鬼退治
天人の誰かが叫んだ。
「削げッ削げッ、削れ! あれの理知を極限まで堕とせ!」
雨の如く降り注ぐ泥水、その中から降ってくる泥の腕を巧みにかわしながら、天人たちは各々の槍で応戦していく。かわし様に槍を鋭く反転させ、腕の先を斬り落とす奴がいる。大樹の幹かと見紛うほど太い泥の腕を、三人がかりで突いて止める奴らがいる。
今朝治もその内の一人だった。今朝治の槍は穂先の片側に幅の広い刃があり、それを器用に使って泥の腕を削り落としていた。そうして泥を凌ぎながら、少しずつ前へと進んでいた。泥を噴き上げる本体、六武太の鼻とともにある泥の塊の元へ。
本体へ、一番槍を。
若い今朝治の、わずかに露出している首元の皮膚には、玉のような汗が浮かんでいた。
その首元をヒュッと掠めて飛んだ矢がある。丈吉の放った矢だ。矢は今朝治を追い越して泥の本体、いや、泥が絡みついている六武太の鼻をもう一度突き刺していた。
「丈吉殿、お控えを」
今朝治の声は静かな怒気を孕んでいたが、丈吉は意に介さなかった。
「あれを撃てばいいのだろう?」
友の肉体であったものを二度もいたぶるのは気に食わぬが、戦に勝つためならやむなしというのが丈吉の考えであった。
相変わらず目の前の珍事は知らぬ事、驚く事ばかりであるが、その禍中にあっても丈吉は普段の冷静さを取り戻していた。
「六武太は俺に任せて、お前が見届けろ」
健人がそう言ってくれたからである。大年の町を守る横倉家の人間として、本来ならば健人こそこの未曽有の事態に対し最前線で立ち向かうべきなのだが、その役目を丈吉に譲ってくれたのは他でもなく、丈吉の気性と技量を理解しているためなのだ。健人はすでに六武太を連れてこの場を去った。責任はいま己にある。
「無駄です、丈吉殿。今はまだいけませぬ。今のあれにはいかな攻撃も無意味なのです」
今朝治は明らかに苛立っていた。丈吉は大いにそこへつけ込んでやることにした。
「ほう? 貴殿も今、あれに一番槍をつけようとしていたように見えるが」
「知った風な事を……。いいえ、私はただ近づいただけです。機が熟した時に必ず仕留めるために。今はまだ近づくだけで、手を出しても無意味なのです」
「そんなことを言って、他の奴らを出し抜いて手柄が欲しいだけだろう。何が無意味なものか。……おっと」
「御覧なさい、何の意味もないでしょう」
話している間にも泥は降ってきていた。鼻に撃ちこんだ矢は新たに生えた腕によりまたしても呆気なく引き抜かれ、地へ投げ出された。
「あれは矢では倒せぬと、何度も言わせないでくださいませ」
「なら、その槍でも無駄だろう」
「いいえ、我らには手段があります、鬼を封じる手が!」
矢は効かなかったが、挑発は効いた。丈吉は一息に攻めた。
「鬼、鬼と、さっきから何なのだ、その鬼とは」
「鬼は、意思の塊。……泥土の鬼です」
真正面から伸びてきた腕を槍で跳ねのけ、今朝治は吠えた。
「狸どもの意思、思念。泥沼の底へ生き物の死骸が降り積もるように、狸の内へ積もり続けた意思そのものが鬼となるのです。狸は意思の力で己の身体を変える。そしてあなた方はご存じか知らないが、狸は死んだ同胞を食らい、己の血肉に変える。その果てがあれなのです」
そんなもの、聞いたことがない――。
丈吉はにわかには信じられなかった。そしてこう考えた。横倉家は、健人はこの事を知っているのだろうか?
その健人は山を下っている最中であった。体の重い六武太を連れての道中ではあるが、六武太は健人が知っていたよりも遥かに頑強で、ほとんど自らの足で歩いていたからそれほどの苦労でもなかった。気がかりなのは残してきた丈吉のことである。
「得体の知れない化け物に加え、何かを知っている天人どもも不気味だ。丈吉の奴、後を任せはしたが、無茶をし過ぎはしないだろうか……」
「ならば六武太様は私にお任せを」
そこへ、つと現れた人影があった。
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