第2話 アイシャ・リンガランド


僕自身も半信半疑だったけど、隣に立つ彼女に、今の自分が置かれている状況を説明しておく事にした。

会って間もない人ではあるが、この人なら例え突飛に聞こえるような事でも小馬鹿にしてくるような人ではない、そんな気がしたからだ。


突然見知らぬ世界に来て、帰る方法も分からない。

よくありがちな、異世界に来る時に何かしらとんでもないチート的能力を授かった、なんてワケでもない。

そんな中で僕一人の力で何とかするなんて事は、現実的に考えて不可能だ。

事情を知る人を、作っておかなければならない。


「ほう……この世界とは全く別の、魔法など存在しない世界から、気が付いたらいつの間にかあの風呂場に来ていた……という事で良いのか?」


「はい……僕も自分で言ってて信じられないですけど」


これが集団ドッキリでなければ。と、心の中で文章を完結させた。

……いや、むしろそっちの方が長い目で見ればマシかもしれない。いっときは嫌な思いするけど……


「素直には信じ難いが……お前からは何の妖しげな力も感じない。何の力も持たぬ者が、私に一切悟られずにあの風呂場に現れる事など出来るはずもない……まあ、お前の話を信じる事が一番納得が行く筋である事は確かだな」



良かった……信じてくれそうだ。


「ただ、それが本当だとして……お前はこれからどうするつもりだ?」


「えっ?」


突然の問いに固まる僕。

……正直、常識を超えた驚きの連続で何も考えていなかった。

しかし、見知らぬ世界に放り込まれた冴えない高校生が1人。

まず間違いなく、この世界で過ごしていく事は困難だろう。

となれば、僕のやる事は1つだ。


「えっと、とりあえず……元の世界に帰る方法を探したいです」


今はまだ、この世界の事も、帰る手がかりも何も分からない。

が、なんとかして探すしかないだろう。


「そうか。ならば、それまでの生活のアテは……いや、聞くまでも無いな。この世界の事を知らぬ上、戦う能力など持っていなさそうなお前にどうにかするアテは有るまい?」


「は、はい」


「ならば、しばらくはこのリンガランド家で面倒をみてやる。お前が何も問題を起こさなければ、な」


「えっ!?それって、しばらくここに居させてくれる……って事ですか?」


「ああ、1人くらい住む者が増えても問題あるまい。そうだ、まだ話していなかったな?ここはセタン国マルシャ地区のリンガランド領・リンガランド家だ。そして、私の名は──────





──【第2話 アイシャ・リンガランド】──



「────アイシャ・リンガランドだ。この領地を治めるリンガランド家の長女で、セタン国護衛騎士団第1部隊長を務めている。以後、よろしく頼む」


りょ、領主の娘?しかも、若い女の子なのに、護衛騎士団の部隊長!?

す、凄い。具体的には分からないが、その響きだけで『名家のエリート』であるという事は分かる。

ただの高校生、しかもその高校生の中でも冴えない僕とは全く違う……


「さて、こちらも自己紹介したんだ。今度はそちらにも改めて自己紹介して貰おうかな?」


「あっ、はい……えっと、『ホノムラ タケシ』って言います……え─っと、その」


アイシャさんのように、その後に続けられるような肩書きが全く無い。

強いて言えば『日本の高校生』だろうが、この見知らぬ世界では意味を成さない訳で……


「……すみません、特に名前以外言える事が思いつかないです」


黙ったままでもマズいので、正直に言ってしまおう。


「違う世界から来たのだろう?こちらの世界で通用する肩書きが無いのも当然だ。気にする事は無い、そうだろう?」


うう……表情に出ていたのだろうか、見透かされてしまった。


「大事なのはこれからどう歩むか、だろう?今後お前も、何か胸を張って名乗れるようなモノになれるかもしれないじゃないか」


「……だと、良いんですけど」


正直、全くそうなれる気は無い。

この凄絶エリート令嬢に対して、僕が胸を張れるような事なんて……


「まあ、それはともかく……お前の目的の力になってやりたいのは山々だが、そろそろ任務に赴かねばならないので失礼させてもらうぞ。父上に話は通してあるから、お前が妙な事でもしない限りは父上とこの屋敷の人間が力を貸してくれるはずだ……じゃあな、タケシ」


「は、はいッ!?」


突然下の名前呼びをされて、驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。

……女性に、しかもこんな凛々しくて立派で綺麗な人に下の名前で呼ばれるなんて、今までの人生では無縁な話だったわけで。


「何だ?突然驚いたような声を出して……まあ良い、メイドのこの部屋に呼んでおくから、あとはそのメイドが父上の部屋まで案内してくれるだろう。では、私は行く」


そう言い残して、アイシャはキビキビとした歩調で足早に部屋を後にした。


その場で待つこと数分、メイドの女性がやってきて大きな部屋に案内され、アイシャさんの父親──つまり、この家の当主と対面した。



────そこから数日の時の流れは、とても早かった。


対面前までは『領主』と聞いてあまり良いイメージを持っていなかった当主も、元々一般の家庭からの成り上がりによって領主となった家だそうで、

『どろどろの権力争いに巻き込まれた時なんかは大丈夫か?』と言いたくなるほど、朗らかで人柄の良いおじさまであったのは助かった。

「娘が問題無いと判断したのであればその通りなのだろう!」と、何のアテもなくこの世界に来てしまった僕に全面的に協力してくれる事を約束し、

彼が付けてくれたメイドさん達の協力で、数日間の間この世界の事を色々学ぶ事が出来た。


まず驚いたのが、この世界は確かに『剣や魔法』が現役で活躍している世界なのであるが、

僕の世界で数十年以内に誕生したばかりのはずの文明も結構散見しているところだ。


まず生活設備であるが、例えば、上下水道の設備なんかは僕の世界とほとんど変わらぬレベルで整理されており、

蛇口を捻れば飲める水が出てくるし、トイレもバッチリ水洗である。


『電気』という概念も普通に世に浸透しており、

あまり高度な製品は無いが、電灯や冷蔵庫・掃除機や空調と言ったモノも存在していた。

尤も、発電技術や燃費の問題から、発電所だけでなく魔道士の雷魔法に頼ったりしているところも有るそうだが。


更に、暦や時刻の数え方。なんとこちらの世界もかなり昔に『1年は12ヶ月・1ヶ月は30日前後・1日は24時間』……等が決まっているらしく、

時間や日時の進み方は元いた世界と全く同じであった。

ただし、『西暦』ではなく『央歴』、今は『央歴1508年』である所は元と違うが……


また、学問も魔法学を除けば元いた世界と変わらないようだが、

義務教育というシステムは世界の殆どで採用されていない事、

学びたい少年少女は皆、南の大陸・ホレンの国にのみ現存するいくつかの学校へ留学するとのことだ。


おかげで、こちらの生活に慣れるのは早かった。

時々、こういう『異世界に来ちゃった』というタイプの小説や漫画を見た事はあるが、

憧れる反面、『何もかも元の世界と比べて違ってたり遅れてたりしたら困るよなあ』なんて事も考えていた。

なので、いざ自分が本当に『異世界に来ちゃった』今、そういう無視できないデメリットに対面しないのは大助かりであった。


また、僕がいきなりお邪魔することになってしまった、ここリンガランド家についても色々勉強する事が出来た。

なんでも、先祖代々から続く由緒正しき貴族……という訳ではなく、セタン国から名誉貴族として認定されたのはほんの2年前の話。

そしてその理由が、あのアイシャさんの功績によるものだという。

女性にそぐわぬ……どころか国のほとんどの剣士を圧倒する強さを誇り、

その力を私利私欲に使う事無く、国内の問題解決に注ぎ込む彼女の姿勢を認めた……のだそうだ。


そして今僕は、リンガランド家の屋敷が有る町から少し離れた、原っぱの木陰に腰掛け、想いに耽っていた。

全く見知らぬ世界に飛ばされはしたが、元の世界の常識が通用する所も割とあるし、リンガランド家の方々もとても親切にしてくれているから、

当面の不安は取り除かれた。そう考えても良いかも知れない。

それとは別に、今考えていたのは……アイシャさんの凄さだった。

当主様の話によれば、彼女はまだ17歳……つまり、僕と同い年だそうだ。

僕は、元の世界でも何一つ成し遂げられず、ただただその日を過ごす毎日を送っていただけの人間。

しかし、同じ量の時間を過ごしてきた彼女は、その力を国に認められ家を貴族に成り上げてしまう程の功績を残していて……


(……凄い。それしか、思えない)


ハッキリ言って、僕が会ってきた人物の中でも一番『雲の上』な人だ。

自分の力のみでそこまで成り上がれるなんて。


(自分の力の無さに胸が苦しくなる、なんて無いんだろうな)


そんな嫉妬の念が頭に浮かんでしまう自分が、情けなくて悲しくなる。

僕は目をつぶり、大きなため息をひとつ吐いた。




────そんな時だった。

いつの間にか目の前に、火の玉が飛んできていた事に気が付いたのは。


「!?」


反射的に、身体を左に捩らせて、なんとか直撃は免れた。

しかし髪に擦ったようで、焦げた臭いが鼻を突く。


「ちっ……避けやがったか」


火の玉が飛んできた方向を向くと、黒いローブとフードを身に着けた男達が3人並んでいた。

間違いなく、今の火の玉はコイツらが放ったものに違いない。


「ちっ、騒がれると面倒だから一発で仕留めたかったのによ」


「ケッ、てめえのウデじゃ一撃で仕留められねえって言ったろうが?その点俺の斧なら一撃でバッサリと……」


「あぁ!?だったらお前は気付かれずに遠距離から仕留められるってのかよ?」


「ケッ、そういうてめえの魔法だって結局気付かれて避けられただろうが」


火の玉を放ったと思われる、痩せ型の魔法使い(?)と、斧を携えた大柄な男が言い争っている。

いかにも、チームワークの無いならず者同士の仲間割れと言った感じだ。

しかし、そんな2人を残る1人が制した。


「お前達……その辺にしておけ」


その男の一言で、言い争っていた2人が黙った。

この男がリーダー的存在なのだろうか?

……いや、今はそんな事はどうでもいい!

コイツらは、明らかに僕を傷つける・あるいは殺すつもりで攻撃してきた!

だったら、今の僕がやるべき事はひとつ……今すぐこの場から逃げる事だ!!


猛はならず者達に背を向け、全速力で一目散に街の方へと走り出した。


だが────


「そうはさせん」


距離は離れていたはず。

なのに、リーダー格と思わしき男が、一瞬で僕の目の前に立ち塞がっていた。


「えっ!!?」


猛は驚いて止まり、飛び退いた。

……いや、飛び退こうとしたが、動けなかった。

足が文字通り凍りつき、その場から動けなくなっていた。


「どうだガキ?俺の得意なのは氷の魔法なんだよ」


先程火の玉を放った魔法使いの男も、すぐ後ろまで迫ってきていた。

僕の足を凍らせたのはコイツの仕業らしい。


「悪く思うな、少年。『依頼主』から、お前のような身なりの少年を殺せ』とな……依頼を受けたのだよ」


な……何故?どうして僕が……いや、僕のような身なりの少年が狙われる理由が!?


「そうそう、『持っていれば、紫に輝く石を回収しろ』とも言われたなあ……てめえ、持ってんじゃねぇか、ゲヘヘ……」


のしのしとこちらに歩いてきた斧使いの男が、舐め回すように僕の胸元に輝く謎の石を見ている。


「『自分を狙う理由は?』と言いたい所だろうがね……私達は理由までは聞いていない……悪いが、ここで死んでもらおう」


そう言って、リーダー格の男が剣を、大男が斧を構えた。


「ヘヘ……せめてひと思いにやってやるよ。ありがたく思うんだな」


何がありがたいだ!

けど……声が出ない。恐怖で、声がまともに出ない。

「あ……あっ……」とか、そんなような、言葉にもならない声しか絞り出せない……


「では、ゆくぞ。いち、にの……さん」


2人の腕が、振り下ろされる。

僕はどうする事も出来ず、思い切り目を瞑った。



────────その瞬間。



「むうっ!?」


「ぐああああああああああああああああああああっ!?!?!!?」


リーダー格の男は、猛然と疾走してきた見事な美しい馬に跳ね飛ばされ。

斧使いの男の両腕は、斧を固く握りしめたまま、身体から離れ宙を舞っていた。


何が起きたのか分からなかった猛であったが、彼にかけられた声で、この状況の救い主が誰かはすぐに分かった。


「無事か、タケシ!?」


目の前には、鎧を纏い、1本の見事な剣を構え顔をこちらに向けた、アイシャが立っていた。


「は……はいっ」


突然の出来事に、僕は返事をするので精一杯だった。


「良かった。後は、任せろ」


手短にそれだけ言うと、彼女は、構える2人とうずくまる1人に対し、剣を構えた。


「このセタン国で狼藉を働く愚か者達よ、今ここで裁いてくれる。セタン国護衛騎士団第1部隊長……【魔法剣士】・アイシャ・リンガランド。参る」


彼女の構える剣に、炎が燃え上がった。

それと同時に、先程まで美しい黒髪であった彼女の髪が、一気に燃えるような紅い髪へと変化した。


「ま、【魔法剣士】!貴様があの『英雄』────────


リーダー格の男が言い切らない内に、アイシャはあっという間に間合いを詰め斬りかかっていた。

リーダー格の男は受け止めようと剣を構えた。

だが、構えたその剣ごと、男の身体は一閃された。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」


男の口からは苦悶の声が、斬られた身体からは燃え盛る炎が吹き上がった。


「き、貴様!」


魔法使いの男が火の玉をアイシャに撃った。

が、アイシャは構わず、放たれた火の玉に突進していき、

炎の剣で、襲い来る火の玉を真っ二つに斬り裂いた。


「げえっ!?」


魔法使いの男が、驚きの声を挙げたのも束の間。

次の瞬間、魔法使いの男の身体も彼女の炎の剣によって斬り裂かれた。


「うわああああああああああああああああああっ!!!!!」


先程のリーダー格の男と同じく、身体が燃え盛る炎に包まれ崩れ落ちる魔法使いの男。


「このアマああああああああああああああああああ!!!!!」


両手を斬られた大男が、やけくそのように肩を怒らせ突進してきた。

動かないアイシャ。大男との距離が縮まる────もうぶつかる!


しかし僅か手前で、アイシャは身体を回転させ躱す。

そしてその回転の勢いそのまま、剣を大男の胴体に振るった。


「く……そがあああああああああああああああああ……」


虚しく響く大男の断末魔と同士に、大男の身体から炎が吹き上がる。

その吹き上がった炎は、この僅かな間の戦いの終わりを告げる合図となった。

アイシャの剣から炎が消え、それと同時に髪の色も紅から黒へと戻った。


「さて……あとはお前の足枷になっている氷を溶かさねばな」


ならず者達をあっと言う間に始末したアイシャは猛の方を向き、凍っている猛の足に向け小さな火の玉を指から出して投げかけた。


「しばらく待っていろ。じきに壊れ動けるようになる」


氷越しとはいえ足元がめらめら燃えているのは少し怖かったが、言われた通り待つこと数十秒。

氷から解かれようと力を込めていた足が、氷に大きなヒビが入った事で解放された。


「あ……あ、ありがとうございました!!」


猛の声は少し震えていた。

平和な世界で生きてきた人間が、突然死の一歩手前という局面に直撃したのだ。まだ恐怖の感覚は、はっきりと目と頭に残っていた。


「無事で良かった。……近頃、ああいう人の命を奪う事すら厭わないならず者達が増えているのは私としても悩ましいところなのだが」


頭に手を当て困ったような仕草を見せるアイシャ。

わざとらしいリアクションを取るタイプではない彼女の本心が滲み出ていたのが、猛にも伝わった。


「そ……そうなんですね」


恐ろしい話だ。あんなヒットマンみたいな連中が存在するどころか、増えてきているなんて……


「まあ、その為に我ら護衛騎士団が日々勤めに精を出しているんだがな。まあ、安心しろ。私の元で過ごす内は、お前は私が必ず守ってみせるさ」


なんて凄く、そして強くて優しい人だろう。

いきなり押しかけてしまったような僕を自分の家で過ごさせてくれ、今はこうして命を救ってくれて、今後も守ってみせる、と言い切ってくれる……


大した能もない猛が、出来る事など少ないというのは自分でも分かっていた。

しかし、今はこの言葉が口を衝いて出るのを止められなかった。


「僕に……アイシャさんの為に、何か出来る事ってないですか?」


自分でも、何を言ってしまったのかと言った途端に後悔した。

こんな凄い人に対し、僕ごときが何が出来るというのか?



しかし、アイシャさんにこの気持ちを告げたことがきっかけで、

この世界での僕の運命が、ゆっくりと、しかし大きく動き出す事になったのを、

この時の僕は、まだ気付いていなかった……






─────────────────────────

あとがき


読んでくださってありがとうございます♪

宣言しておきます。いずれ猛×アイシャになります(前後順不同)

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