昼下がりの喫茶店

彼女が目の前で醜い顔をしている。

さっきからずっと職場の愚痴を吐いている。


昼下がりの喫茶店。

客の入りは五分。


彼女の愚痴は止まらない。

今朝、待ち合わせ場所に現れた時からそうだった。


最近のコイツは特に酷い。

不平不満を漏らすことが増えてきたかと思ってはいたが、

ほっといた結果がこの有り様だ。


何故ほっといたかって?

注意をすれば余計に不機嫌になるからだ。

はっきり言って面倒なんだ。


昔からそうだったが、特に最近は酷かった。




昼下がりの喫茶店。

客の入りは五分。


俺はコーヒー啜りながら言った。


「愚痴多すぎ」


醜く喋り続けていた口がピタリと止まった。

聞こえないくらいの小さな声で呟いたつもりだったが、

どうやら聞こえてしまったようだ。

目を上げると彼女が能面のような顔で俺を見ていた。


前兆だ。

ただただ面倒な前兆だ。


「何?愚痴を吐くなって言いたいの?」


ほら来た。

馬鹿の一つ覚えの返答だ。

俺もいつもの馬鹿の一つ覚えの返答をした。


「そうだよ」


「何?私に聖人にでもなれっていうの?」


いつものテンプレートの会話。

だが、この時の俺はいつもとは何かが違った。

俺の頭の中で「プツン」と音が聞こえたんだ。

感情が消えた瞬間だった。

彼女への愛情も憎悪も何もかもが消えた瞬間。


「愚痴を止めたところで聖人にはなれない」


言った瞬間、

彼女はテーブルの上の水を俺にぶちまけた。

まるでドラマのワンシーンのようなベタな演出のようなことを本当にコイツはしやがったんだ。

そして立ち上がって何かを叫んでいた。




昼下がりの喫茶店。

客の入りは五分。


店内は静まり返っていた。

店員がこっちを見ていた。

俺は冷めた目で彼女を見上ると、

彼女は何かを叫びながら大袈裟な足音を立てながら店を出て行った。


ため息すら出なかった。

三年前、

彼女と付き合い始めた頃の俺だったら慌てふためいて追いかけたことだろう。


三年間付き合って分かったのは

彼女はこういったベタなドラマみたいな演出が好きだってことだけだった。

それを逆手に取れば彼女を喜ばすのも実に簡単だった。


だが、俺の感情は消えてしまった。

何も感じなかった。


タバコに火を点けた。

だが、落ち着けないといけない心はどこかへ行ってしまった。


男性店員が憐れんだ顔をしながらタオルを持ってきた。

それを受け取り、機械的に拭いた。




昼下がりの喫茶店。

客の入りは五分。


周りの客はヒソヒソと何かを話している。

話のネタはきっと俺だろう。


何も感じない。

ゆっくりとタバコ二本を灰にしてから俺は立ち上がりのんびりとレジに向かった。

さっきタオルを持ってきた男性店員は相変わらず憐れんだ表情を向けていた。

冷めた目で見返すと彼は目を逸らした。


店を出た。


駐車場の自分の車へ歩いていると彼女が車の横でしゃがみ込んでいるのが見えた。

いつもの展開を待っているであろうことが手に取るようにわかる。


だが俺は本当に心をなくしてしまったようだ。

何も感じなかった。


ドアを開けてエンジンをかける。

そのまま車を発進させた。


駐車場を出る前にバックミラーで彼女を見た。

もう二度と会わないであろう彼女を。


彼女は突っ立ってアホのような顔でこちらを見ていた。


何も感じなかった。


俺は静かに加速した。

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俺しかいない世界(仮) パニ野郎 @guitar-panic

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