接近

 まず最初に聞こえたのは何者かが崩れ落ちる音だった。ルクは反対側の通りに倒れている人影を発見する。


 遠くから見てもよく目立つ狐耳。レマグだった。


「レマグさん、今行きますからね。急速回復ラピッドリペアっ……」


 吸引が終わり、ここ周辺のマナは徐々に戻りつつあった。そのため、今度はオドに頼らずとも身体改造を発動できた。みるみるうちに、貫かれた腹が再生していき元通りになる。それと同時にずっと居座っていた痛みもじんわりと霧散していく。


 若干覚束無おぼつかない足取りではあったが、人気の無くなった道路を横断するのには何も問題はなかった。


 傍から見る限り、目立った外傷はない。体を仰向けにさせると、軽く胸が上下しているのが確認できた。どうやら呼吸も正常に行われているようだ。その事に安堵しつつ、一旦病院に連れていくべきなのか、思案する。


「あ、ルク君。探したわよ!」


 後ろから声がかかる。明らかに自分の名前を呼ぶその声。


「ナシエノさん!え、でも探してたって…… 」


「実はあの後、戦闘は意外とあっけなく終わったの。けど、あの少女は黒い魔導陣と共にどこかへ消えていっちゃったわ。それが気がかりになってルク君を探して研究室を飛び出してきたんだけど、まさか大学の外にいるとはね」


「黒い魔導陣ですか?」


「ええ、どす黒くて……まるでブラックホールみたいな感じ」


 魔導陣の基本として、それぞれの属性に応じて固有の色があることが知られている。焔魔導フランマなら紅、水魔導スプラッシュなら蒼と言ったように。


 されど、少なくともルクの知識の中には『黒』で識別される魔導陣の情報はない。見方によっては、不吉の象徴ともとれるその色にルクは危機感を覚える。


「とりあえず、先にレマグさんを安全な所に」


「それは私に任せて。この子は命を懸けて私が守る。それより、貴方は彼女の所へ行ってあげないといけないんじゃないかしら」


「そうですね。では、そのお言葉に甘えさせて頂きます」


 ナシエノはとても頼もしく自信に満ちた表情だった。それに安心したルクがその場を去ろうとすると、ナシエノが呼び止める。


「ああ、それと」


「はい、どうかしましたか?」


「この前、レマグから話を聞いのだけど。貴方、マナの匂いが嗅げるって本当?」


「ええ。それが何か?」


「うっ、うぅん。な、何でもないわ。ちょっと気になっただけ」


「?」


 質問の意図は分からなかったがルクが真摯しんしに答えたのにも関わらず、何故かナシエノは微妙な反応を示した後にルクから物理的に一歩距離を置いた。


 引っかからないところがないといえば嘘になるが、ずっと留まっているわけにもいかないのでルクはナシエノに別れを告げ、その『匂い』を頼りに街中を探し始めるしか無かった。



「何か、不味いことでも言ってしまったのだろうか……?」




 _____________________






 大学に着いた頃にはあれほど人通りがあったのに、今大学周辺は閑散かんさんとしたゴーストタウンと化している。あれほどの騒ぎがあったのだから無理もない。全くいないことは無いが人は疎らで、治維連の制服だけがそこかしこに見受けられる。


 けれどマナの匂いが区別しやすいので、今に限ってはありがたかった。人通りのない街中をノンストップで駆け巡る。スサム区ギルドの近くまで戻るのにはバスを待つより走った方がよっぽど早いと思っていた。


 風を置き去りにして走る。こんなときでさえなければ、心地よい午後の空気を感じる余裕があった。心拍が上がっているのは走っているせい、というよりは心理的要因によるものだろう。




 クリネ以外の唯一の当事者であるレマグが気絶状態なので出がかりが少ない。そのため、まずはギルドに電話を掛け、アルフレッドにレマグから聞いたことを尋ねることにした。


 数度の応答で電話交換手オペレーター担当の受付嬢が電話に出た。自分の名前とギルドマスターと話したい旨を伝えると、受付嬢はすぐさま彼に取り次いでくれた。


「おお、ルクか。こちらの用事が片付いたので、もうすぐこちらから掛けようと思っていたところだ」


 どっしりとした低音はルクに安心感と少しの畏敬いけいの念を抱かせた。いつも朗らかな表情をしているものの、強ばった声から緊迫しているのが伝わってくる。


「そうでしたか。こちらはレマグさんが倒れてしまったんですが、そちらはナシエノさんに任せて今自分はクリネさん解放に向かっている途中です」


難儀なんぎだったな。それで私にレマグの代わりとしてその時の情報が欲しいと」


「話が早くて助かります。何分、手がかりが掴めないものでして」


「とはいっても、こちらが聞いたのもごくわずかだ。クリネと二人でクエストを受けた後、囚人服のような男と出会って」


「…………囚人服、ですか?」


 割り込むようにして、質問してしまう。


「心当たりがあるのか」


「いや、心当たりというかなんというか。先程までレマグさんを操って戦っていた男が正に囚人服を着ていたんですよ」


「もしそれが私の言う人物と同じならば、人を操る能力を持っている可能性があるということか……くれぐれも警戒しておいてくれ。クリネが既にその術中にあるやもしれん」


「その可能性も視野に入れて捜索します。後、やはり気がかりなのが彼らの『所属』なのですが」


「お前もそう考えていることだろうと思ったよ。私も同じだ。『喪失者達ロスターズ』だろう?」


「ええ。あの憤怒ダムといい、嫉妬ユオラエジュといい何か最近の身の回りに起きた事件と関わりが深い集団でした。だから囚人服に加え、ナシエノさんが交戦した少女も一員なのではないかと推測しています」


「信頼出来る情報筋から聞いたのだが、囚人服の方は確定だな。愉悦ゆえつのセニーパというらしい。後者の少女は未だに正体が掴めん。何でも原因不明の情報規制がかかっているとのことだ。まあ、今のところは確定としていいだろう」


 ふと通話の最中にとある裏路地への入口で立ち止まる。そこだけ明らかにクリネの匂いの残滓ざんしが色濃く残っていたのだ。


「現在、クリネさんの『匂い』がする裏路地を発見しました。そこから裏路地街を当たってみることにします」


 裏路地街は、賑やかな大通りや横丁に隣接する形で存在している。怪しい露天商や違法賭博場、闇金や麻薬・密造酒取引の場など、社会からあぶれた不埒者ふらちものの吹き溜まりのような場所だった。一般客が稀に紛れ込む場合があるがだいたいの場合、直ぐに引き返すか行方不明のどちらかとなる。


「おいおい、それ本当だったのか……」


「え?」


「お前が『嗅げる』という話だよ」


「それ、ナシエノさんにも聞かれました。ちょっと変わった能力ですけど重宝してますよ、現にこうして」


「そうか、ならいいんだがな…………けど、あんまりその能力のこと人に言うなよ」


 そう言うと通話を切られてしまった。ナシエノに話した時と同様の感覚におちいる。理由はよく分からないが、年長者のアドバイスは素直に従うに越したことはない。



 路地というものは別世界への入口だ。少し入るだけで日向の当たる世界より暗澹あんたんとしているのが分かる。


 奥に進むに連れて、その様相はますますその陰鬱いんうつな雰囲気は強まっていった。原型を留めていない正体不明の生ゴミや、空き缶・空きビン、注射器などが散乱している。空調の室外機と浮浪者が道を塞いでおり、元から広くない空間がより窮屈きゅうくつに感じられる。閉塞感で息が詰まりそうだった。街の喧騒けんそうも次第に遠くなっていき、やがて消え失せてしまった。


 腐乱臭に混じって、確かにクリネの『匂い』は漂っていた。複数に分岐することなくただ一本の筋が路地街という迷路に引かれているのをルクは感じた。





 ともすると、それは運命だったのかもしれない。けれどそれは全く喜ばしいものではなくて。あの黒い魔導陣が象徴していた冗談のような不幸。


「おぉ、探したぞ。どれだか俺を待たせれば気が済むんだ」


 進行方向に人影が見える。狭苦しいこの空間をものともしない顔でたたずんでいる。


「なんで貴方が……」


別荘こうちじょなんて、いくらでも抜け出せる。手錠しただけで安全だと思い込んでやがる馬鹿どものザルな警備だぞ、些事にもならんわ」


 ケラケラと快活に笑うその男は、下がジーパンに上がTシャツという非常にラフな格好。とても戦闘向きとは思えない服装のその青年をルクは忘れるはずもなかった。


「『嫉妬』のユオラエジュ、ここに再臨ってな」

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