戦・頂点

 今朝治にざっくりやられた傷のせいで、丈吉は素早く駆けまわるどころか、立っている事すら覚束ない。ならば座ってやるまでだと腹をくくり、丈吉はその場に腰を据え、弓手を固定した。

 狙うは一射。一矢のみ。仕留め損ねれば次はない。外して距離を詰められたなら、あの大伝の暴威から身を守る術はない。

 傷から溢れる血の熱も、額に浮かぶ冷や汗も、一時忘れることにした。恐怖はあるが、それに臆せぬ強さが丈吉にはあった。

 あの大伝。

 そいつは、仮面の天人どもを文字通り蹴散らしながら突き進んでいた。噂には聞いていたが、あれほどの力を持った狸がいたとは。今まで遭遇しなかったのはよほど運が良かったのか……いや、悪かったのだ。こうなる前に、あいつを仕留めていられればそれが一番良かったのだ。天人も歯が立たぬ悪魔を。

 丈吉は確信した。大伝を討つ。それは何よりの誉れであると。


 知らない奴らがぞろぞろと。

 山に戻った大伝が見たものはそれだった。仮面をかぶり、槍を持ち、器用に跳ぶ奴ら。知らない奴らだが、人間に変わりなければどうでも良かった。大事なのは雄伝だけだ。

「雄伝が危ない!」

 その直感は灯子の言葉で伝えられるよりも、地を滲み伝わってくる感覚によって大伝を強く刺激していた。共に山へ戻っていた灯子さえも追いつけず、置き去りにしてしまうほどの速さで山を登ってくれば、この見知らぬ連中と、一面に泥の雨が散った異様な有様である。

 この泥の、一つ、一つから、雄伝を感じた。雄伝の身に何かあったのは事実だ。しかし。

「雄伝は死なない! 雄伝は負けない!」

 雄伝こそ、大伝にとってはこの世の何よりも正しい柱である。人間を何故殺すのか? 戦で勝ったら、その次に何をして生きるのか? なぜ灯子は人間を殺し過ぎることに腹を立てていたのか? そういった考えは全て吹き飛んで、今は雄伝の無事を確かめること、雄伝の敵を排することしか考えられていなかった。

 それでいて、大年の火を見た時とは違って、妙に冷静になってもいた。仮面どもの動きもよく見えていた。

「お前らはよく跳ぶが、跳んだ方が俺からよく見えるぞ」

 槍を掴んで一人、二人、三人、まとめて薙ぎ倒す。この時大伝は気が付いていなかったが、天人たちはこれまでの戦いの中で衣服に泥がまとわりつき、そのために普段よりも些か行動に精彩を欠いていた。大伝がこんなに早く山へ戻るなど天人の想定外であったし、ここへたどり着いたということは、途中の狩人をも蹴散らしてきたという事で、それもまた思いもよらぬことだった。大伝とて、地を通じて雄伝の声が聞こえなければ、戦の途中で戻る気などさらさらなかった。

 その雄伝はどこだ。

 大伝は直感で見抜いていた。奥の方から泥を飛ばしてきている奴がいる。あれが雄伝なのか。あんな技は見たことがないが。

「狸、止まれ!」

 また一人仮面が前に立ちふさがった。大伝が腕を振ると、蛙のようにぴょんと跳んで避けた。避けた方が大伝には見やすい。溢れる闘志によって普段よりも肥大し、大柄と化した泥の身体の大伝にとっては。

 跳んだ奴が着地する前に、その足を掴んだ。降りるより前に落として叩きつけた。ぶちっと鈍い音がした。

 その音に紛れて矢が飛んで来て、大伝の左目を貫いた。

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