「丈吉殿、ここは我らにお任せを。あなたは六武太殿を連れて山をお降りなさい」

 その仮面の若者は、確か今朝治とかいう名だった。仮面越しなのによく通る高い声で、諭すように丈吉を促した。

 どこからか、まるで死体に群がる鴉のように、黒装束に白塗りの仮面といういで立ちの天人どもがぞろぞろと、あちこちの木から降り立って集まってくる。こんなにいたのか、と丈吉は驚くと言うより呆れ返るほどだった。皆一様に槍を持ち、その長い柄を器用に扱って木々を飛び越えてやってくる。仮面のせいで表情が見えず、これだけの戦だというのに誰からも荒い息遣いなどは聞こえて来ず、負傷している様子もほとんどない。まこと不気味な奴らである。

 何を考えているのかはわからないが、何を見ているのかはさすがに瞭然。雄伝の内から生じ、六武太の鼻に絡みついて地を這う泥の塊である。そいつに目を奪われているという点では丈吉も同じだが、連中は明らかに、あの得体の知れない化け物の正体を知っているようである。しかし、あれは何だと聞いたところで、この連中が素直に教えてくれるだろうか?

 丈吉はちらりと背後の六武太を振り返った。顔に手拭を抑えて呻いているが、巨体から発せられる体温は頑健な生命力に溢れているように見えた。それを見て丈吉の顔からは汗が引き、強い光の灯った目で、今朝治の仮面をしかと見つめた。

「六武太の治療は必要だが、山から降ろすのは俺の仕事ではない。ここで狩りを投げ出しなぞしたら逆にこいつにぶっとばされる。……あれも狸の一種なら、あれを狩るのが俺の仕事だ」

「いいえ、あれはただの狸ではございません。あなたもご自身の矢が通じなかったのをご覧になったでしょう」

 今朝治の声が一段高くなった。それに脈ありと見た丈吉はさらに畳みかけた。

「なあに、さっきのは上手く狙えなかっただけだ。だが、もう要領はわかった。あれも生き物であるならば、脳でもどこでも射抜くところはあるだろう」

 若者は食いついた。

「なりません! 甘い、甘いですぞ丈吉殿。泥の鬼は弓などの生半可な武器、いや、そのような驕った考えでは決して倒せませぬ」

 ならばどうするのだ、と丈吉が問いかけたその時、天人の言う『泥の鬼』とやらが動いた。

「来るぞ今朝治、備えろ」

 別の天人が鋭く叫んだ。と同時に、泥が腕らしきものを伸ばし、鼻に刺さった矢を引き抜いた。そして叫んだ。

「バァーッ……ドゥーウ!」

 狭い洞窟の中を突風が吹き抜けるようなうすら寒い空虚を思わせながらも、一方で妙な圧力をも備えている叫びだった。

 泥と同時に天人たちも一斉に動く気配を見せた。肉体そのものは大きな変化を見せないが、確かに張り詰める闘志の糸が丈吉にも感じられた。

 泥は、天へと噴きあがった。力狸が身体に泥を纏うのと同じように、固い地が泥と化して高く上がった。――あるべき身体のないままに。

 同じ時刻、大年の町では天人の設置した竜吐水が同じように地下水を噴き上げていたのだが、そんなことは丈吉の知るところではない。その時丈吉が見たのは、高く上がった泥の中から幾本の腕が伸びて、上空から降りかかってくる情景だった。腕の一本は六武太を狙っていた。

「六武太、伏せろ!」

 急に背後から声がしたかと思うと、頭上に迫った腕が真っ二つに切り裂かれた。今の刃は天人の槍ではない、と丈吉が振り向くと、いつの間にか横倉健人が来ていた。

「健人様、ご無事で……」

「構うな、丈吉。それより六武太の方は俺に任せろ。代わりにお前があれを見届けるのだ。……あれと、天人どものやる事をな」

 忌々しい目で上を見上げる健人の目には、降りかかる泥の腕を軽々と跳んで躱す天人どもの黒い姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る