虚無

 自分に自信があったわけではないが、それでもここまで気配を殺しながら接近されるとは思っていなかった。


 背後からの視線を感じてはいたものの、その視線に一切の邪気を感じなかった。そこから、路地裏に住みついた野良猫かなにかだろうとレマグは推測したのだ。


 そして、


「一度、気配が消えたのは回り込むため……」


 路地裏に入るまさにその瞬間、ふっと気配が消えた。それも自然に。


 そのことがさらに、レマグに追跡者の正体を誤らせる原因となった。


 横にいるクリネは相変わらず状況が飲み込めていないようで、あたふたとしている。などつゆほどにも思っていなかっただろう。


 そうは言っても、レマグも全てを理解した訳ではなかった。


「背後を取れていたのに、正面から来た理由は?」


 ここは神聖な闘技場では無い。つまり、いかなる卑劣な手段も許される。


 背後から攻めるなどというのは、卑劣どころか定石セオリーになっている節もある。


「そんな必要がないからに決まっているだろう」


 セリフだけならば、あきれの色がにじむはずのその一言。けれど、彼の声音からは感情を読み取ることが出来なかった。


 それに、と彼は続けた。


「ここから、逃げられるとでも?」


 声を出す間もなかった。


 甲高くて耳障りな金属音が後ろから何度も響く。何だと思い、急いで首を一回転させる。


「もう遅い」


「くっ」


ふさがれちゃった……」


 クリネはようやく事態の不味まずさを飲み込めたらしい。


 彼女の言葉通り狭い路地裏は鉄骨により遮られ、逃げ道は完全に絶たれた。どこから落ちてきたのか、想像をつかない。




(……そんなことを考えている場合じゃないな)




 先程からあまりに隙がない。仕掛けるタイミングも、その後の場の掌握しょうあくにも余念が見られなかった。


 もし相手が本気で背後から襲っていたならば、まともにこうして立っていられたかどうかも怪しいと思った。


「一体、何者……?」


 思わずこぼれたのは、純粋な疑問だった。しかし、答える気はないらしく彼は眉一つ動かそうとしなかった。


 プロのハンターをこれまでやってきて、ここまで気配に気づけなかったのは初めてだった。しかし見る限りだと、脱獄中の囚人にしか見えない。


 それに先程から胸の鼓動が速くなっているのは何故だ。全身から吹きあがる汗は、小刻みに震える両手は?


 危険、などという陳腐ちんぷな表現では表しきれない何かを彼は持っている。


「もう一度問おう。怖いか、その能力ちからが」


 視線はクリネの方に向いていた。思い返してみれば、声をかけてきた時もそんなことを言っていたような気がした。


 「え、えと。怖いですよ、それは。どうして『願い』を聞きとれるのかも、そのことがどんな影響を及ぼすのかも分かりませんので……」


 このときばかりは、クリネの素直さに感謝すべきだった。下手に話したくない、などと言えばこの男の機嫌を損ないかねない。実力差が分からない今、相手を刺激するような返答は悪手だろう。


 「ならば、我が主に会ってみないか? あの御方ならばそなたの不安を解消してくれるやもしれん」


 「っ、耳を貸すなク」


 言葉は続かなかった。


 喉元に突きつけられたのは、一本のナイフ。誰の手を借りるでもなく空中に浮かぶそれは、骨まで断ち切りそうなほど鋭利に見えた。


 初動は全く見えなかった。最初からそこにあったかのようにナイフが存在しているだけだった。


(速い。バニチャ―を出している暇もない。かといって、このまま見ているわけにも)


 「答えろ、


 「どうして、私の名前を?」


 「先に質問したのはこの私だ」


 クリネは男とこちらを交互に見つめてくる。残念ながら、目で訴えることしかできない状況に歯噛みする。


 (こんな時にクリネを守ることができなくて、何が親友だよっ!)


 取り返しのつかないことが起ころうとしている。そんなことは分かってる。足がすくんでいるわけではない。単なる実力不足だった。


 正直、バニチャ―を出しても勝てるか分からない。相手の能力は未知数。実際、彼は話し始めてから一歩も動かずに自分たちを圧倒して見せたのだ。


 頭に浮かぶのは、やはり一人の少年の影だ。突然現れたかと思えば、クリネと仲良くなった少年。


 何より勝手に自分から敵対視していたくせに、困った時は頼ろうとする自分の根性が許せなかった。


「嫌です」


 そして、親友は毅然きぜんとした態度で拒絶の意思を示した。もとい、示してくれた。彼女は一見流されやすそうだが、ここぞと言う時には頑固だと長年の付き合いが教えてくれた。


「仕方な」


「けど、断ったところで諦めてはくれないですよね」


「物分かりがいいな」


 不味い、という文字が頭を埋め尽くす。この先に何が起こるのかが、予想ゆえの恐怖。


 誰だって首を固定されて頭上に刃物を用意されれば、次に何をされるか分かるように。


「駄目だ、クリネっ」


 そう声を掛ける。が、今度はこちらの方を見てくれなかった。


「どこに行けばいいですか」


「ついてくるだけでいい」


 首元に当てられているナイフは、消えてくれる気配がない。一向に浮いている原理が分からない金属の塊は、少しでも動けば主の命令で自分の命を刈り取るだろう。


「分かりました」


 その覚悟を決めたような表情を止めてくれ、心からそう思った。


 一歩、また一歩と彼女は歩みを進める。その様子に満足したのか、男は疑いを持たずに振り返って歩き出す。


 どちらの足取りも、足枷あしかせがあるかのように重い。まだ昼前だと言うのに暗くよどんだ空気がそこには生まれていた。


「そこの狐耳族フォクシー。私たちが貴様の視界から消えたら、十数えろ」


 男は去り際にそう放った。会話にすらなっていない、強者から弱者への命令。


 動きたくでも、動けない。そもそも、動こうともしていないのかもしれない。


 そして、二人はレマグの横を通る。視線が交差するも、反応は返ってこない。クリネすらも、目線を合わせない。


 何かをぼぞぼそと男は呟いたのが、背後から聞こえる。すると、シュンと小さく音が鳴りまた歩みの音が聞こえ出す。


(鉄骨を消した……?)


 結局、彼がどんな能力を持っているのか見当もつかなかった。攻撃らしい攻撃も何一つ加えられなかった。


 『十数えろ』という男の命令にそむくことすら許されなかった。動こうとする度にナイフも伴って動き、決してレマグの首から離れようとしなかった。


 しばらくして、ナイフが鉄骨と同じ音を立てて消えた。そして自由になった身でまずレマクがやったこと、それは。


「くっそぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっっっっっっつつつつつつつつつつつつ!!!!!!!!!!!!!」


 目一杯のどを使った叫びだった。









 ______________________










「ここが私の研究室ラボよ」


 そう言って、ヘラエサーは自慢げにルクたちに向かって手を広げた。まるで、ミュージカルスターのようだった。


 内装はおおむねルクの予想通りだった。


 部屋のほとんどを占有しているのは、机と用途不明の機械。その間を埋めるようにして、上から紙が覆いかぶさっている。


 研究員ラボメンバーもヘラエサーと同じく、自分の身なりに興味が無いのか、誰しも髪がボサボサだった。そもそも、人数もたったの三人だけ。


 よくこれで今まで活動が続けられたものだと、ルクは呆れを通り越して尊敬の念を抱いた。


「ども」


 ラボメンバーの一人が覇気のない声で挨拶あいさつをし、つられるようにして他の二人も無言で礼をする。


「……こういってしまうのはあれだけど、とても世界最高の魔導研究を行っているとは思えないわね」


 ナシエノもルクと同じような意見を持っていたようだ。額に手をやり、溜息をついている。


「ほぅ、言ってくれるじゃないか。いいだろう、我が研究員の凄さに刮目せよ。ナミオン!」


「えー、俺ですか。今、手が離せないですけど」


「恋愛シュミレーションなんて、いつでも出来るだろう」


「何を言ってるんですか。こういうのは臨場感と雰囲気が大事なんです。やっと、感情移入できそうだったのに」


 そう言う彼の目の前に置かれたディスプレイには、現実離れした美しさを持つ少女が表示されていた。名前の横には『好感度120%』と書かれており、いわゆるなのが分かった。


 画面を閉じ、億劫おっくうに立ち上がった彼はズレた眼鏡を直しながら向き直る。


「ナミオン=ジョフです。23です。えー、応用波動型構築魔導理論専攻です。趣味はゲームと睡眠……こんな感じでいいですか?」


「ルク=シュゼンベルク、16歳です。ハンターをやらせてもらっています、よろしくお願いします」


「ナシエノ=リートと申します。歳は秘密ということで。スサム区ギルドの副長サブマスターを勤めております。以後、お見知りおきを」


 互いに紹介を済ませる。


 そして、ルクは彼の名にどこか既視感を覚え、直ぐに思い出す。


(この前、図書館に行った時に読んだ学術魔導書に名前が乗っていたな)


 公式の名前にすらなっていた。確か、『魔導発動時における魔力減衰率と限界干渉能力に関する公式』というのが正式名だ。


「いいですよ、ヘラエサーさんは頑固だから従わないとめんどくさいので」


 つくづく、研究員からの人望がない室長ヘラエサーらしい。


 しかし当の本人は、その答えを聞き満足そうに頷く。


「じゃあ、折角せっかくだから対決してもらおうじゃないか」


 何が折角だからなのか全く分からない。一体、どんな対決をするのだろうか、とルクは思考を巡らせる。


 小声で横から、彼女はこういうのが好きなのよとナシエノが教えてくれた。今に始まったことではないらしい。


「では、対決のルールはこうしよう。互いに問題を出し合って、先に答えられなかった方の負け」


 それを聞いて、ナシエノは渋面を作る。


「なんというか、ものすごく幼稚ね。そんなの先攻が数学の未解決問題とか出せば勝ちじゃない」


 ナシエノがもっともなことを言う。


「そ、そういうのはもちろんなしだ。少なくとも、出題者自身が答えられる問題にしよう」


「はぁ……その場の思いつき感が否めないわね」


 本日何度目かのナシエノの嘆息だった。





 ______________________






「はっ、はっ、はあっ」


 今まで生きてきた中で、一番急いだかもしれない。運動不足なのはゲームばかりしていた自分の責任だが、それすらも恨めしい。



「はあっ、はあっ、はっ」


 人々の合間を抜け、路地裏を走り、街路樹の横を駆ける。奇異な視線を背中に受けつつも、その足は止まることを知らなかった。


 いっそのこと、この場から逃げ出してしまいたい。それが本音だった。認めたくない現実から目を背けたかった。


 こんなことの連続だった。いつもいつも後悔して、毎回毎回自分の非力さを嘆く。


 あと何回こんな気持ちにならなければならない運命なのだろうと、弱気になることも多々ある。


(でも、きっとだったら……)


 あの颯爽と現れたいけ好かない英雄ヒーローだったら。



 __こんなところで立ち止まってていいんですか?あなたにはやるべきことがあると思いますけどね。


(ああ、うるさいうるさい。そんなこと、言われなくたって。お前になんか頼ってやるものか)




 今、自分に出来ることを。自分にしか出来ないことを。




 レマグの疲弊ひへいしきっているはずの足は、さらに加速した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る