死せる友人へ送る

海谷羽良

死せる友人へ送る

 クリストフが死んだ。それを知らせたのは、私の家へと訪ねてきた彼の妻を名乗る女性である。私は最初、当然ながら信じることができなかった。しかし、彼女が持ってきたものを見れば、信じるしかなかった。


 クリストフは立派な兵士であった。私と同じく農民から志願して兵となり、数々の功績を残した。彼が国の為にその命を賭して使命を全うしたのであれば、個の感情など捨て置き称賛を持ってその亡骸を送っただろう。しかし、クリストフは病に侵されて死んだらしい。


 私は憤った。断じて、クリストフにではない。その運命を定めた神にだ。彼ほど立派な兵士を私は知らない。私は不覚を取って傷を負い、志半ばに農民へ戻ったが、彼はただの雑兵から駆け上がり一軍を率いる将となった。


 私は彼を尊敬していたのだ。


 私は彼を通して才能というものの存在を知った。


 その才能で彼は輝かしい功績をまだ残すことができたはずである。


 それを、とこに縛り付けて、殺してしまうなんて……。


 彼の死を私は信じることができない。本当は、彼が戦で命を落とすことすらも絶対にないと思い込んでいた。


 クリストフとは三年会っていなかった。しかし、彼とは手紙でいくつかやり取りをした。貴族の娘をめとったということもその中で知らされていた。目の前の女がどうやらそれらしい。


 彼女を私が信じるしかないのは、私が彼へと託した剣を持ってきたからだ。


 田舎へ戻るとき、王都に魂を一部残すため、クリストフに私の血と汗の染み込んだ剣を託した。それを私が見紛うことなどあり得ない。


「彼はあなたのことをよく話していたんです」


 微笑みながら話す女はヒルダと名乗った。


 私は彼女を食卓へ着くよう促し、客用の少し良い紅茶を淹れて出した。私はその対面へ着く。ヒルダは頭巾の中に髪の毛を隠し、体の線を隠すように緩めの服とズボンを着用している。商人の馬車に乗せてもらって王都から離れた農村へと来たらしい。女の一人旅は危険が多い。それを彼女も十分分かっているように見える。一体どうしてそんな中彼女はやって来たのか。


「どうして、あなたが直接私のところへ?」


「夫は自分が死んだら、あなたを頼れと」


 貴族の娘ならば、私のところへ来ずとも生活に困ることなどないだろうに。


「私など、脱落した身であります。このような男のところへ何を頼りに来たのでしょう?小さな農家でございますので、お金も支援して差し上げることはかないませんが」


「夫の死には嫌疑がかけられています。彼の病は人為的なものではないかと」


 私は絶句した。しかし、彼の地位を思えばあり得ぬことではない。その上、彼は農民の出だ。それを詰ってくる輩は少なくなかった。貶めようとする者が全くないはずがない。


 しかし、クリストフは頭の切れる男だ。彼が簡単に嵌められることなどないはずである。


「あなたは心当たりがあるのですか?」


「いいえ、けれど彼は分かっていたようです」


「分かっていた?分かって、彼は殺されたのですか」


「いいえ、夫は病で死んだのです。彼はその死を利用されることを恐れていた」


 ヒルダは顔を俯かせた。私はその憂いの表情に不覚にも見とれてしまった。


「現在、王国の内部が安定していないのです」


 ヒルダ曰く、近年は王宮内部の闘争が激しくなっているらしい。圧倒的に君臨していた王が年老いて、その勢いを失くしている。王宮はその次の王へ話題が集中するようになった。王子は現在二人おり、反発しあっている。長らくは冷戦のような状態にあって、干渉し合うこともなかったが、第二王子はその座を狙い動き始める。


 順当に行けば、長男である第一王子が次期王となる。現王はそれについて明言していなかったが、長く続く慣習で勘定すれば当たり前のことであった。


 しかし、ある日第二王子は王へ言った。「次王はどうなさるおつもりか。偉大なる王であるあなたがただ流れに任せるわけではないでしょう」と。


 王は自分が死ぬまでにそれを示してみせよと第二王子に言ったらしい。それで争いへ火が灯された。


 貴族はどちらへ付くか、その恩恵にあやかる為にはその選択は重要となる。しかし選択をして終わりではない。それを現実のものとする為に、動かなければならない。そこで貢献できればさらに、重要なポストへ配置できる可能性は上がる。


 クリストフもその渦中に立たされていたようだ。彼自身は権力に対する執着はなかった。だからといって、全く関わらないままいられるわけがなかった。


 いうなれば、クリストフは権力の為の駒のひとつとされた。誰が何を握るか、どれを握れば優位に立てるか、そうやって囲い込んだ駒を並べ、派閥を仕立て上げる。


 クリストフは全てを拒絶したらしい。私が忠誠を誓うのは現王に対してであると。しかし、


「恥ずかしながら、私の父も権力に取りつかれてしまって」


 クリストフはヒルダの父からの要請は断り切れなかったという。ヒルダ自身を人質にとられ、脅されたようだ。


「私が父へ強く言えれば良かったのですが……」


 ヒルダは苦痛を耐えるような表情を見せる。


 そこで、クリストフは急所を見せてしまった。それが弱点たり得ると証明してしまった。そうして首輪を嵌められてしまった。


 しかし、そもそもヒルダはその為にあてがわれたのかもしれない。そうだとしたら、目の前の女は、共謀して誑かしたのではないか。


 一体、このヒルダという女はどういった人間なのだろう。


 私は彼女を疑わねばならない。


「どうしたのです」


 ヒルダが不安げに言う。


「いいえ、すみません。私も彼が死んだことが信じられなくて」


「そうですよね。私もまだ……」


 ヒルダは両手で顔を覆いながら俯き、嗚咽を漏らす。それが演技かもしれぬと考えてしまうが、私には判別がつかない。


「すみません。こんなふうに泣いてしまうなんて、情けないですね」


 ヒルダはそう言って、笑う。


「そんなことありません。こんなときにこそ泣かなければいけません。堪えることは毒です」


 うまく笑えただろうか。私はよく強面だと言われ、普通にしていると怒っているのかと疑われる。そのせいなのか、女性にも避けられてしまう。


 私は度胸のない男だ。避けられてしまえば、それを恐ろしく思ってしまう。そして、私の方から女性を避けるようになった。それをどうにかしたいと思っていた時に、クリストフから共に兵士へ志願しないかと誘われた。


 一体何がどうなって、そうなるのか。彼曰く、男を上げたいならばそうする他ないらしい。私は別に男を上げたいわけではなかったが、彼の燃えるような野心に当てられてその気になってしまった。


 結局私は、一度戦場で深手を負い、それから恐ろしくなって逃げ帰ったのだ。私は何も変わることができなかった。度胸なんてもとより、女性に対する恐怖心もやはり拭えない。


 私は、目の前の女が怖い。先程から私は無理なく対応できているのだろうか。もしこの女が人を誑かすような性質たちであれば、全て見抜かれているかもしれない。


「ありがとうございます」


「えっ?」


 自分の思考に没頭していたせいで、彼女の言葉に驚いてしまった。


「良かったです。あなたが優しい方で」


 目元を拭いながら、ヒルダは微笑む。彼女はやはり美しい。


 私はきっと誑かしやすい男なのだろう。


 このままでは、私は容易く飲まれてしまう。


 しかし、私を飲み込んで、それは彼女に利があるのか。あるとは思えない。ならば、私はそこまで彼女を警戒する必要があるのだろうか。


 けれども、世の中には利益がなくとも人を害する輩がいることも確かだ。


「いいえ、私など……」


「夫の言っていた通りの、優しい方です……あなたは……」


 蒼い瞳が私へ真っ直ぐに向けられる。


「いいえ、私は意志の弱いというだけです。クリストフは私とは違い、強い意志を持った男だった。私が彼へよく従っていたから、そういうふうに映ったのでしょう」


 私の言葉へ、彼女は首を緩やかに左右へ揺らした。


「私は今、あなたを見て、そう思ったのです」


 そう言って微笑む。


 私の両親は二年前に立て続けて亡くなった。それから私は長らく孤独だった。こんなふうに人の優しさに触れることは久しぶりである。いつまでも気を張っていられない。


 滲む視界を拭い取る。ヒルダは少し驚いたような顔を見せるが、またすぐに微笑んだ。私は恥ずかしくなって、顔を下へ向け、その顔をもう一度見ることができない。


「すみません。ずいぶんと逸れてしまいました。事情をお聞かせください」


 声を大きくして、羞恥心を紛らわせようとする。


「ええ、分かりました」


 その返事には笑みが混じっている。しかし、嘲るようなものではなく、優しく包むような温かさを感じた。


 そして彼女はまた話始める。


「父は第二王子に付きました。夫を手中に収めた父は王子に重宝されたようです。彼は兵士の中でもとても強いようでしたから。武力はとても分かりやすく役に立つ力ですから、彼は前線で剣を抜き、制圧する役目を命じられた。時には命を奪うこともありました。彼は正義の人だったから、ひどく苦しんでいました」


 ヒルダの口調から温かさは消え、無機質なものとなる。私も身を正し、彼女へ視線を戻した。


「彼はそれまでに積み上げた兵士からの尊敬を全て失くしました。そして、非道のそしりを受けるようになる」


 心臓がグッと掴まれたように苦しくなり、私は胸を押さえた。私がそばにいれば、彼を助けることはできただろうか。きっと、何もできない。しかし、苦しむ彼の事情を何も知らないままでいたことがひどく苦しかった。


 クリストフはそれから命を狙われるようになったという。殺しをしてしまったから当たり前のことなのだろう。しかし、それで納得して良いわけがない。


 クリストフは戦場で輝きを放ち、国に多大なる貢献をした。だというのに、国は彼を殺そうとする。そんな理不尽がどうして起きてしまったのだろう。


「私は死のうと思いました。彼の苦しむ要因となっているのは私ですから。けれど、彼がそれを許してはくれませんでした」


 彼ら夫婦の苦悩を想う。想像することはできても、私にはそれを理解することは叶わない。


「ならば心中はどうかと提案しました。しかし、彼はとにかく私が死ぬことは駄目だと言うのです」


 淡々と語る彼女に私は何も言うことができない。


「結局、神経衰弱で彼は床に伏しました。それから体も弱くなって……」


 私は目を瞑る。


「彼は自らの死よりも、死後の王国を憂いました。自分が死ねば、それがまた新たな火種となるだろうと。そして何よりも私のことを気にかけてくれました」


 私は彼の末期まつごを思い浮かべる。私はやはり彼を尊敬している。目を開いて、私はヒルダを見る。彼女も私を見ている。


「彼はやはりすごい男です」


「ええ、けれど愚か者です。私のことなど切り捨ててしまえば、どれほど楽だったでしょう」


「それをしないことが彼、クリストフという男の証明なのでしょう」


 ヒルダは顔を俯ける。それからしばらく、沈黙の時を過ごした。


 私と彼女、それぞれの間で整理をつける為の時間を要したのだ。


 ヒルダは何かを決心したように、ひとつ大きく呼吸をし、私をその蒼い瞳で射抜かんとばかりに見つめた。


「あの、あなたが私を殺してくださりませんか」


「何を仰るのか。クリストフが守り抜いた命を無駄にする気か」


 私は声を大きくする。


「夫が死んだことで父は勢いを急激に落としました。父はきっと捨てられる。私の家はもともと貴族として下のほうですから。そうなると、父の手札として残るのは私くらいです。使い物になるのかは怪しいですが、夫はそれを憂慮していた」


 それは容易に想像がついた。しかし、それでどうして私が彼女を殺さねばならない。


「彼は死ぬ前に私が逃げる手回しをしてくれていた。あなたは誰よりも信用できる人物であるからと。その言葉が正しいことは話してみて伝わりました。

 お願いします。あなたが殺してくだされば、私はまた夫とともになれます」


「私はクリストフを尊敬しているのです。その彼が、最後まで守り抜いたその命を、私が絶つわけにはいかない」


 きっと、心が弱っているだけだ。それは彼女の本意ではないはずだ。クリストフの為にも私が彼女をき止めなければならない。


 ヒルダはじっと黙り込み、私を睨むように見る。彼女が私を恨もうとかまわない。この場でまた逃げてしまえば、私こそもう死ぬほかにない。これ以上私には下がっていく余地がない。


 彼女がちらりと持ってきた私の剣へと視線を向けて、しまったと私は考える。考えて動き出すまで、一瞬だった。ヒルダは剣を手に取り、鞘から抜いた。けれども、その重さに上手く扱い切れない。それを私はテーブルを弾き飛ばし、直線で走って、彼女の手を掴んで制した。


 私は彼女を叱り飛ばしたい衝動に駆られる。それをぐっと堪えて、彼女の手から剣を奪った。


「触らないで」


 ヒルダの金切り声が響く。そして、手を退けられた。


 ヒルダの顔を見て、私は驚く。彼女の私を見る目は酷く怯えていた。彼女はどうしてこんなにも怯えているのだろう。私はそれほど力強くその手を掴んでしまったのだろうか。


「すみません。つい、力加減を間違えたみたいで……」


「どうすればいいのよ。私はこれ以上生きて、何をすればいいの」


 それは私へ向けられた言葉ではなかった。


 しかし、その言葉は今までのどの言葉よりも彼女の言葉である気がした。


 ヒルダの目は虚ろとなり、どこか遠くを見つめる。


 私は思い直した。


 私は彼女を殺すべきなのかもしれない。


 クリストフは彼女を殺せなかった。そしてともに死ぬこともできなかった。彼は彼女を愛してしまった。だから、彼女の死と向き合うことを恐れた。


 クリストフも分かっていたのだろう。政略として自分に女があてがわれたことに。しかし、拒むことができなかった。美しい彼女に惚れてしまったのだ。


 だから、理不尽に耐えて、自身の積み上げた功績を崩してまでも、彼女とともにいることを選んだ。


 しかし、自分が死んだ後の彼女については手が届かない。信用できぬ者の手に掛かって、彼女がどうにかされることを嫌い、私の所へ寄越した。


 彼が一体どういう期待をしているのかは分からぬが、彼女の幸福をきっと望んでいる。私はそれに応えなければならない。彼は自身の全てをなげうって、彼女とともにいることを選んだ。彼女は彼のいない世界に未練はなく、彼のもとへ行くことを望む。ならば私のするべきことは、彼のもとへ彼女を送ることではないか。


 しかし、彼女の生が継続することをクリストフは望んだという可能性もある。その為に私はあてがわれたのかもしれない。だが、私は簡単に気を起こしたけれど、彼女がそれに応えてくれないのではただ悲しい。私は意気地のない男だ。そんなことには耐えられない。


 それならば、いっそ……


「分かりました。私が彼のもとへ送って差し上げます」


 私の言葉に彼女はこれまでで一番に安らかな笑顔で応えた。


 私は剣を握る手に力を込める。そして、その首を目掛けて思い切り振りぬいた。


 惜しむらくは、彼と彼女をともに埋めてやれないことだ。


 けれど、きっと彼であれば、その執念でもって彼女とすぐに会えることだろう。

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