某日

 ルクがクリネと別れた後、真っ先に向かったのは図書館だった。圧倒的に不足している知識を補うためだった。


 街の中心部にでかでかと存在していたので、人に聞くまでもなかった。


 一面ガラス張りの四階建ての建物の中は、ぎっしりと本棚に詰められている本で溢れていた。遠目からでも、そこが図書館であるということが分かった。


 中に入ると、本特有の心地よい匂いが鼻腔を刺激した。これはアルカナに居た時も、よく嗅いでいた匂いだった。




 館内は、意外にも人が多くいた。


 平日の昼間なら、そんなに混んでいないだろうとルクは読んでいた。


 そんな予想とは裏腹に、白衣や落ち着いた私服に身を包む者が多くいた。まず間違いなく、彼らは学者であろうと判断した。


 それほどまでに、この図書館は豊富な情報が集まっているということだろう。


 この街を訪れてみて気づいたことだが、この現代は携帯端末やラップトップ卓上型パソコンが広く普及している。所持していない人を見つけるのが、困難なぐらいだった。



 そのような状況だから、ルクは本が選ばれるのには何か理由があると思っていたが、、、



「そういうことですか」



 ルクと対峙しているのは、少し大きめのタブレット端末。その液晶には、埋め尽くさんばかりの活字が並んでいる。


 そのエリアは、入ってすぐ横に広がっていた。


 改めて館内を見渡すと、学者らしき人々のうち本のエリアに足を運んでいるのはごく少数で、そのほとんどが画面とにらめっこしている。



 簡単に言えば、本の内容を電子化してそのまま端末に表示しているようだ。これならば、互いの情報媒体メディアの利点を兼ね備えることが出来ているだろう。



 ルクは、タブレットを高速でスワイプし続けながら、本の内容を頭に叩き込んでいく。それも斜め読みではなく、その全てを暗記していく。



 ___狩猟学入門全四巻。


 狩りにおいて、最も基本となるのは準備である。ベテランであれば、あるほど念入りに準備をするものだ。そのことを念頭に置いて、本書を読み進めて欲しい。



 ___大ベセノム俯瞰図完全版。


 この地図は空暦2309年に改訂されました。現時点の区分とは、異なる可能性があります。



 ___世界概歴書。


 この本は、この世界においての出来事を時代ごとにまとめたものである。尚、一部の情報については諸説があることをご留意頂きたい。



 ___のりもの大全。


 はたらくくるまがいっぱい!みんなはどれくらい見たことがあるかな?



 ___第一次魔導書。


 魔導には大きく分けて三種類あるのが、ここでは創造系魔導とも称される第一次魔導について取り扱う。 専門書では無いので、初心者にも分かりやすい構成となっている。



 ___メオプ=エスレブ詩集。


 なんじ、その瑕疵かしを認めた時、一歩前進す。

 汝、その真実を知った時、二歩前進す。

 汝、その愛を感じた時、三歩前進す。

 汝、その人生を悟った時、立ち止まる。



 等々などなど……


(これぐらい、、ですかね。取り敢えず、色んなものを読み漁ってみましたけど……)


 端末を使っている分、閲覧の効率がいい。何よりも情報入手を優先するルクにとっては、ベストマッチだった。


 小一時間ほど経った頃、ルクは所蔵してある書物のほとんどを読み終えていた。


「お、おい。あの子……」


「ああ、分かってる……有り得ない速度だ」


 周囲の学者たちがルクの様子を見て唖然としていたが、本人は全く気に留めなかった。





 ______________________






 ルクは背中に視線を感じつつ、図書館を後にした。


 夏に入る前の微妙な暑さがルクを包み込んだ。それがルクを気だるげにさせる。


 しかし、その程度ではルクの歩みは止まることはなかった。




 ルクには、確固たる目的があった。




 暑さを溜め込みやすいコンクリートの上を歩きながら、ルクは再度意志を確認する。


(クリネさん……あの人に追いつきたい、いや、追いつかないと)


 自分でも何故こんなにクリネに惹かれるのか、分からなかった。


 出会ったばかり、知り合ったばかり、話したばかりの彼女なのに。



 言葉などという未熟な手段では表しきれない、不思議な心の繋がりを感じたというべきか。根拠の無い感情。


 思考はグルグルと回り続けるが、結論が出ることはなかった。


 分かったのは、この問いの答えはきっとはっきりと出ることは無いだろう、ということぐらいだった。





 そして、いつの間にか路地裏に入り込んでいたことに気づく。


 さらに視線を前に向けると、


「グオォ……」


「むむ、これは不味いかもね。としたことが……」


「おっと……」


 少女と思われる人間が、魔物に襲われかけていた。魔物とその少女は、ルク側に横顔を見せる形で対峙たいじしていた。


 どこかで見たような構図だったが、少女の格好から判断して戦闘職ではないことはすぐに分かった。


 高貴な印象を漂わせる落ち着いた色のワンピース。スカート部分は、薄く透けているチュールスカートになっている。


 しかし、着用者本人は俗に言う『着せられている』感じが隠せていなかった。


 何よりも幼い。


 暗い路地裏でも輝く金髪に、黒と白の珍しいヘクロテミアが目を引いた。童顔かつ低身長。まず間違いなく、自分より年下だろうとルクは考えた。


 対して魔物の方は、シルエットこそ人間だが全身が毛で覆われていて、人というよりむしろ猿に近かった。


 ルクは、図書館で読んだ書物のひとつを反芻はんすうする。


 猿人エパ。それがこの魔物の名前だった。力が強い上に、五歳児並みの知能を持つことで知られる。


 幸い、このエパは何も武器を所持していないようだったが、それでも脅威であることは変わらない。武器も持たないかよわい少女ならば尚更なおさらだ。




「ウォォ!」


 エパが腕を振り下ろすのを視野に収めた途端、彼は地を蹴った。少女は何も出来ずに、ただ立ち尽くしていた。


 ここに魔物がいること自体が問題なのだが、状況は予断を許してくれないようだった。


 猿の拳と、素早く間に飛び込んだルクの足が衝突する。


(し、痺れる……なんて馬鹿力なんだ)


 足に来た感覚は人の足どころか、鋼鉄に近かった。路地裏にぽつりとたたずんでいる街灯を蹴り飛ばした方が、まだマシだったかもしれないと思った。


「グォ……」


 当たり前だが言葉にはしないものの、エパは驚いているように見えた。


 ここで隙を見せれば、単純な膂力りょりょくによって押し潰されてしまうとルクは考えた。




 ルクが取った行動は単純だった。


 重力に引かれ落ちてきた足が地に着く、まさにその瞬間。


 爪先の力だけで、彼は再度跳んだ。同時に、横にいた少女を抱き抱える。


「うわわっ」


 腕の中で少し悲鳴が上がるが、生憎あいにく構っている余裕などはなかった。


 敵の射程から逃れた数秒後、先程まで二人がいた場所に腕が振り下ろされる。


 緩慢な動きなはずなのに、威力が馬鹿にならない。当たった瞬間に、下のコンクリートが『ぜた』。


 粉塵ふんじんまといながら、セメントと砂と水のかたまりが、散弾のようにき散らされる。


 危うく、その大人の拳ほどの大きさの塊に当たるところだった。


 急制動をかけつつ、ルクは振り返る。エパと路地裏の奥を背にして、向き合う形となる。


 つまり、追い詰められたということだ。


 その事実を理解したのか、若干猿人の口角が吊り上がったように見えた。


「君は、誰だい?」


 呼吸の少し乱れた声が、腕の中で響く。


たまたま、ここを通りかかった一般人ですよ」


「残念ながらそんな風には、」


「詳しい話はまた後でっ!」


 ルクは少女の疑問には答えずに、体を素早く横にスライドさせた。


 もう一度、振り下ろし攻撃が来たためだ。避けること自体は容易いが、やはりそれによって飛んでくるつぶての方が危険だった。


 一言で言うなら、ジリ貧だった。


 何かを抱えながら戦うことがこんなにも難しいこととは思わず、ルクは内心焦りを感じていた。


 勿論表情に出すことなどはしないが、猿人が優勢であることは変わりない。


 腕が地面と衝突する度に、地が抉れ塊を排出する。


(この地上では一度も使ったことないけど、に頼るしかないか……)


 ルクは決断した。


「あ、危ない!」


「身体改造『鋼鉄化メタライズ』」


 拳がルクの頭上に迫っていた。容赦のない一撃が襲いかかってくる。


 しかし彼の体が潰されることも、少女の鮮血が散ることもなかった。


 すなわち、


「……信じられない、、」


「ゴガッ?」



 ルクが、猿人の拳を完全に受け止めていた。



 当の本人を除いて、その場にいる誰もが驚愕きょうがくした。





「腕を特殊な硬化因子によって、一時的に強化しているのです。多分今の状態なら、鉄よりは硬いですよ」


 さも当たり前かのように、語り出すルク。


 その間にも、エパはルクを押し潰そうとあらん限りの力を込めているようだが、ピクリとも動く気配が無かった。


「さて、解説はこれぐらいにして。こっちのターンですね」


 エパはそのルクの気配に気圧されたようで、一瞬たじろぐ。


 しかし、直感的に不味まずいと思ったのか、押さえつけている拳とは反対の拳で殴ろうとしてくる。



 けれどこれも容易く、ルクの肘によって止められてしまう。赤子の手をひねるようとは、よく言ったものだ。


「終わりですか?なら、仕方ありません。これでチェックメイトです」


 隙だらけのどうに、蹴りが入る。


 そっと押し出すだけの動作なのに、凄まじい威力を伴っている蹴りが。


 ノーガードで喰らった猿人の体は、紙吹雪のように空中を舞う。地面で数回跳ねた後、ルクが元いた通りに吹き飛ばされた。


 多分死んではいないが、当分起き上がることは無いだろうと、ルクは考えた。



 幸い、通行人はおらず二次被害が発生することは無かったが、少しやりすぎたとルクは反省した。







「……君は、一体何者なんだい?」


 脅威が去ったことを確認すると、そそくさとルクの腕から脱出した少女が問うてくる。


 それに対して、ルクはとても簡潔に答えた。






「これから、ハンターになる者ですよ」






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