6.三将軍

「これはどうしたことだ! 責任者を呼べ!!」


 突如兵舎に現れたフェルナンドは、その閑散とした様子を目にして怒鳴り声を上げた。それを残った者たちが引いたように見つめている。


「なにを突っ立っている!? この木偶でくの坊どもめが! 給金をたんまりもらっているだろう、その分働け!」

「──たんまりもなにも、先月分の給金支払われていませんが? エヴァンジェリスタ家が国から去った今、今後払われるとも思えませんし、おまけに無料で支給されていた食事も出ないとなったら、それは皆やめるでしょうね」


 騒ぎを聞きつけたギルモア王国三将軍の一人で一番年若いアシュトン将軍が、フェルナンドの言葉を受けて皮肉気に返した。


「なんだと! 国に仕える軍人が、王太子であるわたしにそんな口をいていいと思っているのか! 誰か、この無礼な男をひっ捕らえよ!」


 激昂したフェルナンドが叫ぶが、兵士どころか彼が引き連れてきた近衛さえ動かない。さすがにつわものの将軍に立ち向かうような剛の者はいないようだ。


「なぜ動かない! わたしの命令が聞けないのか、怖じ気づきおって! ならば、わたし直々にこの無礼者を成敗してくれるわ!」


 相手が三将軍の一人だと気づいていないフェルナンドが、無謀にもアシュトン将軍に剣を抜いて切りかかった。

 それをアシュトン将軍に余裕で剣で受けられて、フェルナンドは弾き飛ばされた。


「な……っ、わたしにこんなまねをして許されると思っているのか!」


 派手に顔から地面に突っ込んで転がったフェルナンドは、屈辱から顔を赤く染めて叫んだ。


「──こんなまねもなにも、今のはアシュトンの正当防衛でしょう」


 アシュトン将軍に遅れて、二人の将軍が姿を現す。

 年嵩としかさのタリク将軍の姿を認めると、フェルナンドは叫んだ。


「おまえ、ここの責任者か!? この無礼者を極刑に処せ!」


 フェルナンドのこの言いぐさには、タリク将軍のみならず、彼のそばにいたオズワルド将軍も驚きを隠せない。

 この国を破滅に向かわせるようなまねをした張本人に、二人はどす黒いものを内包した笑顔を浮かべた。


「これはこれは、随分と上からのお言葉ですが、どこのどちら様でしょう?」

「なっ、無礼な! わたしは王太子フェルナンド・プラカシュであるぞ!」


 馬鹿にされているのだけは分かるらしい王太子は、途端に顔を真っ赤にしてわめき散らす。

 それに対して、三将軍たちはだだっ子を見るような目で彼を見つめた。


「いやいや、そのような嘘を言われては困りますな。仮にも王太子が我々の顔と名前を知らないなどとはありえません」

「そうですよね。ある程度剣の稽古を受けているはずの王太子が、攻撃を受けられただけで弾き飛ばされるなど考えられない」


 やれやれと言うようにタリク将軍が首を横に振ると、アシュトン将軍が納得したとばかりに頷いた。それにオズワルド将軍が加勢する。


「確かにねえ。いくら、それが三将軍のうちの一人だったとしても、本当にただ受けただけだしねえ。それに受け身も取らずに、喜劇みたいに顔から突っ込んだのもびっくりしたよ」

「なんだと! そう言うおまえたちこそ、わたしの顔を知らないだろうが!」


 もちろん、三将軍どころかここにいるほとんどの者はフェルナンドの顔を知っている。

 しかし、彼らにはもう既に彼を敬う義理などなにもない。いや、むしろ嫌悪の象徴でさえあった。


 それに、これが王太子と言われても、彼を見たことのない他国の者なら、悪い冗談はやめろと言うだろう。

 今にも憤死しそうな顔で地団駄じだんだを踏んでいるフェルナンドは、そのうちに菓子をねだって母親を困らせる子供よろしく床に寝っ転がって暴れ出しそうだ。


「とにかく、我々は今忙しいのです。お引き取り願います」


 オズワルド将軍が威圧的ににっこりすると、周りにいた兵士達が震え上がった。この将軍は人好きのする容貌なのだが、中身はドの付くSである。


「無礼者! わたしに命令するのか! わたしが直々にこのような場所に来てやったものを!」

「……今わたしは願いますと申しましたよね? それがなぜ命令したことになるのですか? それに、このような場所に・・・・・・・・無理に来ていただかなくともよいのですよ?」


 殺気をだだ漏れにした笑顔を浮かべるオズワルド将軍を目にして、周りにいた兵たちは、「やべえ、血の雨が降りそう」と顔を青くした。

 しかし、愚鈍なフェルナンドはそれに気づくこともない。


「そういうわけにもいかないのだ! どうにかしてエヴァンジェリスタ家に金を出させなければ、デシリーは花嫁衣装を作れなくなってしまう! かわいそうに、デシリーは涙を流して哀しがっていたんだ。彼女が気の毒とは思わないのか!」


 ありえないフェルナンドの言葉に、彼以外の皆があぜんとする。

 あれだけの侮辱をしたのに、もはや関係ないエヴァンジェリスタ家にいまだにたかろうというのか。


「……よくもまあ、そんなことが言えたものです。お気の毒なのはロクサーナ様とエヴァンジェリスタ家の方々ですよ」

「なんだと! あのような豚にそんな同情は必要ない! 裏切り者のエヴァンジェリスタ家も同様だ! 軍を送り込んで、金と使用人だけむしり取ったら、おごり高ぶったやつらなど、公開処刑してくれるわ!!」


 その途端、フェルナンド以外の者は一気に彼に向かって殺気を放った。もし気で人が殺せるのならば、フェルナンドは間違いなくずたずたに切り裂かれていただろう。

 ここにいる者は、いずれもなんらかの形でエヴァンジェリスタ家の世話になっており、兵達に至っては度々食堂でロクサーナにうまい料理や菓子を作ってもらっていた。

 そんな彼女らを地位だけしかない馬鹿にここまで侮辱されて、はらわたが煮えくり返りそうになる。……だがこのクズを今ここでるわけにはいかない。


「……軍は本日をもって解体しました。ですので、たとえ国王陛下であろうとも旧エヴァンジェリスタ公爵領に攻め込むことは不可能です。どうぞお引き取りください」


 感情を抑えたタリク将軍の言葉に言い返そうとしたフェルナンドが、鬼神のような彼の表情を見た瞬間凍り付いた。さすがにこれに逆らってはまずいと生存本能が働いたらしい。


「あ、ああ……、おまえら行くぞ」


 すっかり顔色を無くしたフェルナンドは、それでも二人の近衛騎士にえらそうにあごで示すと、私室へ逃げ帰っていった。

 ちなみにフェルナンドに今回付いていた近衛は、すぐさま騎士団長に辞意を表したとのことである。




 嵐が去った後、三将軍たちは人もまばらな兵舎の食堂で、ロクサーナに差し入れてもらった菓子を持ち寄り茶を飲んでいた。


「……やれやれ、これであの馬鹿王太子も諦めるといいんだがな」

「だが、大恩あるエヴァンジェリスタ家を公に侮辱して逃げられるほどの阿呆だしな。手勢だけでも攻め込みかねない」

「いやいや、さすがにそれはないだろう。それに今、旧公爵領には──」


 三将軍達は一端そこで黙り込むと、「まあ、そうなっても、あの愚か者にはいい薬かもな」と今後味わえないだろう菓子の味をみしめて頷いた。

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