魂の狩場②

「そこに誰か居るの?」


 鈴蘭が咲き乱れる花畑の中、美しい悪魔は立ち上がり、周囲を見回す。

 気付かれたかもしれないと思えば、緊張感が増す。


「……幻覚を見破られたら厄介だ」


 アジ・ダハーカはステラを掴んだまま、時空の亀裂にスルリと入り込む。

 立ち去る間際に見たのは、こちらに視線を合わせ、ポヤンとした表情をする少女。

 彼女の姿に、ステラは何故か悲しい気持ちになった。

 魂を鳥籠の中に閉じ込めてなお、彼女は清純な美しさを保つ。人を殺すのは、彼女にとって当たり前の行いで、心のあり様を変えるほどの出来事ではないのだ。



 アジ・ダハーカと元の世界へと帰る途中、ステラは麗しの悪魔から貰ったオーデコロンについて考えを巡らす。


(鈴蘭の香りがした時点で、怪しむべきだったかな。私の知る限りでは、どの花を混ぜても鈴蘭の香りに近くはならないし……。普通に暮らしている令嬢が、偶然作れる物ではないかも。とりあえずあのオーデコロンを調べてみないと……)


 オーデコロン自体を調べるのも重要だし、彼女がこれ以上王都の人間に悪さ出来ない様に、自分なりに何か対策を練ってみてもいいかもしれない。


「ステラ、ずっと無言だが、大丈夫か? 肉体と魂が長時間離れると、両方弱まっていくのだが」


「考え事をしていただけです! まだピンピンしてますよ!」


 握り拳を作ってみせると、「クックック」と笑われる。

 ドラゴン姿の彼の声は随分と低い。普段は可愛らしい猫の声だから違和感があるが、こうしてステラを迎えに来てくれたのだから、その本質に変わりはない。


「アジさん、迎えに来てくれて有難うです! すっごく安心しました!」


「なーに。また美味いものを食わせてくれたら何の問題もない」


「任せて下さい!」


「楽しみにしているぞ。下を見ろ。あの穴を抜けたら、儂等が住む街に辿り着く」


 真っ暗な闇の下方に、ポッカリと穴が開いているのが分かる。

 そこから見えるのは、幾つもの小さな光。あれは何だろうかと考えているうちに、アジ・ダハーカはそこを潜り抜けた。


 急に視界が開ける。

 周囲のモコモコは雲で、小さな光はおそらく人間の営みによるもの。


「わぁぁ! 凄い眺め!」


 眼下に広がるのは王都の街並みだ。

 橙色の外灯が整然と並び、貴族の屋敷と思わしき建物には煌々と灯りがともる。

 これ程上空から自らが住む街を眺めるのは初めてで、ステラの胸は高鳴る。


「アジさんはこの位の高さには慣れきっているんですか?」


「うむ。恐れ入ったか?」


「それはもう!」


「調子の良い奴め」


 邪竜はグングンと高度を下げ、一軒の屋敷の上空で旋回する。

 貴族街の中でも一際大きなそこに、見覚えがありすぎた。


「ここは、フラーゼ家?」


「そうだ。スンナリ肉体に戻れるようにしてやろう」


「えーと、……どうするつもりなんです?」


 ふと感じた嫌な予感は、大当たりだった。

 彼はステラを掴む手を大きく振りかぶり、フラーゼ家の外壁へと、とんでもない勢いで放り投げたのだ。


「そぉれ!」


「うきゃぁぁぁ!!!?? アジさんの馬鹿ー!!!」


 あり得ない程のスピードで飛ばされたステラは、目前に迫り来る外壁にギュウと目を瞑る。

 絶対にぶつかり、重傷を負ったあげくに地面に落下するだろうと想像するが、いくら経っても激突の衝撃はおとずれない。


 その代わり、優しいぬくもりに包まれていた。


(え、何がどうなったの!?)


 妙に重い目蓋を開けてみると、すぐ近くにジョシュアの顔があり、驚く。

 何故か彼の頬は濡れ、嗚咽を漏らしている。


「ステラ……、死なないでよ。目を開けて……」


(私のために、泣いてる?)


 彼の涙がステラの胸に落ちるのが見え、ギョッとしてしまう。

 自らの身に起きている事が妙にリアルに感じられるのは、ちゃんと肉体に入り込めたからだろうか? 状況を確認したくて、目を動かす。

 どうやら、自分はいつも寝起きする部屋の中に居て、そのベッドの上でジョシュアに抱えられているようだ。

 背中に感じられるシッカリとした腕と、お尻の下にある硬い太腿。

 燭台の明かりだけの薄暗い室内で、異性にされるのは問題ありすぎる行為といえる。


 それなのに嬉しい気がするのは、誰も見ていない、ステラですら気を失った状態で、彼が涙を流しているからだからだろうか。

 あまりうまく動かせない手を持ち上げ、その頬にピトリと触れてみる。


 弾かれた様に目を開けたジョシュアは、信じられないものでも見るかの様な表情をした。


「ステラ!」


「……ジョシュア、ただいま……です」


「良かった……、良かった……」


 カラカラに乾いた喉で懸命に言葉を紡ぐと、抱きしめる腕に更に力が込められる。

 あばら骨と背骨が丸ごと折れそうな感覚に呻き声を漏らすが、離してくれはしなかった。


(いつも余裕な表情をしているくせに、なんで私なんかの為に泣くのかな?)


 複雑な思いで、その柔らかい髪を撫でる。

 正直なところお腹が減りすぎて厨房に走りたいくらいなのだが、身体をホールドするジョシュアの腕の力が強すぎて、抜け出せない。


 十分程我慢し、ついに「お腹減った……」と呟くと、ジョシュアは漸く微笑んでくれた。


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