06「戸次親家の名代」

 大友義鑑と角隈石宗が藤北館を立ち去った後、戸次親家べっき ちかいえは、ただちに叔父の親延ちかのぶや限られた重臣の家老(内田、森下、堀、松岡兄弟)や家臣(安東家忠)たちを集め、評定を催していた。


 大人たちの中に孫次郎も親家の横に座して参加している。

 通常、当主の子であっても元服を迎えてもいない者を戦の評定に参加させるのは稀なことであった。


 しかし、それは戸次家の命運をかけた戦の評定ならば是非もない。


 議題は大友義鑑からの要請である豊前・馬ケ嶽城うまがたけじょうへ出陣し、佐野某、間田某の討伐。

 親家は先程の使者が大友義鑑であるのは伏せていたが、それ以外は概ね打ち明けていた。


「弔い合戦ですか……」


 内田が身体を震わせては呟いた。

 戸次家に古くから仕える内田は戸次家の栄枯盛衰を知り、苦節を共にした宿老でもある。


 かの幕府の勘気を受け、その責で戸次家は本貫地(戸次庄)を没収されて凋落していったが、当時は大友家に次ぐ家格としての地位により、まだ一定の権威は保っていた。


 だが足利義尹(後の義稙)と足利義澄の将軍職の跡目争いが勃発してしまい、戸次家と大友家の運命が大きく変動してしまう。


 大友家(大友親治)は足利義澄を推挙。そして因縁の宿敵である大内家(大内義興)が足利義尹を推挙し、大友・大内両家で大争乱が始まった。


 その戦場の一つが豊前・馬ケ嶽城。

 戸次家十二代目当主…戸次親貞(孫次郎の曽祖父)が任じられていた城だった。


 戸次親貞は当時73歳の高齢でありながらも老骨にむち打って奮戦をしたが、大内家に攻め落とされてしまい、親貞は自害し果てたのである。


 義尹と義澄の将軍職の争いの最終決着は大内家(大内義興)が推挙した足利義尹が将軍に就いた。

 大義名分を失った大友親治は隠居し、子の大友義長が大内との関係修復に奔走して和睦を図り、義長の嫡子義鑑の妻に大内義興の娘を迎えさせて、大内との争いは手打ちとなった。


 その手打ちの中に、戸次家や家臣たちの一族は馬ケ嶽城を失った責任を取るように、各地へ散り散りとなった。その地の一つがここ藤北である。


 戸次家没落の主因となった馬ケ嶽城の敗戦。


「やっと……よう、やっと名誉挽回の機が来たのか……」


 松岡親之のいきどおりが込もった言葉を漏らすと、弟・親利は目に涙を浮べていた。他の重臣たちも各々身体を…いや、心をも震わせていた。

 皆一様に忸怩じくじたる念にさいなまれており、戸次家に仕える家臣たちにとっても、再興は悲願であった。


「して、このいくさに異を唱える者は居るか?」


 親家はあえて訊ねた。

 戸次家当主の決定は絶対であり、元より家臣たちが反対意見を述べるなど、この時代では稀有であるが、親家の確認に当然の如く誰一人口を開かず、迷いのない決断した眼差しを親家を向けた。


「……うむ」


 その眼差しに応えるように、親家は同じように熱情が溢れる瞳で各々を見つめた。

 家中の揺るぎない思いを感じ取り、叔父の親延が話を進める。


「これは弔い合戦。それゆえ大友本家や他同心衆の加勢は望めぬ。戸次家だけで事にあたらなければならぬ。しかも一刻の猶予がない。そして、あの馬ケ嶽城を落とすには少なくとも千人以上は必要となるだろう」


 勝手知ったるかつての戸次家の居城。

 馬ケ嶽城が、どのような規模で構造なのかを把握しているからこそ、具体的な目算を立てられる。

 一日でも早く戦支度いくさじたくを整えなければならない。


「豊後に散らばった戸次一族や縁者たちは当然として、ここ藤北の民たちにも召集をかけて、五百いくかどうか」


「ならば、我ら戸次家にゆかりがある家にも参戦を呼びかけては? 片ケ瀬だけではなく、由布や十時に加勢をいただければ」


「由布と十時……大神の者たちが手を貸していただけるのか?」


「これは大友としての戦ではない。戸次家としての戦だ。由布は戸次の縁者。そこに訴えるしかないだろう」


「由布家たちが加勢してくれるとして、そもそも千人以上となると、それだけ武具や兵糧も用意しなければならない。家忠、どれほど蓄えがあるか、倉を至急確認をしてくれ」


「は、はい!」


 家臣たちが話し合い、戦略を練っていく。

 親家は、その光景を静かに伺っているだけだった。


 孫次郎は疑問を思う。これは戸次家の運命の一戦だ。戸次家当主が面に立ち指示していくべきではないかと。


 各々が何をするべきか把握しているからこその行動を実行できている凄さに、孫次郎はまだ気づけていなかった。


 諸々画策していくと様々な問題が見えてくるが、中でも一番の問題は誰が軍を率いるのか。


 戸次家として軍をおこすとなると軍を率いる総大将は、言わずもがな戸次家の家長かちょう―十三代目当主…戸次親家―の役目。


 だが――


「ゴホッゴホッ……」


 親家の咳き込む姿に、家臣たちの視線が集まった。


 親家の様態は起き上がるのもままならない状態。

 十時惟安たちが差し入れてくれた椎茸ドンコを食しても残念ながら快復には至ってはいなかった。


 罹患りかんな身体で行軍はこくだろう。もし無理して出陣したとしても、道中で悪化するのは明白だ。

 誰もが到底出陣はできないと思うも、それを口にする者はいなかった。


 自ずと戸次親家の嫡子ちゃくし――孫次郎に視線を移した。

 親家の名代として孫次郎が大将を務めるのが自然だ。


 しかし、元服をまだ迎えていない十四歳。この評定に参加させていることは、このままいけば馬ケ嶽城攻めが初陣となる。

 経験不足は否めなず、大軍を率いるのは難しいだろう。


 ならば同じ血筋であり年の功もある、親家たち本家筋が来るまで藤北を治めていた叔父の親延が大将を務めるべきだという話になるが、親延は分家筋。他の分家から余計な妬みなどで歪みが生じるかもしれない。


 戸次一族総出で一致団結して戦わなければならないが、この時代、上に立つ者にはそれなりの地位や血筋が重要になるのだ。


 そんな空気を感じ取ったのか、それとも親家の状態を察したのか、孫次郎は立ち上がり、


「父上! 此度こたびの戦の大将であられる父上の名代として、身共みども(私)にご命じください! 戸次家の男子と生まれた時から、覚悟を決め、身体からだを鍛えて参りました。必ずや曽祖父の敵討ちを果たし、戸次家の再興を成し遂げましょう!」


 勝ち気な瞳で親家を見据えて、大きな声で言い放った。

 場が水を打ったように静寂となり、家臣たちは孫次郎と親家に注視をする。


 親家は静かにまぶたを閉じた。それは、ほんの少しの時間だった。

 その間に親家は決心し、瞼を見開くと孫次郎を見つめ返した。


「幼い年にして健気なることを申す。天晴あっぱれである。孫次郎、そなたこそ戸次家を再び興すべき器なり。汝が望むままに任す」


 親家は通った声で言い渡した。

 それは孫次郎を自分の名代として認めたと家臣たちにも伝えたのである。


 親家はひそかに親延に視線を送った。

 評定が始まる前に二人だけで相談をしていた。



   ~~~


「親家、聞き耳を立てていたゆえに聞こえていたが、馬ケ嶽城に攻めると」


「ええ、そうです。祖父親貞公の弔い合戦にもなります」


「そうか……やっと親父の汚名をすすぐことができそうだな」


 親延は戸次親貞の五男で、親貞が年老いてから生まれた子であった。

 ちなみに親貞の孫である親家の方が親延よりも年上である。


「しかし、これから戦支度いくさじたくをするにしても、先ずもっての懸念は……」


「解っております。この身では進軍もままならず足手まといになりましょう。軍を率いる大将にそれがしは無理でしょう。ですから大将は叔父上殿が務めていただけないでしょうか」


「俺が? それは無理な頼みだな。武家の仕来しきたりとして、その家の当主が軍を率いるのが望ましい。分家の俺では不適任だし、それに此度の戦はただの戦ではない。戸次家として名誉の戦いならば、なおのこと。戸次家の家長は親家、お主だ。本家の家長が戸次家をとりまとめなければならぬ。それが出来ぬのであれば跡継ぎが、その代わりを務めなければならない。孫次郎を大将に据えるべきだ」


「……」


 黙してしまったのは、父としての心配よりも、戸次家の家長として孫次郎を大将にしても戦に勝てるかどうか判断がつかなかったからだ。


「お主の心配事は解る。孫次郎は元服前だし、戦の経験も無い。だが、今は詮無きこと。“此度も”戸次家の独断による戦い。そう御屋形様が……いやいや、これは口にしては憚れるな。まあ、本家の嫡男である孫次郎が軍を率いてくれるのなら、皆の不安を差し引きしても士気はあがるだろう。俺だけではなく、内田や松岡たちも一生懸命加勢をする。俺たちに任せろ」


「……解り申した。大将として孫次郎を推挙いたしますがご助力をお願いいたします」


「あい、分かった。だが、俺等わしらが推挙しなくても、あのやんちゃくれは自ら申し出るだろう。お主もわかっとうだろう? その時はめて託すと良いだろう」


   ~~~


 親延は親家との会話を思い返しては、一息を吐いた。


「皆のもの、孫次郎を戸次家当主、戸次親家の名代として此度の弔い合戦の大将とする。異論はないな!」


 親家に次ぐ親延も孫次郎を大将として認めたのならば、当然たち家臣たちも認めるしかない。

 内田、森下、堀、松岡、安東の家臣たちは一同に立ち上がり、腹の底から賛同と気合を込めて「「応ッッッ!!!!」」を大声を張り上げた。


 孫次郎は震えた。武者震いではない。

 そのときの声の振動で身体だけではなく、館や藤北の地をも震わせた。


 かくして、戸次孫次郎は十四歳の幼年ながらも、戸次親家の名代として討手の大将となり、初陣に参じるであった。

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