贄
泥飛沫を浴びながら、丈吉は天人のやることを段々と理解していた。
天人は凌ぐことだけに徹している。本体へと詰め寄ろうとする勇み足は今朝治一人だけで、それ以外の者は一心不乱に降りかかる腕をかわし、泥を削ることだけに専念していた。力狸の泥をいくら削ごうと狸そのものを仕留めねば意味がない、という狩人の常識とは離れた戦法である。
そうすると今朝治一人だけ前に行きがちなのが滑稽にも見えるが、本人がやろうとしているほどには、前へ進めていなかった。
泥の塊はさかんに泥を噴き上げ手あたり次第に辺りを攻撃しながら、じりじりと山頂の方へと後退している。今朝治と丈吉はそれを追うが、そうすると塊は上にではなく、正面から腕を伸ばしてくるのである。近づくほどに腕の数は多く、狙いは正確になり、そのために進めずにいた。丈吉としては攻撃を避けながらも十分に塊を狙える自信があるのだが、いくら撃っても無駄であることは忌々しいが天人の言う通りである。
いつまでこうしているのだ、といくらか焦りが出て来た時、天人が叫んだ。
「乱れてきた……! 間もなくだ!」
乱れたというのは腕の動きだった。さっきいまでは無数に空へ打ち上げていながら、降ってくる腕の狙いは正確そのものだった。ところが天人たちが腕の泥を削ぎ続けているうちに、狙いが荒く雑になってきた。いや、もはや腕の形すらしていない。腕になりかけた泥の玉がボトボトと。力なく落ちてくるのも見えてきた。
「力が弱まっているのか?」
「弱っているのは意思です」
丈吉と今朝治もまた、正面からの攻撃が乱れていることに気が付いていた。それに応じて今朝治の声にも余裕の張りが蘇っている。
「肉体を失くした泥の鬼の意思、より正しく呼ぶならば理知理性というものが、我らの働きによって削れて薄れていっているのです。さっきまでのあれはまだ雄伝としての意識が残っていましたが、もうそろそろそれも消えます。そしてその時が我らの勝利の機なのです」
「……お前がそれを獲る気か」
「戯言を。手柄など競うものではありません」
嘘ばかり、と言う口は控えた。それよりも大事なのは、こいつらが泥の意思を弱めたその後、如何にとどめをさすのかどうかだ。
「丈吉殿、それよりも気を付けなさい。狙いが定かでなくなったせいで、かえって攻撃を読みにくくなってきています」
「おっと、わかってらぁ。それよりこれからアイツをどうやって……」
「器を使うのです」
ニィっと、急に今朝治が愛想よく笑った気がした。仮面をかぶっているのにその奥で、確かに笑ったように丈吉には思えてならなかった。
「肉体を離れて暴走した意思を、再び別の肉体の内へ封じる。そうしなければあれは倒せません。元の肉体である雄伝としての理性が十分に弱まってからでないと、それが出来ないのです」
「別の肉体ってのは、どこに……」
「ここに」
丈吉が荒ぶる泥の腕をかわした瞬間、背後に寄った今朝治が丈吉の背中めがけて槍を突き出した。丈吉の口から泡とともに掠れた声が出た。
「天人、お前……」
そのほんの一瞬前に、誰かが叫んでいた。
「大伝が出たぞ!」
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