逆行
首尾よく誘拐は成功した。気を遣ったので標的に目立った外傷もない。あとは標的の連れの処理をどうするかだ。
あの時は誘拐を優先した為に連れの方は野放しにするしか無かった。まともに戦って勝てる訳が無いことも分かっていた。あの御方から貰った能力は戦闘面では使いづらい。しかし、むしろその点が自分らしくてセニーパは気に入っていた。
ふと意識を現実に戻すと、セニーパは廃ビルを出ていた。さて、どうしたものだろうかと思案する。
(ティラクが作戦を終了するまで静観でも構わないはずだが、不安の芽を取り除いておいて損は無い。それに、まだこの能力には気づかれてはいないはず……)
最大限、全体の作戦の成功率を上げることは大切だ。自分のやるべきことが終わった今、その役に徹する権利が自分にはあるとセニーパは思っていた。
だがそれが思わぬ足手まといになってしまえば、本末転倒もいいところだ。確実な成功と安定の静観の狭間でセニーパは揺れていた。
その時。
路地裏の殆どを覆うビルの影の一つに、あろうことか波紋が発生する。それに気づいたセニーパは驚くでもなく、自然な動きでそちらの方へと向き直り、
闇から出てきたのは、それを切り取ったかのような外套に身を包んだ人間だった。
顔も何もかも外套に覆われており、あらゆる身体情報が遮断されている。いっその事、一般人が思い浮かべるような典型的な幽霊の類いだと思った方がしっくりする。
「順調でなにより」
身なりに違わぬ恐ろしく低い声。いつだったかティラクはこの声をデスボイスと形容していたが、セニーパにとっては落ち着く主の声だった。
「……」
主にはあくまで沈黙で応えるようにしている。だがこの一見不躾な態度はセニーパが口を開きたくないというよりは、話す必要が無いことを意味する。
「ティラクが少し手こずっているな。それに貴様はあの狐の女が気になっているのか……」
やはりだ。全てを主は見通す。隠し事は意味を成さない。
「では、こうしよう」
ふっ、と低い位置にあるセニーパの頭にかざされたのは主の手だった。
肌は不健康なほど白く、腕は枯れ枝のように細かった。かなりの長身であることを踏まえると、この瞬間にも倒れていておかしくはないことが素人目にも分かる。
「お前には、まだ『焦燥』が残っている。大した結果にはならんが、ある程度は使いものになるだろうよ。構わぬな」
「御意に」
この確認もとい主の慈悲だけには、毎回必ず声に出して応えるようにしていた。セニーパなりの誠意の見せ方だった。
「では『置換』を行う」
掌から出現したのは魔導陣。色は燃え盛る赤。多重に展開されたそれは、綺麗に一列に並び一つずつ順にセニーパの体を通過していく。まるで、スキャンされているかのようだ。
ただじっと目を閉じて待つ。初めのうちは無限のような長さだったが、今では驚くほどあっという間だ。
そして特段痛みもなく、『置換』は完了した。具体的に形容することは難しいが、しかし確実に何かが 変わったのを身体全体で感じる。
「思ったよりも強かったようだ。どうだ、その『力』は…………………ふむ、そうか。ならば良かった」
かなり使い勝手が良さそうだというのが本音だ。それにしても毎度毎度思うのだが、授かった『力』の用途はその瞬間から既に分かってしまうことが疑問だった。生まれついての才能だったかのような馴染みすら覚えている。
「それはそうだろう。何せ、貴様自身から生まれた『力』なのだから。私はその仲介をしたに過ぎん………。ともかく、無理はするな。お前は私の保険でもあることを忘れるなよ」
主はそう言うと、現れた時とは逆に闇へと飲まれるようにして消え去った。
こちらの考えは筒抜けだが、主の考えは
そんなことより気がかりなのは、主に気を遣わせてしまったことだ。それを挽回するためにも、主の命を
少女の身が拉致されているビルに戻りかけていた足は、再び大通りの方向へと向き直っていた。不思議と気分も軽くなっていた。気分などというものは、とうの昔に捨て去ったはずだと言うのに。
______________________
研究室は異様な空気に包まれていた。それは雰囲気的な意味合いだけでなく、実際に異臭が立ち込めていた。何かが焦げているようなまさにそんな臭い。
「ゴムくさいわね……そっちの機械、そろそろ寿命が来ているんじゃないかしら?」
「ヒヒヒ……心配には及ばないねぇ。それより前に片をつけるからさ」
「笑えない冗談ね。この状況を正しく判断することすら出来ないのね、可哀想に」
「確かにレーザーを吸収された時は驚いたけど、言ってしま」
「言ってしまえばそれだけ、かしら? まだ断言するには早いわよ」
「?」
自分の発言を邪魔されて、不機嫌そうに眉を潜める少女。かなり焦りも顔から滲み出ている。口角はほんの少しだが硬直して引き攣ったような笑みになっている。確実に動揺している証拠だ。
本当のことを言ってしまえば、現状一番厄介なのは近接戦闘に持ち込まれることだ。
(素手ならば……だけどね)
幸運なことに相手はそれに気がついていない。こちらの不可解な言動に惑わされ、二の足を踏んでいる。それならばと、ナシエノは文字通り追撃を加えていく。
「やってしまいなさい、
呼応するように体を仰け反らせる二輪の花。茎が金色に輝いたかと思うと、それが今度は花弁へと伝わっていく。エネルギーが徐々に柱頭部分へと集約していく。本来ならば花粉を受け止めるはずのその場所には
「レーザーは消えた訳じゃないとしたら……ま、まさか花が吸収したってことぉ!?」
「今更すぎるわよ、お馬鹿さん」
カメラのフラッシュを何倍にもしたかのような閃光が部屋全体を覆う。
花弁から射出された二条の極太レーザーは、減殺する様子もなくゴーレムの鋼鉄の体を貫通していく。
レーザー達はゴーレムの中心からズレた場所をそれぞれ抜けていった。
それでも被害は甚大だった。今までは奇跡的な配置によって何とか重心を保っていたものの、それもあっけなくバランスを崩し、膝を着いてしまう。自重が自重なこともあり、再び立ち上がることもままならない。
「ちょっと扱いが難しいわね。思ったところに中々行ってくれない」
ナシエノは確かにゴーレムの中心を狙っていたが、高出力のレーザーを操るのは一朝一夕には出来ないようだ。
「まあでも、これであなたは戦闘不能。大人しくここは下がりなさい。そしてボスに伝えなさい。『いずれぶっ潰しに行く』って」
「くっ……」
分かりやすく顔を歪める少女。
「……っ!」
しかし、その数秒後に何か気づいたかのような表情を見せると、口を再び開いた。
「……仕方ないなぁ、ヒッヒッヒッ。安心して、きちんとあなたの伝言は伝えたから」
少女と倒れ込んだゴーレムの下の床に何かの紋様が浮かび上がる。色は夜を固めたかのような漆黒。
「魔導陣!?」
「じゃあね〜。また会おうねぇ、ヒッヒッ」
そのまま、二人はその魔導陣に吸い込まれるようにして消えていった。色も相まって、正しくブラックホールと呼ぶに相応しかった。
(今の一瞬に何があったというの……?)
少女以外の誰かの干渉があったことは間違いないだろう。そして少女の自然な態度から察するに十中八九、彼女の上に立つ者の仕業だろう。
怪しいのはその方法が一切不明なこと。
通常、魔導陣を含め魔導はその名の通り『魔』を『導』く行為を指す。大気に存在するマナや体内に宿るオドなどの魔素と呼ばれる粒子を媒介として、自己の体質に合った属性の現象が形成されていく。
それなのに、あの魔導陣はその魔素を微塵も感じなかったのだ。つまりマナを使っていないと考えるのが妥当だろう。
それにあれは酷く
(あの子が…………ルク君が危ない!!)
ナシエノは、散らかった研究所の扉を蹴破るようにして廊下に飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます