5 贄 -にえ-

 瑞地みずち村は溝伏山の南にあり、おもに農作物を売って日々を暮らしている、ちいさな村です。山から流れてくる水は小川となり、麦や野菜を育てるのに適した場所でした。

 ちとせは母親とふたりで、村の片隅の小屋でひっそりと暮らしていました。

 近隣の畑仕事を手伝いながらの生活は、暮らし向きがよいとはいえません。

 ですがちとせは、やさしい母親のことが好きでした。遊び相手がおらずひとりぼっちだとしても、へいきでした。


 家の裏にはちいさな泉がありました。

 こぽこぽと湧き出る水は澄んでいて、井戸で汲み上げるよりもずっと便利です。そこには、ちとせのともだちがいました。

 それは、一匹の白い蛇です。

 はじめて蛇を見たのは冬の日でした。

 雪が積もっているにもかかわらず、蛇はそこに佇んでいました。

 毎日そこにいるわけではありませんでしたが、ちとせが近所の子どもたちにいじめられたり、かなしいことがあったとき、蛇はあらわれました。ちろちろと赤い舌を見せ、まるで慰めるようにちとせの足元を這うのです。不思議と怖くありませんでした。

 時に小川を泳ぎ、まるで魚のような動きをみせます。ちゃぷりと頭を出し、得意げにちとせを見やります。

 ちとせのことわかっているような素振りをみせる、なんとも不思議な白蛇でした。



 ちとせが十四の秋に、母が亡くなりました。

 病に倒れ、けれど満足な薬もなく、ちとせではお金を用立てることもできなかったのです。

 とても寒い日がつづきました。

 山から吹き降りる風は冷たく、作物はおおきな打撃をうけて枯れてしまいます。

 村人たちが食べることでせいいっぱいですから、いつものように供物を捧げることもできません。

 そのせいなのでしょうか。不作が続き、どうにも生活は立ちゆかなくなっていくのです。

 誰からともなく、言いはじめました。


 ヌシさまがお怒りになっている。

 山の怒りをおさめなければならぬ。

 言い伝えに倣い、供物を捧げなければ。


 年老いた村長むらおさに代わり、その息子がちとせの家へやってきたときには、もうすべてが決まったあとでした。

 知らぬうちにちとせは、「ヌシさまへの贄」として山へ入ることが決まっていました。

 大柄な男たちに囲まれて、ちとせは震えます。引きずられるように長の家へ連れて行かれ、綺麗な着物を渡されました。冷たい水で身体を洗い、髪を整えられ、みそぎを済ませると、細長い布で目隠しをされます。

 目を封じること。

 それが贄の証なのだそうです。

 逆らわず、従順に、なんの抵抗もしない無垢な者であることを示しているのだといいますが、化け物の姿を見て悲鳴をあげないためなのではないかと、ちとせは思いました。

 ヌシとは、いったいどんなおそろしい姿をしているのでしょう。


 荷車に積まれた穀物と野菜。その脇に、ちとせは座っていました。

 揺れる荷車の上は安定がわるく、落ちそうになるのをなんとかこらえたものです。

 しかしついに地面へところがってしまったとき、周囲の男たちもまた足を止めました。

 緊迫した様子が伝わってきて、ちとせはきょろりと頭をまわします。

 固く結ばれた目元の布を解くことはむずかしく、なにも見えません。

 四つ這いになってあてもなく進むうちに、行き止まりとなってしまいました。壁に手をつきますと、穴らしきものがあります。

 遠くからは、複数の男たちの声と、悲鳴が聞こえてきます。耳を塞ぎたくなるような悲痛な声はおそろしく、ちとせは立ち上がり、その穴へ身を投じました。

 村から出た一行を、夜盗が追ってきていたようでした。積んである荷は米や野菜といったものばかりです。金目のものがなにもないことに苛立ったのか、なにかを蹴りつける音が聞こえます。

 ちとせは、それを黙って聞いていました。

 声をあげると、きっと殺されてしまいます。

 これから化け物に喰い殺されるのですからおなじことかもしれませんが、どうせならば、ひとおもいにぱっくりと食べられたほうが、ずっとましに思えたのです。

 誰の声も足音もしなくなっても、ちとせはじっと待っていました。

 もしかしたら、生きのびた誰かが戻ってくるかもしれません。

 うすい望みだとわかってはいましたが、他にすべのないちとせは、待つしかありません。

 どれぐらいの時が過ぎたのかわからなくなったころ、かさりと音がしました。

 誰かがやって来たのです。

「……だれ?」

 問いかけましたが、答えは返ってきません。

 きっとまだ誰かが潜んでいて、安全ではないのでしょう。

 暗闇のなか、足音が遠ざかるのが聞こえました。

 ちとせは、待ちました。

 けれど、いつしか眠ってしまったのでしょう。

 布越しに光を感じ、意識を取り戻します。近くに誰かの気配を感じて、小声で問いました。

「――だれ?」

「……お、ぼぅろ」

 返ってきたのは、聞き慣れない声でした。

 たどたどしい、どこかおぼつかない口調で「おぼろ」と告げた声の主は、穴から出るように促します。

 目を封じられているちとせのためなのか、足元に藁縄らしきものが置かれ、手に取るように言われます。

 ゆっくりとした歩みで、おぼろと名乗った誰かに先導され、ちとせは歩きはじめました。



  ◇



 おぼろが住んでいるのは、洞窟のような場所でした。この山で暮らしているのでしょうか。

 死を望んで山へ入る者がいます。

 世捨て人のような者がいるとも聞きます。

 しかし、おぼろの声は年老いたものではなく、もっと若い――ちとせと変わらないぐらいの少年に感じられました。言葉がおぼつかないのは、他人と話をすることがひさしぶりであるせいでしょう。

 なにやら深い理由がありそうでしたが、ちとせとておなじこと。ヌシの贄としてやってきた「供物」であるなどと、知られたくはありません。

 相手の口がまわらないのをいいことに、ちとせは名を「ちせ」とし、彼と生活をはじめました。


 おぼろは不思議な存在でした。

 知っているのは名前だけ。声はすれど姿は見えず、警戒されているのか、こちらに触れることすらありません。

 もっとも、布を取ってしまえばすむことでしたが、なんとなくはばかられたのは、ちとせの――ちせのうしろめたさのせいでした。

 課せられたことから逃げている自分を、きっとどこかで恥じているのです。

 ちせはそうやって目を閉じて、なにもかもから逃げようとしていたのです。

 だから、罰が当たったのだと、そう思いました。



「ちせは、村へ帰りたいか?」

 おぼろに訊ねられ、ちせの胸はどくりと音をたてました。

 母親が亡くなってからはずっとひとりでしたので、誰かと寝食をともにするのはひさしぶりでした。おぼろがひとりきりで暮らしているのであれば、ぬくもりを求める気持ちはきっとおなじであるはず。

 そんなふうに、勝手に決めてしまっていたことに気がついたのです。

「……わたしがここにいては、おぼろの迷惑?」

「そんなことはない。おれはちせと――」

 言いかけたおぼろは、すぐに声をするどくしてつぶやきました。

「ちせ、誰かが来る。迎えかもしれない」

 ふたたび、ちせの胸が音を立てます。汗がにじんできました。

 村から様子を見にきた者がいるのでしょうか。

 おぼろの腕につかまって、おそるおそる外へ出ます。

 思いのほか近くまでやって来ていた誰かが、おぼろに話しかけました。陰になっているのか、ちせがいることには気づいていないようでした。

 しかし「贄」という言葉が聞こえたとき、ちせは咄嗟に走り出しました。

 ですが、目隠しの状態で遠くへ行けるわけもなく、ちせは無様に地へころびます。男の声が降ってきました。


 生きていやがったのか。

 なんのための贄だ。

 また、やり直しだ。


 そのすべてに、ちせは頷きました。謝罪しました。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 わたしが悪いの。

 だから、おぼろを責めないで。


 自分のせいで、おぼろまで悪くいわれるのはいやでした。

 やさしいおぼろは、「ここにいればいい」と言いますが、これ以上の迷惑はかけられません。

 ちせは、贄です。ヌシに捧げられるためだけに着飾った、供物のひとつでしかありません。

 もう「ちせ」はおしまいです。「ちとせ」に戻る時が来たのです。

 顔を圧迫していた布がゆるんでいます。むしろいままで解けずにいたことのほうが不思議でした。

 薄い皮を剥ぐように、目元を覆っていた布が解けました。

 ひさしぶりの光はとても眩しく、ちせは目を細めます。

 視線の先に、男の子がいました。

 おそらくはちせよりも年上でしょう。黒い髪を無造作に伸ばしたままだけれど、乱れた前髪の隙間から見える顔は、悔しそうに歪んでいます。光に反射して、瞳が鋼色に見えました。

「さようなら、おぼろ」

 はじめて見るけれど知っている相手に、ちせは告げました。

 せいいっぱい笑ってみせました。

 滲む視界はきっと、ひさしぶりに浴びた陽の光が眩しすぎたせいなのです。



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