13「宇佐神宮~駅館川を越えて~」

 大神村を発った戸次軍は木付家に仕える沓掛尚之くつかけ なおゆきの先導によって道に迷うことなく、日が暮れる頃には宿営予定地の立石村に到着できた。


 立石には規模が小さいながら城(といっても砦)があり、沓掛が前もって手配してくれていたお陰で孫次郎たちはそこに宿泊する運びとなった。


 兵卒たちは故郷・藤北も山里やまざとであり、山道さんどうに慣れている者が多いとはいえ、武具や荷物を抱えての見知らぬ道や土地に、普段よりも疲労が溜まったのか、夕飯(夕餉ゆうげ)をたいらげると兵卒たちは泥のように眠り、八幡丸(孫次郎)も同様に寝入った。


 特に何事もなく夜が明けて、孫次郎たち戸次軍は手早く朝飯を食べ終えるとすぐちに立石村を発った。

 前日と同じように山道をのぼって行き、とうげへと差し掛かる。

 ここから先は緩やかな下り坂となり、兵卒たちは幾分かは楽になると一息ひといきついた。


 せばまってきそうな谷間の山道を下って行くと、やがて開けた場所に出る。

 辺り一面に田畑が広がっており、山々やまやまの圧迫感から解放されて、解放感で満たされる。


 ここは西屋敷村にしやしきむらと呼ばれる地域であり、ここまでくれば宇佐神宮うさじんぐうまで目前だと宇佐の使者がはげました。


 西屋敷村から“豊前国ぶぜんこく”の領域になるが、八幡丸を含む多くの兵卒たちにとっては初めての“異国”の地に足を踏み入れたのだが、とりわけ感心するものはなく、直近の目的地・宇佐神宮の方に早る気持ちが高まっていった。


 二時間ほど進み行くと、大きな鳥居とりいが見え始め、その先の深緑のもりに包まれた亀山(現在の名は小椋山)と呼ばれる小高い丘陵きゅうりょうの頂上に赤い建物……壮大な社殿が姿をあらわした。


 各地に在る八幡宮(八幡大神)の総本宮…宇佐神宮だ。


 古来、豊前の地を治め、朝廷ちょうていとも縁が深く、かの伊勢神宮に次ぐ格式がある神宮じんぐう


 八幡丸を先頭に戸次軍は神橋かみはしを渡り、菱形池ひしがたいけを横目に鳥居をくぐりて境内に進み入り、緩やかな傾斜がある参道さんどうを上っていくと、やがて本殿(上宮じょうぐう)に到着する。


 本殿は宇佐神宮の分社である由原宮ゆすはらぐうと似た造り(八幡造)であるが、建物は何倍も大きさであり、加えていにしえの重みと八幡宮の総本宮そうほんぐうである風格による厳粛の雰囲気をまとわせており、圧倒されそうになる。


 使者の案内によって宇佐の大宮司だいぐうじを紹介され、出軍しゅつぐんの謝礼の後、由原宮の時と同様に戦勝祈祷せんしょうきとうを受けたのである。


 一通り御祈祷ごきとうが終わると大宮司や禰宜ねぎたちから馬ケ嶽城の近況を伺い、軍議が催されたが、申し合わせた内容は簡易な確認だけで終わった。


 救援の申し出をしてきた宇佐神宮の宮司たちであれど、戦わない第三者に詳細な作戦や戦略が漏洩ろうえいされないようおおやけに言いらす訳にいかない。


「では、おひらきとしまして、粗餐そさんではありますが、如何でしょうか?」


「かたじけのうございます。ありがたく頂戴いたします」


 と親延が頭を下げると一旦散会さんかいとなった。

 各自が馬ケ嶽城に向かう為の支度したくや休息を取る中、合間に八幡丸は十時惟忠と惟次、そして由布家続を連れて、亀山のふもとに下りて菱形池ひしがたいけほとりにやってきていた。


 畔の先にさくで囲まれた中に、三つの“井戸”が存在しており、それを見た八幡丸がつぶやく。


「ここが…戦いの神、八幡大神様が示顕じげんなされた場所か」


 ただの井戸ではなく“御霊水ごれいすい”と呼ばれる霊泉であり、その由縁ゆえんは、先の通り八幡大神が顕現けんげん(出現)した場所……聖蹟せいせきである。


左様さようでございます、戸次様」


 ここに道案内をした禰宜ねぎ(神官の職称)が相槌あいづちを打つ。


 はたから見れば、ただの井戸が三つ点在しているようだが、おごそかな空気に神聖なる気配がただよっている。


 ここが日本中の武士から崇敬すうけいを集める武運の神・八幡大神の始まりの地。


 八幡大神にあやかって名乗っている八幡丸だけではなく、武士としての自尊がある十時惟安と惟通や由布家続たちも心の内で高揚していた。


「宇佐神宮に訪ねたのであれば、武士ならばここには必ず来ないとな。そうだそうだ……」


 八幡丸は腰元にぶら下げていた金糸で織り込まれた金ノさしずばた(軍を指揮する旗)を手に持ち、井戸水(御霊水)を振りかけた。


 それは八幡大神の霊験れいけんあらたかな御加護や神威しんいを得られる気がしたからだ。

 宇佐神宮の本殿(上宮)で戦勝祈願をしているが、幾重いくえも縁起を担いで勝運かちうんを呼び寄せるのに越したことはない。


 御霊水で清めた金ノさしずばたを井戸の奥に鎮座ちんざしている少し大きめの“石”を程よい置き場として供えようとすると、すかさず禰宜が話しかける。


「あ、戸次様。その石は影向石ようごうぜきと呼ばれているものであります」


影向石ようごうぜき?」


「はい、その石は八幡大神様が降臨した御座みくらであります。そして八幡大神様が顕現けんげんなされた時、共に神馬しんめも召されたそうです。八幡大神様が神馬にまたがり、天へ駆けていった時に足場としたそうです。その証拠に影向石ようごうぜき馬蹄ばていの跡がございましょう」


 確かに石の表面に小さなくぼみが在った。

 遥か昔のことであり、まことしやかに口伝で伝わってきた。真相が真実であるかは不明ではあるが、八幡大神の顕現の地であり、千古せんこの時より斧が入られていない深緑の森の中でたたずんでいる場所柄ばしょがら傍証ぼうしょう性を助長させて真実味を深めさせる。


「それなら、なお縁起が良いではないか。ここより武神・八幡神はちまんしんが示顕し、出立したのならば、お導きがあるだろう」


 八幡丸は影向石の上に金ノ麾を供えてから深く『二礼』すると、十時たちも同じ所作を取る。

 続けて『四拍手』し、手を合わせて黙祷。改めて必勝を祈願したのち、締めに『一礼』をした。


 大半の神社での参拝作法は『二礼・二拍手・一礼』であるが、宇佐神宮では『二礼・四拍手・一礼』としており、他では出雲大社などのごく一部だけである。如何に宇佐神宮が大和朝廷から特別視されていたかうかがい知れよう。


「八幡丸たち、ここにったか。めしの用意が出来たぞ。さっさと来い」


 呼びに来た十時惟種ととき これたねがやってくると、八幡丸は金ノ麾を拾い上げて、早々に御霊水から立ち去ったのであった。


 八幡丸の初陣で八幡大神の降臨こうりんの地-宇佐神宮-が関与していたのは、なんと因果なことか。

 またこの時に八幡大神の御加護を得られたのか……神のみぞ知るのだろう。



   ■□■



 早めの夕飯ゆうはんを食べ終えると、まだが沈まない内に八幡丸や兵卒たちは寝に入り……深夜に八幡丸たちは起き上がった。


 用を足す為ではなく、戸次軍は出立の準備を始めたのである。

 当然、戸次軍の作戦の一つであり、前もって深夜の内に宇佐神宮を出立する取り決めをしていたものだ。


 暗闇の中、出立までに少々手間取ったが、兵卒たちは寝ぼけ眼ながらも隊列がそろうと、戸次軍は宇佐神宮の西を流れる寄藻川よりもがわに架かっている神橋かみはしを渡っていく。


 その神橋の横に呉橋くれはしと呼ばれる屋根が建てられた婉麗えんれいな橋がかけられている。

 鎌倉時代より前の時代に、呉国(今で言う中国)の職人が手掛けたと伝えられており、誰それと渡れる橋ではなく、朝廷の勅使ちょくしまたは帝(天皇)のみが通れる橋だ。


 その為、戸次軍勢はその横に架けられた神橋を渡っていく。


 闇夜で呉橋の優美な姿を目視できないのは不憫ふびんではあるが、その全貌ぜんぼういくさに勝利した時の後の楽しみとした。


 夜道でも行軍こうぐんできるのは、予め宇佐神宮に夜目よめく、もしくは目をつぶっても馬ケ嶽城まで辿り着けるほどの地理に詳しい者を先導にと派遣はけんして貰っていたからだ。


 宇佐神宮を出発し、微かに照らす月明かりを頼りにしばし進んでいくと“駅館川やっかんがわ”に差し掛かる。


 寄藻川と同様に古くより歴史に名を残す駅館川は、かなり川幅は広いが浅瀬のところがあり、橋が無くても大勢が渡るのには支障はなかった。


「今ここが戦場であっても背水はいすいの陣は敷けないな……」


 八幡丸は愛馬・戸次黒に跨がって川を渡る中、漢の高祖・劉邦りゅうほうに仕えた名将・韓信かんしんが用いた兵法(背水の陣)を口にした。

 敵軍は自軍の何倍も多く、勝ち目が無かった戦で自軍の士気を高め、決死の覚悟でのぞませる為に、韓信は背水に陣を敷いたという。


 話を聞く限りでは馬ケ嶽城にもる敵方は五千人ほどで戸次軍より数が多い。

 ましてや此度の戦は、建前上たてまえじょうは独断で挙兵きょへいしたことになっている。

 もしこのいくさやぶれてしまえば、全責任は戸次家が負い、戸次一族としても存亡そんぼうの危機にあった。


「既に戸次家は背水……死地しちにあるようなものだ……」


 ゆえに八幡丸だけではなく叔父の親延や安東家忠などの家臣、そして参与してくれた由布や十時たち。戸次家に関わる人々は藤北をってから……いや府内から討伐の下命かめいがあった時から決死の覚悟を決めている。


 何も見えぬ真っ暗な闇夜が戸次家の行く末が一寸先は闇だと、八幡丸は思わず身震いしてしまった。


 しかれども、八幡丸は御霊水で清めた金ノ麾のつかを強く握り締める。


うに覚悟はできている。我は八幡大神の化身、八幡丸ぞ。いくぞ戸次黒!」


 八幡大神の威光(宇佐神宮)を背に、今、八幡丸たち戸次軍は駅館川を越えていく。

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