20「愚か者」

 豊後国・府内。


 豊前・宇佐神宮から特に事件など起こらず、府内に辿り着いた戸次軍の姿に町人たちは何事なにごとかとざわついたが、噂(馬ケ嶽城の戦)を耳にしていた者たちが戸次一族がとむらい合戦に勝利した報を伝えていき、喧騒けんそう府内中ふないじゅうに広がっていく。


 孫次郎八幡丸たち戸次軍は人々の驚きと歓声を背に、胸を張って府内中央に位置する小高い丘――大友義鑑の居館・上原館うえのはるやかたへと向かった。


「戸次軍御大将おんたいしょう、戸次孫次郎殿。並びに諸臣しょしんの方々。此度のいくさ、御見事でございまする。さあ、御屋形様大友義鑑がお待ちかねております」


 上原館の門前で角隈石宗が戸次軍を迎え入れて、佐野や間田たちを引き渡すと、孫次郎、そして戸次親久、安東家忠が館の大広間おおひろまへ通された。


 大広間に宿老(家老)や近習たちがすでに座しており、孫次郎たちが下座しもざに腰を落とすと一息ひといき入れる間もなく、近習の一人が「御館様、おなーり!」と声高々こえたかだかに叫ぶと、この館の主‥‥大友義鑑おおとも よしあきが姿を現した。

 孫次郎たちは平伏したまま、義鑑が上座に着座するのを待ち構える。


 義鑑は着座すると、すぐに口を開いた。


「苦しゅうない、おもてを上げるがよい」


 威厳がある一声いっせいに、身体と共に心臓までも引き締まってしまう。

 孫次郎たちはおそおそる顔を上げて、主君大友義鑑御尊顔ごそんがん拝謁はいえつした。


 前に義鑑に謁見えっけんしたのは、四~五年前の端午たんご節句せっくにて父・親家に連れられてだ。

 その時の義鑑が優しく微笑んでくれたおぼろげな記憶がよぎる。


 だが、今目の前に居る義鑑は、あの頃とは打って変わっていかめしい表情を浮かべて、鋭い眼差しは身体を刺すかのようだった。


「お‥‥」


 豊後国を治める大友家二十代当主に相応しい厳粛げんしゅくな威圧感に押しつぶされそうになり、孫次郎は思わず口籠くちごもってしまう。


 安東家忠と戸次親久は気遣きづかわしげな眼差しで孫次郎の背中を押すしかなかった。


 孫次郎は緊張と共につばを飲み込むと、おのれの大きなまなこをカッと見開き、口上こうじょうを述べる。


「お久しぶりでございます。戸次孫次郎でございます。拝謁はいえつたまわりましたことを恐悦至極きょうえつしごくでございまする。此度、父・戸次親家の名代みょうだいとして軍の総大将を務め、馬ケ嶽城を攻め落とし、豊前国・宇佐神宮に侵攻せしめんとした首謀者・佐野、並びに間田、また加担かたんした者たちの子息しそくを捉えて参りました」


 屋敷内に響き渡るほどの一際ひときわ大きな声だったが、それに対して義鑑は静かに頷いた。


「うむ。久しいな、親家のせがれよ。大きくなったものだ。して、此度の合戦は宇佐神宮からの申し出が起こりであったが、“戸次親貞べっきちかさだ公”の“弔い合戦”とも聞き及んでいる・・・・・・ゆえに戸次家独断の軍立いくさだちであったが、戸次家の名誉、武士の矜持きょうじの為の決断と心得こころえておる」


 内情は宇佐神宮が大友義鑑(大友家)に救援を要請し、大友義鑑から戸次親家(戸次家)に挙兵を命じたのであるが、表面的に始めから戸次家による独断で合戦をしたと、周りに居る家臣たちに改めて告示こくじしたのであった。


かく、宇佐神宮への加勢、そして戸次家にとって因縁であった馬ケ嶽城を奪い返した。戸次親貞公並びに戸次家の名誉を、見事に挽回ばんかいを成し遂げたこと、誠に大義であった」


 まるでかみなりを直撃したような衝撃が孫次郎の身体を駆け巡り、震えが止まらなかった。


 主君しゅくんからの直々の称賛しょうさんは、これまで受けたことがない。

 いつの時も、いつの頃も、目上の人―ましてや主君から褒められるのは心嬉しいものである。


 孫次郎の初々しい姿に義鑑は微笑むものの、すぐにかない表情となった。


「して、ゆっくりと此度の戦について、お主たちをねぎらいたかったのだが、先ほど藤北から戻ってきた使いの者より、親家の様態が思わしくない‥‥危篤きとくのことだ。孫次郎、ゆえに急ぎ藤北に戻り、この吉報をお主自ら親家に届けてやってくれ」


「「なっ!?」」


 そのほうに安東家忠と戸次親久は思わず腰を上げたが、一方で戸次孫次郎は冷静れいせいだった。


「何を仰いますか、御屋形大友義鑑様。父上親家も覚悟の上で身共を送り出してくれました。わざわざ身共が伝達せずとも、使者殿にお伝えいただければとよろしいかと存じます。それに、まだ馬ケ嶽城に戸次の兵を残しております。兵が全員帰陣きじんしていないのに、大将だけが藤北へ帰郷ききょうなど出来かねます」


 この時代、主君の言いつけ(下知げち)は絶対であり、異議を唱えるのは論外ろんがいであった。

 ましてや処罰されてもおかしくない無礼な行為の為、


「お、おい! 孫次郎、何を言っている!?」


 安東家忠が咄嗟に声をあげてしまい、孫次郎の頭を下げようとさせるが、義鑑が口を開く。


「いかにも孫次郎の言い分も分かる。親家には戦の経緯いきさつをある程度は伝えているが、やはり、息子の初陣、ましてや弔い合戦の“勝利”を、お主(孫次郎)自らからが伝えた方がよかろう。わしからの見舞いの使者として行ってくれぬか?」


「‥‥御屋形様の御下知ならば。畏まりました」


 先程の威勢の良かった発言とは一転、義鑑だけに聴こえるぐらいの声で返事をしたのであった。



   ■□■



 孫次郎たちが藤北に戻るための支度したくあわただしく始めている中、義鑑は暫しの休憩の時間を設けて、奥座敷に戻っていた。


 側に控えていた角隈石宗つのくま せきそうが、あえて訊ねる。


「よろしかったのでしょうか?」


 それは孫次郎と共に親家の見舞いへおもむいても良かったのではと、義鑑は察した。


「ワシも藤北に行くとなったら、大仰おおぎょうとなってしまうだろう」


「先の時は内密で藤北にまいられたのに、ですか?」


「あの時とは状況が違うだろうに。此度の戦が切欠きっかけで大内との戦のせきを切ることになるかもしれんしな。もしそうなった場合、わしが府内を留守するのは思わしくないだろう。とは言いつつも(吉岡)長増の調べでは、まだ大内は大友わしらと戦うには慎重になっていると聞く。大きな戦にならないだろうが、念の為だ‥‥。そう長増に釘を刺されているよ」


「左様でしたか。では、私の方は府内に残られる戸次親久殿たちの寝食しんしょくの手配や、間田たちの詰問きつもんの支度をして参ります。御用意ごよういが出来次第お呼びいたしますので、暫しお待ちを」


 そう告げると角隈石宗はおもむろに立ち上がり退出していった。


 今、座敷には義鑑ただ一人ひとり

 静寂でおのれの心臓の音だけが聞こえるほどだ。


「当主でも親友の見舞いですら、ままならぬとはな‥‥。いや、当主だからか‥‥」


 ふところから一通の“書状”を取り出すと、幼い時からの知己ちきである戸次親家との思い出がふつふつとぎっていく。


 こみ上げてきた思いが義鑑の頬を静かにつたったのであった。



   ■□■



 孫次郎たちは馬にまたがり、山道を駆け抜けて行く。

 後ろには安東家忠と十数人の近侍きんじが追いかけていき、藤北へと目指していた。


 大勢おおぜいを連れては行軍こうぐんの移動速度は遅くなってしまうので、必要最少数の隊編成。

 戸次親久は孫次郎の代わりに、此度の戦について仔細しさいの報告や残った兵卒たちの世話の為に府内に残ったのであった。


 八幡丸たちは府内を横を流れる堂尻川(現在の大分川)を上がっていき、途中で分流ぶんりゅう《支川》の七瀬川の方へと進んでいく。


 道すがら廻栖野めぐすの野津原のつはる澤田さわだといった村々を経由していき、休憩も最少数に抑えている。

 藤北に近づくほど山道は険しくなっていき、山道に慣れている愛馬・戸次黒も疲れが蓄積ちくせきしているからか、駛走しそうできずに、牛の歩みのようになっていた。


軍立いくさだちから、ずっと走らせているからな。是非もないが、あともう少しだぞ、頑張ってくれよ!」


 孫次郎のはげましに応えてくれたのか、少しだけ駆け足となってくれた。


 ふと後ろを振り返る――間延びとなった軍列、安東家忠や近侍たちは疲労困憊ひろうこんぱいの表情を浮かべており、足取りも重い。その姿は、まるで命からがら馬ケ嶽から逃げてきた敗残兵はいざんへいのようだ。


 本来なら喝采かっさいびながら悠々な凱陣がいじんのはずが――と、孫次郎は歯噛みをしたのであった。


 山間やまあいを抜けると、所々ところどころ家屋かおくが見えてきて、猫の額ほどの耕作地に田畑が広がる見慣れた風景――ようやく藤北に辿り着いたのだ。


 田畑にいた村民たちが孫次郎たちの姿を発見すると否や、すぐに駆け寄ってきた。


「おお、孫次郎様! 戻られたのですね!?」

ご無事ごぶじで何よりです。」

「府内からの便りでは戦は勝利したとのとこですが、倅たちは?」


 藤北に残った子供や年配の村民たちから四方八方に声を掛けられてしまい対処が追いつかない。


「落ち着け、皆の者よ! 仔細しさいは後だ。戸次親家様に早くお目通りをしなければならぬ!」


 安東家忠が一喝いっかつし民衆の群れを割っていき、孫次郎たちは藤北館へと向かっていった。



   ■□■



「ま、孫次郎ちゃん!?」


 侍女のお梅が驚きの声をあげた。


 なんの報せもなく突然帰ってきた孫次郎は土埃つちぼこりまみれで、ひどく汚れているために廊下には黒い足跡が残るほどだった。

 本来なら家に上がる前には足濯あしすすぎで足を洗うのだが、身なりを整える暇もなく、ただちに父・親家が居る場所へと目指していく。


「いつ戻ってきたの?」


「今し方だ。父上殿は?」


「奥の座敷に‥‥あ、家忠様も」


 孫次郎の後を追いかける安東家忠。他の近侍たちは館の出入り口にて待機している。


 勝手知ったる我が家のもあり、ずかずかと奥へと進んでいき、親家の寝所に着到ちゃくとうした。


「父上! 孫次郎、御屋形大友義鑑様のご命令により、只今帰参きさんいたしました」


 孫次郎が声を発しながら部屋に入ると、親家は布団に入っており、側に継母のおこう(養孝院)や実姉(安東家忠に嫁いだ三女のりん)に義弟(孫寿郎)、義妹たちが見守るように座していた。


 また、見覚えがある神職の服装を身にまとった老人‥‥由原八幡宮の賀来治綱かく はるつなも居り、加持祈祷かじきとうしに来てくれていたのだ。


「孫次郎か‥‥」


 親家が弱々しく、しわがれた声で呼びかけつつ上半身を起こそうとするが、もはや自分だけではままならぬ為に、おこうがすかさず介添かいぞえをする。


 藤北を発った頃よりも様体ようたいが悪化しているようだった。


 病にしているから仕方ないとはいえ、衰弱すいじゃくしている父親の姿に嫌気いやけが差してしまうので見たくなかった。


 その嫌気がいくさでの高揚に水を差すようで、孫次郎が府内で藤北に戻りたくなかったのは‥‥親家父親に会いたくなかったのもあった。


 孫次郎は腰を落とし胡座あぐらをかいては、両拳を床に着ける(いわゆる爪甲礼そうこうれいと呼ばれる座礼)。


首尾しゅび良く馬ケ嶽城を落とし、敵方を放逐ほうちくして参りました」


「そうか‥‥。これで親父殿(戸次親貞)も報われるな‥‥。それで、此度の戦で討死うちじにや、負傷ふしょうした者は如何ほどか?」


「え? そ、それは‥‥」


 予期しなかった質問に口どもる孫次郎。


「どうしたのだ?」


「えっと‥‥確か、松岡の親之殿、親利殿が敵方の侍大将さむらいだいしょう相打あいうちになれましたが‥‥」


「松岡達が‥‥そうか」


 親家は沈痛ちんつうな表情を浮かべ、顔を伏してしまう。

 この馬ケ嶽城の戦いで誰よりも意気込んでいた二人であり、二十五年前の戦の由縁ゆえんも知っていた。

 最初から死ぬ覚悟での出陣だったと察してはいたが――


「だからと言ってな‥‥。して、他には?」


「他は‥‥あ、義兄上あにうえ(安東家忠)」


 孫次郎は家忠の方に向き、助け舟を求めた。

 その姿に親家はまゆをひそめる。


「う、うむ。他には、井手の七郎左衛門殿。また、十時惟種殿が深手ふかでを負い、某たちが馬ケ嶽城を発つ時ですら意識は戻っておりませんでした。そして道中、加勢して頂いた木付氏の家臣・沓掛尚之殿が馬ケ嶽城を攻めている際に敵方の投石を受けて、打ち所が悪く命を落とされました」


 代わりに答えた家忠の内容に、親家の目がカッと見開く。


「なんと‥‥他家の方が此度の弔い合戦に加勢かせいして頂いたのか‥‥。それなのに‥‥なぜそれを言わない、孫次郎!!」


 がなり立てた親家の大声に、その場に居た者たちは全員硬直こうちょくしてしまった。


「そ、それは‥‥」


 即座そくざに答えられない孫次郎に苛立ちを覚え、親家はよろつきながらも孫次郎の目の前に立ちはだかり――


「このおろもんが!!」


 怒声と共に孫次郎の脳天のうてん拳骨げんこつを食らわせたのだった。


 身体のしんに響く強い痛みがはしる。

 とても立ち上がるのも困難で弱っている人物親家が繰り出したとは思えないほどに、意識を失いそうな強烈な威力だった。


「なぜ、此度の戦の犠牲者を御大将であるオマエが把握していないのだ!? 孫次郎!!」


 怒気どきが込もった口調の親家に姉弟きょうだいたちは狼狽うろたえてしまい、いつも勝ち気な孫次郎ですらひるんでしまっていた。


「そ、それは‥‥」


 先の拳骨の一撃で意識が覚束おぼつかないのもあり、言葉が上手く発せられない。

 しかし、そんな判然としない態度に見かねた親家は殺気さっきが込もった視線でにらみつけ――


「この家から出ていくがよい。お主は戸次を継ぐ者にあらず。さっさと、出ていくがよい。出ていけっっっーーーー!!」


 親家の怒鳴り声が館内に響き轟いた。

 これほどまでに激昂げきこうする親家の姿を見たのも、怒声を聞いたのも初めてだった。


「ウッ、ゴホッ!! ガホッ!」


 親家は叫んだ後、激しくせき込みをして、その場にひざをつき倒れ込んだ。


「御前様!」

「父上様!」

「親家様!」


 おこう姉弟きょうだい、安東家忠たちが案じて駆け寄る中、孫次郎は腰をつけたまま唖然として親家を見据みすえるだけだった。

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