真実

 魔導学専攻の学者と期待の駆け出しハンターとの問答は熾烈しれつを極めた。


 膨大な桁数の四則演算に始まり、最新の魔導コンピューターマナコンでも週単位の時間を要する素因数分解にまでそれは発展した。


「これほどまでか……彼を見くびっていたよ。せいぜい、ここに通う子達ぐらいの知識ぐらいだろう、とね」


 そう言うヘラエサーの額には興奮によるものか、汗が浮かんでいる。


「で、実際は?正直、その凄さがよく分からないのだけど」


「これだから、脳筋は。っておい、そんな顔で睨むな、冗談だよ。……こいつらは『本物』だよ。ただ計算が早い奴とは比べるのも烏滸おこがましいね。このまま、放っておいたら新しい公式の一つや二つ、簡単に出来るだろう」

 

 ナシエノはその言葉を聞き、改めて彼らをまじまじと見つめる。


 聞き慣れない単語が飛び交う中、確かにナシエノにも理解出来たのは彼らがこの問答を楽しんでいるということだ。


 亡霊のような青ざめた顔をしていたヘラエサーの助手も、今は輝きに満ちた表情を浮かべている。



 そして、もう少しだけこの様子を見ていたいと思った。予定より興味の方が勝ることなど、滅多になかったのに。





「ん?」



「どうした、ナシエノ」


「いえ、ちょっと外すわね。電話が掛かってきたみたい」


 そう言って、研究室から退出する。


 ドアを開けた瞬間、外のちょうどいい涼しさの風が吹く。


 中はこんなにも暑くなっていたのかと少し驚きながら、先程からバイブレーションしっ放しの電話に出る。


 電話はギルドマスターアルフレッドからだった。業務連絡の類だと予想する。


「もしもし?」


「……落ち着いて聞いてくれ」


 聞こえてきたのは、よく知る自分のギルドメンバーのものだった。何徹繰り返しても疲れを見せなかった彼女の声は、完全に疲れきっており焦燥の色も混じっていた。


「レマグ……? 何があったの」


 詳しい事情の説明を聞くのは、後にした方が良さそうだ。上司の端末を使ってでも、自分に連絡を取らねばならない深刻な状況だったのだろう。


「く……クリ、ネが、クリネ…………が」


「クリネがどうしたの」


「攫われちまった」


 手の力が緩み、するりと端末が落ちそうになる。すんでのところで掴み直し、努めて冷静になりながら確認をする。


「…………いつどこで誰に?相手の要求は?」


「10分……ぐらい前のことだ。私たちはスサム区内の探索クエストをこなしてた。そしたら、囚人みたいなやつが出てきて」


「囚人?」


「ああ、上下、黒白のストライプ。鎖の外れた手錠もしていた」


「そうなのね、分かったわ。続けて」


 段々と彼女の口調も平常に戻りつつある。いい傾向だ。しかし、彼女の話す内容はそれに反して不穏なものが多いのも事実だ。


 通常、ベセノムの囚人は地下空間に設置された国が管理するエニフォンク刑務所に服役する。そもそもが地下であることや出口が少ないこと、魔導技術を生かした高度なセキュリティなどの点から脱獄は他と比べても難しいとされている。


 加えて、今どき鎖の手錠というのはおかしい。数世代前とかの話ではない。完全に廃れたものなのだ。それこそ、博物館の展示などでしか残っていないレベルだ。ちなみに今は量子暗号ロック式である。


「格好も怪しかったけど、何より異常なのはあいつの能力だ。『金属を生み出す』系の能力で、自由自在に作ったり消したりできていたぞ。質量保存とかどうなってるんだって話だ」


「怪しいところが多すぎるわね。目下気にすべきは相手の要求かしら」


「ああ、今のところは音沙汰無しだ。完全な安地に入ったあとの可能性もある。けど、多分そうじゃないと思う」


「どういうこと?」


「妙に引っかかったんだよ、あいつの言ってることが。「お前の悩みを解決してやる、だから俺についてこい』みたいなことを言ってた」


「クリネは人質ではなく……」


「目的そのもの、ということもあるって訳だ」


「もし仮にそうだとしたら、かなり不味いわね」


 目的が既に達成されているということは、彼らの計画をこちらが間接的に止められないということを意味する。


 レマグならクリネが拐われた時点で気づいているだろうし、自分もわざわざ口に出して言うようなことではない。


 だとしても口にしてしまう。それほどに気が動転しているのを感じていた。その冷静で客観的な気づきが皮肉にも焦燥を加速させていることも。




 ______________________





 レマグが見えなくなった途端に頭に袋を被せられた……なんてことはなく囚人の男はただ淡々と歩き、レマグがそれについていくだけだった。


 疑いもなく歩く彼の姿に、むしろ身の危険にある自分の方が心配してしまう始末だった。期をうかがえば逃げられるかもと思ってしまう。けれども、ちょっとでもそのような仕草を見せればあのナイフが飛んでくるだろう。迂闊な真似はできなかった。


 長年住んでいるスサム区であるはずなのに、初めて来たかのような違和感がある場所だった。建物が所狭しと並び僅かな隙間から空が見え、地面は正体の分からないゴミが散乱している。


 腐乱臭が辺りを漂い、湿気も相まってクリネの不快感は募るばかりだった。


 男は迷う素振りを見せずにどんどん進んでいく。もし今自由の身になったとしても帰り方が分からないほど、既にかなり奥の方へ来てしまっていた。


 先が見ても振り返っても、無数に別れた道があるのみ。迷路などという生易しいものではなかった。ゴールは元より、スタートすらないこの場は本当に人々の営みで形成されたのだろうか。いっそ神のいたずらといった方がまだ理解しやすい。


「ここだ」


 男が立ち止まったのは両隣と見分けがつかない一つの廃ビル。ガラス張りだったと思われる入口は無惨に破壊され破片が中に飛び散っている。中は照明がなく薄暗い。


 それを踏み越えるようにして彼は歩いた。セキュリティも何もあったものでは無い。クリネはガラス片を避けるようにして脇を歩きどうにか男に付いていく。


 突き当たりに設置してある動作するのか怪しいエレベーターの前で男は立ち止まった。クリネも同時に少し離れた位置で止まる。


 こちらを一瞥し、目でエレベーターの中に入るよう促してくる。ここから先ヘ行けばもう戻れなくなる気がしたが、逃げる訳にも行かず指示通りに入る。


「すまんな。これ以上は見せられない」


「えっ?」


 聞き返した瞬間に首に衝撃が走る。それが当身であると気づく前にクリネの意識は完全に絶たれた。体は支えを失ったかのように倒れ込む。


「あと少し……あと少しだ」





 ______________________







 詳細を伏せつつ、ヘラエサー教授とナミオン研究員に用事が出来たとだけ伝えルクと共に部屋を後にした。ルクも察してくれたようで、素直についてきてくれた。


 近くにあった休憩室らしき場所に移動し、声を潜めて話し合う。


「クリネさんの携帯の位置情報から居場所を割り出せませんかね?」


 一通りの説明を聞いたルクは思いのほか、落ち着いていた。やはり自分と同じように気が動転しすぎているのかもしれない。


「レマグが試してくれたけど、電波が届かないみたいでさっぱりよ」


 機会の扱いに長けている彼女ですら、なんの手掛かりも得られなかった。


「いえ、それが分かっただけでも十分です」


「え、それで何かが分かるの?」


「『電波が届かない』ということは圏外にいるか建物の中にいるということ。誘拐が起こってからそんなに時間が経っていないということは少なくとも前者は考えにくいんです」


「そうね。この短時間で国外はおろか区外から出たのも怪しいわ。仮にスサム区外だとしても、隣接した区も開発が進んでいるから区全体に電波が届いているはず……」


 言われてみるまで気づかなかったが、よく良く考えれば当たり前のことである。逆転の発想ではあるものの、それほど複雑なものではない。


「取り敢えず、スサム区内のビルを全て洗い出しましょう。出来れば何人か応援が欲しいですね。見つからない場合は隣接区も。それから、えっと」


「待ちなさい。焦りは何も生まないわよ」


 ルクははっとしたような顔になっていた。


 そして、それを見たナシエノ自身は場違いながら安堵を覚えていた。焦っていたのは自分だけではなかったことが、これほどまでに救いになるのは予想外だった。


「あ……すみません、取り乱しました」


「仕方がないわよ、事態が事態だしね。かくいう私も焦っているの。むしろ冷静でいられる方がおかしいわ」


 これは完全な本心だった。自分のギルドメンバーと言ったら、家族同然。顔と名前はもちろんのこと、ナシエノは最近の生活の様子などにも細かく気を配るようにしている。


「入りたての頃からずっと見てきた子だもの。心配にならない訳が無いわ」


「クリネさんがギルドに入ったのはいつ頃なんですか?」


「もうかれこれ3、4年かしら。最初は暗くて人と関わるのも嫌がる子だったんだけど、それを変えたのがレマグって訳」


「そうだったんですね」


 だからこそ、クリネは攫われることを躊躇わなかったのだろう。親友のためなら何でも受け入れられてしまう。


 それは強さでもあり____同時に『弱点』でもあるのかもしれない。


「つくづく、あの子らしいわね」


「何か言いました?」


「いえ、何でもないわ。一度ギルドへ戻りましょう。きっとギルドマスターとレマグが待っているはず」


「分かりました」


 流石のルクも自分一人で探しに行くと言い出すことはもう無く、状況を整理することが優先だと考えてくれたようだ。






「伏せろっっ!!!!」


「え」



 研究室から発せられる声に瞬時に屈む。


 すると、先程まで腰があった場所を赤色のレーザーが凄まじいスピードで通過していく。羽虫が飛んでいるかのような音と共にあらゆるものを切断していくレーザー。


 レーザーが通り過ぎた後、急いでドアノブへと手をかける。開けると見慣れない物体が部屋の中央に鎮座していた。


 物体は複雑なパーツがいくつも連なり、ひどく不格好ではあるが人型を形成していた。よくよく見ると、具体的な用途は不明なもののそれらが機材であることが分かる。


「ほいほーい。天才お姉さんの登場だよぉー。そして君たちはここで足止め確定ー」


 その頭部に当たる場所から声がする。


 声の主は少女。レマグやクリネと言うより、見た目的にスサム区長の娘の方が年齢は近いか。


 どう見ても染めたとしか思えないショッキングピンクの髪は雑に一つに束ねられていた。赤縁のメガネにダボダボの白衣を着た姿は、学者である父の真似をしている娘のようであった。


 口元はニヤニヤと嫌悪を覚える笑みを浮かべており、若干の侮蔑も混じっているように感じた。位置的にも感覚的にも見下されている。


「けっけっけ。ルク君は非力なこいつらを庇いながら、どこまで私と渡り合えるのかなぁ?」


 煽る姿勢を崩そうとしない彼女をただただ見つめるルク。だが、彼の目だけは真剣であるのをナシエノは見逃さなかった。


「クリネさんの居場所について答える気は?」


「ねぇねぇ。そのクリネって子とどういう関係なのさ、君は」


 全く聞く耳を持とうとしていないことがこの一言で理解できた。なしえのはこれ以上の会話は無意味だと考える。


「仮にあなたが喪失者達ロスターズの一員だとして。目的を話すことは出来ますか?」


「さぁ、私にはさっぱりだね。興味もない」


 少女はあっさりと言ってのける。その答えを聞き、ルクの顔が苦々しいものへと徐々に変わっていく。


「ということは、訳も分からずにあなたはリーダーの命令に従っているということですか?」


「そういうことになるね…………ってあのさ、人に質問はするくせに、自分は質問に答えないってどういうつもり」


「答えてくれと言った覚えは無いですよ。話したくなければ、黙っていればよかったんです。こちらが答える義務はないです」


 負けじとルクも口で応戦していく。


「へぇ、そういう態度取るんだ。へぇ」


「まさか、怒ってらっしゃるのですか? それはそれは失礼致しました。こちらとしましては至極当然のことを言ったつもりなのですが」


「……あーあ。こっちが下手に出ればつけあがる奴って、この世にいたんだぁ。立場分かってるのかな?」


 今の彼の発言に機嫌を損ねたようだ。目は細くなりルクをやんわりとだが睨みつけている。


「気に食わないなぁ。ダムから話は聞いてたけどさ、君って本当に身の程知らずなんだね」


「減らず口ですね。このまま立ち話をして足止めされるのも嫌なので、お引き取り願います」


「……殺す」


 小さい声だったが、彼女は間違い無くそう言った。


 駆動音が全身から湧き出る。それと共に、空気が抜ける音も交じる。臨戦態勢に入ったようだ。


 人間でいう手首の位置にある、クレーンゲームのアームのような形をした機械が高速で横回転運動を始める。そのまま突き刺すだけで、ドリルの役割を果たすだろう。


「ルク、研究員たちをお願いできる?」


 ギルドの副長とかそういう立場を抜きにしても、ここで引き下がる選択はできない。昔から、目の前で理不尽な暴力が振るわれようとしているのを看過できない性分だった。


「分かりました。なるべく安全な場所に避難して頂けるようにします。思う存分にお願いします」


「あ、機材に傷つけたら許さんぞ」


 ずっと黙っていたヘラエサーが話に割り込んできた。他の研究員たちは皆萎縮し、机の中にうずくまっている者もいる。


「ルク、分かってると思うけど研究員というのはヘラエサー以外のことだから」


「おい!」


「はは、それには従えませんね。ほら、早く行きますよ」


 ルクが部屋のドアを開け外へ出るよう促すと、巨大人型機械をすり抜けるようにして出口になだれ込んでくる。


 やがて扉は閉じられ、部屋にはナシエノと謎の少女と機械だけになる。


「あの子を追いかけるものだと思っていたのだけれど」


「私に下された命は足止め。赤外線センサーでお前らの動きは丸見え。それにさほど苦労する相手でも無さそうだし」


「あら。それって文脈的に考えて私のことを言ってるのかしら。そうだとしたらだいぶ舐められたものね」


「安心して。私、『年寄り』には優しいのぉ」


「クソガキが。かかってきなさい。軽くいたぶってあげるわ」


 ナシエノはメガネを投げ捨て、履いていたハイヒールも脱ぐ。あちらがその気なら、こちらも相手になるまでである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る