回想

「勝ったのか……思ったよりもあっけなかった。もっと遊びたかったものだが、借りを返せただけよしとしよう」


 誰も見ていない中でユオラエジュは独りごちる。そして誰にも聞かれることなく、その言葉は闇に溶けていく。


 この場所に留まったところで、治維連はこの裏路地街には立ち入ってはこないだろう。決して法律的に禁止されている訳ではなく、あのプライドとキャリアしか頭にない者どもがリスクを冒してまでここまで来ないという意味だが。


(そう、もあいつらは……)


 せっかく勝利に酔いしれていたというのに、嫌な記憶を思い出してしまった。


 あんなにも強く願っていたが、いざルクとの決着が付いてしまうとあまりに呆気なく、そして物足りなさすら抱いてしまう。


 水がいっぱいに入ったドーム状の魔導結界を見つめる。屈辱的な敗北を与えてきた相手は腕をだらんと下に垂らし、ぷかぷかと水中に浮いていた。


 その事実がこうして後になってからじわじわと感じられ、下がっていた気分も幾らかマシにさせてくれた。


 久しぶりに口元が寂しくなってきた。このまま放置しようかと考えた所で、何処どこで嗅ぎつけたのかタイミング良く黒い魔導陣が結界の下に現れる。


 どうやら、これで運び出すつもりのようだ。どうにも馬の合わないボスは自分と会話するつもりがないらしい。


 特にこちらが損するようなことでもないので、大人しく魔導を解除する。あれほどの硬度があった結界がたちまちのうちに消え去り、辺り一面が水浸しになる。


 濡れた髪が顔に張り付き地面に少年は、視認する限りでは息をしている様子もゾンビ映画のように復活する気配もない。


 特にそれを確認するでもなく、ユオラエジュは裏路地街を後にした。視界からルクが消えるや否や、ユオラエジュの意識は煙草にシフトしていた。



 ______________________





 目が覚ますと、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。


 数秒の硬直の後、レマグは自分の置かれている状況を理解した。寝ているベットに向かって拳を思い切り叩きつける。目の奥からとめどなく溢れる涙を止めようともせず、ただただレマグは不甲斐ない自分を呪うばかりだった。


 通りがかった看護師が目覚めたレマグをみつけ、駆け寄ってくる。体温や血圧の測定、減っていた点滴の補充を行うとその看護師はそそくさとどこかへ行ってしまった。多分、医者を呼んでくるのだろう。


 去り際に看護師に質問したところ、ここに来てから既に数時間寝たきりだったことが判明した。


 病室に設けられた窓に目を移すと、空は傾きかけ部屋には優しげな夕日が差し込んでいた。


 本当はこの窓から飛び出して、クリネの元へ向かいたがったが、尋常じんじょうではない倦怠感けんたいかんに包まれたこんな体では普通に動くことすらままならない。よしんば辿り着けたとして、戦力外となるだけだろう。


(結局、結局、結局!……同じことの繰り返しじゃねぇか、くそったれ)


 目覚めてから数分後、医者が病室に入って来た。眼鏡をかけた中年の細身の男で少しこちらが心配してしまうほどに顔色が悪かった。医者の不養生をそのまま体現した感じの医者だった。


「体温、血圧などは正常で問題ありません。経過観察のためにもう少しの入院が必要となりますので」


 あくまで、事務的に医師は伝えてきた。一見冷淡にもとれるその対応は今のレマグには都合が良かった。自分の中でも消化しきれていないので、正直な所あまり深く追求して欲しくなかった。


「では、失礼します。お大事に」


 一礼すると看護師を引き連れて病室を後にしてしまった。体調を伺うことすらしないのは流石にどうかとは思うが、こんな明らかに訳ありそうな患者と話したい医者の方が珍しいかもしれない。


 そもそも亜人というだけで差別的な扱いを受けるのに、世間からは荒くれ者の印象が強いハンターということが加わると、歓迎されることはまずないと考えるのが自然だった。


 レマグは認めたくなかったが、こうして話しかけて貰えただけ幸運なのだろう。






 誰もいなくなった病室は物音ひとつせず、寂しさのあまりほんの少しだけ泣いてしまいそうになる。心中ではぐるぐると感情が入り交じりながら渦巻いていた。互いに衝突しながらそれでも消滅してくれるようなことはない。


「はぁぁ」


 行き場のない思いを吐露するかのように溜息が出た。逃げていく幸せはもう尽きている。何も無い空虚くうきょな何かを吐き出しているのだ。


 またひとつ、同じような溜息をつく。自分の無力さと情けなさ。そうやって無機質な単語に自分の感情を落とし込めてしまえるのがたまらなく嫌だった。




 けど、首をぶんぶんと振ることで沈んだ己を奮い立たせる。


 クリネは、ルクは、自分の周囲の人間はもっと辛い思いをしているかもしれない。現状は落ち込むことによって改善されることは無い。むしろますます悪化させるだけ。


 足りないことを嘆くのではなく、出来ることを見つけようと思った。自分だけが泣いている場合ではない。


 もし本当に自分が非力なのだとしたら。そして、悩みを一人で抱えきれないのならば。


「エルンスト、目ぇ覚ませ。連絡とって欲しい奴がいる」


 共に苦しんでいる仲間を頼ることだ。思い切り迷惑をかけて、巻き込んでしまえ。




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 連れ去られてから何時間経ったのか、外は昼なのか夜なのか。そういった時間感覚が薄れ始めてきた。音も匂いも気配も光も絶たれたこの空間から逃げ出したかった。


 しかし、それを両手首に嵌められた手錠は許してくれない。特殊な魔導が施されているのか、こちらの魔導が完全に使えなくなっている。マナを動かすまでは出来るが、外に出そうとする直前で『それ』がマナを吸い込んでしまう。


 このまま死ぬのだろうか。誰にも看取られることも無く、その死すら認知されぬまま。


 いや、あの囚人服がいずれ戻ってくるのでそれはないと考えを改める。それだったら誰にも知られない方がましだった。


 死んでからもずっと尊厳を奪われ続けるほど忌避したいことはない。『儀式』とやらに使われるぐらいなら跡形もなく消えたかった。


 しかしながら、いざ明るかったみんなに会えなくなると思うととても悲しい。ふと、仲間のことを思い出してしまった。




 一人ぼっちだった自分を気にかけ、一緒にクエストを回ってくれたレマグ。


 今ではかけがえのない親友だ。上級ハンターになった時も自分の事のように嬉しがってくれたし、危ないことをしようとした時は全力で止めて叱ってくれた。




 ギルドマスターのアルフレッドやサブマスターのナシエノにも沢山お世話になった。


 新参の頃は二人に色々手取り足取り教えて貰った。今考えると自分の家庭のことを何となく察していたのかもしれない。ハンターとしてやってこられたのは間違いなく二人のおかげだった。




 そして、ルク。


 レマグと比べると会ってまだそこまで時間は経っていないけれど、不思議と昔から仲が良かったかのように感じることが多々あった。いつもいつも気にかけてくれるのはレマグと同じだ。


 ただ彼の場合ちょっと引いてしまうレベルだが、不快という程ではない。あれもこれも自分の為を思っての行動だと思えるからこそ信じることが出来た。



 改めて、本当に自分は恵まれていることに気づく。一年ぐらい前には予想もつかなかった環境に立つ事が出来ている。


 余計にこの暗闇にいることが心細くなってしまった。親友を守るための行動だから後悔はしていないが、みんなを心配させているか気がかりだ。



 もしかしたら助けてくれるかも、などと都合よく考えてしまう自分がいる。周りに甘えてある自分がいる。感謝はしているけど何も報いることができていない自分がいる。


 今までどれほどの恩を受け、それを返してこなかったか。


 更に今もこうしておめおめと助けを求めることしか出来ない。上級ハンターが聞いて呆れる。




 かつかつと靴音が響いた。音を抑えるつもりがないのがないことからして、先程の囚人服か、若しくはその仲間だろう。


「思ったより大人しそうで何より」


 声は囚人服では無い。低い男の声であることに変わりはないが、こちらは取り分け低い。はっきりと明瞭に聞きとれる分、身の毛がよだつ。


「……」


「ただ元気がないのは少し頂けない。良いにえとなってもらわねば困るからな」


「そんなのあなたたちの勝手な都合ですよね。私に押し付けないでください」


「おやおや、こちらが下手に出ているというのに。まだ置かれた状況が飲み込めていないと見える」


「それってどうい、うぐっ!?」


 喉が締め付けられる。勝手に閉まっていくという表現のほうが正しいかもしれない。よく分からない力によって、間接的に首を抑えられている。


「ぐ、が、、ぁ……」


 その力は留まることを知らず、どんどん強まっていく。あまりの強さにうめくことすらまともに出来ない。


 意識を手放しそうになる瀬戸際、急に謎の力が消え失せて空気が肺に取り込むことができた。何度もむせながら呼吸をする。地獄のような苦しさだった。時間にして十秒あるかないか程のはずだが、締められている時は無限に感じるのだから恐ろしい。


「これでりたか。こんなやり方しか知らぬのでな、許して欲しい。ただ自業自得だということは努努ゆめゆめ忘れるな」


 最後まで傍若無人のまま、言いたいことだけ言ったあとにどこかへ言ってしまう辺りはロスターズらしかった。



 相手の出方次第では、交渉しようかとも思ったがあの様子では不可能に近い。仕方なく別の案を考えるしか無さそうだ。


 またその頃には、クリネの脳内からは諦めるという選択肢が霧散むさんしていたのだった。

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