19「凱陣」

 大友義鑑の返書をたずさえた使者が馬ケ嶽に戻り、佐野禅正親基さの だんじょう ちかもと間田豊前守重安はざまだ ぶぜんのかみ しげやす。それに加担した家臣、国人衆たちの子息を人質に差し出し、早急に馬ケ嶽城を明け渡すのであれば助命する旨を伝えた。


 馬ケ嶽の降伏の使者に大友義鑑の書状を手渡し、本丸へと戻った。


 一刻いっこくもしない内に城から剃髪ていはつした佐野と間田、複数人の近習や付き従った国人衆たちも出てきた。


 最後の抵抗もせず自決も選択しなかったのは、大友義鑑の降伏条件を素直に飲んだのだろう。また心証しんしょうそこなわせない為に、武装解除されており、短刀ですら身に付けていなかった。


佐野親基さの ちかもと、並びに、間田重安はざまだ しげやすであるか?」


 安東家忠が前に出て訊ねたが、佐野は顔面蒼白の表情をしたまま地面を見つめ、こちらからの問いかけに答えはなかった。

 代わりにと間田はざまだが口を開く。


「如何にも。それがしが間田豊前守重安ともうす。寛大かんだい処遇しょぐう、いたみいり申す」


「最終的な処遇は大友義鑑様の沙汰次第であるが、お主達の嘆願たんがんを聞き届けていただけるように取り計らいましょう」


 間田はこうべを下げて、改めて安東家忠の奥で近習に囲まれてひかえる戸次親延に視線を向ける。

 身につけている鎧や刀などの格好身なり指揮官総大将であると判断でした。


「あの御仁ごじんが、この軍の総大将か?」


「いいえ。あの方は戸次親延様であらされます。総大将の戸次丹後守親家様の叔父に当たる方です」


「そうでしたか。それで、その戸次親家殿は?」


「そ、それは‥‥」


 家忠は言葉が詰まってしまった。

 戸次親家が体調不良で此度の戦に参じていないという情報が不利になると思い、うかつに漏らしてならないと気づいたが、今さら有耶無耶うやむやにできるものではなかった。


「そ、総大将(親家)は、少々具合ぐあいが思わしくないため下がられている。その名代みょうだいに戸次親家様の御子息ごしそくが、この軍を執り仕切っております」


「子息が!?」


 親延の横に立つ背が低い武士八幡丸が、こちら(間田)を鋭く睨んでいたのに気付いた。

 まだあどけなさを残す顔つきながらも堂々たる姿に、ただの子供ではないと感じ取る。


「わっはははははは!!」


 間田は大きな声で笑ってしまった。

 それは八幡丸を見て笑ったのではなく、子供が指揮する軍に敗けてしまったという情けなさと間抜けさに、おのれ自身を笑ってしまったのだ。


「いや、失敬。わらべが指揮しても我らが終始後手に回ってしまったのは、戸次軍そちら一枚上手いちまいうわてだったというこということか‥‥それとも(童ながら“将”として役目を果たすほどの)‥‥いや、よそう‥‥敗者の弁など、そこらの石ころよりも価値は無い」


 間田は達観たっかんした清々しい表情を浮かべながら大人おとなしく縄につき、佐野たちも同様に拘束されたのだった。


 続けて馬ケ嶽城に籠城ろうじょうしていた者々を追い払うと、戸次軍勢は包囲を解いた。


 暫定的ざんていてきではあるが二十五年ぶりに、戸次氏族が馬ケ嶽城の主として入城したのである。


 古くから戸次家に仕える重臣たちは大粒の涙を流し、此度の戦が初めての者たちは勝利したことに大いに歓喜したり、ただただ安堵する者が居た。


 戸次軍は見事にとむらいい合戦を成し遂げたのだ。


 しかし、戸次氏族は感慨にふける暇はない。


「さて、佐野たちを府内(大友義鑑様)まで護送しなければならぬし、馬ケ嶽城に留め置く者たちを決めなければならぬな‥‥」


 親延が音頭取おんどとり、今後について取り決めていた。


 折角せっかく奪取した馬ケ嶽城をもぬけのからにしとく訳にはいかないので、戸次軍全員が府内や藤北に帰還できないのだ。


 大友軍(木付や吉弘など)、または宇佐神宮が援軍として来るまで滞在たいざいする必要があった。


 滞在組の大半は戸次氏族と此度の戦に参加しなかった藤北の民で固めるとして、取りまとめ役として戸次親延や重臣の内田宗直、そして万が一(周辺の国人衆の反乱や大内家の介入)にそなえて、由布、十時たちも滞在する運びとなった。


 府内への人質護送は大友義鑑に謁見えっけんし、人質の受け渡し、此度こたびの戦を報告しなければならない。

 当然、戸次家の家長の役目になるので八幡丸が護送組の指揮を執る為に加わり、補佐として安東家忠と戸次親久(分家の片賀瀬当主)が付き従うことになった。


 八幡丸は正月などの挨拶で何度か大友義鑑とは面識がある。それについてはさほど問題では無いが、危惧するのはやはり佐野たちの護送任務。


「八幡丸、解っていると思うが重大の責務だぞ。もし人質が逃亡してしまったのなら」


「承知しております、叔父上親延殿。幾重いくえに注意して参りますゆえ、ご心配なさらずに」


 親延の忠告に軽々しく答える八幡丸に少し不安に思えてしまうが、その代わりにと安東家忠と戸次親久に強く言い伝えたのであった。


 八幡丸たちは一通りの支度したくを終えて、十時惟忠たちの元へと近寄り声をかける。


「では、ただつぐ。それに家続、後は任せたぞ」


「ええ、解ってますよ」


「若も気をつけて」


 十時惟忠、惟次は少し疲れているのか暗然あんぜんとした表情を浮かべて答えては、由布家続は「ああ」と、いつものように短く返事したのであった。


 八幡丸は愛馬・戸次黒にまだがり、


「では、皆の衆。いざ出立!」


 ときの声を高らかにあげて、一軍を引き連れて馬ケ嶽城をったのであった。

 それを見送る十時惟忠、惟次たち。


「行っちゃったな」


「せめて、行く前ぐらい惟種兄にも声をかけてくれてもね‥‥」


 惟忠の父・十時惟安が二人に話しかける。


「まあ、仕方あるまい。八幡丸も何しろ初陣で、しかも寡兵かへいにも関わらず、この戦に勝利したのだ。さっさと大友の殿様に戦果と人質を受け渡したいものだ、まだまだ周りを気遣きづかう余裕ができないのは仕方あるまい」


 続けて惟忠、惟次の肩を強く叩く。


「さあ、残った者滞在組は城の塀や土塁の補修作業と、此度戦没せんぼつした者たちの墓作りの二手に別れるぞ。松岡殿たちの為に立派な墓を立てようじゃないか」


 馬ケ嶽城の残った面子めんつは自分たちが破壊した塀や堀の修繕や、無念にも討ち死となった同胞どうほうを手厚く弔った。



   ■□■



 護送組の八幡丸たちは藤北から馬ケ嶽城へと目指していた時とは別の緊張感と重圧を感じていたが、それでも行きと比べて各々おのおのの表情は明るく、戦の疲労も何処どこへやらと足取りは軽く意気揚々いきようように進んでいく。


 道中、宇佐神宮に立ち寄った八幡丸たちは、前に出立しゅったつした時には夜の暗闇で拝覧はいらんできなかった“呉橋くれはし”の姿を目にした。


 婉麗えんれいな橋の佳麗かれいさに何処からともなく感嘆かんたんの声が漏れ聞こえる。


 みかど勅使ちょくしでしか渡れない橋であるが、初陣に勝利した褒美ほうびとして渡っても良いのではと浮かれ気分であった。


 そして宇佐神宮には木付・吉弘の一部の兵卒(先行隊)が到着しており、戸次軍の大将‥‥八幡丸の姿に驚く者は少なからず居た。

 はたから見れば、元服前幼い身なのに軍を指揮をして勝利に導いたと見られていた。


「ましてや初陣だというのにな」

「ただの御輿みこしだったのでは?」

「あの身空みそら軍場いくさばに出ることに意義があるのだが、戸次軍は寡兵かへいだったと聞く。にも関わらず勝利したというのは、ただの飾りや足手まといではなかったという証だろう」

「戸次か。落ちぶれたと聞いていたが、武威ぶいは健在ということか」

「あの幼いながらも大将としての気質があったのか。行く末は天下に轟く雄将ゆうしょうになるかもしれんな」


 周囲の声を余所よそに孫次郎たちは宇佐神宮にて短い休息を取った後、木付や吉弘の一部の兵たちも人質護送の為に加わり、万全ばんぜんして府内ふないへと目指していく。


 戸次軍の凱陣がいじん民草たみぐさの語り草となり、此度の戦について、隣国までにも戸次軍、そして八幡丸の活躍は風に乗るかのように伝わっていき、ほどなく発端ほったんとなる人物・・の耳にも届いたのであった。



   ■□■



 周防国すおうのくに(現在の山口県)。


 岐波浦きわうら(現・山口湾)に流れ込む宮野川(現・椹野川ふしのがわ)を上っていくと、盆地ぼんちきょうみやこ見紛みまがうほどに理路整然りろせいぜんとした町並みが広がっており、その中で最も広大で立派な館が建築されていた。


 みかどの居館としても相応しいほどに、絢爛けんらんで壮大な館は“大内館”と呼ばれ、その名の通り西国之覇王さいごくのはおうとしてひょうされる大内氏の居館であった。


 その館の居間にて、公家の装束-狩衣かりぎぬ-を着込んだ若者が、蹴鞠けまり鞠玉まりだまを手入れしながら家臣から報告を受けていた。


「馬ケ嶽城が落ちた‥だと? はて、まだ戦支度いくさじたくをしているのではなかったのか。すえよ?」


 若者の名は大内義隆おおうち よしたか

 現大内家当主・大内義興おおうち よしおきの息子である。


 すえと呼ばれた壮年の家臣が答える。


「その手筈てはずでしたが、それが宇佐神宮のかんさわったらしく、大友方に放逐ほうちくを求めたそうです」


「それで、大友が攻め落としたと?」


「正確には大友ではなく、一家臣いちかしんに過ぎない“戸次べっき”という一族が独断で挙兵し、此度の戦に呼応した宇佐神宮にゆかりがある者たちをまとめ上げて、馬ケ嶽に攻め入ったそうです」


「戸次? 知らぬ名だな」


「そうですかな? まあ、それがしも久方ぶりに、その名を聞きましたが。今は失墜して、その名を聞かなくなりましたが、かつて御所ごしょ(室町幕府)の奉公衆ほうこうしゅうを勤めたほどの名家めいけであり、かの足利義尹あしかが よしただ様の将軍職跡目争いの時に馬ケ嶽城を守っていたのが、その戸次一族だったはずです」


「ほう、それは因果いんがな」


「因果‥‥いえ、どっちかというと因縁いんねんを利用されたと、それがしは考えております」


「どっちでもいいが‥‥しかしまあ、その戸次某べっき なにがしが大友の一家臣だとしても、独断で軍をおこせるものではなかろう。我が義兄上(大友義鑑)が何かしら関与しているだろうに。それならば、それを大義名分として豊前豊後に攻め入るか、陶よ?」


「まだ大友と本格的に事を構えるのは時期尚早じきしょうそうかと存じます。毛利がこちらに付いたとはいえ、まだ尼子が片付いていない状況。御館様大内義興もご承知しょうちはなさらないのでは」


 大内義隆は一笑いっしょうしながら手入れをしたまりをポンポンと弾ませつつ、おもむろに立ち上がって縁側へと進み行く。


「冗談だ。まあ、此度の件に関しては佐野や間田がたいしたことがないと解っただけでも良しとするか。もし、あやつらを先鋒せんぽうとしていくさを始めていたとのなら、我が大内軍の足をすくわれていただろうな」


「これから足をすくわれることになるのでは? 間者かんじゃからの報告では佐野たちは討ち取られず、府内へ連れていかれたそうです。もし‥‥いえ、必ず佐野の口から若殿義隆が首謀者だと吐くでしょう」


「何を云うか。先の宴席えんせきにの時にでも、こちらの独り言を勝手に勘違いをしてしまったのだろう。書状などの取り交わしも、証人もないのに、なぜ私の名を吐く‥‥。まさか、大友の陰謀いんぼうなのでは?」


 過剰かじょうに、わざとらしい口調で言い放つ大内義隆に対して、すえは軽く息を吐いた。


「承知いたしました。大友から難癖・・をつけられてきても、知らぬ存じぬで対処いたしましょう」


流石さすがは陶。あとは頼むぞよ」


 大内義隆は鞠玉を蹴り上げた。

 高く高く舞う鞠は太陽の眩しさと重なる。


「この借りは、いつか必ず返してくれますよ。あの鞠のように蹴っ飛ばしてやりましょう。義兄上大友義鑑様」


 大友と大内――両雄が本格的に激突するのは、まだ少し先の話しである。いつか訪れるその時まで、お互いに牽制けんせい警戒けいかいをし続けるのであった。

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