落胆

 美しい夜明けだった。


 東から上がってきた光が、乱立するビルを照らし出す。ビル群の影が段々と伸びてくるのに伴って、人々のざわめきや雑踏がぽつりぽつりと増える。


 朝の日課なのかランニングをしている若い女性がいれば、やつれた顔のサラリーマンもいる。




「う、うう……」


 そんな中、ルクは一人部屋で目を覚ました。朝には弱いタイプである自覚があった。


 そして、師匠にいつも叩き起されていたことを思い出し、急いでベットから飛び起きる。


 が、そこに物心ついた時からいつも傍にいた妙齢の女性の姿はない。安堵すると共に、少しばかりのさびしさを覚えた。


「いつまで経っても、慣れない朝だな」


 毎度の事ながら、その独り言を聞くものは他に居ない。困った癖であるものの、どうにも忘れられないでいた。


 ぼんやりとそんなことを考えながらも、一応手を動かし支度を進めていく。


 の元で購入した、意外と先進的なデザインの戦闘服を着る。袖を通すと、服が勝手に伸縮を始めサイズがピッタリになる。


 これほどの機能を持っているにも関わらず、彼は元値の半額で売ってくれたのだ。


 彼いわく、『初心者割り』とのこと。紹介してくれたクリネにも、感謝しなければならないだろう。



 端末を起動すると、離散的デジタルな表示で午前8時を少し回ったことを告げる。予定の時刻から考えるとゆっくりしてはいられないと判断し、手を早める。


 それでも、火の始末や消灯の確認はしっかり行ってから外出する。


 そしてここに来てからも、どうしても抜けなかったもうひとつの習慣を行う。


「いってきます、師匠」


 心のどこかで、返事を期待してしまっている自分がいた。






 ______________________







 暗闇と静寂に満ちた地下ビルの一室。


 硬いコンクリート製の壁は、よく音を反響させる。そのためこの状況では、虫が動いた音すら容易に分かると思われた。


「分かっているな、


 低くうめくような声が響く。それでいて弱々しさは感じさせず、寧ろむしろ下手な大声より、はるかに威圧を感じさせる。


 ベールに覆われた素性の知れない上司だ。もしかしたら、人間ですらないのかもしれない。しかし、上司が何であろうと知ったことでは無かった。


 自分の隣には、自分と同じようにたたずむ男がいた。瞑目めいもくし、声の主の話を聞き漏らさない意志が伝わってくる。


 フードを常に被り、その容貌をよく見ることは出来ない。いつも寡黙かもくに淡々と任務をこなすだけ、そんなイメージを彼には持っていた。


 愉悦ゆえつの喪失者、セニーパ。それが彼の名前だった。感情をおくびにも出さず、全ての感情を失ったと言われても納得がいく。


「お前たちはそれぞれ生け捕りが目的だ。くれぐれも、他の奴らのように羽目を外すことはないように」


 取り敢えず、横のセニーパにならって首肯しておく。発言しても、ほとんどはこちらの立場を悪くするだけだ。


 そして考える。


 羽目を外した、というのは多分ダムとユオラエジュのことだろう。二人とも指示を待たずに独断で、標的及びに接近した。


 ユオラエジュに至っては、返り討ちにされて治維連に捕まったらしい。すぐに脱走することとは思うが、罰則はまぬがれないだろう。


「セニーパは標的、ティラクは重要観察対象を追跡。セニーパは人目のないところで標的を捕獲しろ、目撃者は殺すのがベストだが任務遂行の方を優先。ティラクは盗聴した情報から場所が割れているのだったな。重要観察対象はあくまで殺さずに足止めだけしておけ」


 「了解ですぅ」


 こういう風に聞かれてしまっては、返事をするしかない。さらにかなり成功に期待されているようだ。困ったものである。


 期待が大きいということは、失敗した時の落胆もその分大きいということなのだから。


 しかしながら、ルクの端末にハッキングした甲斐あって日時の特定までできたのは僥倖ぎょうこうだった。予想以上の収穫があったのだから、この期待も納得できないわけではなかった。


 「セニーパの方は……聞くまでもなさそうだな」


 どうやら、二人の間にはかなりの信頼関係があるらしい。不思議と纏う雰囲気すら似通っているようにも感じる。別に羨ましいなどとは、これっぽっちも思わない。


 会話がそれ以上展開することもなく、静かに任務は開始された。




 ______________________________________________






 ルクは、少し駆け足で集合場所である公園に向かった。奇しくも、この前クリネと待ち合わせした公園だった。


 朝の空気は澄んでいて、よく晴れている。湿気も多くなく、この時期しては珍しい過ごしやすい天気だった。


 指定されたベンチには、既にスサム区ギルド副長のナシエノの姿があった。彼女の私服姿は想像すらできなかったが、実際に見てみると大変しっくりくる着こなしだった。




 無地のロング丈シャツ、同じく無地の白いインナーにデニムパンツ。爽やかを演出しつつ、大人びた印象を与えるファッションだった。


 眼鏡もいつも使っているものとは大きく異なり、華やかな赤色。さらに、小物のバックとサンダルが上品さを引き立てている。


「お綺麗ですね。とても良くお似合いです」


「嬉しいわね。けど、もっと具体的に言わないと…………ね?」


 何とも意味ありげな微笑みを浮かべながら、ナシエノは言う。


 ギルドマスターの話から邪推すると、師匠と同じくらいの歳であるはずなのに、全くそうは感じられない。エルフであることを考慮しても、目を見張る若々しさがそこにはあった。


 ルクは急いでいたとはいえ、身だしなみをきちんと整えていたことに安堵した。危うく、浮いてしまうところだった。たとえ彼女にそのつもりがなかったとしても、彼女はあまりに魅力的すぎた。


 「申し訳ないわね。今日は愛しの彼女じゃなくて、こんなおばさんと一緒で」


 少し自嘲的に笑うナシエノ。


 「そんなことありませんよ。先ほども言ったように、あなたは十分に魅力的です。それと」

 

 「クリネちゃんは、愛しの彼女じゃないって?じゃあ、愛してもないのに、彼女なの」


 「出来れば、彼女の部分を否定してほしいですね」


 「ふふ、冗談よ。さあ、早く行きましょう。待たせるのは悪いわ、


 何やら不穏な空気を感じないでもなかったが、黙って彼女についていくことにした。




 ___________________________________________





 一際大きな溜息がギルド内に響いた。周囲のハンターが振り向くほど、それは大きかった。しかし、音源たるクリネはそんなことは気にも留めていないようだった。


 「ようやく、ルクさんとクエストいけると思ったのに~」


 「そんなこと言ったって仕方ないだろ。あいつにだって、外せない用事の一つや二つあるんだろうよ」


 クリネは先日のルク休業期間中、ずっと彼のことを考えているようだった。暇さえあれば、彼の名を呟いていると言っても過言ではなかった。


 その分、彼に予定が入ったことを知った時の落胆度合いも大きいのだろう。


 成長したのは、ルクとは行けないことを悟ったのか、意外に早く依頼を決めて出発したということだろう。


 クリネが選んだのは、探索クエストだった。しかも、遺失物探しなどの街中で行える類のものだ。


「お前得意だよなぁ。探す系のやつ」


「え、そう?」


「普通、こういうクエストは探索シーカー系の才能スキルを持つハンターの独壇場どくだんじょうだぜ?それ以外の奴がやるとなったら、時間かかる上に報酬も少ないし……」


「でも、すぐ見つかるよ?」


「それが異常なんだよ」


 天才というのは往々おうおうにしてその能力に自覚がないと感じ、今度はレマグが溜息を吐く番となった。



 そしてそこまで考えた時、違和感も同時に覚えた。


(クリネが探索を得意としてるのはいいとして……どうして、障害物やトラブルが多い都市部のクエストを選んだんだ?)


 難易度が高くてやり甲斐があると言われればそれまでだが、そんな素振りは見られない。


 もしそうだったら、こんな思い詰めたような顔はしていないはずである。




(……思い詰めた顔?まさか)





「まさか、クエストにかこつけてルクのこと探そうとしてないよな?」


「ん?そうだけど」


「っ、とうとう開き直りやがった!」


 いつもは慌てふためくであろう場面でも、ルクのこととなると反応リアクションが異なってくるらしい。


「これとこれを受けて……あ、こっちは場所が被りそうだからなし、と」


 早速、クリネは効率よく街を探索するための算段を立てている。この時ばかりは抜け目もなく、決断も早い。


「これでよし」


 最後に受注と書かれた所をタップすると、クリネは満足げな顔つきになる。


 そして、レマグもその様子にやや呆れつつも笑っていた。





「……楽そうだな」






「えっ……」


「レマグ、どうかしたの?」


「う、ううん。なんでもないなんでもない」


 妙に鮮明な声が聞こえた気がするが、どうやら自分以外に気づいている人はいないようだ。


 だった。


 今まで感じたことのないその不気味な感覚は、レマグの中でわだかまっていた。




 ______________________





「これが魔導バスというものですか」


「あら、貴方はこれが初めてだったのね。もう乗ってるものかと思っていたけど」


 この国では出入国のしやすさに比例して人口が増加し、連鎖的に交通網の整備が急がれた。


 しかしながら、既に国は道路で埋め尽くされ、立体交差や高速道路、地下道に手を出したがそれでも足りなかった。


「それで生まれたのが、この子魔導バスってわけね」


 地上を走るものとはまた違った揺れによって、少し声が震えながらも語るナシエノ。その顔を窓によって屈折した日光が、優しく照らしていた。


「動力は、魔素吸引機構ムーキャヴで空気中の魔素から得ている……非常に効率的ですね」


 魔素吸引機構ムーキャブ


 とある弱小企業が、その発見だけで魔導学研究の先駆者パイオニアに成り上がった程の技術。


 ごく一部の者だけが扱う『魔術』が、工業的側面を持った『魔導』へと姿を変えた瞬間でもあった。


「そう思うのは無理もないけど、意外とこれが曲者くせものでね。結構、条件が要るのよ」


 その大まかな構造としては、吸い取った空気を濾過ろかして魔素だけを抽出するというものだ。


「でもほら、最近の空気って汚染が激しいじゃない?だから、運行に必要な分を集めるのに時間がかかるみたいなのよ」


 急速な工業化がもたらしたものは、良い事ばかりではなかった。大気汚染、水質汚染、絶対的魔素量の希薄化など挙げれば切りがなかった。


「随分お詳しいですね。業界の方とお知り合いとか?」


「うーん、お知り合いというか……『ドンパチ』かしら。聞く?」


「遠慮しておきます」


 明らかに危険な匂いを感じ取ったので、ルクは丁重にお断りした。多分、例の平定者の集いノーマライザー時代の話なのだろうと推測する。


《まもなく、ティスリフ大学前〜ティスリフ大学前〜》


 そこまで考えたところで、やがて目的地に到着することを知らせるアナウンスがバス内に響いた。眼下に広がるのは、青々としたキャンパスと活気に溢れた学生や教授たちだった。






 ______________________








「教授、予定の時間が近づいております」


「ああ、分かった。しかし面倒臭いな。サボっていいか?」


「では、先日の実験室無断使用と資金着服を大学に」


ぐに向かおう。集合場所はどこだった?」







 ______________________








「にっしっしー、標的あるところに私あり。なんつって、なんつって〜」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る