勇者の末裔

UMI(うみ)

勇者の末裔

「甘い!」

 俺の放った一撃はあっさりと跳ね飛ばされた。俺は地面に叩きつけられる。

「カリウスは弱過ぎるわ」

 そう言って、姫はため息をつく。俺が弱いんじゃなくてあんたが強過ぎるんだよ!そう怒鳴りつけたい気持ちを俺はぐっと飲み込んだ。

「参りました」

 俺は何とか立ち上がって一礼した。俺を叩きのめした少女と言っていいこの女性は「マリアナ・ウィル・セクシード・レイモンド」れっきとしたこのレイモンド国の王女である。そして俺は彼女の護衛である近衛の副隊長である。一応国一番の剣士と言われるほどの腕前だ。なのだが。

「こんなんじゃ魔王を倒すことなんて出来ないわよ」

 呆れたように姫は言う。これが姫の口癖だ。

「しかし、姫……魔王はもうこの世界にはおりません」


 そう、魔王はもうこの世界に存在しない。


「でも、蘇るかもしれないじゃない」

 不満そうに姫は言う。

「封印されたのではなく、倒されたのですよ」

 こう言うのも何度目だろうか。

「姫が一番ご存知でしょう。あなたの曽祖父である勇者に倒されたのです。蘇ることなどあり得ません」

 マリアナは勇者の末裔だった。そして勇者の力を受け継いだただ一人の人間だった。先祖返りというのだろうか。他の王子や王女たちはごく普通の人間なのにマリアナだけが圧倒的な戦闘力を有して生まれたのだった。

「それよりもこの間の縁談はどうされたのですか?」

 答えはほぼわかっているが、俺はとにかく話題を変えたくて問いた。

「ふん。軽く稽古をつけてやったら泣いて帰って行ったわ」

 つまらなそうに姫は言った。

「あんなんじゃ魔王を倒すパーティーには入れないわね」

 姫は呆れたように言う。周りが求めているのは魔王を倒す愉快な仲間ではなく、姫との結婚相手であることは言うまでもない。

「ですから……魔王は」

「お茶にしようっと」

 姫は俺の話を最後まで聞かずに背を向けた。

「もっと精進しなさいよ」

 そう言い残すと姫は城へと向かって去って行った。

「やれやれ」

 俺は剣を鞘に仕舞うと、はあっと大きなため息をついた。生まれながらにして圧倒的な力を持つ姫には護衛など必要ない。困った姫のお守り役のようなものだ。我が儘な姫に手を焼いた国王の判断だった。

「ああ、辞めてえ……」

 俺はぼそりと言った。だが代わってくれる奇特な奴がいるわけがない。姫の護衛を辞退するならおそらく近衛を辞めなければならないだろう。俺は貴族の出ではない。庶民の出だ。その俺が近衛の副隊長にまで上り詰めた。それは俺の誇りだったし、簡単に投げ出せるモノでもない。

「にしても……」

 俺は白亜の城を見上げた。姫はこれからどうするのだろう。偉大なる曽祖父の力を受け継いだ姫。だが魔王はもはや存在しない。魔王に支配されていた暗黒の時代は終わったのだ。今世界はかつてないほどの平和な時代を迎えている。

 魔王が消滅してから魔物の力はどんどんと弱まっている。冒険者は存在するが、戦士職の人間は人気がない。人気があるのがトラップ解除やサバイバル術に長けた盗賊だ。強大な魔法を使う必要もなくなったため、古代魔法のような伝説級の魔法も失われつつある。

 それは平和の証なのだろう。世界にとってはいいことだ。だが姫のような存在はどうなるのだろう。こんな平和な世では勇者の力など意味はない。邪魔なだけだ。生まれ持った力を持て余し、生かすこともなく、いつかしかその生を終えるしかない。

(そう考えると可哀そうな人なのかもしれないな……)

 俺はしんみりそう思った。そうしてふとまた姫に叩きのめされる明日を思った。

「やっぱりこの仕事辞めてえ……」

 それとこれとはやっぱり話が別なのだ。



 俺がぼやき続ける日々は続いていた。本当にこの世に魔王が蘇ってくれないものか。そうすれば姫のお守りから解放させる。などとはなはだしく物騒なことを俺は半分冗談、半分本気で考えていた。

 今日は盛大に姫のお遊びが行われていた。近衛兵百人対姫一人の戦争ごっこである。一対一では埒があかないという姫の意向、というか我が儘だった。

「魔術部隊!詠唱開始!」

 あー、馬鹿馬鹿しいと思いつつ副隊長である俺は号令をかけねばならない。魔術師たちが一斉に魔術の詠唱を始める。終わったのを見計らって俺は叫んだ。

「放てぇ!」

 剣を抜き放ち、とりあえず副隊長らしく命令を下す。

「氷嵐雨(アイスストーム)!」

 魔術師たちが声を上げて唱和する。近衛たちも姫の強さを知っている者たちばかりだ。なにせ遊びに付き合わされるのは初めてではない。近衛としてエリートのプライドもあるのだろう。なんとか姫に一矢報いたいと本気の魔術が放たれた。

 ちなみに姫と言えば剣を抜くこともせずに悠々と立っているだけだ。その風格は正に勇者の末裔と言える。風格だけだったらどれほどいいものかと俺は心底思った。そう思っている間にも水の精霊の力を宿した雨あられの氷の矢が姫に降りかかる。普通なら躱すことも剣で捌くことも不可能な魔術であるが。

「爆炎檻(ファイヤーケージ)」

 詠唱なしで姫の周りにドーム状の炎の壁が現れた。氷の矢はことごとく姫の周りで消滅する。

(まあ、こうなることはわかっていたけどさ・・・)

 言ってみれば茶番である。だが、悲しいかな。臣下である以上茶番でも真面目にやらねばならない。

「姫の足場を崩せ!」

 俺は次の命令を下す。既に呪文は詠唱させてあった。まあ、言うなればただの経験による学習だ。それは仲間の近衛たちもわかり過ぎるほどわかっているだろう。俺は激しく同情していた。

「風浪地(ウェイブアーズ)!」

 姫の足元が大きくうねる。局所的な地震を起こす魔術だ。姫もさすがに立っていられなくなり、爆炎檻を解除して宙に舞う。

「今だ!放て!」

 あーあー、結果はわかっているのに、格好つけて号令を下す自分が哀れだ。というより、惨めだ。

「神兵乃剣(ソードオブゴッドネス)!」

 空に無数の銀の剣が現れる。十人以上のハイクラスの魔術師が揃って出来る高難易度の神聖魔法だ。銀の剣はまっしぐらに姫へと向かって放たれた。空を裂き、光の軌道を描き、神の加護を受けし剣は仇なすモノを無慈悲に切り裂く。

(はず、なんだけどなあ・・・)

 もう結果はわかっているので俺は期待しない。するだけ疲れるというモノだ。

「はっ!」

 姫は宙で剣を抜くと、剣を振るう。そのただの一振りで衝撃波が起こった。無数の銀の刃は霧散した。わかってはいるが何度見てもチートな強さという他はない。剣の腕は超一流。古の伝説級の魔術も難なく使いこなす。勇者ってなんだ?化け物なのか?その勇者が死闘を繰り広げた魔王って何だよ。きっと怪獣大決戦みたいな戦いだったんだろうな、と俺は目の前の嘘みたいな光景を見ながら思った。周囲も仲間たちも死んだような目をしている。

「ああ、この仕事辞めてえな・・・」

 俺は誰にも聞こえないように小声で呟いた。しかし聞こえたところでどうということもなかっただろう。周りの奴らも同じことを思っているに違いないのだから。俺は吐き慣れてしまったため息を吐いて、隊長に声をかけようとした。今日の姫の遊びを止めさせるためだ。だが。

「マリアナ姫!近衛隊長殿、副隊長殿!」

 激しく慌てた大臣が馬に乗ってやって来た。何事だろうかと俺と隊長は顔を見合わせた。

「直ぐに国王の元に来て下さい!緊急事態です」

 その言葉に俺はさっと顔を強張らせた。隊長も他の近衛も同じだ。違うのは姫ぐらいである。期待に顔をきらきら輝かせている。一緒に過ごしている時間が長いので考えていることは嫌というほどわかった。

『魔王が復活したのかも!?きゃわわ』

 とか考えているのに違いない。そしてそれは絶対に間違っていない。



 玉座の間に着くと既に他の王子、王女そして大臣たちが揃っていた。誰もが厳しい顔をしている。俺たちが王の前に膝を付くと同時に国王は先ほどの大臣の言葉を繰り返した。

「緊急事態である」

 俺はごくりと唾を飲み込み、国王の次の言葉を待った。

「魔王の末裔と名乗るモノが我が国に攻め込んで来ようとしている」

 ざわりと周囲がどよめいた、だが。

「ついにこの時が来ましたのね!」

 一人満面の笑みを浮かべて今にも飛び出しそうな人間がいた。勿論言うまでもなくマリアナ姫である。国王は大きなため息をついた。王冠がずり落ちそうである。

「マリアナよ、話は最後まで聞くのだ」

「はーーーい」

 姫は元気よく手を上げた。口を閉じたが、歓喜に満ちた目で国王を見つめ続けている。

「魔王の末裔というのは俄かには信じられぬ話ではあるが、隣国のアルマンド王がその者と共に宣戦布告をして来たのは事実である。このまま黙っている訳にはいかぬ。皆の者、戦の準備をせよ!」

 国王は立ち上がり、ローブをはためかせ、大きく腕を振り命令を下した。下した瞬間、姫が玉座の間から風のように飛び出して行ったのは言うまでもない。


 

「だから私の言った通りじゃないのぉ」

 語尾にハートマークを付けそうな勢いで姫は俺に言った。ちなみに俺と姫は戦のために馬に乗り他の兵士たちと共に城下町を出立するところである。他の王子、王女たちは城に籠城している。だが姫だけは戦うと言ってきかなかった。

『勇者の末裔が恐れをなしたとなれば、国の恥よ!』

 そう言って強引に出陣したのだ。国王は押し止めようとしたが、姫は聞かなかった。暴れて手が付けられなかったというのが本当である。最後には国王も認めるしかなかった。確かに本当に魔王の末裔なら姫の力は絶対に必要だろう。なにせ魔王を倒せるのは勇者だけと決まっている。

(しかし……)

 俺は首を傾げた。本当に魔王の末裔なのだろうか。眉唾ものだと俺は思った。そもそも魔物は瘴気などから自然発生する存在で、子孫を残したりはしない。魔王とは魔物が特殊変異したモノなのだ。俺はこの魔王の末裔という存在に胡散臭さを感じていた。

「姫、本当に魔王の末裔なのでしょうか……?」

 俺は姫に疑問を投げた。

「なに言っているの、だって本人がそう言っているんでしょ。間違いないに決まっているわ」

 駄目だこりゃ、と俺は思った。姫は呆れる俺を他所に続ける。

「だって勇者の末裔がここにいるんだもの。魔王の末裔がいたって全然不思議じゃないわ」

 それはあんたのただの願望だろーが。俺はそう激しく突っ込んだ。だが勿論そんな突っ込みは姫に届くわけもない。

「魔王のまっつえい♪魔王のまっつえい♪」

 すっかり上機嫌で鼻歌を歌う始末である。姫の中では魔王と死闘を繰り広げる勇者の自分という妄想がお花畑のように広がっているのだろう。



 城下町からほどよく離れた草原で俺たちは対峙することになった。白馬に乗っているのが隣国の騎士団長で、隣の黒毛の馬に乗っているのが魔王の末裔とやらだろう。真っ黒なローブ纏っていて大変わかりやすい。まあ、こっちも人のこと言えないがと俺は姫の姿をちらりと見た。白銀のライトメールに身を包み真っ白なマントを羽織っている。陽光を反射してその身はきらきらと輝き、全身から「私が勇者の末裔です」オーラを醸し出している。いい感じに発酵されている。なんかどっちもどっちだなあと俺は思った。

「止まれ!ここはレイモンド国の領地である!」

 隊長が大声を上げて制した。

「何ゆえ我が国に仇なさんとす!返答如何によってはただではおかぬぞ!」

 騎士団長が馬を一歩進めた。

「王の書簡が全てである!ここで話し合う意味はない!」

 有無を言わせぬ口調で騎士団長は言った。予想通り交渉にすらならなかった。

「降伏してアルマンド王の臣下に下るならよし!さもなくば地獄の業火で焼き尽くされるであろう!」

 まさに一触即発だった。しかし。

「あふう」

 姫は全く聞いていなかった。退屈そうに欠伸をしている。

「まだ、終わらないの?」

 我慢出来ずに飛び出すことなく、大人しく待っているだけマシかもしれないが。

「あー、もう少しだと思いますので」

 俺は姫を宥めた。これから始まる戦よりも姫の暴走の方が怖い。

「こんな話し合いになんの意味があるわけ?」

 姫が素朴な疑問を口にした。意味などないがそれは言ってはいけないのだ。

「何事も形から入るモノなのです」

「ふうん」

 姫は首を傾げる。

「あれが魔王の末裔なんでしょ」

 そう言って真っ黒なローブをすっぽりと被った男(多分)を指差した。

「ええ、おそらく」

「ああ、楽しみだなあ」

 姫は手をわきわきさせながら言う。俺は不謹慎ながら本当の魔王の末裔であってくれたらなあと思わざるを得なかった。これで偽物だったらどんな八つ当たりが待っていることやら。

(辞めよう・・・)

 この戦が終わったらこの仕事を辞めようと俺は思った。この地位に未練がないといえば嘘になるが、近衛の元副隊長だ。良い転職先くらいはあるだろう。まあ、生きていればの話だが。

 ちなみにその間にも騎士団長たちのやり取りは続いていた。

「魔王の末裔とやらに誑かされ、我が国に仇なすとは言語道断!」

「勇者の末裔という座に胡坐をかき続ける腐敗した国に言われる筋合いはない!」

 ぶち切れたのはこちらの隊長だった。

「我が国を愚弄するか!これ以上はもはや無意味!」

 ついに剣を抜いて高々と掲げた。戦の合図だ。さすがの俺も剣を抜き、部下に号令を出そうと・・・した時だった。

「はあっ!」

 姫が馬を蹴り飛ばし、宙へと舞った。止める間もない。姫はそのまま兵士たちの頭上を越えて、アルモンド軍とレイモンド軍が対峙するど真ん中へ降り立った。そして剣を抜き放ち豪語する。

「我が名はマリアナ・ウィル・セクシード・レイモンド。勇者の血と誇りを受け継いだ、勇者の末裔である!」

「うへえ!」

 思わず変な声が出た。大人しくしてくれているなあ~と思っていたが、やっぱりこれである。俺は頭を抱えたが、姫の暴走は止まらない。

「魔王の末裔を名乗るモノよ。私と戦え!お前が本当に魔王の末裔であるならこれは宿命である!」

 するとゆっくりと黒いローブの男が前へと馬を進めて来る。

「我が魔王の末裔である。魔術師アイマンと名乗っておこう」

「アイマンか。覚えておこう」

「汝が勇者の末裔というなら、まずはこの一撃を受けてみよ」

 すっかり二人の世界である。周りの兵士たちは完全に置いてけぼりである。俺が遠い目をしている間にも二人の会話は続いている。

「面白い。魔王の力の片鱗を見せてもらいましょう」

「勇者の末裔よ。我をがっかりさせるなよ」

 遠い目をしていた俺だったが、アイマンと名乗った男から立ち上る魔力のオーラを見て目を見開いた。それは視覚で捉えられるほど濃密な魔力ということだ。こんな魔力量を持った人間は姫以外見たことがない。

(まさか……)

 魔王の末裔など眉唾ものだと思っていた。ただの大ぼら吹き野郎だと。今だってそう思っているが、ただものでないことだけは確かなようだ。

「姫……」

 俺は姫の護衛になって初めて彼女の身を案じた。姫は強い。それは間違いない事実だ。だが姫には実戦経験がないのだ。参ったで終わる模擬訓練とはわけ違う。文字通り命のやり取りである。俺はいざとなったら姫の盾になれるよう身構えた。

「復讐乃雷撃(ネメシスライトニング)!」

 アイマンの詠唱が終わり、呪文が放たれた。恐ろしく早い高速詠唱だ。おまけに呪文は古の復讐の女神ネメシスの力を借りた高難易度魔術。誰にでも使えるモノではない。

 巨大な雷の槍が姫に襲い掛かる。しかし、姫はあろうことか剣を高々と掲げた。当然のことながら雷は姫の剣へと直撃だった。さすがの俺も息を飲む。

「馬鹿な!」

 だが、驚愕の声を上げたのはアイマンだった。姫は平然とそこに立っていた。驚くべきことに全くの無傷だ。

「雷を操るのは勇者にとってはお手の物よ」

 姫は平然とそう言い放つ。剣がバチバチと明滅している。雷を全て剣に吸収させたのだろう。

「くっ。勇者の末裔などとただの箔付けに名乗っているだけかと思っていたが!」

 アイマンは姫のことを単なる勇者の子孫という認識しかなかったようだ。まあ仕方がない。姫の力のことは伏せておいていたのだ。それは曽祖父である勇者の強大な力を知る国王の意向だった。国王はこの平和な世界ではそれは近隣諸国にとって無用の脅威になるとわかっていたのだろう。だからこそ姫がこの戦いに参加することに反対したのだ。まあ、無駄な努力だったわけだが。姫の我が儘を止められる者など存在しない。こんなことを考えていると忘れてしまいそうだが、戦いは続いていた。

「雷、お返しするわ」

 そう言って、姫は剣を振り下ろす。剣から放たれたネメシスの雷が真っ直ぐにアイマンへと向かう。アイマンは咄嗟に両手を前へ突き出した。

「多重防御壁(マルチプルウォール)!」

 アイマンの前方にシールドが展開される。ただのシールドではない。幾層にも重ねた防御壁である。一つでは防ぎようがないと判断したのだろう。天才的な魔術師であるだけでなく、冷静な判断力も持ち合わせているようだ。厄介な敵だなと俺は思った。今はアイマンが劣勢のようなだが、戦いはどう転ぶかわからないものだ。驕った姫がいつ足元を掬われるのかも限らない。

 姫の剣から放たれた雷は光の尾を引いて、アイマンのシールドに突き刺さった。そして一枚目のシールドを難なく破壊する。二枚目も同様だった。三枚目のシールドを突き破った時にようやくその威力が削がれた。そして七枚目で雷は消失した。

 俺は唸った。たった一人でこれほどの多重防御癖壁を展開出来る人間を俺は見たことがない。姫といい天才というのはいるものなんだなと俺は考えていた。俺なんか国一番の剣士と言われているが、それも努力に努力を重ねてことだ。訓練らしい訓練をしたことない姫に叩きのめされた日のことは、忘れられるものなら忘れたい黒い思い出である。凡人はどこまでもいっても天才には叶わないと思い知らされたのだ。

 俺はなんか何もかもどうでもよい気分になり、虚ろな目で勇者の末裔と魔王の末裔(自称)との戦いを生温かい目で見つめ続けた。結果はどうあれ、転職しようと決めていた。凡人らしく平凡でもささやかな幸せを掴むために。赤い屋根の家を買って嫁さんを迎えよう。近衛の副隊長とかもうどうでもいい。まあ、生きていたらの話だけど。そんな俺の未来予想図を無視して姫とアイマンの戦いは白熱していた。

 アイマンはシールドが破壊される間にも呪文を詠唱していた。シールドを維持しながら他の呪文を使用するなど、余程の魔術の才がなければ出来ない。言ってみれば努力で出来るようになるものではないのだ。聞き取れないほどの速さの詠唱のためどんな魔術かも想像がつかない。

「これを受けてみよ!」

 アイマンが術を解放しようとした。もはや味方も敵の兵士も生唾を飲んで見守るだけだ。それぐらいレベルの違う応酬だった。

「隕石雨(メテオフォール)!」

 聞いたことしかない大呪文が木霊する。文字通り空から隕石を落下させる途方もない術である。落ちれば姫ところか、ここら周囲一帯が吹き飛ぶだろう。ある意味呑気に二人の戦いを見物していた俺を含む兵士たちは、ぐんぐんとその巨大な姿を現す隕石に顔色を変えた。だが、だからといってなにが出来るでもない。ただ口を開けてみていることしか出来ない。この呪文は発動されたら止める術はないのだから。そのはずなのだが……

「甘いわ!こんな石ころで勇者の末裔である私をどうにか出来ると思ってるの!?」

 腕を組み高らかに笑う姫がいた。いや、いくら姫でもどうにもならんだろう。俺は肩を落とし、死を覚悟した。転職も赤い屋根の家も、優しい嫁さんも諦めた。まさか隕石に潰されて死ぬとは思ってもみなかったなあ、と今までのことが走馬灯のように脳裏に過った。隕石はもはや頭上を覆い尽くすほどの大きさになっていた。終わりだ、と思ったのだが。

「本当の雷というものを見せてあげるわ!」

 そう言うと姫は剣を掲げる。

「断罪剣(ジャッジメントソード)!」

 聞いたこともない呪文だった。唱えた瞬間、姫の身体がバチバチと発光し始める。その姿が見えなくなるほどの光だった。そして光は姫の剣に収束しはじめる。完全に収束してしまうと、剣は黄金色の光を放った。

「これぞ、勇者の秘術!悪を断罪する正義の剣!たあっ!」

 姫は剣を大きく隕石に向かって振り下ろした。剣から放たれた光は大きな矢のように隕石へと真っすぐ向かう。そしてあろうことかその光は隕石を真っ二つにした。

「これが勇者の持つ正義の力よ!」

 姫はガッツポーズを取り誇らしげに胸を張る。だがこっちは正義どころではなかった。

「逃げろおおお!」

「退避!退避せよ!」

 俺と隊長は絶叫した。なにせ頭上からは二つに割れた隕石が降って来ているのだ。姫の一撃で威力が削がれたとはいえ、直撃すればぺしゃんこである。敵も味方も蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑った。そして、どおおおおんという音ともに隕石が無情にも落下した。そして地響きと共にもうもうたる砂煙が立ち上る。姫は無事なのだろうか。さすがの俺も一瞬不安になったが、無論それは余計なお世話であった。

「魔王の末裔よ、なにか言いたいことはあるか!あるなら聞きましょう」

 朗々と姫の声が砂埃の中から聞こえて来た。うん、ぴんぴんしているようだ。少しずつ視界が開けてきた俺が見たモノは、剣をアイマンに突きつけている姫の姿だった。

「も、申し訳ございません!許して下さい!」

 アイマン、魔王の末裔(自称)はその場に土下座した。

「魔王の末裔が命乞いとはみっともないですよ」

「違うんですー!俺は魔王の末裔なんかじゃないんです」

「へ?」

 話を要約するとこうだった。彼は生まれながらにして魔術の才に恵まれていた。だが魔王が倒されたこの平和な時代ではそれは無用の長物だった。王宮の魔術師なれば少しは役に立てるかと思い、アルマンド軍の魔術部隊に入った。その力に目をつけた国王がアイマンの力があれば隣国を征服できると良からぬことを考え、アイマンを魔王の末裔に祭り上げたという。

「僕は本当はこんなことしたくなかったんですぅうううう」

 フードの下から見えたのは気弱そうな青年の顔だった。確かにこんな大層なことをしでかせるような人間ではなさそうだった。魔王の末裔(自称)ではなく魔王の末裔(他称)であったわけだ。アイマンの言うことを鵜呑みにするわけにはいかないが、レイモンド国に宣戦布告をしてきたことは事実だ。レイモンド国王はそれなりの対応をせねばならないだろう。まあ、それは国王に任せるとして、問題はこのアイマンの処遇だが……

「ではあなたは魔王の末裔ではないのですね」

「はい、俺はただの魔術師です。この力を役立てたくて軍に入ったらこんなことに……」

 勝手に姫は話を進めていた。アイマンはぼろぼろと泣き崩れている。

「顔を上げなさい。あなたには見どころがあります」

「はい?」

「いつかきっと魔王が蘇る時がくるでしょう」

 姫は慈愛に満ちた笑みを浮かべる。あ、嫌な予感。

「その時にはあなたの力が必要になります」

 姫はアイマンの肩に手を置き、天を指差した。

「私はあなたと出会ったことで知りました。世界には悪がはびこっていると。そしてその悪の中からきっと魔王は蘇ると」

 アイマンはただ茫然としている。

「さあ、共に旅にでましょう!いつか蘇る魔王を倒すために!その時まで悪を倒す世直しの旅を!」

 姫は高らかに宣言した。そしてちらりと俺を見た。嫌な予感は更に増した。俺は本能的な恐怖から目を逸らす。

「カリウス、あなたも共に旅をしましょう」

「……何故私なのでしょうか?」

「だって、勇者と魔術師だけじゃ恰好つかないじゃない。ほら、戦士が必要でしょ」

 あっけらかんと姫はいう。

「手ごろな戦士ってカリウスしかいないし」

 そんな理由かよ、俺は内心で激しく突っ込んだ。

「あとは旅の途中で僧侶とか見つかればいいなあ」

 姫の中では俺を連れて旅に出るのが決定事項らしい。アイマンはただ口を開けてぽかんと姫を見ている。彼も首に縄をつけられて連行されることだろう。また俺も姫の護衛役に付いている以上、国王は姫と同行することを命じるに違いない。護衛と言うかお守り役として。

「この仕事、辞めてえ……」

 俺の中の将来設計が音を立てて崩れていく。転職、赤い屋根の家も優しい嫁さんも遥か彼方のまたその向こうだった。









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勇者の末裔 UMI(うみ) @umilovetyatya

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