第2話

 携帯のアラーム音が鳴り響く。布団から腕を伸ばしアラームを止める。もう少し寝ていようかと思ってはみたが、再び眠りにつくことを邪魔するかのようにカーテンから差し込む朝の日差しが顔を照らした。昨日は安心して眠れたおかげか思ったよりも気分が良かった。眠気も相まって遠い過去の出来事のように感じられ、むしろ悪い夢だったのかもしれないと思わせるほどだった。ベットから抜け出し身支度を整える。

(昨日のこと俊哉には話しておこうか)

と思いつつ、朝食を終え通学路へと向かう。


「おっは〜重吾〜!昨日はさんきゅーな」

と俊哉のお得意な軽い口調は今日も絶好調みたいだ。

「おはよう俊哉。普通授業忘れる?」

「だってー時間割忘れちったんだもん」

と不貞腐れながらも俊哉は答えた。

しばらくすると結愛がやってきた。

お決まりの挨拶を交わすと、またいつも通りの一日が始まるんだなと感じ、そして校門をくぐる。


 教室に入り席につく。俊哉は僕の前、結愛は一番窓側の席に座る。僕の所属する二年A組は至って普通のクラスである。が何も問題がないかといえばそうではないのだ。

「俊哉、僕ちょっとトイレ行ってくるよ」

そう告げると俊哉も行くと言うので、二人でトイレに向かうことにした。ふと、中庭の窓を見てみると死角になっている中庭の角で水色のカチューシャをつけた女生徒を取り囲まれているのが見えた。女生徒の名前は真崎文まさき ふみ。僕たち二Aのクラスメートである。真崎を取り囲む集団の中から金髪にピアスをしたいかにもガラの悪い男子生徒が真崎に近づくと同時に右手に持っていたバケツの水をひっくり返し真崎の頭へ浴びせかけた。

「たくっ、あいつらまだあんなことやってたのか。重吾ちょっと先生呼んでこい」

そういうと俊哉は真崎の元へと一直線へと向かっていった。二Aの問題とはいじめのことだ。真崎をいじめていた奴らは新庄統二しんじょう とうじ駒見寿一こまみ じゅいち後藤十亜ごとう とあ、彼らも皆二Aのクラスメートだ。この問題が発覚したのは僕らが入学してすぐのことだった。いじめていた三人は厳重注意となったが、その事に逆上した三人はさらにエスカレートしたいじめを行なうようになっているようだ。先生を連れてきた時にはその場にはもう俊哉しかいなかった。どうやらいじめを止めたはいいが、三人はすでに教室に戻っているらしく、真崎も

「大事にはしたくないから」

とこの場を離れてしまったようだ。先生達に状況を話したが、証拠もないし真崎自身の意思も汲み取り様子を見て解決していく事になった。

「ほんとやなやつらだな」

俊哉はイライラが収まらないようだ。

「でも後先考えずに向かっていったから驚いたよ」

「だってあーゆうの許せねーじゃん」

俊哉は見た目に反して正義感の強いやつだ。俊哉のこの性格は子供の頃からで、僕も何度か助けられたことがある。年上に泣かされていたところを俊哉が助けてくれたのだ。このことがきっかけで僕たちは仲良くなった。まぁ後先考えずに向かったせいで返り討ちにされていたのだけれど。けれど、そんな俊哉の性格は僕にとって憧れで、羨ましくもある。


 教室に戻ると新庄、駒見、後藤の三人はすでに戻ってきていた。俊哉が何かしないか冷や冷やしてたが、僕の心配を悟ったのか大人しく席についた。

続けて僕も席に着く。HRのチャイムが鳴ると、担任の笹川が入室してきた。

「じゃあまずは出席なー相川」

笹川が出席をとると、名前を呼ばれた生徒が次々と返事をしていく。

「立岡」

名前が呼ばれた。前の生徒達と同じように返事を返す。僕の後の生徒も同じように繰り返していく。

「真崎」

がこの時返事は返ってこなかった。真崎の席を見るとその席には誰も座っていない。

(まだ戻ってないのかな?)

笹川は再び真崎の名を呼んだがやはり返事は返ってこなかった。

「真崎は欠席か?誰か知ってる人いる?」

笹川が生徒達に尋ねると

「さっき会ったけど教室戻るって言ってましたー」

と俊哉が答えた。

「そうか。多分保健室にでもいるのかな?」

と出席を再開した。

(まぁそのうち戻ってくるでしょ)

と特に気には留めていなかった。だが、一時間目が始まっても、その次の授業が始まっても真崎は教室に帰ってくることはなかった。


 午前中の授業が全て終わっても真崎の姿は見えなかった。少し心配になった僕は俊哉に真崎のことを聞いてみたが、詳しい居場所は知らないようだった。

「何話してるの?」

振り返るとお弁当を持った結愛がそばに立っていた。結愛はその小さな体には不釣り合いな大きな重箱を僕の机の上に広げ始めた。一体あの身体のどこに入っていくのだろうといつも思う。

「真崎さんのこと何か知らない?」

と結愛に尋ねると

「文ちゃん?そういえば戻ってこないね。もしかしたら六花りくかちゃん仲がいいから何か知ってるかも!」

と言うと、そのまま香取の元へ走っていった。結愛は高校生というより、中学生と言うほうが納得のいくほど小柄で、とても明るく、誰にでもわけ隔てなく接するような性格だった。そんな彼女の見た目と性格も相まって誰からも慕われている。結愛は幼なじみで、保育園の時からの付き合いだ。親同士が仲がいいこともあり、時間の長さで言えば両親の次に長く一緒に過ごしていると言っても過言ではなく、幼なじみというより兄妹に近いものを感じている。

弁当を食べ進めていると話を終えた結愛が戻ってきた。

「六花ちゃんも探してるみたいだけど分からないみたい。連絡も付かないみたいで…急に調子が悪くなって帰っちゃったのかな?」

「そうなのかな…ありがとう結愛。それとさっき俊哉が結愛のお弁当つまみ食いしてたよ」

「なっ、ばかっ…ゆうなって」

結愛は俊哉を睨みつけると、重箱を手で囲み守るようにして食べ始めた。真崎のことは気にはなったものの、そんなやりとりに夢中になると、すっかりと頭の中から抜け落ちていった。

時計を見るとそろそろお昼休憩の時間が終わる頃だった!

「次の授業体育だから準備しないと」

「今日の体育なーにかなー」

俊哉はとても楽しそうだ。とはいえ僕も身体を動かすことは嫌いじゃないので体育は楽しみだ。

「私先更衣室いってるねー」

と、結愛は教室の扉か上半身だけを覗かせ声をかけて、足早に更衣室へと向かっていく。

「俺らももう行くかぁー」

と俊哉が言うので僕らは校庭へと向かった。


 昼食時間の終わりのチャイムがなる。真崎を除いた二Aの生徒全員が校庭に集まった。体育教師が出席をとっていると、案の定真崎の話題が上がったが今朝と同じようにたいして問題になることはなかった。続けて体育教師は今回の授業の説明をしていく。今回は簡単なレクリエーションを行うらしい。体育教師の説明は長くなることが多かったので、少し嫌な予感がしていたが、案の定長ったらしい説明が開始されてしまった。僕は飽き飽きとして説明を聞き流しながら空をぼっーと眺めることにした。ふと学校の屋上の方に視点を動かす。この学校は屋上に行くことは禁止とされていた。よくドラマなんかで見る屋上で弁当食べたり、昼寝したりなんてことに憧れて意気揚々と屋上へと向かい、軽々と打ち砕かれた高校入学初期を思い出した。そんなことを考えていると、屋上に何か影のようなものが見えた気がした。詳しいことはよく分からないけれど、屋上自体には何も目立つものは置かれてはいないはずだ。その影は人影のようにも思えたが、距離が遠くいまいちはっきりとしなかった。

(業者の人が何かやってるのかな?)

すると、その人影は屋上の縁へと進み始め、足を止める。

(おいおい、危ないぞ)

そう思ったのも束の間、人影はそのまま倒れ込むようにして空中へと身を投げ出した。投げ出された身はそのまま落下を始めると、まるで地面に吸い込まれていくようにどんどん勢いを増していく。反比例するかのように、地面との距離はどんどん近づいている。地面と人影の頭が接触すると、

-ゴシャア-

というにぶい音と共に地面と勢いよく衝突し、周りに勢いよく液体を飛び散らした。。衝突した人影は、地面に打ち付けられたまま起き上がることなく、そのまま動くことはなかった。明らかに異常ともいえる光景に目を疑う。

(嘘だろ…)

予想だにしてしていなかった状況に思考が凍りつき、その光景から視線をそらすことが出来なくなっていた。突然

「きゃあああぁぁぁぁ」

耳をつんざくような叫び声が校庭中に響き渡った。その声にはっとし、声がした方へ視線を移すと、馬場が今にも泣き出しそうな顔で、地面にへたり込んでいた。周りの生徒は何が起きたのかわからないような顔をした生徒と、同じように見てしまった生徒が入り乱れているようで、その光景から今の状況が夢や幻ではないことが明らかだった。

「どうした?馬場?」

体育教師は不思議そうな顔で馬場に尋ねた。

「ひっ、ひと…っが…、おっ、おちっ…て」

馬場は途切れ途切れのか細い声で答えながら、震えつつも、ゆっくりと右手を胸の前まであげ、人影が落ちた場所を指差す。状況が分かっていない生徒と体育教師は指を差した方へと目を向け、倒れている人影を見てようやく良からぬことが起こっていることを察した。

「お前ら落ち着け!ここで待ってろ」

体育教師はそう生徒達に言い残し、人影の元へと向かっていく。人影を確認すると、携帯を取り出しどこかへ連絡を取っているようであった。いてもたってもいられなくなった僕は、人影の元へと向かった。それに釣られて大半の生徒達も同じように人影へと向かう。近づくにつれ、人影がはっきりとしてくる。あたり一面は真っ赤に染められており、どんどんとその範囲を広げ血溜まりを作っていく。血溜まりの中心には-


変わり果てた真崎 文と思われる姿があった。


落下の衝撃で顔はぐちゃぐちゃで本当に真崎本人かどうかは分からなかったが、今朝見かけた真崎がつけていた水色のカチューシャが真崎本人であることを明確に裏付けていた。手足はありえない方向へぐにゃぐにゃと曲がり、右肘からは白い骨のようなものが突き出しているようだった。衝突した頭は激しく損傷、陥没しているようだった。その陥没した頭から流れ出る赤い血液が血溜まりをさらにさらに大きくしていく。そんな彼女の姿を見た生徒達の反応は様々だった。目を伏せる者、呆然と立ち尽くす者、泣き叫ぶ者、中にはその場で吐き出す者もいた。電話を終えた体育教師はパニックになった生徒達をこの場から離れさせようと必死だった。体育教師が呼んだのか遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてくる。僕の頭はこの光景と、昨日の見た動画が何度も何度も何度も何度も繰り返えされた。


僕の足元まで広がった血溜まりは、だんだんと地面に染み込み、赤黒いしみ跡を残していった。

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