5.異変の始まり

「ああ、これは……」


 そうつぶいて、王妃は再びすすり泣いた。


「なんだこれは! なんのつもりでこんなものを出した! すぐ料理人を呼べ! 処罰してくれる!」


 激昂げきこうするフェルナンドに、国王は静かに告げる。


「せっかく来てもらった料理人を処罰など許さない。……それにこの料理は元に戻っただけだ」

「元に戻ったとはなんのことです!? それに、このようなふざけたものを出した料理人は罰するべきです!」

「そうですよ! いったいなんのつもり!?」


 テーブル上の料理を指さして叫ぶフェルナンドに、デシリーが同調した。

 本日のメニューは、ステーキとスープ、そしてパンだ。


「これだけ出ているのだ。むしろ御の字だろう。……妃よ、もうこれはどうしようもない流れなのだ。嘆くのはやめなさい」

「……はい。わたくしとしたことが、取り乱しまして申し訳ございません」


 国王のたしなめに恥じ入るように王妃がハンカチで涙を拭いた。


「それでは、皆食事にしよう」


 国王の一言で、不満そうな顔をしたフェルナンドとデシリーが渋々とナイフとフォークを握る。


「な、なんだ、この堅いステーキは! それに味がしないぞ!」


 焼きすぎて縮みきった肉を口にして、フェルナンドが叫ぶ。スープに手を着けたデシリーも怒りをあらわにして同様に叫んだ。


「この野菜しかないスープも、味がしないです! ふざけてるわ!」

「二人とも食事中だ、静かにしないか。味付けはそこにある調味料で自分でするのだ」

「ああ、昔はそうでしたわね」


 当然のように置いてある調味料を料理に振りかけている国王と王妃をフェルナンド達は驚いて見つめる。


「父上も母上も、なぜそんなに冷静でいられるのです! 今までの料理とは雲泥の差なのですよ!? これがふざけていなくてなんなのです!」

「……雲泥の差なのは当然だ。以前はエヴァンジェリスタ公爵家から派遣された料理人が作ったものだったからな。今まではあの時のパーティ料理の残りを温め直して出していたようだが、それも難しくなったのだろうな」

「エ、エヴァンジェリスタ公爵家が……?」


 愕然がくぜんとして、フェルナンドとデシリーが国王の顔を見返す。


「かの公爵家が調達した最高の食材と、ロクサーナ嬢が教育した最高の腕前を持つ料理人たち。──ロクサーナ嬢は他の分野も目をみはるものがあるが、食に関してはもはや聖女と言っていい」

「そうですわね。未知の調味料まで作って国内に流通させてしまうのですもの。彼女のその手腕には脱帽ですわ。……あらでも、公爵領が他国になってしまった今、あの調味料は手に入るのかしら?」

「ロ、ロクサーナが……っ?」


 国王と王妃の信じられない言葉にフェルナンドが呆然とする横で、デシリーがステーキの付けあわせのですぎてべちゃべちゃになった芋を忌々しそうに食しながら叫んだ。


「そんな料理チートなんてずるすぎるわ! あの女も転生者ね! なによ、このパンもかったい!」


 今度はマナーもへったくれもなく黒パンにかじりついて悪態をつくデシリーに、国王と王妃が呆気あっけにとられる。


「デシリー、心配するな! これはロクサーナの嫌がらせだ! 己の立場をわきまえず、ふざけたまねをした公爵家の料理人たちは必ず罰してやる!」

「そ、そうですね!」

「……わたしはおまえたちが愚かすぎて、ため息しか出ぬわ」


 心底あきれたように言った国王をフェルナンド達が驚いたように見つめた。


「父上、なにを言ってるのですか。これは身の程も知らぬあの豚が嫉妬してやったくだらぬ復讐なのですよ?」

「そうですよ! いくら自分が不細工だからって、こんなまねするなんて浅ましいです!」


 この期に及んでロクサーナを貶める二人に、国王と王妃が眉をひそめた。


「……こんな人品卑しい者が王太子とその妃だなんて……嘆かわしい」

「妃よ、そなたの嘆きはもっともだが、これの教育を間違えた我々にも責任はあるのだ。これからなんとか矯正できれば良いのだがな」

「……そうですわね」


 国王の励ましに、なかば諦めたように王妃が頷く。


「いくら父上たちでも失礼だ! わたしは当然のことを言ったまでなのですよ!? このようなくだらぬ指示をするロクサーナにおもねる料理人たちなど処罰するのは当たり前です!」

「……おまえは人の話をろくに聞かないのだな。わたしは、『公爵家の料理人が以前派遣されていた』、そして、『せっかく来てもらった料理人』だと言ったはずだが? おまえが起こした婚約破棄の騒ぎのあと、公爵家の料理人を含む人員はすべて速やかに引き上げた。今の料理人はエヴァンジェリスタ家とはまったくの無関係。こちらが無理を言ってやっと雇った料理人だ、勝手に処罰するのは許さぬ」

「……っ、そ、それでは、公爵家に命じて料理人を寄こさせればいいのです!」

「そ、そうですそうです!」


 フェルナンドたちのわけの分からない主張に国王と王妃は脱力してしまうのを止められなかった。


「……だから、他国の者をどうこうすることはできないと言ったであろうが。それにエヴァンジェリスタ家当主は、プラカシュ家に二度と関わらないと宣言したのだ。誇り高い彼がそう口にした以上、これは絶対に覆らない」

「……生意気な!!」


 フェルナンドが吐き捨てるように言うと、追随するようにデシリーがうんうんと大きく頷く。

 それに対して、国王と王妃は処置なしと頭を抱えた。

 周りに控えていた近衛や侍女もあきれ果て、早々にこの城を出ることを決意するのだった。


     * * *


「まあ辺境伯様、このたびは領地を譲っていただけて大変助かりましたわ」


 あれから、プラカシュ家から領地の主権をもぎ取ったエヴァンジェリスタ家一同は、帝国のリーケリー辺境伯様を迎え入れました。


「本当に。帝国の辺境伯領は、とても栄えていると聞き及びます。……しかし、よろしかったのですか? これから戦乱になるかもしれない国と隣り合わせなのですよ」


 弟のユージーンが申し訳なさそうにすると、辺境伯様は快活に笑ってその肩をたたきました。それをお父様とお母様はにこにこしながら眺めています。


「いや、平和すぎて退屈していたところでしたから、今回のことは渡りに船です。それに帝国にとっては、それはむしろ良い材料なのではないですかな」

「……まあ、そうなのですね」


 なるほど、帝国の辺境伯様ほどの方ともなると、武力だけでなく知略にけていないといけないようです。


「しかし、せっかくの設備と職人を置いていかれて本当によろしいのですか? あなたの努力の結晶が、わたしの領地としての収益になってしまいますよ」


 莫大ばくだいな利益を生むだろうそれを懸念したのか、辺境伯様は少し心苦しそうなお顔になられました。

 手塩にかけた味噌みそ醤油しょうゆなどの工場を手放すのは確かに心残りではありますが、旧辺境伯領でまた作ればいいだけです。


「はい、大丈夫です。頭領の元で育った弟子を連れて行きますし、なんの問題もありません」


 にっこりと笑って言うと、リーケリー辺境伯様は真顔になってまじまじとわたしを見つめました。


「……本当に隣国の王太子は見る目がない。このような宝を自ら手放すとは」


 そ、それは少し大袈裟おおげさではないでしょうか。わたしの顔が熱くなります。


「誠にそうですわね! 本質を知ろうともせずに、あげく侮辱するとは愚かにもほどがあります」


 お母様がその美貌に喜色を浮かべて毒を吐きます。それに、お父様とユージーンも頷きました。


「──それでは、わがエヴァンジェリスタ家はリーケリー家を歓迎します。宴の用意も既に整っておりますので、どうぞこちらへ」

「おお! エヴァンジェリスタ家の料理は天にも昇るようなものと音に聞いております。これは楽しみですな!」


 お父様が自ら案内すると、辺境伯様は本当にわが家の料理に期待していたらしく、嬉々とした様子でエヴァンジェリスタ家の大広間へと足を運ばれました。


 ──突然ですが、わたしには前世の記憶があります。

 その記憶を元にして、父に領地運営について意見をしたり、時には議論をしたりしました。

 幼いわたしがさかしらな口をきくのに、お父様は最初面食らったようですが、どうやらそれが有用と判断されたらしく、今に至っています。

 そして、わたしが前世の知識を一番活用したのは料理についてです。

 記憶を思い出す前の食事は、前世食というものにかなり括っていたわたしの舌には耐え難いものでした。……そしておそらく、贅沢ぜいたくに慣れきった元婚約者様にも我慢できないことでしょう。


 ……そういえば、自己紹介が遅れました。

 わたしはロクサーナ・エヴァンジェリスタ公爵令嬢。

 日本という美食の国の料理人の記憶持ちで、転生者です。

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