第2話 舞愛

「続いては、少女たちを取り巻く児童売春の実態に迫ります……」


 物々しい声のナレーション。顔をモザイクで覆われ、ヘリウムを飲んだような甲高い声に加工された“女子高生”が画面に映る。モザイクの下の髪は、金色。ヒョウ柄の服にギラギラしたアクセ。


「もう1ヵ月くらい家に帰ってないですー。パパがいっぱいいて、みんな優しくしてくれるから……」


 そんな女子高生どこにいる。メディアに踊らされるんじゃないよ。私は溜め息をついてテレビのリモコンを探す。あれ? これ、この間と同じ展開じゃん。


 この間も結局、クラスの変わり者だって、普通に友だちがいて、普通にウザいだけの人だったし、ものすごい闇を抱えたヒロインみたいな人なんてそうそう身近にいる訳ない。


「そして、少女売春はJKビジネスという形で、今や“普通の女子高生”にまで浸透してきています……」


 リモコンは見つかった。けど、そのセリフが気になって、リモコンをテレビに向けたまま次の展開を待つ。


「初めは、普通のバイトのつもりだったんです。前にバイトしてたコンビニは時給が安かったので、勉強と両立できるように、短時間で効率的に稼げるところを探していて……」


 今度は、黒髪で、清楚系のブラウスを着た子が喋っている。


 勉強と両立とか、偉いなあ。私なんかよりずっとしっかりしている。


「最初は一緒にカラオケ行ったりとか、ご飯食べたりとかだったけど、みんな裏オプションやっててすごい稼いでるし、だんだん感覚がおかしくなっちゃって……」


 みんなやってる、ねぇ。そんだけちゃんとした子でもやってるってことは、自分の周りに1人ぐらいそんな人がいてもおかしくなかったりして。


 ◆


 次の日。昼休みにさり気なくその話題を出してみた。


「あー、そのテレビ私も見たわ。お父さん気まずくなってチャンネル変えちゃったけどね」と彩佳。


「でもテレビじゃそんなこと言ってても、実際あんな人周りにいないよね」と智子。


「あーでも」奈々が声を潜めた。「言うなって言われたんだけどさ」


「なになに?」みんな一斉に食いつく。


「女バレの友だちが言ってたんだけどさ、舞愛まいあが援交してるかもって」


「マジかよ」思わず前のめりになって聞きかえした。


「ホテル街でオッサンと歩いてるの見たんだって」


「えー」「やだー」「つか目撃した人も何でそんなとこいたのさ」


 声を潜めながらも、こういう話題はみんな一気にテンションが上がる。


「シーッ、この話、内緒だからね」「ハイハイ」


 舞愛は、クラスの中でギャル系の子たちが集まってるグループの1人だ。グループの中で唯一髪は染めてないけど、長い黒髪は逆に大人っぽいし、背も高くてスラっとしてる。長いまつ毛とか、ピンクのリップを塗ってるぽってりした唇とか、同じ女子でもドキッとするくらい、大人っぽいというか、艶っぽい。帰宅部らしくて、いつもさっさと帰ってるから、放課後何してるかは確かに知らない。


 さり気なく、教室の前側に集まっているギャル系グループの方を見てみる。茶色い頭のグループの中だと逆に目立つ黒髪。(まあ、私らも黒髪だけど)本当かは知らないけど、オッサンやオタクにはその方が喜ばれるってゆーよね。そういえば舞愛、カバンとか時計とか、やけに高くてオシャレなの使ってるよね……


 今度は、面白いネタが見つかったりして。


 ◆


 タイミング良く、その次の週はテスト前の部活停止期間だった。本来なら部活休んで勉学に勤しみましょーという時期なんだけど、そんなのはまあ気にせず、HRが終わると、こっそり舞愛の後をつけた。


 舞愛は、同じく部活停止の意味を無視して遊びに行こうとしている茶髪組とは分かれて、1人で駅に向かっていた。なんとなく、それもまた怪しい。


 最寄り駅に着くと、舞愛は上り方面のホームへと階段を上がっていった。私にとっては、朝に電車を降りるときか、たまに都心まで寄り道するときしか使わないホームだ。舞愛を追って、タイミング良く来た上り電車へ乗りこむ。


 同じ制服は、嫌でも目立つ。隣の車両の端っこに立って、車両の間のドアから、舞愛の様子を伺うことにした。幸い、舞愛はスマホに夢中で、隣の車両になんて目もくれてなかった。あの指の動きは、最近クラスで流行ってる、あのゲームかな。


 うーん、これって私、もしかしてストーカー? 不審者? まあ、最悪気づかれても、部活休みだから買い物に行くところって言えばいいか。


 電車のドアが開く度に隣の車両をチラ見してたけど、結局、終点の一つ手前の駅でも舞愛は降りなかった。電車を降りたら、見逃さないように気をつけないと。でも逆に、こんなところで同じ制服の人がいたら、それこそ目立つよなあ……。


 と、考えながらドアの前に立って、開くのを待っていると、ドアの向こうに並んでいるサラリーマンと目が合った。後ろのドアが開く音がした。


 あーしまった。田舎者がバレる。慌てて出ようとするけど、やっぱり田舎者だから、座席からドアに向かう人の流れに負けて、思うように進めない。


 ホームに降りて、周りを見回しながら改札へ向かったけど、同じ制服姿はどこにも見当たらなかった……。


 ◆


 ……そんなんであきらめる私じゃないから!(誰)


 と、言う訳で、翌日も懲りずに上り電車に乗っていた。


 我ながら何やってるんだろうと思う。でも、家に帰ったら、狭苦しい部屋で机に向かって、家族でご飯食べて、遅くまでまた机に向かって寝るだけで一日が終わるんだ。もし同じ教室で過ごしてる人の中に、全然違う時間を過ごしてる人がいたら、それを見てみたい。それだけで、退屈な日々から解放される気がする。


 今日は降りる方のドアから一番乗りで降りた。少し前を、同じ制服姿が歩いてるのが見える。


 舞愛は、改札のいちばん左端を進んで、JRの駅構内に入る。人混みを掻き分け掻き分け、舞愛を見失わないように進んでいく。


 何線に乗るんだろう。そう思って進んでいると、何線にも乗らなかった。舞愛はそのままJRの改札を出ていった。


 え? これ、改札出れるの? 私、定期じゃないけど大丈夫かな? おそるおそるパスモを近づけると、改札はちゃんと開いてくれた。


 舞愛は迷いもせずに歩いていく。頭上には“歌舞伎町方面”の案内。


 地上へ上がると、駅前の広場を進んでいく。


 すぐ近くから、聞いたことのあるバラードが聞こえてきた。アコースティックギターを抱えた男の人が、弾き語りをしている。横には、本人の顔写真の入ったカラフルなポスターとか、チラシとかCDが並んでる。有名な人なのかな。ちょっとした人だかりになっている。ほとんど女の人だ。みんなうっとりした顔で彼を取り囲んでる。


 自分まで見とれてしまいそうになって、あわてて舞愛に視線を戻そうとした。そしたら、足元で何かがもぞもぞと動いた。あとちょっとで悲鳴をあげるところだった。ボサボサの髪と髭のおじいさんが横になっていたのだ。真っ黒に日焼けしたおじいさんは、まるで景色の一部みたいに、誰の目にも入っていないようだ。もしかしたら、心のきれいな人にしか見えない妖精なのかもしれない、なんちゃって。


 信号で舞愛に追いつく。舞愛は時計を見た。待ち合わせかな? 信号が青になると、早足で進んでいく。私も見失わないように追いかける。


 少し進むと、舞愛は、スタバとTSUTAYAとカラオケ屋のあるビルに入って、エレベーターのボタンを押した。さすがにエレベーターの中までついていく訳にもいかないから、外から様子を見る。舞愛がエレベーターに乗り込むと、すぐにその横の階段を駆け上がった。


 2階で様子を見たが、ここで降りた気配はなさそうだ。3階まで駆け上がると、空のエレベーターが閉まるところだった。カラオケ屋の受付がある階だ。


 カラオケ? 1人で?


 でも、店内を覗くと、カウンターの店員がひとり、電話をしてるだけで、他には誰もいない。舞愛の姿はどこにもなかった。


 試しにエレベーターのボタンを押してみたけど、空のエレベーターがすぐに開いただけ。カラオケ屋に入ったのは間違いなさそう。でも、お店入ったらまず受付とかするよね? 何ですぐに消えちゃったんだ?


 受付しないってことは、やっぱり待ち合わせ? 先に誰かが受付してるとか。


 そういえば、この間のテレビで、援交してる子が、一緒にカラオケ行くのが最初だったとか言ってたな……


 ◆


 やっぱり気になる。とりあえず1階のカフェに入ってみて、待ち伏せしてみることにした。ビルの外に出れば必ずこの前を通るはず。そんなすぐに出てくるとも思えないけど、しばらく経って何もなさそうならしょうがないや。ちょうど甘いものも食べたかったし、教科書もあるから勉強してよう。


 何か長い名前のコーヒーとケーキを食べ終わって、しばらく教科書と店の前を交互にチラチラ見てたけど、舞愛は出てこなかった。


 ヒトカラだとしたら、せいぜい1~2時間くらい? もしも本当に援交してるとしても、2人じゃそんなに何時間も歌うことないと思ってたのに。それとも……本当に援交してるとしたら……一瞬だけ頭に浮かんだ思春期少女の妄想は、内緒にしておこう。


 とにかくこれ以上お店に居座る訳にもいかないし、今日のところは撤収しよう。


 正直、ここまででも結構楽しかった。こんな街中に出てくるのも、みんなで約束して遊びに行くときくらいだ。誰も知らない、一人だけの内緒の冒険をしてるみたいで、ちょっとワクワクした。


 道路を挟んだ向こう側に、ブックオフがある。ちょうどいい、参考書を探そう。教科書見ても、宇宙語にしか見えないし。帰ったら勉強しなきゃ。


 ◆


 使えそうな参考書を探すまで、かなり時間が掛かってしまった。


 ブックオフを出て交差点に向かおうとすると、信号が点滅し始めた。走ろうか諦めようか迷いながら道の向こうを見た瞬間、ハッとした。


 同じ制服姿の黒髪。


 交差点の向こうに、舞愛がいた。


 そしてその横に、スーツの男がいた。スラリとした舞愛とは対照的に、お腹の出た、中年の、いわゆるオッサン。背は舞愛とあまり変わらない。


 カラオケ屋から出てきたところだろうか。オッサンは、舞愛の髪に触り、舞愛のカバンを持って、舞愛に歩道側を歩かせた。


 この光景を求めて来たのに、この光景が信じられなかった。


 点滅していた信号が赤になる。慌てて渡ろうと駆けだしたけど、目の前をフライング気味のバイクが通り過ぎた。その後に、トラックがガラガラと音を立てて続く。


 トラックが通り過ぎると、2人の姿はもうなかった。


 ◆


 テストの出来は散々だった。


 衝撃の光景を見たあの日の夜、せっかく探し出した参考書も、結局手に着かなかった。


 次の日、昨日見た光景をみんなに話したかったけど、言えなかった。そもそも尾行なんてしてること自体、言えたもんじゃないし、あの光景が、あまりにリアルすぎて、簡単に噂や笑い話にしちゃいけない気がした。


 それでも、何かの間違いかもしれないという思いもあった。交差点の向こうだし、もしかしたら、見間違いかも。


 何でなんだろう。テレビに出てきた女の子の話を思い返してみたり、“援助交際 理由”で無意味にぐぐってみたり。それでも、どうして、という気持ちだった。


 冒険なんて言っていた自分が恥ずかしい。舞愛はきっと、もっと複雑な気持ちであの場にいたんだ。


 まあ、そんなことを考えていたらテストにも身が入らなかった訳だ。え? そもそも普段授業聞いてないから? 違う違う、そんなことないって。たぶん。


 ……結局、そんな訳で、テストも終わったというのに、救済措置のノートまとめをやっている。提出締切日の朝、朝礼前の教室で。いや、本当は昨日中に終わるはずが、気づいたら朝だったんだって。え? テスト前にやっとけ? うるさい。


「ああーーーっ」


 突然、舞愛が大げさに頭を抱えて絶叫したので、ドキッとして舞愛の方を向いた。


「どした」


 隣にいた茉莉花まりか(同じギャル系グループで舞愛といつも一緒にいる奴)が笑いながら聞く。


「英語のノート忘れた……」


 あーあ……。ちな英語のノートってのは、私が今必死にやってる今日締切のやつね。


「うそぉ! それヤバくね?」


 茉莉花もそれは笑えない、という感じだ。


「絶対忘れないように、玄関に置いといたら忘れた……死にたい」


「なぜ玄関に置くし! カバン入れとけよ」


「だって前に違うカバン持ってっちゃって忘れたことあるんだもんー。あー……」


 舞愛はぐしゃぐしゃっと髪をかきむしった。


 かわいそうに。英語の荒井さんは、絶対に締め切り延ばしてなんかくれない。テストが悪かった人向けにわざわざ設けてくれた救済措置なら尚更。


「どーしよ、取りに帰ろかな」


「いいんじゃね? 次頑張れば」


「いや本当テスト死んだんだって」


「絶対私の方が死んでる」


「いや本気で真っ白だから」


 ……と、お約束のやり取りをする舞愛と茉莉花。


 そのとき、ガラッ、と、教室の後ろのドアが開く音がした。


 振り返って驚愕した。危うく今度は、私が大声をあげるところだった。


 お腹の出た、中年の、背の低いオッサン。あの日、カラオケ屋の前で舞愛とイチャついてた奴だ。


 舞愛は立ち上がって、そのオッサンに向かって駆け寄り、呼びかけた。


「……父さん!」


 …………はっ!? 父さん!?


「何でこんなトコいるんだよ」


「舞愛ちゃん、忘れ物したでしょ、ほら」


 そう言って、オッサンは、カバンからノートを取り出した。


「昨日遅くまで勉強してたし、玄関に置いてあったから、忘れちゃいけない物なんだと思って」


「それでわざわざ来たのかよ。公務員ってそんなにヒマなんだ……ま、ありがと」


 舞愛がノートを受け取ると、オッサンは舞愛の髪を撫でた。あの時の、カラオケ屋のときみたいに。


「ほら、また髪の毛ボサボサじゃないか。女の子なんだから、もっと気を遣わないと」


「ばっか……学校なんだからやめろよ! さっさと帰れ!」


 そう言って舞愛はドアを閉めてオッサンを追いだした。


 そして、恥ずかしそーに、茉莉花のところに戻ってきた。


「よかったじゃん」小刻みに震えながら、茉莉花が言った。「つーか、今のお父さん? 仲良いね」


「うっさい、別に仲良くないし」


「でも、似てねーな」


「私もいまだに本当にあいつの子か疑ってる」


「一緒に歩いてたら、援交だな」


「うっさい」


 それを聞いて、斜め前にいた奈々が「あっ!」という顔で、こっちを見た。


 私はどんな顔をしていいか分からず、苦笑した。


 いや、私だってね、ちょっとは考えたよ? 年齢的に親子くらいだって。でも、似てな過ぎでしょ。そりゃ間違えるって! もー、この数日は何だったのさー! あの時間とテストの点を返せー!


 え? 自分の頭の悪いのを人のせいにするなって?


 ……うるさい。


 ◆


 放課後、ギャル系グループのみんなが、聞く気がなくても聞こえる大声で、テストの打ち上げの話をしていた。どうやらカラオケに行くみたいだけど、


「舞愛のバイト先、割引とかないのー?」という声が聞こえてきた。


 ……ん?


「あるけど都心までの交通費の方が高いぞ」と舞愛。


 舞愛が、都心の、カラオケで、バイト?


 ああ、なるほど。そういうことか。


 つーか、バイトって禁止じゃん。あ、だからあんな都心に通ってる訳か。


 ◆


 さらに後日知った話。


 親子なのは分かったにしても、何であのオッサン……もとい、舞愛のお父さんはあんなところにいたのかっていうと、どうやらあのカラオケ屋の近くにある区役所に勤めてるらしい。あんなところに役所がある訳ないだろ、と思ってグーグルマップを見たら、本当にあったからびっくりだ。


 ある月の、世間が給料日で潤った日の翌日、舞愛は聞いたことないブランドの新品のカバンで登校してきた。持ち物が高価なのも、バイトが理由だったという落ち。


 でも、そんな高価な持ち物が似合う、大人っぽくて艶やかな顔立ちは、それでも何か秘密を持ってそうな香りがするのだった。

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