時間に迫っていた。
────第26話 棘────
「ふふ。アイシャもまだ、そういう所には鈍いね」
リンガランド家の当主・ザルフが何かを悟ったような笑みを浮かべながらこちらを見ている。
ま、まさか……
「む?どういう意味だ父上?」
「年頃の男の子が上機嫌になる理由といったら……そりゃあ、ね?」
ぐっ。やっぱり、悟られてる……
「…………ほう。そういう事か。タケシ、お前も案外『スミに置けない奴』と言う事か?」
ちょっ、ザルフさんは何も言ってないのに、何でアレでアイシャさんも理解しちゃうんだ……
「い、いや!そういうのじゃなくてですね!?ひ、昼間に市民の人を助けた時に、『強いですね』って言われたのが嬉しくて、それを思い出してて!」
殆ど事実なので、ウソをついてはいない。不自然さは無いだろう……たぶん。
「ふふ、そういう事にしておこうかな」
うう、なんか勝手に理解した気になられてる……いや、その実理解されちゃってるんだけども。
「ふぅ……お前は意外と能天気だな。私など……はぁ」
ん?アイシャさんに溜息なんて似合わないし珍しい。どうしたんだろう。
「ふふ、アイシャの恋路は前途多難だからね。何しろ、相手は今国中で噂の『
「え、ええっ!?!?」
猛は思わず叫び声を上げた。
な、何でザルフさんがアイシャさんのソレを知ってるんだ!?
「私から話したのだ。父は常々、『交際するならお前より強い男にしろ』と言っていたからな。実際のところ、そんな男は数少ないのだが……私を窮地から救い、レンド隊長らを多対1で叩きのめしたあの『
な、なんて堂々とした恋なんだろう……親にそこまで話せるとは。
「だけど、初めて会って以来なかなか会えなくて落ち込んでいてね。『今度会えたらその時は……!』なんて意気込んでいるんだよ。相手として申し分無いし、私としても応援してやりたいところでね」
……なんてことだ。僕の知らない内に『親公認』になっていたとは。
……ていうか、いやいや、違う。
アイシャさんが惚れて、ザルフさんが認めているのは、あくまで『
僕、『穂野村猛』ではない。
僕自身にとっても、未だに『
とてもじゃないけど、『
僕は、そんな大それた人物じゃない。
『
だから、目の前の、美しくて凛々しくて優しくてカッコ良い、そんな女性に、『
僕からすれば、未だにアイシャさんは『高嶺の花』だ。
それも半端な高嶺ではなく、そびえ立つ霊峰の山頂に咲く花のような。
だって、【英雄】だよ?
僕と同い年なのに、自分の力だけで国中で【英雄】と認められるほどの成果を成し遂げた凄い人だ。
……そんな【英雄】アイシャさんに比べて、と言ってはなんだけど。
ボウリング場の店員な庶民派のイルメラさんの方がまだ、何というか……現実的というか、手が届きそうというか。
いや、僕にとっては『高嶺の花』である事には変わりないけど。
アイシャさんがエベレストに咲く花だとしたら、イルメラさんは……富士山くらいであるような、希望的観測が……。
うん、どの道『高嶺』なんだけど!
そんな人から、『強い』とか『気に入った』とか言われて、心が躍らない訳がない。
そして、そんなイルメラさんから『お礼』として、夜にボウリング場に呼び出し……
いったい、何があるんだろう?
他の店員やお客も居るんだろうか?
……もし、2人きりだとしたら。
『夜遅くに、若い男女が2人きり』。
そこから示唆される発展先を、思春期真っ只中の猛が想像出来ない訳がなかった。
いやいやいやいや、まさか、そんな……
きっと、一緒にワンゲームやってくれるとか、そんなんでしょ。
うん、そうだ。ていうか、それでも僕としてはきっと楽しい。
待ち合わせの時間には、絶対遅れないようにしないと。
そして、時間は過ぎていき。
こっそり屋敷を抜け出した猛は、イルメラの勤めるボウリング場へとやって来ていた。
今は、夜の10時55分。5分前なら早過ぎず遅すぎず、丁度よい塩梅だろう。
通常はもう閉店している時間だが、入り口は開いていた。
薄暗い店内を進んで行くと……コート内に着いた。
「……えっ?」
そこは、いつもと少しだけ様子が違っていた。
コート内の照明はどことなく妖しく薄暗い色合いになっており、何か仄かに良い香りが漂っていた。
何というか……アダルトな雰囲気、というか、その……
いつもと違う様子に、猛が戸惑っていると。
「みぃつけた」
後ろから、何者かに抱き着かれた。
いや、何者かなど、振り向いて確認せずとも分かるというものだ。
常識的に考えれば、今日ここに自分を呼び出した人物に決まっている。
そして、何より……背中に当たる、凶悪な柔らかさを誇る2つの物体の感触が、あの人である事を全力で主張していた。
「い、イルメラさん?」
「あ・た・り。来てくれて、ありがとね」
イルメラは、昼間のように猛の耳元で囁くように返事をする。
「い、イルメラさん?なんか、その……コートの様子が、いつもと違うような気が……っ!?」
そう言いつつ振り返った猛は、イルメラの姿を見て息を呑んだ。
その大きな2つの果実を、惜しげも無くアピールするような露出度の高い薄着。
猛の視線は、あっという間にそこに引き込まれた。
「もう……分かってるクセに」
イルメラは、両腕を猛の背中に回しながら絡んで来た。
「え、えっ!?ちょ、ちょっとイルメラさん!?」
母親以外の女性にこんなに近付かれた事が無い猛は当然慌てふためく。
そんな猛の反応を愉しむかのように……イルメラはクスリと笑った。
「強いのに、ホント可愛いわね。お姉さん、ますます気に入っちゃうわ」
イルメラはますます猛に密着し、もはや互いの胸がピッタリとくっつく距離にあった。
「ねぇ……今は夜も遅いわ。そんな時間に、ウブなオトコの子と、そんな子を気に入った若いオンナが2人きり。……ねぇ……どうなっちゃうのかな?」
顔をくすぐるように当たる、イルメラのウェーブのかかった艶めかしい黒髪。
吐息混じりの囁くような声。
胸に押し当てられた、2つの凶悪な果実。
その全てが、猛の思考を爛れた方向へと導いて行く。
「ねぇ、キミ。キミの『はじめて』……食べちゃっても良い?」
ここまで露骨な言動をされれば、いくらなんでももう猛に疑いの余地は無かった。
イルメラさんは……僕を……僕と……
「キミがいっつもじーっと見てた、お姉さんのカラダ……好きにして、良いんだよ?」
猛の理性が、悲鳴を上げていた。
常識的に考えれば、会って大して間もないのに、こんな事に誘ってくるのは何か不自然だ。
こんな美味い話がある訳がないと、猛の理性が警笛を鳴らす。
しかし、思春期真っ只中の異性への興味と好奇心の前では……その警笛は、虚しく響いてフェードアウトしていくに過ぎないものでしかなかった。
「ほら、お姉さんに、全部任せて。ウブなキミを、ひと晩かけて『オトナのオトコ』にしてあげる。その気があるなら、抱きしめ返して?」
これから待ち受けるであろう快楽の数々に、猛の思考はもはや崩壊寸前であった。
そうだ。僕も『オトナのオトコ』になれるんだ。
みんなやってる事なんだ。これは何も、不自然な事じゃない……
猛はイルメラに言われるがまま、彼女を抱きしめ返そうとした。
────その時。
猛の頭の中に、あの時の光景がふと浮かんだ。
街から少し離れた人気のない平原で、アイシャから打ち明けられた、彼女の想い。
『(私は、あの人に……私を救ってくれたあの人に…………ほ……惚れたのだ)』
恥ずかしそうに頬を赤らめながら告白したアイシャの言葉に、ふと猛の頭の中に一つの想いが芽生えた。
『裏切る事になる』。
別に、アイシャさんとは付き合っている訳でもない、何も後ろめたいことは無いはずだ。
だけど……。
アイシャさんの想いを知っているのに。アイシャさんが、『
他の女性と……そんな関係になるなんて。
何かが。何かが、間違っているような気がする。
僕は……今ここで……!
その直感は、欲望に流されようとしていた猛の身体を強制的に動かした。
イルメラを抱きしめようとしていた自らの身体をグイッと引き、半ばオーバー気味に彼女からその身を離した。
「す、すみません!僕やっぱりこういうのは!」
後から思い返してみれば。
この選択は、本当に自分の身を助けたと思う。
何せ、自分が身体を動かすほんの0コンマ数秒前にカイガの『猛、今すぐ離れろ!』という声が重なり。
その身を離したイルメラさんの表情は、絶好の好機を逃したような憤りで歪んでいたからだ。
「チッ……勘が良いのね。さすが、【救世を託されし者】。そして……噂の『
声の調子ががらりと変わったイルメラの指先には。
毒々しい色の液体が滴る、鋭く長い着け爪が着いていた。
「……まさか、貴女は?」
恐る恐る尋ねる猛に、イルメラは妖艶な笑みを浮かべながら答えた。
「そう、先日は『鉄球のロンボ』やレンドが世話になったわね?これから、貴方の首を土産として持っていく予定の……【ベラティナ】の1人、イルメラよ」
そう語るイルメラの着けたベルトには。
両の先端に、髑髏と、苦悶に叫ぶ顔が描かれたVのマークが記されていた。
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あとがき
読んでくださってありがとうございます♪
綺麗な花には……
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