目覚


 目が覚めるというのは、水面から顔を出すようなものだという表現を聞いたことがある。



「……きて…ださい………ルク…ん………起きてください、ルクさん」



 微睡みながらも、目を開けようとする。少し瞼を開くだけで、強い光が入ってくる。明かりがついているのだろう。再度、目を閉じてしまう。


「もう、ルクさんたら、また眠って」


 聞き慣れた声がする。


 目でその姿を捉えようと、ルクは意志力を発揮した。閉じていた瞼が、だんだん開く。


 カーテンの隙間から洩れ出る光に、銀髪が煌めく。いつもは雑に纏めてあった髪が、今日は降ろされていた。


 彼女は、ルクから拝借した寝巻きを見に纏っている。


 サイズの方はあまり変わらなかったようで、安心したと同時に、少し悔しいとも思った。


 それでも、珍しい彼女の姿を見れて、彼の頬は自然と緩む。


「もし、起きないとー、起きないと…?…えぇと………」


 クリネはそこまで言って、しどろもどろになってしまう。ルクは、あることを思いつく。


「……クリネさんが、接吻キスでもしてくれるんですか?」


 ルクは体を素早く起こすと、彼を覗き込んでいたクリネに顔を近づけた。


 息遣いすら感じる程の距離。ルクの表情は、いたずらをする少年のそれだった。


「えっ、えっ…」


 初めキョトンとしていたクリネは、頬を紅潮させた。


 そして、慌ててルクから離れ、


「起きてるじゃないですか!じ、じ、冗談は止めてください!」


「いやぁ、冗談では無いんですけどねー」


 ルクの追い打ちによって、ますます赤くなるクリネ。熟れた林檎もかくやといった顔つきだった。





 微笑ましい朝の光景だった。



 血の着いた服は、全自動洗濯機によって汚れが落とされ完全に乾燥していた。クリネが入れてくれた柔軟剤によって、いつもより着心地が良いというおまけつけだった。


 ルクは洗面台で顔を洗い、ボサボサの髪を整える。そのあとも、歯を磨いたりなどをしていつものルーティンを淡々とこなしていく。


「ルクさん、台所借りますねー」


「え、朝食作ってくれるんですか?」


「自然治癒力を高めるには、しっかりとした食事が大事ですからね。ゴミ箱を見る限り、固形栄養食ばかりみたいですし」


「ごもっともですね……ありがとうございます」


 もう既に怪我は治っていて、自然治癒力も身体改造を使えばいくらでも高められるなどという、無粋なことをルクは言わない。


 彼女の思いやりが何よりも嬉しかった。


 クリネはテキパキと食事の準備を進めていく。台所から出る音から察するにかなり手慣れているのだろう。


 皿を並べるぐらいの手伝いはしたいと思い、ルクは手を早めた。




 食事が完成した。


 朝定番の目玉焼きやパン、コーンスープ、サラダなどが、湯気を立てて並んでいた。


 農業も盛んなベセノムにおいては、野菜を入手するのが簡単であった。


 変わり種としては、どこから見つけたのか、魔物肉の炒めなどもある。どう調理したのか、臭みは感じられない。


 二人は、席に着く。


「いただきます」


 ルクが最初に手をつけたのは、目玉焼きだった。誰にでも作れる料理だからこそ、その人の料理スキルが試される。


 あえて塩などの味付けはせず、普通にナイフとフォークで頂く。


 究極の半熟。白身を、切ったことで溢れ出した黄身と絡め頂く。


「うまいですね」


 お世辞でもなんでもない、率直な感想だった。


「ホントですか!良かったぁ…」


 クリネは、ルクの反応を見て安心したようだ。自分の作った料理が口に合うか、心配だったのだろう。


 目的が達成されたあと、クリネは満足そうに他の品を食べ始めた。




 それを見て、ルクはまたもや妙案を思いついた。


「お願いがあります」


「もぐもぐ。はい、なんでしょう?」







「あーん、ってして下さい」





 数刻の沈黙。破ったのはクリネだった。


「ふえぇっ!?さっきといい、なんか変ですよ!や っぱりどこか頭でも打ったんじゃないですかー!?」


 まるで、新婚夫婦のようにも見えるやり取りは、二人がギルドへ行く支度を済ませるまで続いた。







 ______________________








「へぇ、若い男女がをひとつ屋根の下で、夜を明かしたと」


「うぅ、間違いではないんだけど、悪意を感じるよぅ…」


 二人がギルドに入った途端、話しかけてきたのはレマグだった。


 くりっとした目に金髪、そこから突き出た二つの狐耳。それだけ聞くと美しい娘を想像するだろう。


 しかし実際は、彼女の金髪は寝癖だらけで、耳はだらしなく垂れていた。せっかくの素材が、台無しだ。


 お気に入りの時計型デバイスだけは、しっかりと彼女の左腕に装着されている。彼女の命のようなものだろう。


「でも、珍しいね」


 いつも深夜までソシャゲに没頭している彼女が、正午前に、ここにいることはとても異常だと言えた。


 それを聞くとレマグは堰を切ったように話し始めた。


「当たり前だろっ。友達が人探すって言って、どこかへ行ったまま音沙汰無しなんだぞ?おちおち、眠れもしねぇよ!電話も出ないし!」


「え」


 急いで携帯端末を開き、通知を確認する。驚きのあまり、手が震え上手く操作できない。


 それでもどうにかして、メール欄を確認する。


「う、嘘……」


 端末のディスプレイは、レマグからの不在着信が大量にあったことを表示する。


 それも数十回に及ぶほどの数で、十五分おきに来ていた。


「ほっんとに、心配したんだぞ?」


 レマグは丸みを帯びた目を細め、クリネに詰め寄る。普段の脱力した彼女からは、想像もつかない覇気を纏っていた。


 だらしない姿を含めたとしても、凄まじい圧だった。


 それはギルドを飛び出したあと、連絡も寄越さないクリネのことを心から案じていたことの裏返しだろう。


「ご、ごめんなさい。貴女に連絡すること忘れちゃった……そこまで心配してくれてるなんて知らなくて」


「…分かりゃあいいんだよ、分かりゃ」


 レマグは先程までの表情から一転、ニカッと笑った。いつものレマグだった。クリネもつられて、笑う。


 レマグは、初対面であるはずのルクに顔を向けると睨みつける。


 彼の胸に指を突き立てながら、


「あんた、クリネに変なことしてないよな?」


 クリネに向けたものよりも、数倍の強さの圧がルクにぶつけられる。


「はい、誓ってしていませんよ。それと、今回のことは自分が原因です。申し訳ありませんでした。こんなことを言うのは烏滸おこがましいですが、クリネさんをあまり責めないであげてください」


 ルクは少し早口で、捲し立てた。


「お、おお。そんなに言うなら、仕方ないな」


 レマグは、ルクの想像以上の剣幕に圧倒されている様子だった。


(凄い、あの口では誰にも負けないと自他ともに認めるレマグが、あっさりと……!)


 レマグは、その男勝りな口調と雰囲気が特徴だ。周りの男たちの方が恐れ戦くほどに。


 クリネがナンパされた時に、レマグに助けられたこともしばしばだった。


「大丈夫。何もルクさんはしなかったよ、出来なかったという方が正しいけどね」


 かけがえない親友は、自分の身を案じてくれたようだが、やましいことは何一つ起こらなかった。


 正直なところ、ほんのちょっぴり残念なクリネだったが、それを口に出すという失態は犯さなかった。


「どういう意味だ?出来なかったって。実は……」


「違います」


「ルクさんが、どうかしたの?」


「何でもないです」


 レマグが何を言うか想像に難くなかったので、ルクは牽制しておく。


 クリネはよく分かっていないようなので、あえて誤魔化した。その方が彼女の身のためだ。


 しかしレマグは昨日の一件については何も知らないのだ。疑問に思うのも、無理はない。


「私もあんまり詳しいことは分からないの……たまたま口から血を吐いてるルクさんを見つけただけで……」


「おいおい、血を吐くって相当だぞ……」


 そうなのだ。


 クリネ自身も知っているのは、彼が何らかの経緯で怪我をしたという結果だけだ。過程がすっかり抜けている。


「そこら辺は、しっかりと説明してくれるんだよな、ルクさんよ?」


 レマグが尋問官のような顔で、ルクに問う。まだレマグは、彼を完全に信用していないようであった。


「勿論」


 ルクはキッパリと言い切った。






 ______________________




「只今、帰りましたぁ」


「ダム、報告をしろ」


 ダム達がアジトに戻ってきた時、待っていたのはおかえりなどではなく、冷たく事後報告を促す声だった。


「……」


 隣にいた連れも同様に緊張しているようだった。先程から俯いて、リーダーと目を合わせようとしない。


 無理もないだろう。あんな恐ろしい事実をリーダーに報告できるわけが無いに決まっている。


 普通に考えれば無礼に当たるのだが、リーダーが気にする様子はない。そこは助かった。



 アジトは、あるビルの使われなくなった地下室に存在していた。


 地下室へ入るためには、直通のエレベーターで、パスワードと対応したボタンを決まった回数だけ押す必要がある。まず、偶然では行くことはできないだろう。


 部屋全体はら頼りないLED照明が数個あるのみで、薄暗かった。部屋の広さから考えれば、光度が足りていないことは明らかだった。



 さらに、喪失者達ロスターズのメンバー全員分のデスクが用意されていた。


 デスクと言っても一人を除いて、机と椅子、そして型落ちしたパソコンが一台、という粗末なものではあるが。


 そのため、ほとんどの者が椅子だけを使っているというのが現状だった。


 今の時代は携帯端末だということを知らない奴が、自分たちの上司かと呆れる者もいた。


 ダム達に対し、他のメンバーも声を掛けるどころか、見向きもしない。


 興味が無いというより、まるで認知していないかのようだった。


 各々ボードゲームをしていたり、電話をしていたり、そもそもいなかったり、自由だった。


 これが喪失者達ロスターズだった。


 誰も彼もが、自分の赴くままに行動する。その余波は殺人や破壊に繋がって、甚大な被害をもたらす。


「はい」


 いつもはヘラヘラしているダムが、珍しくピシッとする。額に汗を浮かべてすらいる。


 ルクと戦った時に出たものとは別種の汗がじわじわと滲み出てくる。



 その人物は、地下室の奥に設置された紗幕の中にいた。そのため外からは、シルエットしか分からない。


 紗幕の近くまで、歩み寄る。近づきすぎると何故かお叱りを食らうので、注意が必要だった。


(顔を見せては貰えないと、これじゃああの御方が何者かが分からないな。表情も分からないからやりにくいんだよね)


 ダムは心の中で、そっと愚痴を言う。


「余計なことは考えなくて良い。お前は、ただ私に従っていればいいのだ」


 あの御方からは、見透かしたかのような忠告が飛ぶ。


「……すみませんでした」


 このリーダーの恐ろしいところを挙げるとすれば、正体不明の精神感応テレパシーだろう。相手の心を読む力があるらしい。


 ダムとしてはやりにくくて、しょうがなかった。


 しかし、意思がなければ発動が出来ないようなので安心している節もあった。


 つまり、怪しい動きを見せなければいいのだ。それがこの空間における正しい選択だ。


 先程は、日に日に溜まっていた鬱憤うっぷんを抑えきれず、態度に出てしまったのだろう。


 俯いている連れに注目されないように、黙っている訳にもいかない。


 加えて、あの御方は効率の悪いことを嫌う性分だった。


「では、報告を始めます。昨日の夕方頃、僕は標的と…………」

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